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軍師の心情 ~曹操の軍師たち~  作者: 西本夏
3.兗州平定
45/64

45:<郭嘉編>星の下

雍丘攻略を始めるものの、城はなかなか落ちない。曹操は別動隊を動かすことに

「申し訳ございません!」

 しばらくして、曹丕を引き取りに来たのは卞夫人その人だった。

 華奢なのに、出るべきところは出ている。凛とした美貌だった丁夫人とは対照的に、卞氏はいかにも優しげで、母親らしい包容力のようなものも感じさせた。もちろん相当な美貌には違いなく、服の上からでもわかる女性らしい曲線美とあいまって、人妻の色気のようなものがしっかり感じられる。

 ――もろ殿の好み、だよなぁ。

 何度か曹操が気に入って手を付けた女官を見たことがあるが、大体痩せているのに出ているところは出ている女性だった。

 彼女は室まで小走りでやってくると、入り口で深々と両手をついて平伏して見せた。次いで顔を上げ、申し訳なさそうに曹操を見上げる、その眼差し。

「わたくしの不行き届きで殿にご迷惑を」

 今にも泣きだしそうな顔は、世の男ならすべからくよろめきそうな哀れな色を含んでいた。

「気にするな。というより、そなたにはさみしい思いをさせていたのだな。すまぬ。早く環氏に子を作ってやらねばとそればかり考えていて」

 卞氏に近寄ると、曹操は彼の手を取って話し始めた。曹操も、気に入りの夫人には優しい。こうしてみると、君主と側室という関係ながら、二人は仲睦まじい夫婦そのもののように見えた。丁夫人の時とは大違いだ。

 ちらと二人の傍にいる曹丕を見ると、なぜか彼はまだ面白くなさそうな顔をしていた。こうして父と母が仲睦まじくしているのに、不満なのだろうか。

 じっと見られていることに気づいたのか、曹丕は郭嘉と目が合うと、ぷいと目をそらした。そんな仕草はかわいらしい子供そのものだ。

 結局曹操は夫人を部屋まで送ることにしたようだ。しばし出る、と言って夫人と曹丕を連れて出て行ってしまった。

「災難でしたね」

 曹操がいなくなると荀彧が話しかけてきた。

「ええ、びっくりしましたよ。黙ってりゃかわいいのに、いきなり襲い掛かってくるから」

「曹丕様は卞氏の長男なのですけど、ものすごく利発な半面、いたずらが多くて。わたしも何度か被害を。あなたと同じこと、言われたこともありますよ」

 くすくすと荀彧が笑う。

「あの子、どこまでわかってんのかな? 俺たちが殿と夜一緒にいるのと、夫人が殿と一緒にいるのが意味違うってこと」

「さあ、どうでしょうね」

「でも、すごく頭はよさそうですよね。俺、わざと小難しい言い方したのにちゃんと理解してたし、自分でも結構難しい言葉使ってるでしょ。あんな子供なのに」

「曹丕様は八歳ながら、もう書をすらすら読めると聞いていますよ。教師たちが舌を巻くほど覚えがいいとか。加えて、仔馬ならもう乗りこなせるほどで、剣技も弓術もなかなかだそうです。最近は騎射の練習をしているとか」

「すごいな」

「ところが、利発すぎるのか、いたずらが過ぎて、あちこちから苦情が。まあ、もう少し大人になればそのあたりは落ち着くだろうと思いますけどね」

 きっと、さみしいのだろう、と郭嘉は思った。

 妾の子なのだ。いくら夫人が曹操の寵を得ていると言っても、嫡男とは扱いも違うだろう。構ってほしくていたずらをしているという可能性もありうる。その辺は、嫡子で側室もいない荀彧にはわからないことだろうな、と思った。




 夏も終わりに近づいたころ、郭嘉は曹操に従って陳留へと向かった。

 陳留は既に恭順の意を示してはいたが、曹操が入城するのは初めてだ。多少構えていたのだが、いざ入城してみれば、心配など全く必要がなかった。

 城門の前にいた官吏たちは、曹操が到着するなりその場で平伏して見せた。

「お待ちしておりました」

 城門の前で並んで平伏する文官、というのも奇妙な光景だ。

 曹操は馬上からそれをしばらく眺めた後、静かに言った。

「貴兄らの賢明な判断に感謝する。ひとまず顔を上げよ。こんなところで話し込むのもなんだ。中で話を聞く」

「は、ありがとうございます」

 文官たちは立ち上がり、曹操軍を先導し始めた。

 城市の中に入ると、通りに居並ぶ民は不安そうに曹操を見上げていた。ただ、少し視線を遠くに向ければその裏でせわしなく日常の生活を送る人々が見える。今まで通ってきた戦の臭いの濃い城市よりはずっと平時に近い落ち着きが感じられた。

