22.曹操との違い
建安6年(201年)5月 荊州 南郡 襄陽
「だけどな、諸葛亮。それをやると困るのは、善良な領民じゃねえのか?」
諸葛亮の提案に許容できないものを感じた俺は、厳しい声で問いただした。
すると彼は戸惑いながらも、それに答える。
「……それはつまり、反乱軍の討伐などを曹操が大々的に行うことで、民が巻きこまれる。そういうことですか?」
「ああ、そうだ。反乱組織を狩り出すために、いくつの集落が襲われるか、分かったもんじゃねえぞ」
俺の一番の懸念は、反乱組織に手を焼いた曹操が、無差別に集落を襲うようなことだ。
そもそも軍隊なんてものは、ただでさえ暴力のかたまりなのだ。
本来は民を守るはずの官軍でさえ、兵糧を調達するため、そして己の欲望を満たすために、集落を襲うなんてのは普通にやる。
ましてや反乱組織が地下に潜ってるなんて理由を与えれば、どれほどの災難が民に降りかかるか、分かったもんじゃない。
すぐに思いついたということは、諸葛亮もその危険を承知のうえで提案したということだ。
俺はそれだけは許せないと、彼をにらみつける。
すると諸葛亮は、ため息をつきながら懸念をもらす。
「フウ……やはり劉備さまはそれを気にされるのですね。少し安心する反面、そのような甘いことでこの先、生き残っていけるのかと、心配にもなります」
「……俺だって、甘いことばかりじゃいけねえのは分かる。だけどな、最初から諦めてちゃ、何もできねえだろう。別にお前に、全てを考えろとは言わねえ。ここには陳宮や魯粛、徐庶に龐統だっているんだ。みんなで考えれば、もっといい案が出てくるだろう」
それが俺の我がままだとは承知のうえで、訴えずにいられなかった。
本来、この中華を支えるはずの領民たちが、為政者の都合で虐殺されるなんて、あっちゃいけねえんだ。
そんな想いが通じたのか、まず陳宮が居住まいを正して、口を開いた。
「劉備さまのお心ばえは、誠にすばらしいものと考えます。正直、諸葛亮どのの案も悪くないと思った自分が、恥ずかしくなりました」
すると魯粛や徐庶、龐統もそれに続く。
「たしかに。この中華に安寧をもたらそうとする我々が、率先して民を虐げてはなりませんな」
「ええ、たしかに甘い考えですが、最初から諦めることはありません」
「そうだな。俺だってついこの間までは、虐げられる側だったのを忘れてた。俺たちはもっと、知恵を絞るべきなんだ」
そう言ってくれる彼らに安堵しつつ、俺は諸葛亮に向き直った。
「お前の提案の全てを否定するつもりはねえ。だけど民を犠牲にしないで済む方法を、みんなで考えねえか?」
するとしばし迷ってから、諸葛亮が少し恥ずかしげに答えた。
「……そう、ですね。皆さんと相談すれば、もっといい案が浮かぶかもしれません。私も少し、焦っていたようです。申し訳ありませんでした」
「いや、そういう考えがあるって知れただけでも、価値がある。実際にやるかどうかは別としてな」
ここで俺は居住まいを正して、皆に向き合った。
「ちょうどいいから言っておくが、俺はこういう考え方に、曹操に勝つ道があると思ってるんだ」
「それはどういう意味ですかな?」
興味深そうに問う魯粛に、俺は以前から温めていた考えを説明する。
「曹操も俺も、生き残るために戦ってるのは一緒だ。そして曹操は、現状で天子さまの身柄を握ってるわけだが、そこに皇帝陛下への敬意なんてものはない。どちらかというと、自分が守ってやってるんだって意識だろうな」
「ええ、残念ながらそうでしょうな。天子さまをないがしろにし、どちらが主人か分からぬような行状が目立つとか」
「ああ、そのとおりだ」
陳宮が言うように、曹操はすでに天子さまへの横暴を隠さなくなってきた。
もちろん天子の側でも、身の丈に合わない要求をするなどの問題があり、曹操の気持ちも分からないではない。
しかし天子さまをないがしろにし、さらに民をも顧みない曹操のやり方には、大きな反発があるのも事実なのだ。
「そんな曹操とは違うんだってことを、俺は訴えたいんだ。俺は天子さまは敬うし、民を見捨てることはしねえ。もちろん、なんでもできるってわけじゃねえが、時にはやせ我慢をしてでも、違いを打ち出していきたいと思ってる。そうすることによって、俺に協力してもいいって人間は増えるだろうし、兵士の士気も高まるんじゃねえかな」
そう言ってみんなを見ると、それぞれに感心するような顔を見せた。
「なるほど。単純に司空閣下と戦うだけでなく、かの御仁との違いを打ち出していくのは、後々に効いてきそうですな」
「はい。天子をないがしろにし、民を顧みない曹操に対し、劉備さまは仁義と慈愛を前面に出す、と」
「そのためには、時としてやせ我慢も必要だというわけですな。しかもちゃんと、副次効果も計算できる」
「フハハッ、それってけっこう、悪どくないか?」
「いえ、それでこそです。ただ甘いことを言うだけより、よほど信頼できます」
