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『グラーツ殿下、いかがお過ごしでしょうか。
近頃は昼夜の寒暖差が激しい気温になっていますので、お風邪を召されませんようお気をつけください。
この度、我が家に新たな執事が加わりました。私が直々に引き抜いた優秀な人材です。今度お会いした時にご紹介させていただければ幸いです。
それでは舞踏祭で会える日を楽しみにしております』
こんな内容でいいか、とペンを下ろす。
「お前んところの影、今私の隣に居るよ」を少しマイルドな文面にした手紙を綴り終えた。
いえーい、グラーツ殿下見てる? まだ送ってないけど。
事後報告となってしまったが、先方から派遣された護衛役を無断で隣に置くよりはまだましだろう。
それにしても影とか。都市伝説と思っていた存在が本当にいた事が驚きだ。
「セバスチャン、この手紙をグラーツ殿下へ。お願いしますね」
「承知いたしました。お嬢様の本日のご予定は、舞踏祭に向けた劇団との合わせ稽古と打ち合わせがございます」
「ありがとう。朝食が済んだらすぐに劇団へ向かいましょうか」
手紙にも書いた新たな執事は、まるで長年共に居たかのように侍ってくれている。
実際そうなんだろうなと考えるとちょっと鳥肌が立ってしまうが。
ちなみにセバスチャンとは私が名付けた。
元々は影の護衛だったのだから本名での活動は厳しかろうと判断しての事だ。
セバスチャンと命名したら絶句されてしまったが「良い名でしょう?」と笑顔でごり押しといた。
セバスチャンは声を震わせながら深々と礼をしていたので、きっといたく感動したに違いない。
名前が不服で泣いたんじゃないはず。気のせいと思いたい。
執事といったらセバスチャンだって、前世で祖母が言っていたのだ。許せ。
そして朗報が一つある。
セバスチャンが執事となってからは、舞踏祭の準備が何もかもスムーズに進むようになったのだ!
地味に上手くいってなかった当家お抱えの劇団との報連相や、後から出てくる地味に面倒なミス、地味な忘れごと、地味な雑用……などなど、地味に困っていた諸々の雑事が綺麗に解消された。
私に足りないのは計画性と洞察力だと常々思っていたのだが、セバスチャンはその欠点を物の見事に補ってくれる素晴らしい男だった。
もう一生離したくない……ずっと側に居ろよ……とスパダリムーブをかましたくなった程だ。
自堕落な女の駄々という指摘は野暮なので、思っても口をつぐむように。
思わぬ逸材を確保できたことで、躓く点も多々あった劇団との合わせ稽古も順調。
これならば予定よりも余裕を持って王都入りできそうだ。
早くも欠かせない存在となったセバスチャンを交えて劇団長とリスケしていれば、息も切れ切れに我が家の従僕が現れた。
「お、お、おじ……おっ、げほ!!」
なんて典型的な息の切らせ方かと感心して眺めていれば、セバスチャンが水を手渡して落ち着かせてやる。
ううん気が利く。本当、影を辞めてずっと執事業に従事てくれないだろうか。
しばらくして息を整えた従僕は水を一飲みし、本題を伝えてくる。
「グラーツ第二王子殿下が領地の本邸へ参られました! お嬢様は急ぎお戻りをとの事です!」
「なんですって?」
手紙は今朝方セバスチャンに預けたばかりだというのに、この早さは一体なんなのか。
ばっとセバスチャンを見遣れば、私にしか聞こえないように耳を寄せ、さらに風魔法で周囲から声を遮断した。一体どんな機密情報を告げられるのかと体が固まる。
「私の他についていた影が、手紙より先に殿下へ報告したものと存じます」
一つの対象に影一人ではないのか。
一人でも影を見つけたら、近くに三十人は居ると覚悟した方がいいのかもしれない。