 府の中に着くと、文官たちは曹操を上座に座らせ、彼ら自身はその前に並んで平伏した。

「我ら陳留の官吏一同、曹将軍の支配を受け入れ、今後は御身のご命令に従います」

 官吏たちはそう言って、用意してあったらしい竹簡の山を曹操に差し出した。陳留内の備蓄や官吏の一覧のようだ。

 形式的なやりとりがいくつか続いた後、官吏たちはこれまでの経緯を話し始めた。

「我らは張邈様の仁に基づく統治に大変感銘を受けておりました。そして、戦にすぐれぬ張邈様が、かつて賊徒討伐のために曹将軍に救援を求め、将軍の軍がこの周辺を鎮撫してくださったことも、よく覚えております」

 陳留も一時期は賊徒による略奪があったようだが、張邈の要請を受けた曹操がそれを跳ね返したのだという。そして徐州の一件の後、張超がやってきた。

「曹将軍が徐州に攻め込まれてからしばらくして、張超がこちらにやって参りました。奴は何度も曹将軍の、ざ、残虐性を声高に叫び、あんな男に与するべきではないと皆に言っておりました。ただ、張邈様はそれを良しとはせず、一度将軍の下に向かわれたものと記憶しております。しかし、戻ってこられた張邈殿は、言葉少なで……」

 官吏はちらちらと曹操の反応をうかがいながらしゃべっていた。曹操はといえば、高座の椅子に片肘をついたまま、表情一つ変えずただ淡々と聞いているだけだ。

「そこに呂布が来て、陳宮がやってきたこともございました。我らはてっきり陳宮は曹将軍の遣いとして来たものと思っていたのですが、どうやらそうではなかったようで。陳宮が去ってしばらくした後、張超は準備を始めました。張邈様の妻子を雍丘へ移し、戦の準備を始め、我らには最初『徐州に出征する曹操様の援軍なのだ』と偽っておりました。ところが、呂布と張邈殿が濮陽に向かった後、反乱が起こり……。我らは訳も分からぬままここに残った張超のいいなりになるしかありませんでした。張邈様が呂布に加担したと噂が聞こえてきても、にわかには信じられなかったのです。そのようなこと、あるはずがないと」

「張超ははっきりと私を殺すとでも言っていただろう」

「そ、そうは申しておりませんでした。兗州を正常な状態に戻し、張邈殿を戴いて天下を糺すのだと。我らは訳も分からぬまま、城内で募兵する張超を見ておりました。張邈様とは連絡が取れず、言伝もありません。張超が、これが張邈様の望むことだと言えば、そう信じるしか……。しかし、濮陽から呂布が移動したころから、おかしな噂が聞こえてまいりました。呂布が各地で略奪を働いていてると。しかも、そこに張邈様も一緒にいると。そんなことは、ありえません! あの方はそんなことを許すお方ではない! そこで我らはようやく張超の野心を知ったのです。兄である張邈様を利用し、呂布と結託して兗州を我が物にしようという」

 悔しそうに官吏は言っていた。それを聞きながら、郭嘉は張邈がいかに善君として彼らに尊崇されていたのかを感じた。多分、彼は張邈が呂布の略奪を止められなかった、などと考えもしないのだ。実際の張邈は呂布を止めることもできなかったというのに。

「そして先ごろ、張邈様が、こ、殺されたと聞きました。呂布が、用済みとばかり手をかけたに違いありません! 我らは文官ばかりで荒事には向きませんが、それでもなんとかせねばと、結託して張超をなんとか追い出した次第です」

「で、張超は雍丘に拠った、と。いっそここにいてもらった方がやりやすかったように思うがな」

「えっ!?」

 曹操のつまらなそうなぼやきに、官吏は顔を真っ青にしている。

「ただ、貴兄らの判断で陳留の民は守られた。そこは評価しよう。引き続き陳留のことはそなたらに任せるつもりだが、太守はこちらの任じた者になる。また、治政のやり方もこちらに従ってもらう。詳しくは後ほどやってくる荀彧に聞け」

「は、ははっ」

 はじかれたように官吏たちが平伏する。曹操を見ると、彼はまだ感情の読めない表情でぼんやりと官吏たちを見下ろしていた。いかにも不満げなその表情は、きっとしばらく官吏たちを怯えさせるだろうと思った。




