21.領地防衛方針
建安6年(201年)5月 荊州 南郡 襄陽
益州への侵攻を表明した後、俺は一部の人間だけを自分の部屋へ呼んだ。
集まったのは陳宮、魯粛、徐庶、龐統、そして諸葛亮である。
それぞれに卓越した頭脳を持つ、俺の軍師たちだ。
「改めてお話とは、どのようなことですかな?」
「俺も気になるな。だけどこの顔ぶれだと、戦略的なことっぽいな」
そんなことを言っているのは徐庶と龐統だ。
徐庶は今年25歳になる男で、見た目は優男っぽいが、実は剣の達人である。
前生でも荊州時代に俺に仕えていたが、曹操が攻めてきた時に母親が捕虜となり、泣く泣く別れることになった。
その後は曹操に士官して、そこそこ出世したみたいだから、やはり優秀な男なんだな。
そして龐統も23歳と若いが、無精ヒゲを生やしたむさ苦しい男だ。
見た目どおりに無精なところがあるが、興味のあることには抜群の冴えを見せる。
あいにくと前生では益州攻めの最中におっ死んじまったが、今生では長生きして、俺を支えてほしいものだ。
俺はそんな2人を、内心なつかしく思いながら声を掛けた。
「わざわざ呼んで悪いな。目的はまあ、龐統が言ってることだ」
「やっぱりですかい。察するに、諜報関係に敵性勢力への備え、ってとこですかね?」
「察しがよくて助かる。まさにそれなんだ」
すると諸葛亮が感心したように応える。
「さすがですね。劉備さまの先見性には、改めて感心させられます」
「いや、そんな大したもんじゃないさ。単純に支配領域が増えて、不安で仕方ねえって話だ」
「それを正直に言える劉備さまこそ、君主の器でございましょう。それで、具体的にはどのようなことをお考えで?」
「ああ、それなんだがな――」
それから俺は当面の懸念をみんなに伝えた。
いずれ中原のにらみ合いに決着がつけば、勝者が俺に牙をむくだろうこと。
江東の孫策が軍備を増しつつあるので、それに備えたいこと。
そして3州に渡る支配領域を、いかに守っていくかということだ。
それらを打ち明けると、まず陳宮が口を開いた。
「たしかに劉備さまの懸念は当然でしょうな。ここまで大きくなってしまった劉備さまを、中原の覇者おそらく曹操は、そのままにはしておかないでしょうから」
「そうですね。そして江東の孫策も、曹操に協力して我らを襲う可能性が高い」
「ああ、そうだな。そうさせないためには、まずは敵地に網を張って、情報を集めるべきだろう」
徐庶と龐統もそれに同調すると、諸葛亮が疑問をはさむ。
「ちょっと待って下さい。情報を集めるのは当然ですが、曹操が勝つとは限らないのではありませんか?」
すると陳宮たちは少し考えつつも、主張を変えなかった。
「たしかに決めつけることはできないが、現状は曹操と袁紹の戦力は拮抗していると聞く。ならば天子さまを擁する曹操が、有利になっていくのではないか?」
「そうですな……もしも我らが袁紹に味方すれば、それもひっくり返るでしょうが」
「ああ、その可能性は高いな。だけどそれは、あまりに外聞が悪いだろう」
袁紹に味方するという徐庶の言葉に、龐統が反対する。
たしかに現状、曹操に敵対するということは、王朝に反逆するということだ。
しかしそう決めつけることでもないだろう。
「その辺はそう決めつけたもんじゃないだろう。結局のところ、最後に生き残っていれば勝ちなんであって、その過程は柔軟に考えてもいいと思う」
「……最後に生き残る、ですか。たしかに体裁を気にしてばかりで、滅ぼされていては本末転倒ですからな」
「まあ、そうですね」
「う~ん、そう言われるとたしかになぁ」
俺の指摘に陳宮、徐庶、龐統が考えこむ。
すると今まで黙っていた魯粛が口を開いた。
「劉備さまのおっしゃることは、ごもっともですな。仮に一時的に逆賊の汚名を着せられても、最後に立っていればいいのですから」
「それならば、魯粛どのは袁紹に味方するべきだと?」
「いえ、それはまたちょっと違います」
すかさず問う徐庶に、魯粛は首を横に振った。
