村主
村主クルト=オルフ。
ふと思いついて、ユッタにその名前を投げかけてみる。
「ああ、……もちろん、知ってるけど。」
当然といえば当然であった。12歳から貴族となったケヴィンとちがい、23歳のきょうまで、小作農の娘としてこの村で生活してきたのである。
「そうね、……評判は、いいんじゃない。税の肩代わりとか……世話になった人は結構いるって聞いたけど。私も、直接話したことはあんまりないけどさ。」
たいしたことのない世間話というふうで。
村主の義務のひとつに、税のとりまとめがある。
村人に税を払わない者がいれば、最終的には、村主が責任を問われる。
肩代わりというのも、そうした背景があったうえでのことだろう。
なるほどね、とケヴィンはつぶやく。何も、参考にはならない。
何を知りたいのかもわからないのに、参考もくそもないが。
「……ねえ、」
むかいに座るユッタが、肘をテーブルについたまま、うとましげに、
「それ、……おいしくなかった?」
言われて、やっと気がつく。
チーズのかけらを一口食べたっきり、手つかずの皿と、木鉢。
*
夕刻。
村庁舎からほど近くに、いくつか、料理屋がある。
席ごとに女がつくような店もあれば、軽食をかきこんで終わるようなところもある。
今日の店は、その中間というところだ。
広い店内が、板で区切られ、半個室のようになっている。
6人がけの丸テーブルをかこんで椅子にかけているのは、ケヴィン、ヤン、ライナーの3人。
テーブルの上には、ミルク入りのエール、漬物、豆の煮物。それから焼いた川魚が一皿。
ヤンは、もうかなり酒が入っており、真っ赤になっている。
「……おれはさ、出世したいんだよう。ケヴィンよ」
ふだんにない、甘えたような声で、ぐだぐだと呟いている。
ライナーも結構飲んでいるが、酔っ払っている様子はない。にやにやと笑いながら、くだをまくヤンを見守っている。
「お前はさぁ、平民の出のくせに……」
そこまで言って、はっと目を見開いてすこし黙りこむ。
ケヴィンは苦笑した。あまり人から言われることではないが、事実だ。
「……おれより階位は上だしさ、国試の結果だって……」
うにゃうにゃと、声が小さくなって消えていく。
ちらりと、ライナーと目をみかわす。ライナーは、ごめんな、というように目線をさげた。
この国の制度上、貴族というのは、皇帝から『階位』を授けられた者のことである。
ケヴィンの階位は、六位下。貴族として、この場にいる誰よりも格上、ということになる。これは、家督を継いだときに、慣例的に先代の一つ下にある階位を与えられたからだ。
ただし、貴族のなかでも、公職についている者どうしでは、一応、階位でなく職位、すなわち役人としての地位が優先されることになる。
ライナーとケヴィンは同じ護法官補、ヤンは主税官補で職制上は同等だが、この場合、先任者が格上となり、役人としての序列は、ライナーが一番上ということである。
一般的に、階位のある者が公職につく場合、階位にあわせた職を任じられる。その後、職位の上昇にあわせて、階位もあがっていく。つまり、両者の序列は、大体において一致するものだ。
ケヴィンはまだ入庁したばかりであるため、いわば見習いとしての職位である。逆に言えば、近い将来、ライナーやヤンよりも上の職につくことが予想される。
さらに言えば、家の財産、所有地からいっても、ラウ家は抜きん出て裕福であり、所有地を耕作する小作も相当な人数にのぼる。
さて━━
「……少し、聞きたいことがあるのですが」
まだぶつぶつ言っているヤンから目線をはずして、ケヴィンはライナーにたずねた。
「なんだ、あらたまって」
「……クルト=オルフ村主に、会ったことがおありですか」
「何度か、ある。だが……」
ちらりと、ヤンのほうをみて、
「それなら、こいつのほうが詳しいぞ。仕事上、村主とは付き合いがあるだろ」
ヤンは顔をあげて、ぼんやりとつぶやいた。
「なんですかあ、……村主?」
ぱちぱちと目をしばたかせて、ヤンはライナーとケヴィンの顔を交互にみた。
