8.異才との出会い(地図あり)
興平2年(195年)9月 徐州 下邳国 盱台
「迅速な救援、ありがとうございます。劉備さま」
「いや、そちらこそ良くやってくれたな、陳登。おかげで盱台は守られた」
「いえ、事前に指示されたとおりやっただけなので、さほどの苦労はありませんでした」
「いやいや、期待以上にやってくれたよ。今後も頼むぞ」
「はい、身命を賭して」
とりあえず盱台の周辺から袁術軍を追い払うと、まずは陳登をねぎらった。
実際、いくら事前に指示していたとはいえ、遺漏なく迎撃態勢を整えた働きは、十分に賞賛に値するだろう。
その後、軍勢を整えた俺たちは、下邳国の西南端に位置する東城県まで兵を進める。
ここは一応、徐州に入るのだが、袁術の本拠地である寿春に近いため、実質はヤツの勢力圏となっていた。
しかしそこに万に近い軍勢が進出すると、県の重鎮は軒並み恭順の意を示してきた。
「劉備さまにおいては、ご機嫌うるわしゅう」
「我ら、東城の民は、劉備さまを歓迎いたしますぞ」
「ただし我らも、生きてゆかねばなりません。野盗や無頼の者どもへの備えとして、劉備さまの庇護をいただきたく思います」
「うむ、その方らの言うことはもっともだ。今までは袁術が好き勝手をしていたようだが、今後は俺が東城を守ろう」
「「「はは~」」」
こうして表向きは俺が、東城を支配した形になった。
しかしそれはあくまでこの地を守ってこそのことで、それができなければいつでも民は強い方へ付くだろう。
そのため俺は連れてきた兵の大半をここに配置し、張遼を守将にすることにした。
彼ならばこの地を、立派に守ってくれることだろう。
そのうえで俺は、また配下と今後のことについて相談をする。
「陳宮、袁術軍の状況はどうだ?」
「は、どうやら袁術は、寿春まで後退するようです」
「ふむ、戦力を整えて、復仇戦を挑むようなことはないと?」
「はい、なにしろ主将格の紀霊が、討ち取られてしまったのです。すっかり意気消沈して、それどころではないようですな」
陳宮は俺に仕えるようになってから、真面目に仕事に取り組んでいる。
今回も諜報網を陳羣と共有し、情報を集めてくれていた。
その報告を聞いて、関羽が陳宮に問う。
「ならばこのまま、寿春まで攻め上がることは可能かな?」
「いえ、さすがにそれは無理でしょう。いくら負けたとはいえ、袁術にはまだ万単位の軍勢をそろえる力がありますから」
「ふむ、さすがは汝南袁家の嫡流、といったところか」
「ええ、そうでございますな」
袁術は汝南袁家の嫡流を継ぐ男であり、その影響力はとても大きい。
なにしろ4代にわたって3公(太尉、司徒、司空)を輩出してきたような家柄なのだ。
そんな袁家の推薦で職を得たり、出世したような人たちがゴロゴロいるため、その助力を得やすいわけである。
袁術自身も、虎賁中郎将や後将軍なんて地位を得ていたこともあり、その影響力は馬鹿にできない。
そして俺は、ヤツが2年ほど先に帝位を僭称することも知っている。
最後は悲惨な結末を迎えるとはいえ、この時点でけっこうな勢力を保っていたことも、また事実なのだ。
そんなことを思いながら、俺は現実的な妥協案を提示する。
「そうなると、広陵の劉繇どのと協力して、徐々に追い詰めるしかないな」
「ええ、そうなさるべきでしょう」
「ふむ、例の御仁ですな」
劉繇とは、お隣の揚州の牧を務める人物だ。
彼は漢の皇族の血を引く立派な家柄を持ち、正式に朝廷から揚州牧に任命されていた。
しかし今年に入って、袁術配下の孫策に攻められ、拠点の曲阿にもその手が迫っていた。
そこで元々、彼と連絡を取っていた俺は、徐州の広陵に彼を迎え入れたわけだ。
当然、彼は揚州奪還のために力を貸せと言ってきたが、今はまだその時期ではないと言って、控えさせていた。
