2.徐州統治に向けて(地図あり)
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興平元年(194年)7月 徐州 下邳国 下邳
なぜか30年近くも若返った俺は、関羽と張飛も未来の記憶を持つことを知る。
ならばその記憶を活かして、でかいことをやってやろうと考えた。
そこでまずは主な配下を集め、今後の方策を練ることにする。
「急に集まれとは、何ごとですかな?」
「それよりも劉備さまは、お体の方を大事にすべきと思いますが」
「そうだぞ。あまり世話を焼かせるな」
そんなことを言っているのは、孫乾に糜竺、そして簡雍だ。
俺を支えてくれる文官たちで、特に簡雍は同郷の古馴染みだ。
それぞれ年は30、30、31歳になる。
そんな彼らに、俺は改めて声をかける。
「みんなには心配を掛けて、悪かったな。だけど俺はすっかり元気なんで、その辺は心配不要だ。それよりも今日は、大事なことを相談したい」
「ほほう、何やら今日は、今までと異なるご様子。何か思うところでも、ありましたかな?」
「ですな。この混乱する徐州をなんとかする話なら、我らも協力は惜しみませんぞ」
そう言ってくるのは、陳到と陳登だ。
どちらも屈強な武官だが、年は24歳と26歳とまだまだ若い。
「ああ、陳登の言うとおり、この徐州の治安を回復させたいと思っている。そのためにみんなの力を貸してくれ」
「おお、その言葉、待っておりましたぞ」
「ぜひお聞かせください」
「ああ、まず今の状況の確認だが――」
この徐州は前の徐州牧 陶謙から、俺が引き継いだ形になっている。
本来、州牧(州の長官)みたいな役職は、朝廷が指名するはずなんだが、この漢王朝では、その仕組みが上手く働いていない。
その発端は、董卓っていう悪党が朝廷を牛耳り、それに関東の士人たちが大反発したことにある。
本来ならいくら反発したって大したことないんだが、漢王朝の力は想像以上に弱まっていたらしい。
おかげで袁紹や袁術、曹操などという群雄どもが連合し、大規模な反乱に発展してしまう。
これは董卓も一巻の終わりかと思ってたら、ヤツは首都の洛陽を捨てて長安へ逃げだし、一方の反乱軍はいつの間にか解散しちまった。
一体、なんだったのかねえ、アレは?
しかし後から考えると、董卓が洛陽を捨てて逃げたことは、漢王朝の権威を決定的に傷つけたと言っていい。
それまでは反乱なんか起こしても、討伐されるのが当たり前だったのに、そうじゃないことを満天下にさらしてしまったからだ。
こうなると各地の群雄どもが、黙っちゃいない。
なんらかの地盤を持つ名士や豪族どもが、武力でもって勢力争いを始めたのだ。
朝廷にはそんな無法を止める力がないどころか、首魁の董卓が暗殺されてしまう始末だ。
こうなるともう、誰の手にも負えず、この中華の混乱は加速する一方である。
そんな中で行くあてのなくなった俺は、まずは公孫瓚の兄貴を頼ることにした。
さらにいろいろと状況に流されてるうちに、俺は徐州へ助っ人として行くことになる。
この頃の徐州は曹操の猛攻を受けていて、陶謙から救援要請が入ったからだ。
俺は徐州へ駆けつけて、なんとか曹操の侵攻を阻んでいたんだが、その状況は悪かった。
なにしろ曹操の軍勢は強大で、逆に徐州にはろくな戦力がなかったのだから。
ところがある日、ふいに曹操が軍を引く。
どうやら曹操の本拠地である兗州が、呂布に奪われたらしい。
おかげで曹操は慌てて兗州へ取って返し、結果的に俺は曹操の侵攻を防いだことで、名声が高まった。
そしたら今度は陶謙が急死しちまって、俺に後を託したっていうんだ。
最初は俺も、断ったんだぜ。
だって州牧なんて大役、俺にこなせるとは思えないからな。
それで、”後を託すなら、袁術さんがいいんじゃないですか?” って言ったんだけど、みんなダメだって言うんだ。
