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1.プロローグ

(…なに、これ)


 目の前の惨状に、少女は愕然とする。

 血溜まりに煤汚れた姿で横たわっている弟のコリー。その左腕は無く、左足もあり得ない角度で曲がっている。

(なんで!)

 ついさっきまで「夕食楽しみだね」なんて笑い合ってたのに、コリーは苦痛に歪んだ青白い顔で泣いている。

「う、あ、おねぇ、ちゃん」

 あれだけ騒がしかった街の喧騒が一気に消え、か細い弟の声だけがはっきり耳に届いた。少女は慌てて近寄ると残った弟の手を取り、額の汗を拭ってやった。

「コリー、おねぇちゃんはここよ。大丈夫、大丈夫だから!」

 秒単位で夥しい量の血が地面を濡らしているというのに、無意識のこの言葉はどちらを安心させるものだろう。

「おねぇ、…おねぇ、ちゃん」

「コリー!コリー!」

 こちらの声も手の感触も気づけないのか、コリーは細く弱弱しい声で姉である少女を呼ぶだけだ。

 少女と同じ橙色の瞳は何も見ておらず、小刻みに震えている小さな身体は、明らかに死への道を走っていた。


 見ていられなかった。見たくなかった。

 強く目を瞑り、少女は願う。

(神様、精霊様!どなたでも構いません!どうか、どうか弟を!コリーをお助けください!)

 平民の少女たちの声など神様には届かない。だから、願ったところで叶うわけない。心の片隅で、冷静な自分が常識を囁く。「神への祈りは無意味だわ。弟のコリーは、もう直ぐ死んじゃう」と。

(違うわ!助かる!いいえ、助けるの!)

 首を振り否定し、ただ無心で強く願う。

(神様!精霊様!お願いですっ!弟を助けていただけるなら、私の全てを差し出しますからっ!!)



『なら、これを貴女にあげるわ』

 不意に聞こえた妖艶な女性の声。それに反応するよりも早く、少女の胸元が急に温かくなった。驚いて目を開けると、少女の周囲に淡い光で紡がれた文字や文様が幾つも浮かんでいる。

(なに、これ)

 圧倒的で幻想的なその光景に、先ほどまでの焦燥感さえ忘れて少女は息を潜め、魅入る。

(きれい)

 上に下にと流れている幾つかの幾何学模様。引き付けられるように希望を求めて少女は手を伸ばした。

 触れた途端、膨大な量の風景が、人々が、感情が少女の意識に流れ込んできた。処理しきれない情報量に、頭が痛くなる。

 それは何処かの誰かの一生。


(これは私?)




◇◇◆◇◇ ◇◇◆◇◇



 前世というものを思い出したとき、ソフィアの瞳から涙が零れた。


 前世のソフィアは秋田舞という異世界の女性だった。サラリーマンの父とパートタイムの母、社会人の弟がいる、平凡な社会人だった。

 通勤の都合で一人暮らしをしているが、両親や弟とは良く連絡を取り合っていて、家族の関係は良好だった。高校時代からの親友、優菜とも社会人になってからもずっと連絡を取り合い、しょっちゅう一緒に出掛けていた。大学卒業後に入社した会社もずっと居続け、今ではそれなりに重要な仕事を任せて貰えるようになっていた。

 仕事に、恋に、充実した生活を送っていた。

(それなのに、享年三二歳って早すぎよね?もしかして早世した私を神様が憐れんで、転生させてくれたとか?)


 詳しい死因は不明だが、死ぬ一週間ほど前に体調を悪くしたけど病院には行かず、二日前に高熱で起き上がれなくなった。そのあとの記憶は朧げだから、多分何らかの病死だろう。

 前世の肉体は虚弱体質ではなく、どちらかと言えば健康体だった。だが、このときは精神的にも肉体的にも疲労が蓄積し、生涯で最低最悪のコンディションだったのは確かだろう。

(それもこれも全て、脳内花畑と優柔不断な馬鹿のせい!)

 三一歳の誕生日間近に発覚した彼氏の浮気は、メール女からのマウンティングメールで発覚した。

 そのとき、舞は会社を辞めると言い出した同期を留意させるのに腐心していた。彼が辞めてしまうと、それまで分担していた業務が全部自分に振られると分かっていたから、それはもう必死だった。しかも、彼の退職希望日は繁忙期前だった。もうちょっと待って、そんなこと言わないで、私を一人にしないで、と今思えば誤解を生みそうな引き留め方をしていた気がする。

 そんなときに届いた、彼氏とメール女のキスをしているツーショット写真付きメール。しかもご丁寧に、スマホだけでなく会社用アドレスにまで同じメールが届いていた。本文を見れば「しゅうくんってば、おばさんの誕生日より私とのデートを優先してくれるそうですよ~♡いや~ん、うれし~♡♡」とあったが、正直今それどころじゃないと舞はキレた。

 確かに、数週間前に彼氏から「お互い忙しくなるから、当面連絡し合うのは控えないか?」と連絡が来て「気を使ってくれてありがとう、助かるよ」と返事をしてからは会っていなかったし連絡さえ取っていなかった。元々同じ会社に同期で入社した間柄で、彼氏が転職しても偶に愚痴を聞いてもらっていたため、素直に理解ある彼氏で幸せだな、などと感慨深い思いで仕事をしていたのだ。

