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逆行の劉備 ~徐州からやりなおす季漢帝国~  作者: 青雲あゆむ
第3章 荊州攻略編

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17.劉表の降伏

建安4年(199年)7月 荊州 南郡 襄陽じょうよう


 劉表がこもる堅城 襄陽も、我が軍の猛攻と甘寧の決死行動により、半月程度で陥落した。

 元々、士気の低下が著しかった敵軍は、城門が破られた時点で続々と投降しはじめる。

 その結果、翌日の昼までには城内の制圧はあらかた終わり、残すは劉表がこもる屋敷のみとなっていた。


「内部との連絡は?」

「今のところ、呼びかけても返答はありません」

「ふむ、今さら抵抗しても、大した意味はないだろうに」

「左様ですな」


 城が落ちたと分かっても、劉表は屋敷の門を閉ざして籠城していた。

 正直、強攻すればたやすく陥落するだろうが、下手をすると優秀な人材を殺してしまうと思い、それは控えている。

 それでも数百人の兵士で囲んで、投降を呼びかけていると、やがて門が開いた。


「どうやら交渉の使者のようですな」

「ああ、ようやくか」


 門からは40歳ほどの男が、2人の従者を連れて歩いてきた。

 やはり交渉の使者だったらしく、彼らが俺の前に通される。


「はじめまして、劉備さま。劉表さまから交渉を任されてまいりました。韓嵩かんすう 徳高とくこうと申します」

「うむ、ご苦労だな。して、劉表どのはなんと言っている?」

「は、それが……」


 韓嵩は何かを言おうとしてためらった。

 大方、”包囲を解除して襄陽から出ていけ!”、とでも言っているのだろう。

 それを察した俺が、冗談ぽく先を促してやる。


「フハハ、おとなしく包囲を解除して、襄陽から出ていけとでも言っているのだろう?」

「は、まあ、そのようなところでございます」

「ハハハハハ、まあ、交渉前に場を和ます冗談として、受け取っておこう。それで、本題はどうなのだ?」

「お気遣い、感謝いたします。さっそく本題に入らせてもらいますと、仮に劉表さまをこのまま荊州牧として、置いておけないというのであれば、せめて名誉ある扱いを、と仰られております」


 韓嵩はていねいでありつつも、俺の目を正面から見据え、はっきりと要求を述べた。

 その目には怯えや媚びの色はなく、真剣に事態の打開を図ろうとする決意が見て取れる。

 さすがは劉表に正面から諫言かんげんをし、その後も曹操に仕えたといわれる男である。


 俺はそんな彼に、それなりの敬意をもって答えを返す。


「ふむ、劉表どのは皇族の血を引く、由緒正しき家柄の出だ。あいにくと朝廷に歯向かうような形になってしまったが、素直に投降してくれるのならば、名誉ある処遇をしたいと思う。最低でも列侯れっこうとして遇されるよう、朝廷に上奏しようではないか」

「おお、我が主への配慮、誠にありがたく。叶いますれば、そのお言葉を書状にしたためていただけますでしょうか?」

「うむ、ただちに準備しよう」


 それから俺は詳細を詰めつつ、劉表の安全を保証する旨を、書状に書き記した。

 ちなみに列侯とは朝廷から与えられる爵位で、その功績によって県やきょうなどの領地が与えられる。

 ただし領地への支配権はなく、土地の管理自体は役人がやって、列侯はその租税の一部を受け取るという仕組みだ。


 書状を受け取った韓嵩は、満足そうに屋敷へ帰っていく。


「あのような条件で、劉表が納得するでしょうか?」

「さあな。しかし劉表も馬鹿ではあるまい。城自体は陥落していて、抵抗しきれないのは、百も承知だろう。こうして寛大な処遇を示したんだから、じきに降伏するんじゃねえかな」

