50:<郭嘉/荀彧編>潁川平定4
荀彧は賊徒の資金源を断つため、領内で賊徒との取引を禁じることにする。その中で、賊徒と取引しているらしい娘の存在を知り、会いに行くことに。
郭嘉が嬉々として馬に乗るのを、静は複雑な気持ちで見上げとぃた。
夜襲に気づいてからわずか一刻(約十五分)足らずだ。その間にきびきびとすべての手はずを整えた郭嘉はさすがだ。しかし、護衛担当としては護衛の兵まで策に駆り出すのはやめてほしいのが本音だ。
「静、行くぞ」
「はい」
うなずき、自分も馬に乗る。護衛は自分だけだ。気は抜けない。
「奉孝様、次からもう少し護衛の兵のこと、考えてください」
府の門を抜けながら静が言うと、郭嘉は気のない様子で「まあ気が向いたらな」とだけ言った。
「お前がいるから大丈夫だろ」
悪びれもせずにこりと笑って振り返ったりするので、なおのこと始末が悪い。
「ものには限度がありますよ。旅をしていた時とは立場が違うのですから、せめて兵士百人くらい連れてください」
「使える駒は最大限使わないと。俺にはお前がいるからいいんだよ」
「よくないです」
府の前の大通りまで出ると、馬を走らせた。城門まで二里というところだ。普通ならあっという間だが、途中、闇の中で躍り出てきた一団があった。
「っと」
郭嘉が慌てて馬を止める。さりげなく彼の前に出ながら、静は周囲の気配に気を配っていた。目の前の集団以外に、やはり隠密らしきものがいる。十人以上と言った曹操の隠密たちの情報は確かなようだ。
「危ないだろ。なんだよ、お前ら」
郭嘉が言い、静が馬に乗ったまま剣を抜くと、さっと賊徒たちもまた剣を抜き、構える。躍り出てきたのは五十人ほどだが、その中にも隠密らしい身のこなしをする者が含まれていた。
「おいおい、穏やかじゃないな。お前ら、外で襲ってきた奴らの仲間か?」
「お前が曹操の息子か?」
郭嘉の問いに、賊徒の一人が質問を返した。ふっと、背後で郭嘉が笑ったのがわかる。
「もし、そうだって言ったら?」
「安心しろ。殺しはしない。我らと一緒に来てもらおう」
「へえ、そう来る。意外だな。それなら、わざと捕まってみるってのもありだったかも」
「若!」
思わず静が声を挙げると、郭嘉は肩をすくめて「そんな怒るなって」と笑った。
「お前ら、なんで捕まえようってんだ? 人質にでもしようってか?」
「貴様の知るところではない」
「まあ、身代金ってとこかな。この辺の城市やら商人やらと取引してんだろ? うまい商売考えたもんだ。脅して、暴れて、金なり穀なりぶんどってれば、あとは遊んでくらせるってわけだ。でも、それも今日で終わりだ」
「ふん、減らず口を。この数に勝てるとでも――なにっ!?」
そこまで言って、賊は聞こえてきた足音と喚声に振り返った。回り込ませていた護衛の兵たちだ。彼らは細い通りから次々に出てくると、あっという間に賊を取り囲んだ。兵の数は百人ほど。今度、窮地に陥ったのは賊徒の方だった。
「な……っ」
「夜襲をかければ、城の中にいる偉い奴が慌てて様子を見に飛び出してくるから、そこを襲って連れてこいとでも言われたんだろ? お前らのご主人様はそこそこ頭が回るみたいだな。だけど残念。見え透いてんだよ」
郭嘉が合図を出すと、兵士は一斉に賊徒に襲い掛かった。賊は必死にそれに抵抗しながら、何か叫んでいる。
「逃げるぞ!」
「くそっ、上の連中は何やってる!?」
乱戦が始まると、静は軽く息をついた。もう郭嘉が襲われることはないだろう。屋根上の連中は、と気配を探れば、そちらも逃げたのか、いなくなっていた。おそらく、曹操の隠密たちがうまくやったのだろう。
「絞りがいのあるやつ、捕まるといいんだけどな」
ちらと振り返ると、郭嘉が楽しそうに目を細めている。
策が当たって微笑む郭嘉は、実に満足そうだった。
「今後一切、賊徒との取引は禁じます」
許の府の広間で、荀彧は居並ぶ商人たちに向かって言った。
面前に膝をついている商人たちは、ぴくりと眉を顰めはしているものの、表立って反論はしなかった。