しかしいざ揚州へ攻め入るとなれば、彼は旗頭として使える。
いずれは劉繇に兵を貸し与え、袁術陣営の戦力を分散させてやろうと考えていた。
しかし今はまだ、袁術を攻めるには機が熟していないのが実情だ。
そこでまず俺たちは徐州の守りを固めることとし、陳宮には引き続き、情報を集めるよう指示をした。
なるべく早いうちに、袁術を打倒したいものである。
その後、東城で雑務に追われていると、ある人物が俺に会いにきた。
「魯粛 子敬と申します」
「劉備 玄徳だ。わざわざ出向いてもらって、感謝する」
「いえ、私のような者にお声がけいただいて、こちらこそ感謝しております」
魯粛 子敬。
後の孫呉で、重要な役割を果たす人物だ。
彼のおかげで俺は孫権と同盟を組むことになり、その後の孫権軍の快勝に乗じて、荊州の一部を領有することができたのだ。
その後もギクシャクとしがちな孫呉との関係を、彼は取り持ってくれた。
かといって彼が、ただのお人好しであるはずがない。
後から考えれば、孫呉と俺たちが組んでこそ、曹魏に対抗できたのだ。
ともすれば目先の利害で争ってしまう小人とは違い、彼はその先の大勢を見ていたのだろう。
そんな魯粛の故郷がこの東城であることを、俺はふと思い出した。
そこで彼に使いをやって面会を希望したら、こうして会いにきてくれたわけだ。
この時点で彼は、まだ孫呉と接触していないはずなので、俺に興味を持ったのだろう。
「聞けば魯粛どのは、私財を投げ打って人助けをしているとか。それに兵法にもご興味があるようなので、一度話をしてみたいと思ったのですよ」
「フハハ、劉備さまのお耳を汚してしまい、恥じ入るばかりです。私なりに思うところがあって行動しているのですが、周囲からは狂人扱いされるような始末ですからな」
魯粛は苦笑いしながら、自分を卑下してみせる。
実際、彼は今年24歳と立派な大人ながら、奇矯な振る舞いが目立つことから、周囲から変人と見られていた。
突拍子もなく人助けや戦の真似事をしているため、”魯家の狂児”とすら呼ばれてるとか。
しかしそう言う魯粛の態度は落ち着いたものであり、言うほど卑下していないのは一目瞭然である。
むしろ自分の真価を見抜いてみろと、こちらを試しているかのようだった。
そこで俺は、そんな彼に誘いをかけてみた。
「ふむ、”魯家の狂児”、ですか。平時であれば、そのように言われるのは嬉しくないでしょうな。しかしこの乱世においては、また別の意味が出てくる」
「ほほう、今を乱世と言い切りますか。しかし天子さまの治める御代を、乱世と言うのは不敬ではありませぬか?」
「フハハッ、何をご冗談を。反董卓連合の鎮圧すらできず、当の董卓までが暗殺されてしまうような状況を、乱世と言わずなんと言おうか。その証拠に、各地では豪族が私兵を動かし、勢力争いばかりをしている」
そう笑い飛ばしてやると、魯粛が楽しそうに俺をあおってくる。
「おや、陶謙さまの跡を継ぎ、見事に徐州を統治されている劉備さまの言葉とは、とても思えませんな。ひょっとして劉備さまも、天下をお望みですか?」
「いや、恐れ多くも天子さまと同じ劉姓を名乗る者として、あくまで俺は聖漢を支える覚悟だ。しかしそのためには、それ相応の基盤を固める必要はある」
すると魯粛が、我が意を得たりとばかりに膝を打つ。
「お見事! 劉備さまは理想を追うばかりでなく、現実を踏まえたうえで、漢王朝のために働きたいと言われるのですな。不肖、この魯粛。劉備さまの下でお役に立ちたいと思いますが、いかがでしょうか?」
「おおっ、そう言ってくれるか。この乱世を生き抜くには、有能な人材はいくらあっても足りない。この劉備のため、そして漢王朝のため、力を貸してほしい」
「喜んで。これからお世話になります」
こうして俺は、本来は孫呉に仕えるべき異才、魯粛を手に入れたのだ。