俺は手応えを感じつつ、話を元に戻した。
「みんながそう言ってくれて、嬉しいぜ。そのうえで改めて相談だが、俺たちはどうやって生き残る? まず益州を取るのは変わらないが、その先はどうすればいい?」
期待を込めて問うと、皆がしばし考えはじめる。
やがて口を開いたのは、諸葛亮だった。
「やはりどう考えても、徐州は保てません。無理に保とうとすれば、全てを失うでしょう」
「……ああ、その可能性は高いだろうな。やはり徐州牧の地位を返上するのは、避けられないかもしれねえ。それで、その後はどうする?」
「はい、地下組織がだめなら、素直に明け渡してしまいましょう。そのうえで、そうですねえ……密偵による情報操作をします。曹操の軍がいかに横暴に振る舞っているか。朝廷から遣わされた役人が、また汚職をするようになったなどと、噂を広めます」
「フフフ、それでいかに劉備さまの治世が良かったかを、強調するのですね」
「ええ、そのとおりです」
諸葛亮の意図を徐庶が指摘すると、諸葛亮は楽しそうに肯定する。
すると龐統も意見を出しはじめた。
「う~ん、それだけじゃあ、あまりおもしろくないな。いっそ任侠気取りの野郎どもを、反乱分子として組織したらどうだい?」
「おい、それはダメだって――」
「まあ、まずは聞いてくださいって」
即座に否定しようとすると、龐統は右手を突き出して俺の言葉を遮る。
その勢いに、何やら考えがありそうだと思い直して、耳を傾けた。
「劉備さまの心配は分かりやすよ。下手に抵抗運動なんかやらせたら、民が犠牲になるってんでしょ。だけど放っておいても、そんな組織は自然に出てきますよ。劉備さまの善政に慣れた徐州なら、なおさらだ」
「……うん、たしかにそれはあるかもしれないな」
「でしょう? それぐらいだったら、俺たちがお膳立てしてやって、一般人に迷惑がかからねえように誘導してやればいい」
「具体的には、どうするんだ?」
すると龐統は無精ヒゲをジョリジョリといじりながら、考えを語る。
「今のうちから徐州の各地で、旗頭になるような男を探します。そしていざという時の義勇兵ってことで、組織を作らせて、訓練を始めるんですよ」
「ふむ、それから?」
「そうやって各地に種を仕込んでおいて、曹操が攻めてきた時は蜂起させます。ただしどこかの集落に寄生させるんじゃなく、山の中にでも本拠を作らせます。そして俺たちは資金を供給して、兵糧なんかは買わせりゃいい。そのうえで敵さんの食料を奪ったりして、邪魔をさせるんですよ」
「う~ん、そんなに上手くいくかぁ?」
俺が疑いの目を向けると、龐統は笑う。
「俺だってそんなに期待してないですよ。言ってみれば、曹操軍に対する嫌がらせですな。逆にあまり上手くいきすぎると、周辺の集落ごと討伐されかねないから、そこそこでいいんですよ」
「なるほど……本格的な抵抗じゃなく、あくまで嫌がらせに徹するのか。皆はどう思う?」
そう言って他の者に目を向けると、口々に賛同しはじめた。
「よろしいのではありませんか。絶対に跳ねっ返りは出てきますから、その方向性を誘導するのはむしろ民のためになります」
「そうですね。嫌がらせをするだけでも、敵の進軍を遅らせるぐらいはできるでしょう」
「その辺が限界でしょうね。そのうえで情報操作をすれば、そこそこの効果が見込めるかもしれません」
より良い案が出てきたことに安堵しつつ、俺は仕事を振る。
「よし、素案としてはそんなところだろうな。後は状況を見ながら、修正していこう。それじゃあ、諜報網の構築については、諸葛亮に任せていいか?」
「はい、承りました」
「うん、それで義勇軍の方だが……」
そう言って見回すと、徐庶が手を挙げた。
「私が動きましょう。腕には覚えがありますし、侠者との付き合いもあります」
「ああ、昔はヤンチャしてた徐庶なら、ピッタリか」
「フフフ、まあ、若気の至りですよ」
徐庶は以前、任侠気取りでヤンチャをしていたと聞く。
そんな荒くれどもを相手取るのには、ピッタリだろう。
「そうだな。じゃあ、そっちは徐庶に頼む。龐統には徐州からの撤退計画を、お願いできるか? 他のみんなも相談に乗ってやってくれ」
「ええ、構わねえですよ」
「後は今までどおり、敵地での情報収集の傍ら、あっちでも反乱を起こせないか、検討したいな」
「かしこまりました」
敵地での諜報網について陳宮が受けると、いざという時の方針は決まった。
徐州を捨てるのは心苦しいが、全てを守りきることなどできはしない。
そして少しでも生き残りの可能性を上げるためにも、益州への侵攻は手早く済ませたい。
俺はその方策について、改めて考えを巡らせていた。
劉備が聖人君子みたいなことを言ってますが、それは前生での後悔から来ています。
そしてなんだかんだいって、転生特典(未来知識、政務能力や武力の向上)で余裕があるから、そんな甘いことを言ってられる、と。
ちゃんと実利も考えてますしね。w




