表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖術師裁判  作者: 楠羽毛
9/12

枯枝病

 およそ10年前━━


 アベル=タイケは、キーニー村の端にある青い屋根の家で、家族とともに暮らしていた。

 妻と、4つになる子供。

 妻と知り合ったのは、およそ6年前。都からキーニーに戻った直後のことだ。

 勝手に村を飛び出したかどで訴追されそうになり、ひとまず村主の家に留めおかれて沙汰を待つ間に、夫に死なれて実家に戻っていた村主の姉と恋仲になった。

 アベルよりひとまわり以上年下の、細い目をした美しい女であった。

 きつい女だと言う者もいたが、アベルに向ける顔はやさしかった。

 結婚して1年もたたぬうち、子供が生まれた。妻によく似ていた。


 この村で朽ち果ててもよいと、はじめて思った。


 都での暮らしは、楽なものではなかった。いつか一旗あげてやると、それだけを考えて、20年余年を無為に過ごした。

 どんなことでもして這いあがると思いつめていたが、振り返ってみれば何もしていなかった。

 ただ、やくたいもないことを学び、誰でもできるようなことをして生きていた。

 中年になり、ふと、田舎が懐かしくなり、物乞いのようなことをしながら再び旅をした。故郷に帰ることにはあまり現実味を感じなかったが、ともかく帰る道を辿った。なんとなく、途中で死ぬような気がしていたが、冬の寒さにもかかわらず無事に着いてしまった。


 そうして、家族ができた。


 都で見た物語や、こまごまとしたからくりを、息子のために整理しているうちに、やっと実感が湧いてきた。

 さいわい、この村はゆたかである。

 畑を耕し、紙工場で働いていれば、よほど凶作の年でも、なんとか生活できる。

 多くを望まなければ、それで充分だ。


 そう、思いはじめたころ、その冬はやって来た。



 その日、紙工場は休みであり、アベルは、起きぬけから自室にこもって、4歳の息子に贈るためのからくり仕掛けをいじっていた。

 押し車をおすと、車輪の動きに連動して、人形がくるくると回る。

 それだけの、単純なからくりだが、なかなかうまくいかない。

 歯車が、うまく咬み合わないのだ。

 全体の大きさを少しずつ大きくしてみたり、使う木の種類をかえたりして、もう四回は作りなおしている。しかし、どうしてもうまく動かない。見た目にはぴったりのようでも、歯の大きさが微妙にずれているらしく、回転が止まってしまうのである。

 もとは、都でみた舶来品のおもちゃである。自分なりに図面をひいて似せようとしてみたが、うまくいかない。

 職人としてちゃんと学んだわけではない。すべて、見よう見まねだ。

 都にいたときは、外国製品を手に入れては何度もいじりまわして、模倣するのに日々を費やしていた。いまは、そういうものが簡単に手に入るわけではないが、見たものははっきり覚えている。


 作業をはじめてから、もう、五日目である。


 仕事のある日は、帰ってから。今日のような休日は、ほとんど一日中、アベルは作業を続けた。昔から、そのようなところがあった。

 一度、手先をうごかしはじめると、頭がかあっとなって夢中になってしまうのだった。

 だから、ぎぃっと音をたててドアがあいても、気がつかなかった。

 背中に、ぽんと小さな手があてられて、はじめて手を止めた。


 アベルは、ふりむいて、幼児の小さな手にふれた。

 ぎっと手元を睨みつけていた目が、ゆるむ。

「おお、……どうした」

 息子であった。

 ふんわりした笑みを頬にさらけ出しながら、アベルの皺ぶいた手を握りかえしてくる。

「母さんは、どうした?」

 ふだん、アベルが作業に没頭しているあいだは、妻も子も部屋に入ってこない。

 きいてみると、息子は、曖昧に笑いながら首を振った。なんとなく、その笑みにかげりがあるようにもみえる。

 居間からは、なんの物音も聞こえてこない。足音も、衣擦れの音も、寝息すら。

 アベルはようやく不審を感じて、立ちあがった。

 おさな子の手をひいて、居間に出る。きれいに片付いた部屋には、しかし、妻の姿はなかった。

「ヘラ。……ヘラ!」

 いらえはない。

 少しずつ不安になってくる。もう一度、かがんで子供と目線をあわせ、たずねる。

「母さんは、どこにいるんだ?」

「……でてこない。」

 ちいさく、緊張したような声で、そう答える。

「なに!?」

 子供は泣き顔になって、もう一度、くりかえした。

「でてこない……」

 あたりを見回す。

 さして大きい家ではない、アベルの書斎、居間とつづきの土間、寝室。それから、厠があるだけだ。


 厠か!?


