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軍師の心情 ~曹操の軍師たち~  作者: 西本夏
4.潁川平定
48/64

48:<荀彧編>潁川平定2

郭嘉たちが許周辺の掃討を進める中、荀彧が許に到着した。

 荀彧が許に到着したのは十一月も半ばになっての頃だった。

 曹操が付けてくれた守兵千人と共に入城すると、(やくしょ)では荀悦が待ち構えていた。

「え、仲豫殿? どうして」

 学問以外のことにはまったく興味がなく、一族で冀州に逃げようと言った時も一人だけぶつくさ言って彼は潁川に残っていた。それが、許の府に。

「あ、もしかしてとうとう仕官する気に」

「なるわけあるか!」

「ですよね。では、どうして?」

「庵が賊徒どもに焼かれたのだ」

 忌々しげに荀悦は説明してくれた。籠っていた庵が書物ごと焼かれてしまい、仕方なく許の邸に来たものの、当時は許の城市の中も落ち着かない様子だったという。しようがなく人を集めて城市の経営を任せた、ということらしい。

 仕方がなく人を集めた、といいながら、そうやって人を集められるのは彼の人脈ゆえだ。集めた者たちがほとんど学者なのに、県令もなく府がそれなりに回っているのも、誰かがそれをうまく取りまとめたからだ。

 荀悦は昔から仕官に興味がなく、ひたすら庵に籠って学問に興じているが、実は実務能力もそれなりにあると思うのだが……。

「じゃ、あとは任せたぞ。私はこの数か月ろくに書も読めていない! まず書を求めるところから始めないと」

 これだ。

 苦笑して、荀彧は彼に言った。

「仲豫殿。それならわたしの書をお譲りしますよ。どうせ読むのはもう息子たちだけですし、なければないで、この際書写をさせた方が彼らにもいいでしょう。ただ、書物は息子たちと一緒に定陶にあるので……。許が落ち着いたらこちらに拠点を移すつもりです。それまで少しお手伝いいただけませんか?」

 荀悦がいかにも嫌そうに顔をしかめる。それに、荀彧はめげずに微笑み続けた。

「わたしもこちらに来たばかりでまだ把握できないことばかりですよ。なにもそんな、一日中傍にいてくれなんて言いません。半日でも一緒にいていただいて、色々教えていただけたらと思って。安心してください。属吏を何人か連れてきましたから、それこそあなたは私の執務室で書を読むなり書くなりしていただいたっていいのです。ただ、時々わたしに助言をいただければと思うだけで」

 荀悦が迷うように腕を組む。すかさず荀彧は畳みかけた。

「仲豫殿は歴史に興味がおありでしたよね? 今、まさに歴史が動かんとしている。そう思いませんか? いずれこの騒乱の顛末を誰かが文書にまとめて記録に残す必要があると思うのです。どうです? 手始めに、党錮の禁あたりからのことをまとめられては。微力ながらわたしも助力いたします。何と言ってもこの乱世のど真ん中で戦っておられる曹孟徳様のお側近くにお仕えしておりますから、仲豫殿が記録を残すにお役に立てることもあると思うのですけど」

「そ、それは」

「でも、その代わり、わたしにも少し、ほんのちょっとだけご助力いただければ。なに、許の治政が整うのに数か月もかかりません。ほんのひと月ふた月お手伝いいただければ、それで。もちろん、対価もお支払いしますし」

「別に金が欲しいわけではない」

「そんな怒らないでください。働いてくださる方に対価をお支払いするのは当たり前のことですよ。あ、そういえば鄄城にいたころ、戯志才殿が春秋時代の古文書が府にあったと言っていて、写しをもらったんですよね。子供たちは全然歴史に興味がないみたいで読む気がなくて、あの大量の写しどうしようかと思っていたんですけど……」

 荀悦の目つきが変わる。

「落ち着いたら差し上げますよ、仲豫殿。どうせわたしはじっくり読む時間もありませんし、息子たちにはまだあれは読めないでしょう。言い回しが古くて解読しなければいけないような文章でしたから」

「……いいだろう。ただし少しだけだからな。私は絶対官吏にはならないぞ」

「そこはわかっていますよ。無理強いはしません。でも、助かりました。潁川は賊徒に荒らされて散々な状況だと聞いていたので、こうしてあなた方がしっかり城市を抑えていてくださったから、我らも損害少なく許に来ることができた。ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、まんざらでもなさそうに荀悦はうなずいていた。