「そなたたちが金を稼ぐことを生業としていることは理解しています。ただ、それは他人を踏みつけ、不幸にするものであってはならないはず。賊徒から品を買うということは、すなわちその向こうに虐げられた人々の生活があるということ。聞けば、郊外の邑では、妻子を人質に取られたり、男が無理やり賊徒に加えられたりして搾取されているところもあるとか。そなたたちが賊徒と取引する限り、賊徒はそれをやめないでしょう。よって、今後一切賊徒との取引は禁止します。いいですね?」
もう一度問うと、商人たちはそれぞれにうなずいた。しようがない、というところだろう。
「城市にも布令として通達を出すつもりです。以後、もしそれに反して賊徒と取引するものがあれば、当然処罰の対象となります。不正に得た財産は没収の上、市に店を出すことも禁止。場合によっては叛意ありとみなし、首を刎ねることもあり得ます。そのつもりで」
もう一度商人たちがうなずいた。
「これまでの取引に関しては、とやかく言うつもりはありません。そなたたちにも生活があり、また賊徒に脅されていたかもしれず、守ってくれる官吏もない状態で、よくぞ街を穏やかな状態に保ってくれたと思います。そこは、城市を守る立場の者として、お礼を申し上げます。ついては、もしそなたたちが賊徒の情報を持っていたら教えてほしいのです。連中の根拠がどこであるとか、取引に来ていたのはどのような者だったのかとか。賊徒を捕らえる端緒としたいのですが」
商人たちは顔を合わせ、しばらくしてからぽつぽつと口を開いた。
賊徒の中にも商売に慣れたものがいるようで、相場より高く売って儲けようとする者もいれば、相場もわからず安く売りさばこうとするもの、どこからか連れてきた女子供を売ろうとする者もいたという。ただ、商人たちは賊徒の具体的な根拠地までは知らないようだった。皆、取引する者が城市、もしくはその近くまでやってきての交渉だったらしい。
その中で数人、同じことを言う者があった。
「賊徒、というわけではないのですが、もしや、と思う相手なら、心当たりが」
「構いません。教えてください」
「は、はい。許で妓楼を営んでいる娘がいるのですが、その者が、いささか怪しいかと」
「妓楼の、娘、ですか」
意外な言葉に、荀彧が小首をかしげると、他にも何人かそれに同調する者がいた。
「ああ、青藍だな。私もそれは思ったのだ」
「うむ、確かに。怪しいと言えば、怪しい」
「誰です、その娘というのは?」
「妓楼の楼主です。といっても、許の街はこんな有様。あそこは妓楼と言っても、ただ若い女が集まって体を売っているだけのようなもので、果たしてその娘が楼主なのかどうかもよくわかりませぬが」
「その娘が、どう賊徒に関係するのです?」
「その娘が許にやってきたのは二年ほど前です。若い女たちを引き連れて、最初は機織りをさせていると言っていました。ただ、次第にそこに男が集まるようになり、いつの間にか妓楼のように。楼主らしき娘は、最初は機織りでできた布を我らに売っておりました。長安の動乱から逃れてきて、なんとか食いつないでいると言っていたので、我らとしても、その、邪険にはできず」
後ろ暗いことでもあるのか、商人の視線は落ち着きなく揺れていた。ただ、話自体は嘘ではないという感じもする。
「それで? それがどう賊徒とつながるのです?」
「途中から、穀を売りたいと言ってきたのです。なんでも、長安でひどい目に遭い、街へ出て来られないような者たちが山奥で耕作していると。出来上がったものが余ったので売りたいのだ、と言う話でした。それなら、と応じたのですが、それが、最初は数百石から、次第に増え、季節外れの時期にも数千石、今年の秋に至っては、数万石と」
数万石ともなれば、相当な量だ。仮に本当に耕作で作ったのというのなら、相当な広さの畑と、それだけ多くの人手が必要になる。所領で数万石稼ぎ出せるような者は、豪族でもなかなかいないだろう。
「なるほど。仮に休耕地を勝手に使ったとしても、無理のある量ですね。この周辺は荒廃した畑も多いですし」