「そうでしょうか? それに曹操どのが、劉表を許さないかもしれませんし」

「ああ、それは大丈夫だ。司空閣下はこういうのには寛大だからな。こういうのを下手に殺すと、最後まで抵抗する奴らが出てくるから、認めてくれるさ」

「なるほど」


 陳宮に言ったように、俺は曹操のことは心配していなかった。

 あいつは息子を殺した張繍ちょうしゅうでさえ、許したような男なのだ。

 それに劉表みたいに、皇族の末裔である人物を殺すのは、評判が悪い。


 そういう利益を示して説得すれば、劉表の列侯就任は、さほど難しくないだろう。

 結局、その日は劉表の屋敷を囲んだまま、日が暮れた。



 そして翌日の朝になると、また韓嵩が出てきた。

 韓嵩の顔には疲労の色が濃かったが、どこかやり遂げたような雰囲気もある。


「お早うございます、劉備さま」

「ああ、おはよう、韓嵩どの。それで劉表どのの結論は、出たのかな?」

「はい、劉表さまは劉備さまの申し出を、受けられるそうです」

「おお、そうか。それはめでたい。それでは今回の戦は、これで手打ちということだな」

「はい、左様でございます」


 こうして襄陽攻略戦は、上々の成果のうちに、終了したのだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


劉表りゅうひょう 景升けいしょうだ」

「劉備 玄徳です。劉表どのには、処遇が決まるまで、樊城はんじょうにて待機いただきます」

「うむ、今後のことについては、よろしく頼む」


 その後、劉表と面会したのだが、彼はえらそうだった。

 まあ、れっきとした皇族の末裔としては、出自も定かでない俺に頭を下げるのは、自尊心が許さないのだろう。


 ちなみに前生で劉表に世話になった時は、俺が臨邑侯りんゆうこう 劉復りゅうふくの末裔だってことにしていた。

 おかげでお互いの祖先がご近所さんだったという話になって、劉表も歓迎してくれたもんだ。

 まあ、本当に信じてたかどうかは、また別だけどな。


 最低限のあいさつを済ませた劉表には、屋敷を明け渡して、川向こうの樊城へ移ってもらった。

 樊城は襄陽と漢水をはさんで建つ、双子のような城で、劉表が降伏したことによって、すでに俺たちの支配下に入っている。

 さらに劉表の支配下にあった武陵郡も、彼が降伏したことを伝えると、恭順の意を示してきた。


 これによって荊州の南郡、江夏郡、武陵郡、長沙郡、零陵郡、桂陽郡は実質上、俺の支配下に入ることとなる。

 人口にしてざっと、380万人てとこだ。


 ちなみに南郡の北に位置する南陽郡は、すでに曹操が押さえているので、彼の支配下ってことになる。

 南陽だけで240万人もいるんだから、できれば俺が支配したいんだけどな。

 だけど荊州は全部、俺に寄越せだなんて、曹操に言えるわけない。

 仕方ないね。



 こうして襄陽攻略の後始末が終わったところで、俺はまた重臣を集め、今後のことについて話し合った。


「今回はご苦労だったな、みんな。特に甘寧と関羽は、本当によくやってくれた」

「ヘヘヘ、そう言ってもらえると、俺も嬉しいですぜ」

「フハハ、劉備さまの将として、当然のことをしたまでです」


 そう応える甘寧と関羽に、張飛と太史慈が声を掛ける。


「そう謙遜することもねえだろう。関兄の采配は、見事なもんだったって話じゃねえか」

「ええ、そして甘寧どのの城内への侵入は、凄まじかったそうですね。その働き、まさに鬼神のごとしとか」

「ヘヘヘ、そうまで言われると、照れるな」


 照れる甘寧に、今度は陳宮が声を掛ける。


「たしかに今回の戦が、ほんの半月ほどで終えられたのは、甘寧どのの働きが大きいでしょう。普通ならこの何倍も掛かっていたでしょうからな。しかしそれも、張飛どのや太史慈どのの陽動あってのものですし、関羽どのの采配が冴え渡っていたのも事実。まさに劉備さまの配下は強者つわものぞろい。実に心強いですな」


 そう言う陳宮にも、俺はねぎらいの言葉を掛ける。


「ああ、そのとおりだ。しかしその陰には、陳宮のように情報を集め、敵を混乱させるような存在がいることも忘れないでくれ。つまりこれは、みんなで勝ち取った勝利だ」

「うむ、その通りですな」

「たしかに。俺たちみたいな腕っぷしだけじゃあ、こうも鮮やかにいかなかっただろうな」

「なるほど。さすがは劉備さまですな」

「私のようなものにまでお気遣いいただき、感謝に堪えません」


 武将たちが素直に認めると、陳宮は少し驚いてから、俺に感謝の言を述べる。

 武官てのはなまじ腕っぷしに自信があるから、作戦や諜報活動を軽視しがちだからな。

 特に前生の関羽なら、こういう話には絶対に反発してたと思うんだが、あいつも大人になったもんだ。


 そんな話をしていると、ここに呼んでいた魯粛が、先を促した。


「まこと、今回のお手並みは見事でしたな。しかし今後やることも、山積みなのではありませんか?」

「ああ、そのとおりだ。それについてみんなと、意識をすり合わせておきたい」


 そう言って見回すと、皆の顔が引き締まった。

劉備が臨邑侯りんゆうこう 劉復りゅうふくの末裔だったという話は、”典略”(裴松之注)が出典です。

その信憑性はあまり高くないんですが、実は劉復は劉表の先祖とご近所さん(同じ州の出身)に当たります。

このご近所さんというのが、古代中国ではけっこうな重みを持っていて、それなりの義理が発生します。

つまり劉表に世話になる際、義理を感じてもらうために、劉備が劉復の末裔を名乗ったと考えると、つじつまが合うわけです。

ちなみに劉備が皇帝になる際、中山靖王 劉勝の末裔を名乗ってますが、これも景帝の息子つながりで漢の正統を引き継いだという意図が察せられます。

つまり劉備は状況に応じて家系を自称していた可能性が高く、誇るべき家系はなかったのではないか、というのが筆者の考えです。

この辺は”劉備出自考”(津田資久著)という研究ノートを参考にしているので、興味のある方はググってみてください。

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