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軍師の心情 ~曹操の軍師たち~  作者: 西本夏
3.兗州平定
46/64

46:<郭嘉編>出立の前に

潁川出発の前の閑話休題的なお話です

 翌日幕僚の前で潁川へ別動隊を動かすことが正式に発表された。

「総大将は夏侯惇、副将に曹昂、補佐に郭嘉をつける」

 曹操がそう告げた瞬間、曹昂は目を丸くしていた。聞かされていなかったのだろう。

「よいな、子修。お前は奉孝をうまく使って潁川の賊徒を平定するのだ」

「は、はい! 必ずやお役に立って見せます!」

「うむ。他に潁川に同行するのは于禁、満寵。他に、青州兵を一万預ける」

「青州兵を?」

「連中も、一度俺の指揮を外して動かしてみたいと思ってな。これは奉孝に任せる。奉孝、よいな。指揮する者にはお前を俺だと思って従うようにと言ってある」

「かしこまりました。いいですね、青州兵。戦術の幅が広がりそうで」

 思わず口許が緩むのだが、それを周囲の幕僚が白い目で見ていた。青州兵は何かと問題を起こすことも多く、苦手とする武将は多い。ただ、その分歩兵としては申し分ない精強さがある。

「潁川に巣食っているのは黄巾賊の残党だという話だ。複数の勢力があり、数は総勢で十万を超えるとも聞く。同じ太平道を奉じる青州兵がまた違った意味で役立つこともあるだろう。ひと月以内に出立し、必ずや平定するのだ。そして残る者たちは必ず今年中に雍丘を落とす! よいな」

 曹操の通達以来、郭嘉は雍丘攻略からは外れることになった。

 同行する武将は決まっているので、どの隊を連れて行くかも大体決まる。後は青州兵を率いる武将格の男と挨拶をし、夜は夏侯惇と曹昂と共に作戦を練ることになった。

 郭嘉としては、潁川へ行くのが楽しみでしようがなかった。

 なかなか落ちない雍丘も心配は心配だが、それでも大軍を任されたことは大きい。しかも、相手は賊徒だ。呂布ほど気を張る相手でもない。

 今まで曹操の用兵を見て、大体の兵の動かし方はわかるつもりだ。自分がどこまでできるか、ひたすら楽しみでしようがなかった。

 この後、数日調練をしてから潁川に向かうことになるのだろう。明日からの調練さえ、郭嘉は楽しみで内心沸き立っていた。

 だから、だろうか。その夜、夏侯惇と曹昂と共に打ち合わせをしていると、曹昂がしみじみと言った。

「郭軍師は本当すごいですよね」

「は? 何がです?」

「二万という大軍をいきなり任せられたのに、気負いなど全くなくて。うらやましい限りです。私はいきなり大軍を預かることになって、正直、気が重くて」

 重圧からか、曹昂の表情は硬い。しようがないなと穏やかに見つめる夏侯惇は無言だ。ならば、慰めるなら自分が声をかけねばならないだろう。

「大丈夫ですよ。すぐに慣れますって」

 心の底からそう言ったのだが、曹昂は力なく笑って「だといいのですが」とつぶやき、隣の夏侯惇はあきれたように苦笑するだけだ。

「ま、誰もが一度は通る道だ。慣れるしかない。安心しろ。いざとなれば郭軍師がどうにかしてくれるさ」

 夏侯惇が勝手なことを言い、慰めるように曹昂の肩を叩いていた。




 出立前日、郭嘉は曹操の言葉に従って、医師の診察を受けていた。

 以前寝不足で倒れてからというもの、曹操は十日に一回は必ず軍医の診察を受けろ、と郭嘉に命じた。あれ以来特に変わったことはないのだが、逆らう理由もない。郭嘉はおとなしくその言葉に従っていた。

「問題なさそうですね」

 脈をとっていた手を放し、医師は次に郭嘉の喉に触れ、下瞼をめくった。

「血の気は普通、男であれば戻りやすいものなのですが、郭軍師はいつまでたっても貧血ですね。ちゃんと食べておられますか?」

「出てきたものはちゃんと食べてるつもりだけど」

「陣中では、十分な血の気をといっても難しいものがあるかもしれませんね。武将方のように、狩りをして獣を食すということも難しいでしょうし」

「たまにおこぼれはもらうけど? 特に殿が、しつこいくらい俺に肉を食えって」

「それは、私が申し上げたからでしょう。血を作るには肉。郭軍師には肉を食べさせねばなりませんと申し上げたことが」

「あー、なるほどね」

 医師は淡々としているが、腕は確かだ。傷口を縫った時もそうだが、言葉は理路整然としていて常に冷静かつ的確。こうして診察のたびに雑談する限りでは、医術や薬に関する知識もかなりのもののように感じられた。