「は、はい。まして、娘は集落は山奥にあると申しておりました。山奥に元々畑があったとも思えず、かといって開墾などそう簡単にできるわけもない」
「誰か、その集落を見た者は? 不審に思ったのなら、確かめようとは思わなかったのですか」
問うと、商人たちは気まずげに顔を見合わせた。
「何度か、畑を見せてくれと言ったことはあります。我らも、賊徒とわかっての取引は避けたいものですし。ですが、娘は知らないの一点張りで」
「知らない?」
「自分は山奥に行きたくなかったので、集落を作る前に許に来たのだと言っていました。だから場所を知らないと。穀を持ってくる者は知っているが、向こうが持ってくるだけなのでどこからいつ来るかも知らない。自分はただ、収穫されたものを受け取って、売り、対価を渡しているだけだ、と」
「そうですか」
娘が嘘をついている可能性もあれば、本当に娘が知らない、という可能性もある。ただ、怪しいのは、怪しい。
「誰か、そこにわたしを連れて行ってくれませんか。わたしもぜひ、その娘と話してみたいのですが」
その建物は、城壁を入って右、城壁近くの界隈にあった。一般には貧しい民の暮らす場所で、治安はよくない。
――よくこんなところに、女が集まって住もうなどと。
良家の子女なら絶対に近寄らない場所だ。とはいえ、潤沢な資金がなかったのなら、そこにしか家が買えなかった、という可能性もあるかもしれないが。
住人が少ないのはその近辺も同じだった。ただ、いないわけではない。疲れた顔をし、みすぼらしい格好をした民たちが物珍しげに荀彧たちを見ている。
許に帝を迎えるならば、こういうところにも目を向ける必要があるだろう。今はまだ、城壁内も整っているとは言い難い。
「あちらです」
商人が示したのは、その界隈では比較的大きい建物だった。最近建てたのか、周囲の古びたあばら家と比べると真新しく、造りも随分ときちんとしている。
門をくぐると、玄関口に少女が座っていた。そこに訪いを告げると、慌てた様子で奥に走っていき、代わりに若い娘が出てきた。
歳の頃は二十歳そこそこというところだろう。賢そうな目許や意志の強そうな口許に、娘の性格が垣間見える。
じっと見つめると、娘は荀彧を嫌そうに一瞥してから、同行していた商人へと視線を移した。
「これは朱様。いらっしゃいませ」
いらっしゃいませ、と言いながら、娘の顔に笑顔はない。彼女はちらと後ろを振り返ると、続けて言った。
「申し訳ありませんが、今日は貂蝉は出ていて」
「いっ、いやいやいや! 今日は貂蝉の顔を見に来たのではないのだ。この方が、お前に会ってみたいと仰せでな」
商人が荀彧に水を向けると、娘は軽く荀彧を睨んできた。
大抵の女は荀彧と目が合うと動揺したり、頬を染めたりするのだが、こんな反応をされるのも珍しい。
娘は上から下までじろじろと荀彧を眺めまわすと、不快をはっきりと顔に出して言った。
「来るところをお間違えでは? 大方どなたかになにがしか吹き込まれてこられたんでしょうけれど、あいにくここはあなたのような方が来られる場所ではありません」
「わたしはそなたに会いたくて来たのです」
「私はあなたの相手をする気はありません」
娘の声にははっきりと軽蔑の音がにじんでいた。慌てて違う、と手を振る。
「違いますよ。わたしは妻以外の女性を相手にするつもりはありません。ただ、そなたが穀を売っていると聞いて、話を聞いてみたいと思ったのです。なんでも、かなりの量を扱っているとか」
「それは……」
怪訝そうに眉をひそめ、娘は腕を組んだ。
「失礼ですけど、あなたは誰? 見たところ絹の着物を着て、商人じゃありませんよね? 新しくやってきた県令とか? それとも郡太守?」
「そのどちらでもありません。わたしは曹兗州牧様の臣、荀文若と申します。我が主、曹兗州様は先ごろ帝より賊徒討伐の勅命を賜り、そのため、近々こちらに拠点を移すつもりなのです。今、先行して一軍がこの周辺の鎮撫に当たっていますが、わたしはそれと並行して、この周辺の内政を整えるべく――」
「お帰り下さい」
断ち切るように、娘がぴしゃりと言った。