 焦燥にかられて、扉をあける。


 あざやかな金髪が、床にひろがっていた。

 妻が、いつのまにかひどく痩せた35歳の女が、浅い息遣いで口を大きくあけて伏していた。

 瞼は閉じていた。



「枯枝病、」

 ケヴィンは、ふるえる声でそう繰り返した。

「そう。あとで、医者にきいてわかったことだが。」

 アベルはむしろ平坦な声で、淡々と続けた。

「……枯枝病は、すぐには重症化しないはずです。それまで気づかなかったのですか」

 できるだけおさえた声で、ケヴィンはそうたずねた。ふるえは止まらなかった。

 仮に、気づいていたとしても、できることはなかったろう。そのことも、よく判ってはいた。

「気づかなかったのだよ。おれは、そういう男なのだ。だから……」



 だから、息子が同じ病気にかかっていることにも、気づかなかった。



 アベルは、雨の中をしとしとと足早に歩いていた。

 この季節にはめずらしい長雨である。

 都へむかう本道から、西へ。枝分かれした山道には、ほとんど人通りはない。このさきは行き止まりで、どこにもつながっていないのだから、当然だ。


 落葉をふみながら、歩く。


 妻が倒れてから、二日たった。

 医者の家まではこんだ妻の身体は、いつのまにか、ひどく軽くなっていた。

 それこそ、まるで枯枝のように。


 合羽のフードから水がしたたりおちる。目にしみる。汗か、もしかすると涙か。

 おれは泣いているのか。

 そんな資格があるのか。

 ともかく、歩く。


 妻と息子は、同じ部屋に寝かせてある。

 どちらも、もう起き上がることはない。


 いや、そんなものは、医者がそうきめただけだ。

 おれは、納得していない。

 なぜなら、二人とも、まだ生きているからだ。


 やぶ医者め。


 たとえ、目を開かなかろうが、手足が動かなかろうが、二人はまだ生きている。

 ならば、明日にでも治る可能性はあるではないか。


 そんなことを、ぐるぐるとつぶやきながら、歩く。

 どこまでも、


 どこまでも、歩く。


 山道の奥の奥、どんづまりまで来て、ようやく、足を止める。

 どんづまりと言っても、そのむこうにはさらに旧道が続いている。ただ、この先はもう数十年前に使われなくなった道であり、木々にまぎれてほとんどわからなくなっている。

 ここまでのルートも、きちんと整備されているわけではないが、ほんの十年ほど前まで参道として使われていたため、まだしも道のていをなしている。

 どんづまりの右脇、うちすてられたように転がっている、苔むした大石。

 辻神とか、御石とかよばれる、ものである。

 ティスワユフル帝が即位してから、こうしたものに祈る行為はほとんど犯罪のように扱われ、隠れて参詣するものも、しだいに減っていった。

 アベルは、石のまえに立ち、じっと睨みつけた。


 助けてください、

 とか、

 妻子の命が助かれば、私がかわりに━━

 とか、

 さまざま頭のなかをめぐっていた言葉は、結局、口から出なかった。

 

 ただ、アベルはそこで、雨に濡れながら、半日ばかり動かずに立っていた。



 それから。


「……クルトには、殴られたよ」

 すこしだけ、懐かしそうに、アベルはそう話を終えた。

「なぜ、救えなかったかとね。当然だ。それから、何も身が入らず、このざまだ。税金どころか飯の種もろくに稼がず、絶縁したはずのあいつに金をせびったことも何度もある。とんだ疫病神だ」

 そうして、にこりと笑って、

「さて、……今日はもしかしてもう終わりかね? ここの食事も悪くはないが、たまには栄養のあるものを食わせてくれんかね」

 そう、言った。



 それから、しばらく後。

 ケヴィンは、辻神のところに来ていた。

 そして、しばらく座って、思い悩んでから、

 きっと口をむすんで、立ち去った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