19.中原にわきおこる戦雲
建安5年(200年)1月 荊州 南郡 襄陽
俺が荊州の過半を制圧し、統治を固めている間に、中原でもいろいろと動きがあった。
まず華北の4州を押さえた袁紹は、南に取って返すと黎陽で兵を集め、黄河の北岸に布陣した。
それを察知した曹操も、兗州の東郡に兵を集め、冀州の魏郡を攻める構えを見せる。
曹操はさらに青州へも兵を送って、現地を荒らしたが、袁紹も河内郡を荒らし回ったようだ。
そんな感じで、大局的には大きな動きはなく、両軍はにらみ合っているらしい。
その動き自体は、前生でも起こっていたことだ。
しかし袁紹が圧倒的に有利だった前生と異なり、曹操も負けていない。
なんと言っても、俺が徐州を失陥せずに、曹操の味方でいるのが大きかった。
なにしろ前生では俺が崩れたせいで、曹操は呂布、袁術、劉表という敵を、周囲に抱えていたのだから。
それが今は俺が徐州牧として健在であり、その3者を相手取ってきた。
おかげで曹操は兗州や豫州のみならず、司隷や荊州の南陽郡を、じっくり攻略する余裕が持てたのだ。
その結果、曹操は前生に比べ、何倍も多くの兵を動かせるようになっている。
たしか前生の官渡の戦いでは、曹操は10倍もの敵と対峙し、非常に苦しい戦いを強いられたという。
戦場全体で見れば、さすがにそこまで差はなかったと思うが、それでも曹操がひどく劣勢だったのは事実だろう。
それが今生では、曹操と袁紹の兵力差に、大した違いはないそうだ。
それどころか曹操には、ありがたい援軍も駆けつけようとしていた。
「孫策が援軍に出るってのは、本当か?」
「はい、江東で兵を募り、2万人もの軍を率いて参戦するそうです」
「へ~、そいつは大したもんだな」
なんと呉郡を支配する孫策が、2万人もの援軍を率いて参戦するらしい。
呉郡単独ではそれほどの兵力は出せないため、丹陽、豫章、会稽の江東3郡にも声を掛けたそうだ。
表向きは江東の総意ということになっているが、孫策がそれを主導しているのは明らかだろう。
しかし2万人もの兵を兗州へ移動させ、兵糧を賄うのは決して楽でない。
それをやってのけるあたり、やはり孫策のところには、いい人材が揃っているんだろうな。
そして孫策の狙いも、噂になっていた。
「聞けば孫策は手柄を立てたら、江東で大きな地位を得られないかと、交渉しているのだとか」
「なるほど。それは実質上の揚州牧だな。実現すれば、孫策の力は侮れないものになる」
「ええ、それを否定しない辺り、我らへの牽制なのでしょうな」
「だろうな。俺たちに参戦を求めないことからしても、それは明らかだ」
袁紹の動きを察知した俺は一応、援軍の要否を曹操に訊ねていた。
しかし返ってきた答は
”すでに対劉表戦で十分に働いてくれたので、それには及ばず。荊州の統治に専念されたし”
というものだった。
本来であれば、味方の兵力は多ければ多いほどいいはずだ。
それを望まないのは、俺にこれ以上、手柄を立てさせたくないのだろう。
江東での牽制役に孫策を使おうとしているのも、想像に難くない。
「ま、俺たちは支配地の強化に、専念するか」
「それがようございましょう」
曹操に言われるまでもなく、俺たちは支配地の統治固めに邁進していた。
すでに支配していた徐州や揚州に、荊州まで加わったのだ。
やることはてんこ盛りである。
まずは荊州で兵の巡回を増やし、盗賊や犯罪者の取り締まりを強化した。
領民には適度に税の減免を示して、人気取りも忘れない。
それと並行して脱税をしている豪族を調べ上げ、一部を見せしめとして血祭りに上げていた。
別に素直に徴税に応じてくれればいいのだが、そんな殊勝な奴らは少ないからな。
結局、両手の指と同じぐらいの豪族が滅びると、ようやく正面から歯向かう奴らがいなくなった。
もちろん、あの手この手で脱税を図る奴らは絶えないので、今はそいつらとの交渉に忙しい。
目先の税は減免しつつ、私有民の数については調査を進めてるとこだ。
いずれ、俺の足元が固まれば、もっときつく締め付けてやるつもりだ。
見てろよ、あいつら。
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建安5年(200年)6月 荊州 南郡 襄陽
春になってとうとう袁紹が仕掛けた。
その数20万人とも言われる大軍が、複数ヶ所で黄河を突破。
兗州の東郡や司隷の河南尹に押し寄せた。
これに対し、曹操も17万人ほどの兵力で対抗。
特に白馬や延津などで、大きな戦闘が発生したようだ。
たしか前生では、白馬の戦いで関羽や張遼が活躍するんだが、今の彼らは俺の配下である。
おかげで戦の状況は大きく異なり、代わりに孫策の軍勢が、大活躍しているそうだ。
さすがは孫堅の息子ってことなのかねえ。
この戦いで数人の武将を失った袁紹は、形成悪しと見て、河北へ後退したそうだ。
ただしその兵力はさほど減ってないし、後方の領地も比較的おちついている。
さらに前生で関羽が討ち取った顔良などが生きてるので、まだまだ侮れないようだ。
いずれにしろ、ここで袁紹は守りを固め、長期戦の構えに入った。
前生だと官渡で大きな戦闘があって、袁紹が大敗するんだが、これは分からなくなってきたな。
俺が力を蓄えるには、袁紹が粘ってくれる方が嬉しいので、これは朗報だろう。
朗報といえばひとつ、嬉しいことがあった。
「諸葛亮 孔明にございます。以後は劉備さまのため、微力を尽くしたいと存じます」
「おう、待ってたぞ。お前には期待してるから、よろしくな」
「ありがたきお言葉」
そう、とうとう諸葛亮が仕官してくれたんだ。
前々から誘いは掛けてたんだが、諸国を回って遊学したいってことで、延び延びになってた。
その遊学にも区切りがついたもんだから、ようやく出仕したわけだ。
ちなみに彼は20歳になったばかりだが、人並みならぬ才気の片鱗はすでに感じられる。
今生でも俺の覇業のため、その頭脳を働かせてもらおうじゃないか。
ちなみに前から声を掛けていた、龐統と徐庶もすでに仕官済みだ。
当初は俺の器を測っていたようだが、仕えるに値すると判断したんだろう。
おかげで軍師として頼れる人材が、一気に増えた。
それは陳羣、陳宮、魯粛、龐統、徐庶、そして諸葛亮の6人だ。
前生ではなかなか得られなかった優れた頭脳が、すでにこれだけいると思うと、感慨深いものがある。
さらに関羽をはじめとした勇将も多くいるわけで、ずいぶんと恵まれたもんだ。
この調子なら、天子さまを補佐して天下を取るってのも、まんざら夢物語じゃないかな。
とうとう諸葛亮が仕官しました。
でも演義みたいな活躍は期待しないでね。w




