15.南郡への出兵指示
建安4年(199年)5月 徐州 下邳
「そうか、とうとう公孫瓚が……」
「はい、袁紹に追い詰められ、易京にて自殺した模様です」
年が明けて、河北で大きな動きがあった。
袁紹の軍に大敗し、さらに本拠地の易京すらも危うくなった公孫瓚が、自ら命を絶ったそうだ。
類まれな武力でのし上がった群雄の、悲しい末路である。
公孫瓚には世話になったので、なんとか助けてやりたかったが、袁紹を止めるような力は俺に無かった。
それに彼は皇族の劉虞さまを処刑するという、決定的な間違いを犯していた。
そんな汚名を無視してまで、助ける理由がなかったというのが本音である。
結局、俺にできるのは、公孫瓚という群雄が確かに存在したことを、後世に語り継ぐぐらいしかないのであろう。
そんなことを考えながら、俺は情報担当の陳宮に訊ねる。
「それで曹操は?」
「はっ、河内郡で眭固が背いたため、これを討伐した模様です。さらに袁紹への警戒を強めているようですな」
「まあ、そうだろうな。関係がこじれたままだから、領内が落ち着けば、激突は必至だ」
「左様ですな」
一方、曹操の方も、着実に足場を固めつつあった。
前生だと呂布が徐州を乗っ取り、曹操の仇敵として暴れていた状況だ。
しかし今生では俺が徐州を保ち、さらに呂布の首を献上してくれた。
おかげで曹操には、兗州と豫州の統治を固める余裕があった。
さらに天子さまを保護して朝廷を主宰しているうえ、南陽郡の大半も支配下に入れている。
その結果、前生をはるかに上回る戦力を、曹操は保持しているのだ。
そして袁紹はそんな曹操をねたみ、対立を強めていた。
そんな状況で、袁紹は并州や青州へ手を伸ばしつつ、とうとう公孫瓚を討ち取ったのだ。
その結果、とうとう北部4州を領する大勢力となっている。
この先に起こるのは、袁紹と曹操の激突だ。
かたや汝南袁家の出身で、かつては司隷校尉を務めたこともある袁紹。
かたや宦官の家系ながら、多数の有能な配下を従え、今は天子すら擁する曹操。
こいつらが反目しないはずがない。
そして俺は、前生で曹操が勝ったことを知っている。
今生ではいささか状況が異なるが、むしろ曹操の戦力は増しているのだから、袁紹に勝ち目はないだろう。
さて、問題は俺がこの先、どうやって生き残るかだ。
ぶっちゃけた話、このまま曹操についていれば、中華の再統一はさほど難しくないように思える。
しかしそれは実質、曹操が中華を牛耳るということであり、その先には曹家による簒奪が待っているだろう。
さらにその次にくるのは、功績のあった有力な臣下の粛清だ。
すでに広大な領域を支配する俺が、それを免れられると考えるのは、お気楽にすぎるだろう。
かといってこの時点で、天子さまを曹操から取り返すのも難しい。
袁紹と組めばそれも可能かもしれないが、そうなると今度は袁家が問題だ。
一番いいのは、曹操と袁紹を噛み合わせて、横から天子さまをかっさらうことだろうか。
そんなことを考えているうちに、またもや朝廷(曹操)から命令が下った。
「徐州牧 劉備よ。貴殿は荊州の南郡に圧力を掛け、劉表の動きを封じるのだ。司空閣下は貴殿の働きに期待しているとの仰せである」
「はは~、勅命、たしかに承りました」
わざわざ使者が遣わされてきたと思ったら、こんな命令を告げられる。
”俺(曹操)は今から袁紹の侵攻に備えるから、南の方はお前が押さえておけよ” ということらしい。
ふむ、それはそれで都合がいいかもしれないな。
朝廷からの使者が帰ると、俺はすぐさま重臣たちを招集した。
「司空閣下から、劉表を押さえておけとの指示が下った。しかしついでだから俺は、荊州の南郡と武陵郡を制圧しようと思うんだが、どうだろうか?」