 ほどなくして一行は雍丘攻めに向かった。

 城から数里離れた陣営から見上げた雍丘の城は、確かにいかにも戦のために作られた城塞という感じだった。城は小高い丘に建てられていて、攻城兵器を城門まで進ませるにはかなりの困難が伴う。傾斜はそこまできつくはないが、平地で兵器を運ぶようにはいかないので人手も多くかかるし、城からの弓は高低差で威力も射程も増す。弓の雨をかいくぐって攻城兵器を近づけるのは相当な至難だった。

 雍丘は古都開封を守るには絶好の位置だっただろう。開封を攻める前に雍丘を落とそうとすれば、手間取って開封からの援軍が来て叩かれる。逆に雍丘を素通りすれば開封に着いた頃に雍丘の兵から攻められて叩かれる。絶妙な位置だ。古代の人々がここに砦を築いたというのがよくわかる。

 なんとか梯子を城壁につけようとしてみたりしたのだが、結果ははかばかしくなかった。

 ひと月経った頃、曹操は曹洪に一軍預け、各地の鎮撫に向かわせることにした。主に行き先は西だ。陳留の西はもう司州で、洛陽へ通じる道がある。後々を考えて洛陽までの道を抑えようという意図があるのだろう。

 それは郭嘉も賛成だった。今雍丘に大軍を置いておいても、遊ばせてしまうだけだ。

 攻囲を始めてふた月経つ頃には、曹操は別のところへも目を向け始めていた。間者を潁川に向かわせ、状況を探らせているらしい。近い将来、曹操が潁川へ向けた一軍も動かそうとしていることは明らかだった。そのために攻城に加わらない兵は陣営の近くで調練も繰り返している。

 ただ、攻城そのものは依然として難航していた。

 攻城兵器を城門に取り付けようと思っても矢が雨のように降ってきてなかなか進められない。なんとか矢の雨をかいくぐって梯子を取り付けても、上から火をかけられたり矢を射かけられたりでなかなか城壁を越えるまでには至っていなかった。

 朝廷からの使者がやってきたのはそんな中のことだった。

 幕舎の一段高いところに朝廷の使者が立ち、曹操はそのすぐ前に膝をついて平伏している。使者は長々しい口上の後、持ってきた勅書を開き、曹操を兗州牧に任ずる、と言った。

「兗州牧? って」

 何を今更。

 他の幕僚と共に脇に控えていた郭嘉は思わずつぶやく。それに、隣に立っていた夏侯惇が小さくささやき返してきた。

「今まではあくまで自称だ。これで、孟徳は朝廷から正式な兗州牧として認められた、ということだ」

「へえ」

 今更朝廷のお墨付きなんてなくても。郭嘉はそう思うが、世間的にはまだ朝廷から任じられた、ということにありがたみを感じる者もいるだろう。幕僚だけでなく、兗州の民にもだ。

「謹んで、拝命いたします」

 曹操は仰々しく勅命が記された巻物を受け取っていた。多分、あれは勅使に対する正式な儀礼なのだろう。

 やり取りが終わって曹操が立ち上がると、勅使はもう一つ勅書を取り出して言った。

「ついては、陛下より貴殿に内々に命を下す。陛下は近い将来、洛陽へのご帰還を望んでおられる。しかし、洛陽近辺は董卓に焼かれて以降賊が跋扈している有様だ。しかも、洛陽にほど近い潁川・汝南でも賊が幅を利かせているという。ついては、そなたらに洛陽近辺、及び潁川・汝南の賊徒討伐を頼みたい」

「賊徒討伐、でございますか」

「そうだ。できるか? 陛下のご意向に沿ったとなれば、当然そなたに相応の官位がくだることもあろう」

「かしこまりました。近いうちに、必ずや」

「頼むぞ」

 本来なら勅使をもてなすところらしいのだが、陣中ということで、勅使はそのまま帝の元へと戻っていった。

「帝直々に賊徒討伐を命じるなんて、そんなひどいんですかね? 俺がいたころはそこまでじゃなかった気がしますけど」

 勅使の姿が見えなくなってから郭嘉が言うと、曹操が嘆勅使がいた一段高いところに上がり、そこにあった椅子に腰かけた。

「潁川に賊徒がはびこっているのは事実だな。だが、勅使のあの言葉はおそらく文若の手回しだ」

「え、文若殿の? って」

「潁川にむやみに攻め込むより、朝廷から賊徒討伐の命を受けて、とする方がなにかとやりやすかろう。兗州牧への推挙のついでにそういう方向に話を持っていくよう工作する、と言っていたな。三月ほど前か」