(忙しいって、お相手さんと遊ぶのに忙しいってオチだったとは。繁忙期が終わったらお礼兼埋め合わせに何か奢ろう、なんて考えていた自分が馬鹿を見たよね)

 どう動くのが最短ルートか考えあぐねた舞は、親友に笑い話としてこれを情報提供した。すると、ノリが良く友達想いのオタクな彼女は「面白いネタになりそう!こっちで色々調べてあげるよ」と言って、本当に色々調べてくれた。

 調査の結果、連絡してきた女は彼氏の転職した先に入社してきた八歳年下の子だった。その年齢を聞いて、成程、だからおばさんとな、と納得したと同時に呆れた。彼氏とは同期入社で同じ年でもある。自分がおばさんなら奴はおじさんなのだが、女はそれが分からない脳内花畑らしい、と。しかも、親友の調査では「元カノに振られた彼氏を慰めている内に付き合うことになった」社内公認のカップルなのだとか。

 親友からの報告を聞き終えた舞は瞬時に冷めた。冷めたなら冷めたと言って別れれば済むのに、何をやってるのだ、この馬鹿は、と。

(いやー、びっくり。冷めるのは一瞬だって、本当だったよね)

 そんな状態なのに、何故か彼氏からの連絡が再開されたときは驚いた。「息抜きにデートしない?」「会いたいから少し時間取れない?」「連絡ないから、寂しいんだけど」などなど。丁度良かったので、メール女のことを伝えて話し合いの場を設けることを了承させた。

 そして迎えた話し合いの日は、何故か自身の誕生日となった。しかも、彼氏はずっとメール女のことをのらりくらりと躱し、話し合いではなく誕生日デートだと言い張る。何がしたいんだこいつは、と呆れ果て、一瞬殺意を覚えたのは確かだ。

 そんな奴の言い分は無視し、舞はさくっと自分でメール女に連絡を取り日時の指定をして、自分の代理として完全武装した親友を戦地へと送った。何故当事者の舞が行かなかったかと言えば、結局辞めてしまった同期のしわ寄せ&繁忙期で誕生日は終電まで残業が確定していたからだ。勿論、無理だ、会えない、と言って別の日を指定したが向こうが譲らず、呆れた親友が代理人を申し出てくれたのだった。

(やっぱり持つべきものは、思いやりのある親友だよね)

 流石に八年の付き合いともなればお互いの親にも顔見世はしていた。だが婚約はしていなかったので、親友には唯の別れ話と牽制として付き纏いへの警告だけをしてもらった。もしかすれば何らかの権利があったのかもしれない。でも、完全に冷めていて兎に角さっさと別れたかったし、慰謝料とか謝罪とか不要だったし、面倒だったのでこれで良かったと、今でも思っている。

 やきもきする暇もなく残業中に届いた、親友からの「委細問題なし!こっちの完全勝利だぜ!了承貰って三者面談の様子を動画で撮ってるから、落ち着いたら一緒に鑑賞会でもしよう!」の勝利メールを見た時の開放感は半端なかった。終電までの残業時間をずっと鼻歌交じりで頑張れるほどの代物だった。

 そう言えば、誕生日当日はちょっとしたサプライズがあった。昼休みに、課の女子後輩が誕生日だからとコンビニケーキを買って来てくれて、ちょっと感動した。すでに二人して変なテンションになっていたから「せんぱーい!誕生日なのに残業おめでとうございます!お祝いのケーキですよ!あはは」「ありがとう!お礼に今度奢るよ!あはははは」「やったー!それじゃあ、立ち飲み屋で!あは、あはははは」「了解!それまでお互い生き残ろうね!ふふふふ」なんて約束を交わした。

 そんな感じで地獄の繁忙期を終え、気を抜いたのが駄目だったのだろう。あれよあれよと調子が悪くなって、高熱で会社を休んで、すぐに死んだのだ。熱にうなされて、意識も朦朧としてて、救急車を呼ぶ気力もなくて、そうして一人孤独に呆気なく。


(寂しいとか感じる暇もなかったな、そう言えば。ん、あれ?今回って労災扱いなのかな。会社がブラックって訳じゃなくて間が悪かっただけって個人的には思ってるんだけど、そうなったら申し訳ないなぁ。一部職場環境は最悪だったけど、雰囲気も居心地も良かったし、給料も良かったし、繁忙期が地獄ってだけで普段から有給取れてたし、私的には優良会社でしたよ!社長。八年間お世話になりました!あ、後輩に奢る約束果たせてないや。ぬか喜びさせちゃって悪いことしちゃった。それに、優菜とも結局鑑賞会出来なかったな)

 つらつらと思い出していると、急に身体が浮上し始めた。先ほどまであった足裏の感触は消え、浮上する感覚に合わせて、額の冷たさと誰かに右手を握られている感触を覚える。

 不思議なことに不安感は無く、ソフィアはそのまま浮上することにした。

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