 そこから同じように荀彧が来たなら帰りたいという学者たちを言いくるめ、何とか引き続き働いてもらうことに成功した。

 その過程で主だった者たちとは一人一人言葉を交わし、要望を聞き、大体の適性を見極めた。苦手とする仕事をしていた者は極力向きそうな仕事に振り分け、官吏の募集も始めた。

 周辺の賊徒を討伐していた夏侯惇たちが許に戻ってきたのはそんな頃だった。

「文若殿、来たんだな」

 夏侯惇は顔を合わせるなりほっとした表情を見せた。

「これで安心だな。何人か文官がついて来てたは来てたが、頼りなくてな」

「しようがありません。彼らは書記官ですから、あまり他の仕事には慣れていませんし。これからはわたしがしっかりと取りまとめてまいります。それで、周辺の状況はどうですか? 奉孝殿の書簡には賊徒が厄介だとありましたが」

「ああ、掃討自体はそこそこうまくいっている。このひと月で子修も指揮に慣れてきてな。ただ、賊徒は元々数が多いうえに、叩いても叩いてもまたすぐ出てくるという状況だ。ひとまず近くの邑は確保したから、この近辺は賊が現れることはないと思う。ただ、潁川全域治めようと思うと、やはり賊徒の殲滅は必要だな。連中がどこに拠っているのか、探らせてはいるのだが、なかなか」

「どうやって調べているのですか?」

「正攻法だ。軍をすすめ、賊を討つ。たまに連中の比較的上の方の者を捕らえることがある。そいつに吐かせる。だが……」

 夏侯惇はそこまで言うと、嘆息した。

「それでいくつかは拠点らしきところを見つけはしたのだがな、殲滅とは行かん。いくつも拠点があるのだろう」

「そうですか。なかなか大変ですね。とはいえ、城市の近くだけでも落ち着いていれば、城の近くで耕作はできます。あとはおいおい進めていくしかありませんね」

「ああ。ただ、俺が心配なのは奉孝でな」

「奉孝殿が?」

 夏侯惇はうなずくと、考えるように腕を組んだ。

「掃討がうまくいかないことにイラついているように見える。若いからしようがないのか、そういう性分なのか、討っても討っても賊徒が沸いてくるので焦れているというか。その点子修はどんと構えるところがあって、地道にいくしかないと言って奉孝をなだめているのだが、奉孝の方は口ではわかったと言いつつ、なんとか手っ取り早くと考えているのではないかと」

「彼は天才肌ですからね。地道なのは確かに、嫌いかもしれませんが」

「こういう時、孟徳がいればと思うな。そうすれば少しは気もまぎれるだろうし。なんというか、任された分自分がなんとかせねばと気負っているのではないかという気もしているのだが……。考えすぎかな」

「わたしも少し様子を見て来ましょうか? 奉孝殿は、今どちらに?」

「城外の陣営の中だ。まだやることがあると言っていた。多分……」

 夏侯惇はわずかに言いよどむと、眉をひそめて続けた。

「捕虜にアジトを吐かせているんじゃないかな」




 城市を出て少し行くと、曹操軍の陣営が見えてきた。

 陣営の門に着いて名乗ると、中に通された。すぐに曹昂がやってきて、荀彧を出迎えた。

「荀軍師。お疲れ様です。許にいらっしゃっていたのですね」

「ええ。若君もお疲れ様です。指揮も慣れてこられたとか。元譲殿がほめていましたよ」

「そんな」

 照れたように笑う。そんな仕草は相変わらず歳よりずっと幼く見える。

「ところで、奉孝殿と会って話したいことがあるのですが」

「あ、郭軍師ですか」

 困ったように曹昂が眉を顰める。

「捕虜から情報を聞き出しているとか?」

 荀彧が言うと、曹昂はうなずいた。

「従父上に聞いてこられたのですね。そうです。でも、多分そろそろ終わったころじゃないかと思いますよ。もう一時くらい経っていますし」

「いつも、捕虜の尋問はいつも奉孝殿が?」

 先導するように曹昂が歩き出す。荀彧は彼に付いて歩き出した。

「そうです。最初、誰がするかとなった時に誰もやりたがらなくて。従父上が、それなら自分がと最初におっしゃったのですけど、郭軍師がそれはだめだと言って」

「駄目、というと」

「元譲従父上は温厚で通っているのに、そんな汚れ役はやるべきではないと」

「で、奉孝殿が?」

「はい」

 郭嘉に拷問の経験があったとは思えない。荀彧が眉を顰めると、曹昂は大丈夫ですよ、と言った。

「自分はちらと見ただけなのですが、かなりうまく、その、聞き出しているみたいです。奉孝殿の従僕がそういうのに慣れているみたいで。あと、奉孝殿もそこまで苦ではないとおっしゃっていました」