「さすが」

 荀彧はおそらく帝の近くで手を回せる誰かがいるのだろう。顔の広い彼のことだ。皇帝の側近に知り合いくらいいても不思議ではない。

「じゃあ、これで大手振って潁川行けますね。どうしましょうか? 雍丘攻略はもう少しかかりそうですけど」

「別動隊を動かそう。そうだな、元譲、大将はお前だ。編成は追って通達する」

 椅子に片肘を突きながら曹操が言うと、夏侯惇はうなずいて拱手した。それにうなずき返し、曹操はまた嘆息する。

「こんな小城一つ落とすのに手間取っている場合ではない。奉孝、今一度妙案はないかよくよく考えよ」

「かしこまりました」

 うなずいて拱手したものの、それができるなら苦労はしない。

 その夜、郭嘉は物見のために作られた櫓の上で、じっと雍丘の城を見ていた。かがり火の焚かれた城壁の上はそこそこ兵士もいるように見える。二カ月たった今も、雍丘の士気は衰える気配はなかった。

 今は十月で、じき寒い季節に入る。それまでには片をつけたいところだが。

「何か名案でも思い付いたか?」

「殿」

 気づくと、曹操が櫓に上がってきていた。その眼差しがじっと雍丘を見つめているのを見て、郭嘉は首を振った。

「いえ、まだ。ただ、今、兵に大盾を改良するように言ってあります。薄い木の板二枚を重ねて、その間に薄い鉄の板を挟んでなんとかならないか試させてるんですけど」

「それに意味はあるのか?」

「木の板二枚でも、弓は通りにくくなります。ただ、それだとさすがに強度が不安かなと思って試してみてるんですけど、重さの問題もあって。あと、薄い鉄の板作るのにも手間が。できれば一人で運べる重さにできればと思ってるんですけど、だめなら攻城兵器を近づけるときに複数人で持たせてもいいかと思ってます」

 弓さえ防げれば、手間と人手はかかるが攻城兵器を近づけることも不可能ではない。

「あとは、梯子を上るときに身を守る盾があればとは思ってるんですけど。さっきの盾を小型にして、兜にくっつけるとかして、手を使わずに持てれば梯子を上れるかなあとか」

「上から火をつけられたら終わりだろう」

「それも、梯子と盾に水を充分にしみこませて持たせればある程度はいけると思ってます。ただ、上から油でもばらまかれたらどうしようもないんですけど」

 ふむ、と曹操がうなずいた。

「俺も、色々考えた。今は昼間だけ攻めているが、例えばこれを三交代制にして昼夜なく攻め続ける。となれば中の兵は疲弊しよう。根を上げるのが少しは早くなるかもしれん。あとは、正面から盛大に攻めて、その隙に裏の城壁をこっそり登らせ、内から城門を開けさせる、などだな。だがこれは余程腕の立つものでないと。しかも、危険も大きい。腕の立つ武将を失う覚悟がいる。となると、さすがにな。そこまでの犠牲は払いたくない」

「そうですね、確かに。ただ、いずれは力尽きると思うんですよ。近づけば弓が雨みたいに降ってくるけど、弓だって無限じゃないでしょう。備蓄があるといっても、ここ最近の飢饉から考えればそう潤沢にあるとも思えませんし」

「わかっている。だが、それでは時間がかかりすぎる。何か、あればとは思うが」

 二人でただじっと雍丘を見つめる時間が続いた。沈黙が降りても、特に何かしゃべらなければと焦ることもない。とはいえ、名案が浮かぶわけでもない。郭嘉が嘆息して櫓に体を預け、天を仰ぐと、星の瞬く夜空が目に飛び込んできた。篝火が近くにないせいか、妙に夜空がきれいだ。すると、曹操がふっと笑う気配が伝わってきた。

「憎たらしいほど夜空がきれいだな」

 同じことを思ったらしい。郭嘉もつられてかすかに笑った。

「はい。こんな状況じゃなきゃのんびり眺めてもいいでしょうけど」

「こんな状況だからこそ、だろう。煮詰まった時は別のことをするとふと名案を思いついたりする」

「はは、だといいんですけど」

「若いころ、天文にはまったことがあってな」

 しばらく夜空を見上げた後、曹操が同じように櫓に体を預け、天を見上げながら言った。

「星を見れば天命がわかるという。面白いではないか。丁度腐った狸に嫌気がさして官を辞していたころでな。よく子修を連れて夜に城市から抜け出して、一緒に草原に寝そべって星空を見上げたものだった。子修に教えるように天文の話を延々してな。翌朝邸に戻って、丁氏にぐだぐだと文句を言わたものだ」