「袁紹に味方すれば、曹操は倒せるかもしれません。しかしその後は、袁紹と主導権を争うこととなります。それも戦力を消耗した状態でです。ならば我らは高みの見物を決めこみ、力を蓄えればよいのです」
「ふむ、そのための益州攻めですか」
「ああ、そうだな。だけど本当にそれでいいのか、ちょっと不安でな」
魯粛と徐庶の指摘に、俺が懸念を示すと、陳宮が反応した。
「不安、とは?」
「益州に兵を送るからには、既存の領地がおろそかになる。特に徐州や揚州をいかに守るかが、悩ましいと思ってな」
「ふ~む、それはそうですな」
「たしかに、益州に大軍を送りこむほど、こっちは手薄になるからな」
すると諸葛亮がとんでもないことを言いだした。
「手薄になるのが心配なら、いっそ空にしてしまってはどうですか?」
「それはどういうことだ? 諸葛亮」
俺が問うと、彼はおおまかな地図を取り出して、説明を始めた。
「全てを守ろうとするから、無理が出るのです。ならば徐州、さらには九江郡までは、いざという時に放棄すればよい」
「放棄って、お前、本気か?」
「はい、我らが生き残るためには、そうするべき時もあると思います」
「いや、だからって……」
諸葛亮の冷酷な言葉に、龐統が言葉を失う。
しかし俺はそれが全てでないと思い、問いを重ねる。
「正式な徐州牧である俺が、徐州を放棄するってのは、許されないことだ。それを承知で、お前はそんなことを言うのか?」
「はい、それでもです。もっとも私も、徐州がすぐに攻撃されるとは思っていません。おそらく曹操が袁紹に大打撃を与え、中原の形勢が明らかになってからのことでしょう。それまでに益州を攻略し、ある程度、支配を固めておく必要がありますね」
「それはありそうな話だが、だからといって徐州を見捨てるってのはな……」
諸葛亮の言うことは、分からないでもない。
ある程度、中原の情勢が固まるまでは、曹操も俺を攻撃する余裕などないだろう。
しかし仮に余裕のできた後であろうと、徐州を真っ先に見捨てるのには、抵抗が大きかった。
なぜなら俺は正式な徐州牧であり、そこの民に責任を負っているのだから。
実はこの点が、俺を悩ませていた。
これから益州を取って支配領域を広げたとしても、それは徐州から益州までと、さらに東西に広がってしまう。
特に揚州の2郡と徐州は、南北に敵を抱える可能性が高く、その防衛は至難であろう。
そこをいかに防衛するかを、彼らと相談したかったのだ。
それを諸葛亮は、いとも簡単に切り捨てろと言う。
しかしさすがは諸葛亮。
ヤツの思考はもっと悪辣だった。
「本来は味方であるはずの劉備さまを攻めること自体が、ひどい裏切りです。劉備さまはその点を指摘して、徐州牧の地位を返上します。そして曹操を、漢王朝をないがしろにする奸賊として、改めて糾弾すればよいのです。もちろん、ただ徐州と九江郡を放棄するわけではありませんよ」
「それは一体、どうするってんだ?」
「あらかじめ曹操に反乱するための、地下組織を仕込んでおきます」
その提案に、龐統が否定的な声を上げる。
「地下組織だぁ? そんなもんで曹操がどうにかなるのかよ?」
「もちろん、それだけでどうこうなるものではないでしょう。しかし敵の足を引っ張るぐらいはできます。その一方で我々は荊州に戦力を集中し、敵の弱点を突くのです。その際に益州が取れていれば、主力を支える後方地となってくれるので、なおいいですね」
「ああ、あくまで徐州はエサってことか」
諸葛亮の冷徹な防衛方針について、龐統はすぐにその意味を読み取った。
さらに陳宮や魯粛、徐庶たちも、その意義について考えを巡らせているようだ。
さすがはいずれ劣らぬ頭脳の持ち主たちである。
しかし俺はひとつ、重要なことを問わねばならない。
「それはつまり、侵略者に抵抗する組織を、事前に仕込んでおくって話だよな。やりようによってはそれが有効なのは分かる。だけどな、諸葛亮。それをやると困るのは、善良な領民じゃねえのか?」




