過去
昼の鐘がなる。
ケヴィンやライナーは、だいたい自分の席で食事をとる。そうそう来客があるような部署ではないから、人目を気にすることもない。
荷物袋から小さなバスケットをだして、机の上におく。すると、ドアがあく音がする。
「ケヴィン、ちょっと……、」
ヤンの声であった。
顔をあげると、目があった。どこか厳しい顔をして、
「ちょっと、来いよ。弁当か?」
「そうだけど、」
なんとなく気後れしながら、立ちあがる。
ゆきさきは、中庭だった。
からららん、と音をたてて、木の扉をあける。二十歩四方ほどのちいさな中庭、庭師が手入れをしているが、普段は立ち入るものもない。たまに、こうして休憩に使われるくらいだ。
「……ここ、来るの初めてだ」
ケヴィンがいうと、ヤンはかたい表情のまま少しわらった。
「たまに、えらいさんが密談に使ってるとか。知らんけど」
「本当?」
「知らんって。でも、それっぽくないか」
ぶなの木の根本に、小さな椅子がふたつある。
ヤンは、その片方に、足を組んで腰掛けた。膝のうえには、四角く形の浮き出た青い布袋がひとつ。弁当だろう。
「……それ、ユッタが作ったやつか」
ケヴィンのさげたバスケットをみて、そう言ってくる。
「そうだけど、」
「かえてやる。」
座ったまま、ぐいと、布袋をつきだす。
「はあ?」
「うちのメイドが作ったやつ。うまいぞ」
「……いいけど、」
いぶかりながら、弁当をとりかえる。
ともかく、ケヴィンも座ることにする。布袋を開くと、二重になった木箱。中には、干し魚、水気を切った漬物、芋を練り込んだ餅に揚げた豆まで入っている。
ケヴィンの弁当は、パンとチーズだけだ。
「……なんか、気ぃ使ってんの?」
「なにが?」
「いや、……」
気まずい沈黙、なんとなく目を伏せて、それぞれ弁当を食らう。
うまい。
「お前さ、」
「ん、」
「……護法官に意見したって?」
しばらく沈黙したあと、ケヴィンは黙ってうなずいた。
「そういうの、やばいぞ。そりゃお前は階位は高いかもしんないけどさ━━」
「関係ないよ。」
眼を伏せたまま、そう言って、
それから、
「階位は、関係ない。」
顔をあげて、もう一度。
「うん━━」
ヤンは曖昧な笑みを浮かべて首を振った。
「ごめん、」
といわれて、ケヴィンはかえって申し訳ない気分になった。
「いいよ、別に。」
「そういうことを、いいにきたわけじゃないんだ」
「ん、」
「……ユッタ、元気か」
「元気だよ。」
遊びに来ればいいのに、といいかけて、やめる。
自分は例外として、貴族と平民の壁は厚い。顔見知りとはいえ、平民の女性を気にかけて、わざわざ会いにくる貴族の男などいないはずだ。
子供のころは、そんなことは気にもしなかったものだが……。
「そういや、うちの妹がさ……」
「妹、いたっけ?」
「おい、ばか」
ぎろりと睨まれて、あわてて思いだす。
ラウ家にひきとられてしばらくした頃、なんとなくユッタや平民の仲間とは付き合いづらくなり、同世代の貴族とばかり会っていた。ヤンの妹と顔を合わせたのは、その時期だ。
本格的に国試の勉強が始まる前の、わずかな間である。
「覚えてるよ、」と、冗談にまぎらすように言うと、ヤンはやっと目つきをゆるめた。
「お前が帰ってきたといったら、会いたいとさ」
「はあ?」
「なんだよ、その反応はよ」
「だって……」
ケヴィンはうわのそらのまま、ぼんやりとヤンの妹の顔を思い浮かべようとした。
思いだせない。最後に会ったのも、もう6年も前である。
「……ま、そういうことだから。そのうちな」
そう、いって、ヤンは立ちあがった。
ヤンの手元の弁当はもう空になっている。ケヴィンの食事はまだ終わっていない。
「弁当箱、あとで返せよ」
「……うん、」
ぼそぼそとした会話がおわり、ケヴィンは一人になった。
かれは、まったく別のことを考えていた。
アベルのことを。
それから、アベルに執着する自分のことを。