「へえ」

 曹操は多才な男だ。天文に興味を持つこともありそうだと思った。

「天命はわかったんですか?」

「いや」

 曹操が笑って首を振った。

「まったくわからん。ただ、星は季節によって位置を変えるのだ。農民はそれで耕作の時期を決めるという。だから規則正しく移り行く季節を知るには役に立つが、この先の運命なぞわかるわけもない。そう思うと、しばらくしたら飽きた。結局、運命なぞ自分で決めるものでしかない。そう思ってな」

「殿らしいですね」

「お前は天文ができるのか?」

 問われ、郭嘉は笑って首を振った。

「まさか。俺もそんな占いじみたもんで世の中わかるわけないって思ってますよ。実際天文読みが予言を当ててるところも見たことないですし」

「まったくだ。あんなものは所詮、政治のための後付けだろうな」

 天文が話題になるのは、大抵何かが起こった後だ。そしてその多くは政治に利用される。これは天が望んだことだ、とか勝手な理由にされて。

「時に、奉孝。お前に話があって来たのだ。潁川はお前にとっても郷里。元譲に誰をつけるか考えていたのだが、お前はどうかと思ってな」

「え? 俺が、ですか? それは、否やはありませんが、殿はここに残って雍丘攻めを続けるんですよね?」

 今まで曹操と離れたことはない。意外に思って問うと、曹操はうなずいた。

「そうだ。お前は別動隊を率い、潁川の賊徒を討伐する。どうだ?」

「え、と……? 別動隊を率いるのは元譲殿ですよね?」

「違う。お前だ、奉孝。名目上の大将は元譲とするが、実質お前に指揮を任せる。二万ほど預けようと思っているが、どうだ?」

「えっ!?」

「お前は軍略の知識に関しては十分だが、用兵に関してはほとんど経験がないだろう。お前は最前線で戦うことはできぬし、俺と一緒にいる限りは兵を率いるのは俺になるのも必然だ。だが、何も最前線で戦わずとも兵を率いることはできる。俺はいずれお前に一軍任せたいと思っているのだ。お前に足りないのは経験だ。丁度元譲も以前のように最前線で突っ走ることのできない状況だ。二人で協力し合い、うまく用兵のコツをつかむのにちょうどいいのではないかと思ってな。元譲を使って賊徒討伐をして来い。元譲にはもちろん、そう言い含めてある」

「げ、元譲殿は何て」

「お前ならうまくやるだろうと。お前は目端が利くので全体を把握するのは向いているが、あいつはあいつで、全軍を見回すような広い視点はなかなか持てん。お互い補いあえばちょうどいいのではないか、と俺は思っている」

 曹操が別動隊を任せるのは基本的に親族だけだ。その部下の武将たちも、任されてもせいぜいで五千というところ。それを、名目上の総大将は夏侯惇とはいえ、二万預けてくれるという。しかも相手は賊徒で、場所は土地勘のある潁川。

 戦略を練るだけではなく、兵を動かして戦ってみたいという気持ちは郭嘉の胸に常にあった。だが、郭嘉は前線で武器を持って戦うなんてできないし、到底そんなことは任されないだろうと思っていた。会戦が始まれば、いつも後ろで曹操の指揮を見ているだけだったのだ。

「お任せいただけるのなら、喜んで!」

 思わず叫ぶように言ってしまって、郭嘉は恥じた。曹操はおかしそうに笑っている。

「お前ならそう言うだろうと思っていた。他にも何人か若手をつけよう。うまくやれ」

「はい。あ、それなら殿、子修殿、だめですか?」

「子修を? なぜだ」

「以前、なかなか前線に出してもらえなくて経験を積めない、って嘆いておられたんです。殿は遠慮しないとおっしゃったけど、他の幕僚の方たちはそうもいかないって。経験を積んだ方がいいのは子修殿も同じだと思うんですけど」

 ふむ、と曹操がひげをさすった。考えるときの癖だ。しばらくして、曹操はいいだろう、とうなずいた。

「子修がそこまで思っているのなら、よかろう。では、名目上総大将は元譲、副将に子修でお前はその補佐、ということにするか。だが遠慮は無用だぞ」

「かしこまりました」

「そうだな、子修がいた。あいつもいずれ使い物になればいいが」

 そういう曹操の口ぶりは、どこか嬉しそうだった。

 やり取りを見て、なんとなく曹操は曹昂と仲が悪いのかと思っていたが、案外そうでもなさそうだった。

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