1.徐州牧時代に逆戻り?
興平元年(194年)7月 徐州 下邳国 下邳
「ブハッ」
「おお、気がつかれましたか、劉備さま。急に倒れられて、心配しましたぞ」
息苦しさを感じて跳ね起きると、目の前に懐かしい顔があった。
それは数年前に死に分かれたはずの、孫乾だったのだ。
だけど妙に若々しく見えるのは、気のせいか?
「お、お前は孫乾、だよな?」
「いかにも、孫乾でございます。ついさっきまで一緒に仕事をしていたというのに、奇妙なことを申されますな」
「い、いや、ちょっと混乱していてな」
目の前にいる男は孫乾 公祐。
徐州にいた頃から、俺を支えてくれた文官だ。
しかしなんでまた、死んだはずのこいつがここに?
それにここは……
「……ここはどこだ? たしか俺は、白帝城でくたばったと思ったんだが……」
「はあ? なんのことをおっしゃっているのですか?」
「いや、だから、なんだ……」
孫乾に訝しげな目を向けられ、俺は動揺する。
その目は明らかに、”なに言ってんだ、こいつ?”と訴えており、話がまったく噛み合っていない。
何が起こっているのか分からず、まごついていると、不思議なことに気づいた。
「痛みや熱がない? しかも体が軽いような」
病にかかって死にかけていたはずなのに、その痕跡がなかった。
しかも60歳を超えてあちこちにガタがきていた体が、妙に軽いのだ。
それはもう、何十年も前に若返ったかのように。
そう思い至った瞬間、にわかに状況が鮮明になった。
そうだ、ここは興平元年(194年)の徐州であり、前の徐州牧だった陶謙が、亡くなったばかりなのだ。
そこでなぜか陶謙は俺を後継者に指名し、孔融や孫乾などの説得によって、俺は徐州牧に就任した。
驚いたことに、今の俺はその頃に戻っているようなのだ。
実に29歳も若返ったことになるが、はたしてこれは現実であろうか?
そこで試しに、自分の頬をつねってみる。
「いてっ」
「劉備さま、今日はずいぶんと奇妙なことをなされますな」
「あ、ああ。ちょっと頭がフワフワしていて、夢でも見てるみたいでな」
「そうなのですか?」
目の前で呆れている孫乾も、どうやら本物のようだ。
これはいよいよ、本当に俺は若返ったのだろうか?
しかし一体、何が起こっている?
すると部屋の入り口が騒がしくなり、数人の男たちが入ってきた。
「兄者よ、体は大丈夫かな?」
「あまり心配させないでくれよな、兄貴」
その先頭に立っているのは、俺が永遠に失ったはずの義弟、関羽と張飛だった。
彼らを見た途端、俺は思わず立ち上がって、駆け寄っていた。
「関羽、張飛!」
「ぬおおっ、どうしたのだ、兄者」
「熱だして、頭がおかしくなったか?」
ついつい感情が高ぶって、泣きながら彼らに抱きついたら、張飛にひどいことを言われた。
しかし改めて彼らと目を合わせた途端、2人とも奇妙な顔をする。
「む、なんだ、これは? 荊州で、孫権の裏切り?」
「ふあ? 関兄が殺されて、出兵の準備?」
彼らのつぶやきを聞いて、俺もピンときた。
たぶんこいつらも、この先の記憶を持っている。
俺と一緒に、若返ったんだ、と。
「おい、関羽、張飛。ちょっと話がある。他の人間は外してくれるか?」
「大丈夫ですか? 劉備さま。横になった方がよいのでは?」
「いや、大丈夫だ。とりあえず、俺たちだけにして欲しいんだ。頼むよ」
「分かりました。あまり無理はなされないように」
そう言って孫乾たちは、部屋を出ていった。
そして3人だけになると、彼らが訊ねてくる。
「兄者よ。これはどうしたことだ?」
「そうだよ、兄貴。なんで俺たちは徐州にいるんだ?」
「まあ、落ち着けよ、2人とも。俺にもよく分からねえんだ。だがどうやら俺たちは、30年ほど昔に戻ったらしい」
「昔に戻ったとは、どういうことだ?」
「だから俺にも分からねえんだって」
関羽に問われても、俺は肩をすくめるしかない。
実際に何が起こっているのか、俺にもさっぱりなのだ。
そこで少し考えをまとめてから、話を進める。
「お前ら、俺たちが荊州と益州を手に入れたところまでは、記憶があるんだよな?」
「いかにも。儂は荊州の守りを任され、樊城を攻めていたのだ。しかしそこを孫権のヤツに裏切られ、命を落としたようだ」
「俺は兄貴の命令で、閬中で出兵の準備をしていたんだよな。だけどそこから先は……覚えてねえ」
情けない顔をする張飛を見て、俺は吹き出した。
「プッ、お前は張達と范彊の奴らに、寝首をかかれたんだよ。普段からあいつらにきつく当たっていた、報いだろうな」