その理由を。
なかば、結論は出ていた。
あの日の、火あぶりの記憶を。
*
夕刻──
ケヴィンは、レッツェル家に呼ばれていた。
夕食をたべおえて、家族は居間でくつろいでいた。居間に長椅子が1つと、小さめのテーブルが2つ。家族全員がいるには少し狭い。
「……クライシェが、今日うちに来たよ。そのうち、あなたのところへ挨拶へ行くとさ」
ユッタの母、クラリッサ=レッツェルが、かたんと音をたてて陶の器をおきながら言う。
マリアン=クライシェは、ラウ家の小作の筆頭である。家領のおよそ1割を耕し、ほかの小作たちをとりまとめる立場にある。
「そう、……こちらから、行ったほうが良いのかな」
深皿を手にとって、ケヴィンは迷いながらいった。
ラウ家を襲名してから2年ほどになるが、まだこの立場には慣れない。
「やめとけ。当主が軽々に訪ねたりしては、むこうも困る」
ユッタの父であるフォルカが、太い眉をあげていう。
「そんなもんかな」
「そうさ」
それで、その話はおしまいになった。
「……ところで、」
寝間着のまま、板の間に寝転んでくつろいでいるユッタが、突然口を開く。
「あなた、この間ヘンなこと言ってなかった?」
「変なこと?」と、首を突っ込んでくるのは、14歳になる妹のラエル。
ケヴィンは首をかしげて、
「なんのことさ」
「ほら、アベルの家で、黒い……なんだっけ」
「ああ……」
そのことか、と頷いて、
「べつに……なんでもないよ。あれは」
「アベル?」
ケヴィンの横に座ってエールを口にしていた長男のラルフが、ききとがめて口をはさむ。
「アベル=タイケのことか。逮捕されたって?」
「クルトも大変だな、」と、低い声で、フォルカ。
「どういう意味?」
ユッタがきく。ケヴィンが何か言おうとするのにかぶせるように、フォルカが、
「親戚だからな。アベルの妻は、クルトの姉だろ」
と、言った。
「え、」
ケヴィンは思わず声をあげた。「あの人、結婚してたの?」
「昔な。枯枝病で亡くなったんだよ」
なんとなく、ユッタと顔を見合わせる。彼女も知らなかったようだ。
「てか、結婚できたんだ」
「こら、」
フォルカは、軽くこづくようなふりをして娘をたしなめた。
「今は酒びたりだが、昔はそんなことはなかったんだ。子供もいたし……」
ケヴィンは、ふと、あの部屋のことを思い浮かべた。
子供のおもちゃとも、がらくたともつかないものがたくさんあった。
そんなに昔のものには見えなかったが……
「若いころに村を飛びだして、都にいたらしい。おれは、帰ってきてからのことしか知らないがね」
「なぜ、都に?」
「さあな。とにかく、勝手に村を出たわけだ。帰ってきたときに、クルトがいろいろと世話をして、その縁で姉と結婚したとか……」
「ふうん、」
許可なく村を出るのは、違法である。
都に出てしまえば、捕まることはないだろうが、戻ってくれば当然、訴追される。世話というのは、そのあたりの口利きも含めてのことか。
「……アベルのことを、調べているのか」
フォルカが小さくいうと、ラルフがとがめるようにいった。
「父さん」
「……少し前に、アベルとクルトが口論していたと聞いた。どうでもいいことかもしれんが」
ありがとう、と小さくケヴィンはつぶやいた。
これ以上、レッツェル家の人々に聞くことはない。
本人に、直接聞けばいいのだ。
*
翌日、ふたたび、取調室。
部屋のなかには、先日とおなじく、ケヴィンとアベルの二人。
しかし、それだけではない。
二人のあいだにある机の、真上。
天井の中心あたりに、小さな穴がある。
人差し指が通るくらいの、節穴のような穴だ。
天井裏にひそんで、取調室を覗けるようになっているのである。
そこに、ライナーがいる。
本来、今回の取り調べには彼も同席するはずだった。
しかし、ケヴィンが一対一を強硬に主張し、こういう形になったのである。
さて──
「今日は、聞きたいことがあります」