「苦ではない?」

「はい。私などは拷問で叫ばれたりすると嫌なものですが、郭軍師は顔色一つ変えておられません。さすがだなあって」

 郭嘉がそういったことに耐性があるとは思えない。大丈夫なのか。

 拷問に使われているという幕舎に近づくと、男の悲鳴が聞こえてきた。思わず身構えると、同じように身をすくませた曹昂が振り返る。

「あちらです」

 郭嘉とて、こんな悲鳴を聞いて平常心ではいられないのではないか。

 そう思っていたのだが、中に座っている郭嘉は、荀彧が心配する必要など全くないほど落ち着いていた。

 ちらと覗き込んだ幕舎の中では、確かに捕虜の尋問が行われているようだった。部屋の一番奥に捕虜らしき男が後ろ手に縛られて膝をついていた。その傍に郭嘉の従僕の男がいる。たしか、燕静とか言っただろうか。郭嘉が彼は一応隠密なのだ、と言っていたのを荀彧は思い出していた。

 他に兵士が二人控えていて、書記官らしい男が机の前に地図を広げて座っている。郭嘉は比較的入り口に近いところの椅子に座っていた。

「――で? そのお前が貢いでたっていうお偉方はどこから来てたんだ?」

 足を組み、腕を組んで淡々と捕虜に問う姿は実に様になっていて、動揺のかけらも見えない。むしろ普段飄々とした彼が淡々と問う姿は怜悧な軍師そのもので、郭嘉の知らない一面を知る思いだった。

「し、しりません。いつも向こうから取りに来るから」

「でもちょっとくらいはなんか言ってただろ? 北とか南とかさぁ」

「し、知らないんです、本当に!」

 必死に言い募る男を一瞥した後、郭嘉が燕静に目配せする。心得たように燕静が男を蹴ると、また絶叫が響いた。

「し、知らないんです! 本当に! 奴ら汝南あたりにいるらしいってことくらいしかっ」

「汝南ねえ。そりゃまたなんで、汝南から来るんだ? あっちの方が荒らされてなくて、略奪するにしても楽だろ。わざわざ潁川までこなくても」

「そんなこと、知るわけ――ああっ!!」

 倒れこむ男の肩を燕静が踏むと、男は絶叫を挙げながらのたうちまわった。どうやら肩に傷でもあるようだ。痛がり方が尋常ではない。

 その後も、郭嘉は顔色一つ変えず淡々と問い、燕静に指示を出し、そして時には捕虜をほだすようなことを言ってうまく言葉を引き出していた。傍で聞いていただけでも、賊徒の根拠は汝南にあるらしいことや、組織は上に立つ者がいて、その下にいくつも小さな組織があり、上納金を治めているらしいことなどがわかった。尋問を受けていた男自身は、汝南との州境あたりに根拠を置いていた賊徒のようだ。