「あいにく、お貴族様に売る物なんてありません。さっさと帰って」
「それは、なぜです? そなたにやましいところがあるからですか?」
「やましい? やましいですって? やましいのはそっちでしょう! えっらそうにふんぞりかえってそんないい着物着て、おかげで庶民がどんなひどい目にあってるかなんて考えたこともないんでしょ! それもこれも、あなたたちがきちんと世の中を治めてないからじゃない!」
「せ、青藍! 落ち着け」
「私たちがどんな目に遭ったと思う? 長安にいたのよ。それはもう、ひどいものだったわ。今こうして生きてるのが不思議なくらいよ。ぼろ雑巾みたいになって、それでも必死に生きようとしてるのに、そこにお貴族様が何の用? 穀だろうがなんだろうか、棄てる物だってあなたたちになんかやりたくないわ!」
一息にまくしたて、娘はすぐさま隣にいた商人にも目を向けた。
「朱様、申し訳ありませんけど、朱様がお貴族様にうちの穀売ろうってんなら、今後のお取引はお断りします」
「なっ! お、お前そんなことを言ってただで済むとでも」
「おあいにく様、買ってくれる人くらい掃いて捨てるほどいるわよ。さ、出てって!」
「待ってください」
「出てってってば! 誰か、こいつらつまみ出して!」
娘の声に従って、後ろから若い男が二人出てきた。すると、連れてきた護衛の兵が荀彧の前で剣に手をかける。さすがに店の男たちは荀彧に手を出すのをためらったようだ。
「わかりました。今日のところはお暇しましょう」
慌てる商人を尻目に、荀彧はあえて微笑んで見せた。それでもなお、娘は怪訝そうに眉を顰めるだけだ。
「そなたの言いたいことはわかりました。昨今の動乱は、わたしが直接手を下したことではないとはいえ、確かに、我ら士大夫の責任ではあります。多くの士大夫が保身に走り、あなたがたのような無辜の民を傷つけてしまった。そこは、お詫びいたします」
頭を下げると、娘は気持ち悪いものでも見るかのように体をすくめた。それに苦笑する。
「今すぐとは行きません。五年後、十年後、きっとあなたが生きていてよかったと思える世界に必ずや戻して見せましょう」
「なにを、そんな」
「それはそうと、あなたにも伝えておきましょう。今後、我が領内で賊徒との取引は一切禁止といたします。よって、あなたがどこから穀を得ているのかは知りませんが、もしその買い付け先が賊徒であった場合、あなたは処罰を受けることになります」
「しょ、処罰って」
「店の営業停止、場合によっては叛意ありとみなし斬首もあり得ます」
さっと、娘の顔が青くなった。
「もちろん、相手が誰か知らなかった、などという言い訳は通用しないと思ってください。もっとも、今我が軍はこの周辺を鎮撫しています。じき取引できるような賊徒はいなくなるでしょうけどね」
にこりと微笑んで見つめると、しばらくして、娘は震える声で言った。
「そんな、乱暴な。知らずに取引しただけでも斬首だなんて」
「知らなかった、で済まされることではない。それがもし略奪の戦利品だったら? あなたは己がひどい目に遭ったからといって、人を殺すなり、傷つけるなりして金を稼ぐのですか? そんなこと、許されるはずがない。そうでしょう? また、あなたはそうやって他者を虐げて得た金で裕福になって嬉しいのですか?」
むっと、娘がまなじりを吊り上げた。
「お言葉ですけどね、それは、私たちから見ればあんたたちも同じよ。税金だって言って畑の収穫のほとんどを持っていく。ちょっと逆らえば反逆者だって首を刎ねる。賊徒と何も変わらないじゃない。あんたたちこそ、世の大勢を不幸に陥れていい気になってるの、恥ずかしいと思わないの?」
「なるほど、返す言葉もありませんね」
「だったら――!」
「我らは、そんな誤った世界を糺すために戦っているのです。先ほども言いましたよね、五年、十年後、そのような誤ったことのない世の中に、きっとしてみせます。だからどうか、あなたもそれに協力していただきたい。よろしくお願いいたします」
微笑んで軽く頭を下げても、娘は困惑げに睨み返してくるだけだった。