「なんと、そんなことが可能なのですか?」
陳羣が疑問を呈せば、陳宮は肯定的な言葉を返す。
「江夏郡だけでなく、長沙や零陵、桂陽もだいぶ安定しているようです。それなりの兵が出せれば、不可能ではありませんな」
「フヘヘッ、いよいよ俺の出番か? 腕が鳴るぜ」
「いやいや、張飛どのは徐州の守りに必要でしょう。ここは私が」
「いいや、今度こそ守りは趙雲に任せるぜ」
すると張飛と趙雲が、我こそはと出陣に名乗りを上げる。
俺はそんな彼らをなだめながら、現状を確認した。
「まあ、待て、お前ら。その辺を含めての相談だ。陳宮、現状で出せそうな兵力は、どうなっている?」
「そうですな。時間を掛ければ、徐州と揚州から合わせて2万ほどは出せるでしょう。そして荊州ではおよそ1万人を集めるのも、不可能ではないかと」
「合わせて3万人、か。俺もずいぶんと、集められるようになったもんだな」
昨年に荊州へ食いこんでから、俺は現地の統治に腐心していた。
兵を巡回させて治安を回復し、領民の税は減免するなどして、人気取りもしている。
さらに長沙や零陵、桂陽へも人を出して、募兵と訓練を進めたのだ。
おかげで一時的とはいえ、合計で3万人もの大兵力を出せるようになったわけだ。
「よし。徐州の守りは趙雲に任せて、張飛は俺と一緒に荊州へ行くぞ」
「へっ、待ってました」
「むう、残念ですが、今回は我慢しましょう」
こうして俺は、再び荊州へ跳んだ。
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建安4年(199年)6月 荊州 江夏郡 夏口
「関羽。司空閣下から、劉表を押さえよとの指示が下った。南郡の状況はどうだ?」
「ほう、いよいよですか。劉表は襄陽に兵を集め、しきりに訓練を施しているようです。その数は1万を超えるとか」
「1万か。その数で城にこもられると、かなり厄介だな」
「ですな。襄陽城は巨大であるだけでなく、かなり守りを固めているようです」
「ふ~ん……それで頼んでおいた策は、できたのか?」
そう訊ねると、関羽がニヤリと笑った。
「もちろんできております。それについては、甘寧から説明させましょう」
「ほう、甘寧は実際に襄陽を見ているからな。どんな策だ?」
そう問うと、甘寧が得意げに語りはじめた。
「ヘヘヘ、知ってのとおり、俺の配下には襄陽出身の者が、何人もいるんでさ。その中から使えそうな奴らを、襄陽に潜伏させています」
「ほほう、この時に備えて、すでに手を打っていたか」
「ええ、関羽どのから言われてたんでね」
「ふむ、さすがだな。それで、どんな手を使う?」
「城内で騒ぎを起こして、混乱したところを攻めます。そして中から城門を開けるんですよ」
さも簡単そうに言う甘寧に、俺は不安を覚える。
「そんな簡単にいくもんじゃないだろう? 敵だって馬鹿じゃないんだ」
「ええ、だから俺が決死隊を率いて、突破口を開きます」
そう言って胸を張る甘寧には、それなりの考えがありそうだ。
何より自ら突破口を切り開こうという態度が、実にいさぎよい。
そこで俺は確認として、関羽に目を向けて問う。
「どうだ、関羽。そんな作戦で、やれそうか?」
「はい、そこは儂も一緒になって、作戦を練りました。見事、襄陽を、落としてみせましょう」
「……そうか。関羽がそこまで言うのなら、任せてみるか」
「ヘヘっ、お任せください」
自信ありげに笑う関羽と甘寧を見て、任せてみることにした。
どの道、それ以上の作戦などないのだ。
ここはひとつ、彼らの覚悟に懸けてみようじゃないか。