なんか、”あいつは国どころか、自分の家のことしか考えていないから、とても徐州を任せられない” らしい。
ボロクソに言われてんな、袁術。
結局、糜竺や陳登、孔融なんかに説得されて、徐州牧に収まったのが今の状況だ。
ちなみにこの時、袁紹に使者を送って、袁術に対する共闘を申し出たおかげで、彼の支持も得られている。
この間まで戦っていた曹操も、袁紹の同盟者なので、あっちからの攻撃もないだろう、たぶん。
どの道、曹操は兗州の奪還に忙しいだろうしな。
こうして事実上、袁紹陣営に入ったおかげで、なんとか平穏を得られているのが実情だ。
そんな話をしたうえで、俺はこう言った。
「知ってのとおり、曹操に攻められてボロボロになってるうえに、陶謙さまがお亡くなりになった。この状況を打開するには、思い切ったことをしなきゃならねえ」
「それは例えば、どのようなことですかな?」
孫乾に問われ、俺はズバリと切り出す。
「窄融を排除する」
「なんですとっ?!」
「それはまた、急になぜですか?」
驚く孫乾と糜竺に、俺はちゃんと理由を説明する。
「窄融のやつは、陶謙さまの信頼をいいことに、下邳、広陵、彭城からの収入を、くすねているんだ。おかげで徐州の戦力が弱められている」
「なんとっ! 噂には聞いていましたが、真のことだったのですか?」
窄融とは、陶謙と同郷の仏教信者で、陶謙から信頼されていた。
おかげでヤツは下邳や広陵、彭城郡を含む地域の、食料輸送を任される。
しかしヤツはそれをいいことに、本来は上納するべき租税をくすね、仏教の行事に使っていたのだ。
3つの郡の税収が減らされた影響は大きく、そのために徐州の戦力は弱体化していたんだろう。
曹操という敵が手強かったのも事実だが、徐州は内にもそんな弱点を抱えていたのだ。
そんな事実を理解させたうえで、俺は皆に指示を出す。
「ということでだ、孫乾と簡雍は窄融の所へ行って、悪事の証拠をつかんで欲しい。護衛として、関羽と陳到も行ってくれ。部隊の編成は任せる」
「分かりました。大至急、調査に取りかかります。関羽どの、陳到どの、よろしくお願いしますぞ」
「フハハ、任せておけ」
「了解しました」
孫乾たちが張り切るのを横目に、俺は張飛と陳登にも声を掛ける。
「張飛と陳登には、軍勢を立て直してほしい。今の懐事情に合わせて兵を募り、鍛えるんだ」
「「おう!」」
勇ましい声を聞きながら、今度は糜竺に顔を向ける。
「それと糜竺にも、お願いがあるんだ」
「はい、なんでもお申しつけください」
「うん、それでは豫州から、陳羣を呼び寄せてほしい」
陳羣は俺が豫州刺史になった時に、配下だった文官だ。
(注:刺史も州の長官に相当するが、軍権は持たない。どの道、陶謙が勝手に任命しただけで、有名無実な官職)
一緒に仕事をしたのは短い間だったが、彼はなかなか優秀な男だった。
「……なぜ陳羣どのを?」
ちょっと不満そうな顔をする糜竺に、俺は正直に答える。
「陳羣からは徐州牧になるのはやめろと、忠告されていたんだ。結局、俺はそれを無視したんだが、実際にこうなってみると、その困難さをひしひしと感じている。ならば耳に痛いことを言ってくれた陳羣に、助けてもらいたいと思ってな」
「なるほど。この非常時ですから、優秀な人材はいくらいても足りませんな。分かりました。陳羣どのを説得してみましょう」
「ああ、頼んだぞ」
その後、いくつか細かいことを確認しあうと、仲間たちは散っていった。
俺の方も改めて、州牧としての仕事に取り掛かる。
はっきりいってやる事はてんこ盛りだが、気分はそれほど悪くなかった。
なにしろ、俺は大きく若返って、関羽や張飛に再会までできたのだ。
こうなったら、前生よりもでかいことをやってやろうじゃないか。
そんな気持ちになっていた。