 うまいものだ。感心した。

 入り口で見ていると、奥にいた燕静が荀彧に気づいたようだ。郭嘉に声をかけ、それで気づいた郭嘉が荀彧を振り返る。

「あれ、文若殿。お久しぶりですね。もう来てたんだ」

「ええ、数日前に。お久しぶりですね、奉孝殿。お元気そうで何より」

「ええ。にしても、こんなところまでどうしたんです? あなたみたいな人が来るところじゃないでしょう。もしかして、急ぎの用?」

 郭嘉が立ち上がる。それを制して荀彧は首を振った。

「いえ、そこまでではないんですけど」

「でも、用は用なんでしょ? じゃあ行きますよ。ちょうど一段落したところだし。そいつは牢屋入れといて」

 郭嘉が指示すると、捕虜の男は兵に引っ張られて幕舎を出て行った。おそらく牢獄に入れられるのだろう。

 荀彧が幕舎の外に出ると、郭嘉が部下をねぎらい、それに続いた。

「少し見ていましたが、随分手馴れていましたね。尋問の経験などなかったでしょう?」

「そうですね、最初は。でもここしばらくはああいうの、毎日のようにやってますから、自然と慣れますよ」

 そういう郭嘉の顔に苦痛の色はない。平静を装っているという感じでもなさそうだ。

「慣れるといっても、間近であんな叫び声を聞いていては疲れるのではありませんか? 大丈夫なのですか?」

 郭嘉の顔をじっと覗き込んでも、彼はにこりと微笑むだけだ。

「大丈夫ですよ。そりゃ気持ちのいいもんじゃないけど、苦でもないかな。それに、俺には優秀な手足がいるんで」

 そう言って彼は後ろについて来ていた燕静を振り返った。目が合うと、燕静が頭を下げる。

「あなたも、随分手馴れているようでしたね」

 問うと、燕静が郭嘉に視線を向ける。郭嘉がうなずいて初めて、燕静は答えた。

「一通り、しつけられておりますので」

 軽く顔は伏せたまま、短く一言だけ答える。貴人に対する所作もしつけられているようだ。

「そうですか。ならば、いいのですが」

「心配いりませんよ。皆が嫌がるのはわかってるから、兵も書記官もなるべく交代させるようにしてるし、それに情報収集はやっぱ自分でやったほうが効率いいんですよね。もし誰かに頼んだら、何を聞いてほしいとか全部言わなきゃいけないし、その場でぱっと思いついたことも聞けないし、俺がやるほうがいいことも多いですよ」

「それはそうでしょうが」

 そのまま別の幕舎に移動すると、現状でわかっていることを郭嘉が話してくれた。

 賊徒はいくつかの集団に分かれていて、それぞれが上で指示を出している者に従っているらしい。よく略奪にやってくるのは末端の賊徒で、それらを取りまとめている者があり、またその上に指示している者がいて、という感じで、そう簡単には大本にたどり着けそうにないということだった。

「ただ、逆に言えば末端に行けば行くほど、皆、元はこの周辺の民なんですよ。食いっぱぐれたところを賊徒に入ってなんとか食いつないでるような連中なんだ。だから、頭叩けばそいつらがおとなしくなる可能性ってのはあります。だから、文若殿が言ってたように、うまく賊徒を手懐けて労働力を手に入れようってのは、不可能じゃないと思う。ただ、その頭の連中がなかなか見えてこないんだよなぁ」

 夏侯惇の言っていた通り、郭嘉の言葉にはわずかないらだちが見えた。

 焦っているのか、あるいは責任感からか。曹操が一緒だったときは顕わにならなかった彼の一面が垣間見える。案外、せっかちなのだ。

「焦る必要はありませんよ、奉孝殿。殿はじきに雍丘を落とすでしょうが、その後すぐにこちらに来るのではなく、梁、陳を落として合流するつもりだとおっしゃっていましたしね。今急ぐべきは許を拠点として機能できるようにすること。この短期間で賊徒を周辺から追い払っただけでも十分すぎるくらいの成果です」

「そう言ってもらえると心強いんですけど」

「それはそうと、この先はどうするつもりですか? もう少し範囲を広げるつもりだとか。先程の捕虜の話だと賊徒の領袖は汝南にいるようでしたが、汝南に攻め入るのは、ちょっと」

 汝南は袁家の影響が強い。なんだかんだ袁術とぶつかることにもつながりかねない。わかっているのか、郭嘉は首を振った。

「今はさすがに汝南には行けないと思いますよ。ただでさえ兵が少ないのに袁術とまともにぶつかったら勝てませんからね。元譲殿とも話してたんですけど、そろそろ潁陰と陽翟確保に動こうかなと思ってました。この三点抑えればもう潁川はほとんど取ったも同じでしょ? ああ、そうだ。陽翟の実家の蔵に穀が少しあるみたいなんですよ。一万石くらいっつってたかな。陽翟に着いたらそれ、献上しますよ。今もカツカツでしょ?」

「本当ですか? それはありがたい。ですが、きちんと対価はお支払いしますよ。こういうことはきちんとしておかないと」

「え、けど」

「仮に奉孝殿が気にしなくても、家僕はそうではないでしょう。この時世にきちんと一万石も穀を確保した優秀な家僕たちにきちんと報いてあげなくては。家僕だからといって、主に無心に仕えるとは限りません。使う側として、きちんと彼らにも報いてあげなければ」