「だめだめ、……言えないっす」
「はあ?」
「その話はだめです」
ライナーとケヴィンは顔を見合わせた。それから、ため息ひとつ。
「……ま、いいや。じゃあおれが喋るけど、まあ、村人の評判はいいし、役所の側からみても特に問題のない村主だよ。ただ、悪いうわさもある」
「悪いうわさ?」
「銭のことで、村人ともめたことがあるらしい。詳しいことは、おれは知らんがね」
「銭、というと税ですか?」
「そうとは限らんよ。農機具を貸し付けたり、生活の面倒を見てやったりとか……村主は、俺たち役人よりよっぽど村人の生活に密着してるからな。どうしたって、もめごとはでてくるだろうさ」
「……そんな、ものですか」
「気になるなら、おれたちじゃなくて、平民の知り合いに聞けよ。付き合いあるんだろ」
「そりゃ、まあ」
といっても、血のつながった親類はみな死んでしまったし、親しくしているのはレッツェル家の人々くらいである。
「アベル=タイケの件だろ?」
「……はい、」
「あまり気にするな。おれたち役人は、法に従って動くもんだ。……それに、考えてもみろ。」
それから、なんでもないことのように、ライナーはいった。
「……平民の、あんな生産性のないじいさんが一人、流刑にされたところで、どういう問題がある?」
そうですね、とケヴィンは無表情のまま、間髪をいれずに答えた。
「ま、明日からはお前も取り調べをやってみろ。経験だ」
「はい、ありがとうございます」
そう答えて、にっこりと笑う。
*
取調室━━
そっけない木製の机がひとつと、椅子がいくつかあるだけの、狭い部屋である。
名目は取調室だが、実際には裁判にも使われる。
アベルは、椅子に座らされているが、縛られてはいない。
逃亡防止のために、ドアの外に刑務官が立っているが、室内ではケヴィンと二人きりである。
記録役をかねてライナーが同席する案もあったが、断った。昔のことだが、アベルとは面識がある。二人きりのほうが、本音を聞けるかもしれないと思った。
「……きょうは、私が話をお聞きします」
言葉づかいが丁寧なのも、半ば下心あってのことだ。
犯罪事実を自白させたいわけではないのだから、強圧的に尋問しても仕方がない。
ともかく、自分から話をする気になってもらわなければ、始まらないのである。
「ぼうず、あんたか」
ぼそり、ぼそりと、それでも少しうれしそうに、アベルはつぶやく。
「良かったよ。ここじゃ、顔をあわせるのはいかついおっさんばっかりでさあ……。まあ、欲を言えば、女に尋問してもらえりゃあ一番だがね……」
「村庁に女性はいませんよ」
「わかっとるよ、」
軽口に、すこし気を楽にする。
「……それで、もう一度説明して欲しいんですが。あの日、子供たちを集めて話をしていたという件について━━」
「その話なら、もう、さんざんしただろうに」
心底うんざりしたように、アベルはそういった。
調書によれば、ろくに喋っていなかったはずだが。
「覚えてねえんだよ。そんなことは、いくらもあったし……わかるだろ」
「……お酒を飲まれていたからですか?」
「ああ、まあ……飲んでないときはあんまりないから。最近は……」
「それじゃ、全然覚えてない?」
「全然ってわけじゃないが……」
アベルは黙ってしまった。ケヴィンはしばらく待ったが、返事がないのでまたためいきをついて。
「話題をかえましょう。……あなたは、妖術師なのですか?」
「……そう見えるかね?」
きゅうにしずかな声になって、アベルはそう尋ねた。
こんどは、ケヴィンが黙りこむ番だった。
しばらくして、アベルは大きな笑い声をあげた。
「馬鹿だなァ、もう……ハハハ」
「……やめてくださいよ、からかうのは。」
ケヴィンは眉をしかめていった。
「すまん、すまん。あんたが、あんまり真剣な顔で言うもんだからさ……昔から変わっちゃいないんだな、お前さんは。」
「……どういう意味です?」
「なんでもいいさ。」
アベルはすまして言った。
らちがあかない。
やむなく、また話題をかえる。
「……留守のあいだに、家に入らせていただきました」