 聞けば曹操と同郷で、彼が見込んで連れてきたのだという。そしてまた、軍医も軍の中という特殊な状況を学びの場にしているらしい。

 陣中ではとにかく怪我人はひっきりなしに発生するし、大勢が共同生活するせいで、場合によっては病が流行ったりすることもある。怪我や病を治療する実験にはちょうどいい場所というわけだ。診察ついでの雑談で、彼が密かに熱を出した兵士たちで薬を試したり、はたまた死体を解剖して体の造りを調べたりしているのだと知った。

 もちろん、そのすべては曹操が許可を出していることだ。

 一般的には医術は方術の一種で、下賤な人間がすること、とされている。医者の地位は低く、もし彼がそうやって薬の実験をしたり死体を切り刻んだりしていると知ったら眉を顰める者も多いだろう。

 だが、曹操は違う。医術が発展すれば世に貢献すること大なので、支障のない範囲ならば実験でも解剖でもなんでもすればいい、と言ったらしい。

 彼は曹操のそういうところに感銘を受け、彼は彼なりに、曹操の天下を願っている。そしてまた、医師と医術の地位向上もだ。

「そちらの軍には弟子を二人同行させます。診察は続けさせますので、郭軍師も嫌がられませんように」

「ああ、そうなの? 俺、あんたと雑談するの楽しかったのにな」

「また合流すればお会いすることもあるでしょう。私も郭軍師の体には興味があります。虚弱と言われながらその歳まで生きながらえておられる。もし途中で倒れたり体調が悪くなることがあったらぜひそれを覚えておいてください。あなたがどういう基準で体調を崩し、どうやって体を保っているのか非常に興味深いものがありますから」

「俺は実験台かよ」

 笑って返すと、医師もほのかに口元に笑みを浮かべた。

「さようでございます。医の話をして、自分も解剖がしてみたいなどとおっしゃるお方だ。当然ご自身の体にも興味がおありでしょう」

「まあ、そりゃね」

 俺の体でいろいろ試してみればいい。そんなことを医師に言ったこともあった。ただ、それは断られてしまった。実験は失敗することもあるので、郭嘉のような身分の高いもの相手に危険な実験はできない、と。解剖にしてもそうで、死体や人の血液には病が潜んでいる可能性があるので、貴人は触れるべきではない、と彼は言った。

 血や死体に触れると穢れる。一般的にそんなことを言うが、医師が実際に病になる可能性があるからやめた方がいい、というと、そんなぼんやりとした穢れとやらが、実は合理的な経験によって人々に広められたものなのかもしれないと思ったりもする。医の知識に触れるのは郭嘉にとっては大変楽しいことだった。

「ほんと、こんな面白くて役に立つことなのにさ、医術ってばかにされすぎだよな。俺はもっと医者とか医術の地位は高くていいと思うんだ。それこそどんなお偉いさんだって、最後には長生きしたいって医者にすがるんだから。医官だってさ、もっときちんとあっていいと思うんだ。今は皇帝陛下の近くに何人か侍医がいる程度だろ? それを県ごとにきちんと腕のいい医官を置いて組織だって民を治療するとかさ。ついでに市井の胡散臭い(まじな)いじみた医者もどきを取り締まって禁止にするとか」

「いつか、そのようになればいいのですが」

 医師が淡く微笑む。その笑みはどこか諦念がにじんでいるようでもあった。

「ただ、難しい問題ではあります。(まじな)いの如き気休めでも、案外それで病が治ったりすることもあるのです。薬だと言ってただの水を飲ませても治ってしまうこともある半面、我らがきちんと効果があると思って渡した薬を飲んでも効かずに死んでしまうこともある。そこにどのような違いがあるのか、確たるものをお見せできるようにならなければ、なかなかそういったことは難しいでしょう」

「そう思うと人の体って不思議だよな。本当に病は気からみたいなのもあるのかもな」

「多分に。いずれ、そういったことが解明され、医によって救われる人々が増えるといいのですが。そのためには、曹操様や郭軍師のような理解のある方に天下を治めていただかなければなりません。私はそれに、微力ながら尽力するだけです」