 そうでしょう? と言うと、郭嘉は恥じたようにうなずいた。

「あー、そっか、そうですね。ありがとうございます。俺そういうの鈍くて」

「わたしはただ、経験で知っているだけですよ。知り合いのお金に無頓着な文人たちの中には、他人もそうだと思ってしまう人たちがいて、そういう人たちは家僕に愛想を尽かされたり恨まれたりということがしばしばあるんです。世の中金がすべてではありませんけど、金で買えるものもある。そして、金で動く人間は多い。そのことはきちんと理解しておかないと」

「肝に銘じておきます」

 郭嘉は困ったように笑ってうなずいた。

「あー、あと気になってるのは実家の連中が賊徒に金渡して畑守ってるって言ってたことかな」

「賊に、金を?」

「ええ。一応畑を守るために部曲(私兵)はいるんですけど、千人くらいだから、賊徒に数に任せて来られると勝てなかったみたいで。それで、うちの畑には手を付けないって条件で、どんだけか金だか穀だか渡してたみたいです。多分、うちだけじゃないんじゃないかな。何万とかいう賊徒を跳ね返せる部曲なんてそうそうないでしょ」

「確かに」

 その可能性は荀彧も考えていた。噂があったこともあるが、きちんと行政が機能していない城市で街を守ることはそう簡単ではないはずだ。賊徒と取引して街を守る。それも選択肢の一つだと考えることは十分ありうる。

「確証があるわけではないのですが、おそらく他の城市でもそうだろうと思いますよ。もちろん、(ここ)もです。賊徒は攻め寄せてくる割に城壁を越えようとはしないらしいですね。守兵千もいない城市に、数万で攻め寄せれば落とせないこともないでしょう。賊徒が城壁を越えなかったのは、その必要がなかったから。すなわち、彼らと取引した誰かがいて、脅してさえいれば金なり穀が入ってくるからという可能性が高い」

「ま、自分で畑耕すより、脅して作物だけぶんどったほうが楽っちゃ楽ですからね。ある意味賢いですよね」

 郭嘉が肩をすくめて笑う。

「そういえば、近くの邑では、元々の住民が奴隷みたいに使われてるところもありましたね。賊に逆らおうとしたけど負けて、若い女は連れてかれて、若い男は無理やり賊徒に加えられ、残った老人と子供が畑を耕し、あがりはほとんど賊徒に渡す、みたいな。九割方取られるって言ってたかな? ある程度払ったら攫われた嫁さんとか娘を返すって話なのに、いつまでたっても帰ってこないって嘆いてましたね」

「そんなことが……」

「もちろん、うまくやってる邑もありましたよ。最初に賊徒と交渉して、人質は出さないけど、やっぱ八割くらいは賊徒に穀を渡して、それで村の安全を保ってるんだって言ってました。だから、人質出してないところは割と俺たちを歓迎してくれたんですけど、賊徒に女とか連れてかれて下僕扱いされてる邑じゃ、結構戸惑ってましたね。俺たちが賊徒から解放してやるって言っても、人質がいるからって。だから、連中のアジト、探ってたんですけど」

 なかなかなぁ、と郭嘉が嘆息する。

「いくつかは根拠を見つけたと聞きましたが」

「ええ。でも、人質いるところといないところがあって。多分、この辺荒らしてる賊徒の大半は、汝南にいる賊徒の下っ端なんじゃないかな。汝南にいるのは、多分劉辟って奴じゃないかと」

「確か、この近辺を荒らしている中で一番大きな勢力の賊徒ですよね」

「ええ、らしいって話です。ただ、汝南には行けないから、ひとまず州境あたりまででやめておくしかないですね。全面対決するには兵も少ないし、こっちも手詰まりになる。殿が来てからにしないと」

 ただでさえ賊徒の方が数が多い。その中で許周辺だけでもしっかり掃討できたのは大したものだ。ただ、郭嘉はやはり納得していないのか、おもしろくなさそうな顔をしている。

「ま、ひとまずさっき聞き出したアジト潰して、その後は潁陰と陽翟に向かう感じかな」

「潁陰は知人が抑えているはずですから、そう難しくないと思いますよ。陽翟の方は……」

「聞いた話だと、地元の士人が何人か話し合いながら城市を治めてるって話です。そっちも多分、大丈夫じゃないかな。だから本当、あとはどう賊徒を追い払うかですよ」

 賊徒討伐って面倒ですよね。

 ぼやく郭嘉の声音には、まだ少しいらだちの音がにじんでいた。

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