「ほう、そうかね」
アベルはおどろいた様子もなく、かるく眉を寄せただけだった。
「わしの部屋は、面白かったろう。いろいろ、おもちゃも置いてある」
「ええ、まあ……」
ケヴィンがうなずくと、とたんに、アベルは表情をかえた。
「半分も、わからなかったろうな。しかし、あれはどうだ。人形からくり。わしが再現したんだ、あれは……それに、幻灯機。使い方はわからなかったろう。あれはな、蝋燭のあかりでだな……。」
「……あれらは、何なのですか?」
低い声でそう尋ねると、アベルはきょとんとした。
「わしの財産だよ。……ケヴィン、あんたがラウ家の財産を受け継いだように、おれにはおれの財産があるのだ。若い頃は、都へゆきもしたが……」
「都へ?」
初耳だった。アベルは聞こえなかったかのように先を続けた。
「……ふたたび戻ってからは、書を読み、異国のものを手すさびに模倣するのがせいぜいだ。おれはな、ケヴィン……」
男の声が、少しずつ低くなってくる。
どろりと濁ったような目が動きをとめて、まっすぐに前をみている。
「……おれは、海のむこうへゆきたかったのだよ」
溜め込んだものを一気に吐きだすように、男はいった。
しばらく、気まずい沈黙が流れた。アベルは目を伏せた。ケヴィンは、何かいおうと口を開いて、また閉じた。それから、
「話を戻しましょう。なぜ、尋問されているかわかっていますか?」
「浮浪罪だろ? 前にもパクられたことがあるんだ。クルトのやつがよ……」
「いいえ」
ここまで話すつもりもなかったが、このさいだ。
「脅迫罪です。それから……」
「きょうはく、だ?」
心底あきれたような、大きな声。
「なぜそんな……やっちまったのか。なんか、酔うと絡んじまうんだよ……勘弁してくれよ」
「アベル。あなたは、妖術師を自称して子供たちを脅迫したかどで、裁きを待つ身なのですよ」
腹に力をこめて、しずかにケヴィンは告げた。
「なんだって……、」
ふるえる、低い声で、
「おれが、子供たちを、脅迫、だって?」
子供たちを、というところに強い力をこめて。
「誰がいったんだ、それは……」
「それは……」
言っていいものか。
一瞬、迷う。
だが、唇が勝手に動いていた。
「……クルト=オルフ」
とたんに、アベルの目のなかで、なにかが動いた。
すとん、と無表情になって、
「ああ、……認めるよ」
無機質な声で、そう、つぶやいた。
*
「……脅迫罪の立証に欠けるのではありませんか。」
無駄とは知りつつ、ケヴィンはティモ護法官にそう主張した。
「なぜ?」
あいかわらず、考えの読めない仏頂面のまま、護法官は問い返す。
「根拠がありません。クルト=オルフの意見書にも、金品を要求した証拠はないと。」
「だが、自白したのだろう。」
「具体性のある自白ではありません。」
「妖術師を自称したことを、はっきりと認めたのだろう。」
「それだけです。」
「十分だ。脅迫罪の要件では、金品とか具体的なものを要求したかどうかは問われない。自分が妖術師であると主張したのだから、相手に恐怖を与える目的をもって脅したことは自明だ。大人相手ならともかく、相手は子供だ。」
「……恐怖を与える意図があったのでしょうか?」
ケヴィンはあくまでも反駁した。ふたりはじっと目を見合わせた。ティモ護法官は目をそらさず、ぴくりとも眉を動かさぬまま、否定した。
「村主はそう解釈している。我々としても、あえて否定する理由はない」
大声をあげて怒鳴りつけたい気持ちを、ケヴィンは必死でこらえた。
この上司は、どこまで本気なのか?
「……わかりました。」
頭をさげて、自分の席にもどる。
大きく息をつく。小さな声で、ライナーがささやく。
「意気は買うよ。」
「……ありがとうございます。」
冷静になろうと努力しながら、ケヴィンはうなずく。
「しかし、な」
うつむいてこちらを見ながら、ライナーは、小さな声でいった。
「熱くなりすぎちゃいないか。なぜ、そんなにこだわる?」
「そんなこと━━」
言いかけて、ケヴィンは口をつぐんだ。
目をとじる。自問する。
いったい、なぜ?