「……マジかよ。あいつら許せねえ。ぶっ殺してやる」
「だから自業自得だって。下手に復讐とか、考えんじゃねえぞ」
「ぐぐぐ……じゃあ、兄貴はどうなったんだよ?」
そう問われ、思わず詰まってしまう。
「……言いたくねえ」
「それはずるいぜ」
「そうだな。ここはしっかりと情報を共有するべきではないか?」
張飛だけでなく、関羽にまで言われ、俺は渋々しゃべった。
「……関羽が殺されたんで、頭にきて大軍で荊州に攻め入った。だけど敵の計略に引っかかって、大負けした。なんとか逃げ出したけど、その先で病気になっちまってな」
「ふむ、察するにそこで命を落としたか」
「まあ、そんなとこだ」
「ワハハッ、兄貴だって人のこと、笑えねえじゃねえか」
「うるせえっ!」
「あいたっ」
思わず張飛の頭を殴ると、ヤツがお約束の反応を見せた。
その様がとても懐かしく思えて、涙が浮かんでくる。
「おいおい、なに泣いてんだよ、兄貴」
「う、うるせえ。ちょっと目にゴミが入ったんだよ」
「ウソつけ。いい年こいて、泣いてら~。なっさけないの~」
「こら、張飛。あまりふざけるではない。察するに兄者は、我らとの再会を懐かしんでいるのであろう?」
さすがは関羽。
察しがよくて助かる。
「そ、そうなんだよ。2人が俺を置いていっちまったのが、ひどく悲しくてな。その後もやけっぱちになってたんだ。だけどこうして3人でいられるのが、すげえ嬉しいんだ」
「フフフ、それは儂もだ」
「お、俺だってそれは嬉しいぜ」
なんだかんだ言って、俺たちは互いに助け合うことを誓った義兄弟だ。
少々憎まれ口を叩いたりしても、その信頼関係が崩れたりはしない。
そんな、何にも代えがたい関係の復活に、俺の心が温かいもので満たされる。
そんな思いを噛み締めていると、関羽が俺に問う。
「なぜかは別として、我らは過去にもどったわけだ。そのうえで兄者は、どうするつもりだ?」
「ああ、それなんだが、せっかくだから昔の失敗、いやこの場合は”前生”の失敗とでも、言うのかな。それをひっくり返してみようと思う」
「前生の失敗というと、呂布だな」
「ああ、それもあるけど、この徐州を基点にして、しっかりとした地盤を築くんだ」
その提案に、関羽は髭をしごきながら賛同する。
「ほほう、たしかに我らの経験を活かせば、なんとかなるかもしれんな」
「だろう? どこまでやれるかは分からないが、なんかでかいことができそうなんだ。もう一度この命、懸けてみようかと思ってな」
「よかろう。また付き合うぞ」
「ヘヘヘ、俺も付き合ってやらあ。なんか楽しそうだからな」
関羽に続き、張飛も乗ってくる。
俺はそれをとても嬉しく思いながら、改めて決意と願いを口にする。
「よし、もう一度やりなおそう。だけど今度は、俺より先に死なないでくれよ」
「フッ、それは約束できんが、努力はしよう」
「ヘヘヘ、俺たちは率先して戦うんだから、保証はできねえな」
こうして何かの導きにより、俺たちは新たな人生をやり直すことになったのだ。
以上、”逆行の劉備”の始まりです。
筆者は今まで三国志モノで孫呉を描いてきましたが、今回は劉備を主人公に選んでみました。
本来、皇帝にまでなった劉備は、あまり歴史改変の素材にはふさわしくないと思ってたんですけどね。
しかし彼も晩年には孫呉に惨敗して、失意のうちに世を去るというヘマをやらかしてます。
ぶっちゃけ、蜀漢を建国したとは言っても、辺境の反乱勢力に毛が生えたような存在でしたしね。
ならば転生による歴史改変も、アリかと思った次第です。
ただし本作では、あくまで三国志正史からうかがえる劉備像を描く予定です。
危機が迫れば妻子も捨てて逃げるし、必要とあらば汚い手段もいとわない。
それでいて人間味にあふれていて、多くの人に慕われる男、って感じですかね。
そんなアウトローな劉備が徐州牧時代に戻って、いかに成り上がっていくか、乞うご期待です。
それから”季漢”というのは蜀漢のことで、前漢、後漢に続く末っ子の漢王朝を意味します。
一般には蜀漢で通っていますが、どちらかというと”季漢”の方が正式です。
なお、本作でも登場人物の呼び方は姓名呼びを基本とし、かしこまる時に字も名乗ります。
実態とは異なりますが、分かりやすさを優先することをご理解ください。
最後に、本作を応援していただけるようでしたら、ブクマや評価などお願いします。
明日以降はまた7時に投稿していく予定です。