 最後に医師は郭嘉に薬湯の材料を渡し、ご武運を、と言って拱手した。




 雍丘攻めの本隊には曹操直下の青州兵四万と、夏侯淵・曹仁が率いる一万余りを残し、潁川方面には夏侯惇が率いる一万ほどと青州兵一万ということになった。潁川組の将校は中堅どころは于禁のみで、あとは曹昂を含めほとんどが若手だ。夏侯惇軍が他より恵まれている点は郭嘉がいる、ということくらいか。

 単純な振り分けだけ見れば、やや夏侯惇の軍に不安があるというところだ。だが、夏侯惇は別のところに不安を感じていた。

「本当に、この陣容で行くのか?」

「不満か? 確かにお前のところに経験のある将が少ないのがやや心配ではあるが、まあ奉孝がいるからなんとかなるだろう」

 そこではない、と言いかけ、夏侯惇は口をつぐんだ。

 雍丘に籠る張超は、ある意味では一連の反乱の首謀者だ。彼が妙なことを考えなければ、濮陽を奪われることも陳宮が背くこともなかったかもしれない。

 そう、張邈と対立することも――。

「奉孝は嬉々としておったわ。見知った地形で新しい陣形や策を試せるかもしれない、とな。あいつはまったくもって戦のこととなると実に頼もしい。子修に指揮をとらせることに不安などかけらもないようだ」

 くつくつと笑う曹操を見ていると、ここで張邈の話を持ち出して彼の機嫌を損ねることは気が引けた。結果として張邈が殺されることになって、曹操が今どういう心境なのか。

 もしかしたら、また雍丘で大虐殺をやらかしてしまうのではないか。

 そんな懸念がどうしてもぬぐい切れない。

 そんな不安を強く感じるのは、彼がまるで狙ったように将の配置を決めたことだ。

 いざとなれば曹操に諫言できる者となると限られる。

 夏侯惇か荀彧が一番強く諫言でき、次いで曹洪、郭嘉というところだろう。ただ曹洪と郭嘉は最終的には曹操の意向を尊重しがちなところがある。そして曹操に付き従うことになる夏侯淵と曹仁は、曹操の命には絶対服従だ。皆殺しにしろと言われて逆らうことはないだろう。

 曹洪と夏侯惇は別動隊で、荀彧は陳留近辺の内政を整え次第潁川組に加わることになっている。

 雍丘で曹操が暴走したら、止める者がいないのだ。

 ここでまた雍丘で大勢を殺してしまったら、更なる汚名を着ることになるのではないか。

 その懸念はどうしてもぬぐい切れない。かといって、曹操がそうするとも限らない。彼も徐州であれだけのことをして、再び同じ過ちを繰り返せばどうなるかくらいわかっているはずだ。多分。

 言うか、言わないか。

「俺が言いたいのはそこではない。お前の部隊の話だ」

 迷っていたが、夏侯惇の言葉に顔を上げた曹操の表情が冷たい無表情だったのを見て、夏侯惇はそれ以上言うのを、やめた。

「雍丘を攻めるに五万は少ないのではないか? ただでさえこのふた月、落とせていないのだぞ」

 あえて違う方向に話を振ると、すぐさま曹操の表情は和らいだ。

「お前は孫子を知らんのか。用兵の法は、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻める。優に城内の十倍の兵はいるのだ。いくら地形の不利があるとはいえ、敵ではない。ましてや、こちらに着いてから兵は余り気味だった。心配ない」

「お前がそこまで言うなら、まあ」

「むしろ元譲、お前こそ気をつけよ。奉孝は実に読みの鋭い男で、あの軍略の才に欠けたるところはないが、それでも時々読みが外れることがあるかもしれん。以前一度予想が外れた時があってな、あの時、奉孝はかなり動揺していた。戦場にいれば予想が外れるなどいつ起こってもおかしくない話だが、あ奴は出来すぎるがゆえにその当たり前のことに慣れておらん。もし奉孝の予想が外れ、動揺するならお前が収めるのだ」

「承知だ。まあ、そんなことないことを祈るがな」

 言うかどうかまだ迷って、夏侯惇は最後に一言、曹操をじっと見つめて言った。

「お前も気をつけろよ。張超は多分、決死の覚悟で抵抗してくるぞ」

「ふん、わかりきったことを。お前に気をつけろなどと言われるほど落ちぶれてはおらんわ」

 こんな悪態もいつものことだ。

 曹操は冷静さを欠いてはいない。あとはこれが雍丘を落とすまで続くことを祈るしかなかった。

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