君の文章に恋をした十月の空は、今日も青い
誤字報告、ありがとうございます。
僕が初めて君の名前を知ったのは、Bという文芸誌の新人賞の頁だった。
君は惜しくも第二席だったけど、第三席の作品まで、そこに全部載っていたから、それこそ貪るように僕は読んだよ。
僕は君の作品が第一席だと思った。
本当だよ。批評でも、僅差だと書いてあったはずだ。
そういえば、あの時、第一席を受賞したN氏は、今では文壇の大物になっているね。
君の作品は、とても女性が書いたとは思えないほどの、骨太の表現に満ちていた。
丸太が濁流に飲み込まれていく場面で、「轟々と唸る濁流は、大人の両腕でも抱えきれないほどの太さの丸太を二本、易々と腹に納めた」なんて、当時の僕にはとても書けなかった。
そう、僕は君の文章に恋をしたんだ。
当時の新人賞の受賞者のプロフィールに勤務先まで載っていたから、僕は君に逢いに行った。個人情報云々が、取りざたされることない時代だったね。
君に逢って驚いたよ。
色白の華奢な女性。
理知的だが、しなやかな笑顔。
文章から受けた印象とは、まるで違っていた。
そのギャップに、僕の胸は高鳴った。
君は新しい作品が出来ると、僕の街まで出向いてきて、真っ先に僕に読ませてくれた。
初めの頃は嬉しかった。いっぱしの評論家気どりで、僕はあれこれ、君の作品に注文をつけた。
だけど。
君の作品を読むことが、次第に僕は辛くなった。
才能の違いを見せつけられたからだ。
それなりに文学修行を積んだと思っていた僕だったが、君の感性にはどんどん追いつけなくなった。
ある時、君は僕に言った。
「どうしようかしら。本当に作家になりたいなら、面倒みるとA先生が言ってくださるの」
僕は息苦しくなった。
君の才能が花開くことを、後押しするべきだという心の声が、一瞬で消えた。
僕は嫉妬した。
君の才能に。
君を育てようという作家の存在に。
「そんなの、ダメだ!」
君はびっくりして僕を見た。
「だって、君は僕と結婚するのだから」
それから一年後、僕たちは結婚した。
人前結婚式が珍しい時代だったね。地方紙が取材にも来た。
結婚しても、創作は続けていいよと僕は言った。
でも、君は微笑んで僕に言ったね。
「しばらくは、子育てに専念するわ」
そう、すぐに長女の紫が生まれたんだ。
嬉しかった。
目を細めて授乳する、君を見ることが。
紫は手のかかる子だった。
我儘で勝気で、でもそこが可愛い。
紫は、作文や読書感想文が得意で、よく学校の代表に選ばれていたね。
才能も外見も、紫は君に良く似ていた。
君が生きているうちに、紫の花嫁衣裳を見せてやりたかったよ。
そのうちに、紫の下にも、子どもが出来た。
和生は生き物にしか興味のない、僕にも君にも似てない子どもだった。
長い闘病を経て、君が亡くなる直前に僕は懺悔をした。
「君の才能を、伸ばしてやれなかった。ごめんな」
君は微かに首を振り、僕の手を握ってくれた。
「私が自分で選んだ道よ。今まで夫婦でいてくれて、ありがとう」
十月の晴れた日、君はこの世を去った。
僕は、いまでも……
◇◇◇◇◇
十月のある日、実家に残っていた遺品を引き取るように、親戚から連絡があった。
遺品とは、段ボールひと箱ほどの、大学ノートの束である。
母の看病をしていた父の、日記のようであった。
いちいち中身を見ることなく、庭の片隅で燃やすことにした。
ノートの間から、はらりと一枚の紙が落ちた。手に取ると父の字で、「弔辞」と書いてある。
母の葬儀の時の弔辞だろうか。
記憶では、二言三言で終わったのだが。
「君の文章に恋をした」
その一文を目にした時に、思わずむせた。
紙が燃える煙を、吸い込んだのだろうか。
さらに読めば読むほど、皮膚が痒くなった。
誰のこと書いてるの?
ていうか、書いたの誰よ。
父と母の馴れ初めは、幼い頃に聞いていた。
母がセミプロレベルの物書きだったのも知っていた。
母が賞を取ったという文芸誌も、見た覚えがある。
しかし。
文章を綴る時に、そうであって欲しいものしか、人は書けなくなるものだろうか。
だいたい、姉に関しては、それなりに記述があるが、私に関しては三十二文字で終わってるぞ。和歌ですか。似てないっていってもさ、小学生の頃は、小説もどきを書いていたのだ。
「私は侯爵令嬢マロニエ」みたいな、冒頭文を見た母の目は厳しかった。
「一人称で書く小説は『私小説』といって、一般的な小説とは違うもの」
そう言った。
母の視線はまさにメデューサ。以来、私は一人称の小説が書けなくなったのだ。
これを弔辞で読まなかった、父の最後の良識は誉めてあげよう。
その弔辞の下書きの紙も、迷うことなく焼べる。
紙はあっと言う間に白い灰になる。
リアルシーサーみたいだった父は、母を愛しながらも、その才能に嫉妬していたのか。
なんて
面倒くさい……
まあ、今更どうでも良い。
母の後を追うように、父も、更には姉も、黄泉路へと旅立った。
三人で完結していた家族だったのだろう。
十月の空に吸い込まれていく煙を、私はしばらく見つめる。
そろそろ一人称で、小説が書けそうな気がする。
母親亡きあと、父親と姉に翻弄される妹が、復讐する物語、なんてね。
お読みくださいまして、ありがとうございます。実体験をもとにしておりますが、フィクションです。
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