青い屋根の家
キーニー村の北は広大な森、南は都との間にそびえる山脈。
ニル川ぞいに紙工場や村庁舎、そのあたりが中心街。
川の北は、おおむね貴族や富裕層の邸宅、所有農地。
南は、小規模な自作農や通いの小作の家土地、それから日用品の店舗がぼつぼつと。
村の南端、集落と山が接するあたりに、アベル=タイケの家はある。
家の隣には小さな畑があるが、手入れはされていないようで、雑草が生い茂っている。とはいえ、雑草にまじって葉野菜がちらほら生えていたり、芋を掘り返した跡もあるので、まったく使っていないわけではないようだ。
玄関のそばには、金属製の大きな輪っかや、木彫りのようなものがいくつも転がっている。
その日は雨であった。
ケヴィンは、役人服のうえに革製の合羽をはおって、扉のまえに立っていた。懐から、アベルから押収された鍵をとりだして、錠をあける。
さびついた音をたてて、扉がひらく。
むわっと、しみついた悪臭が鼻をさす。生ごみの匂いは覚悟していたが、それよりも酒と、脂のようなつんとした匂いが強い。
あまり広い家ではない。せいぜい、レッツェル家の半分か、三分の一というところ。扉をあけるとすぐ居間兼寝室というつくりだが、がらくたと書物、紙くずで、床は殆どふさがっている。
テーブルの上には、喰いかけの干し芋と、これまた、がらくたの山。
ケヴィンはとほうにくれて、もう一度部屋のなかを見回した。
がらくたの山と見えたものを、一つずつ検分する。
大きくひび割れた硝子のなかに、金属の線のようなものが見える。
人形と、こまかい木の部品が複雑に組み合わさったものがある。
それから、黒く塗られた木箱の先に、丸い硝子が入ったようなもの。
いずれも、どういう道具なのか、ケヴィンにはわからない。
妖術師らしいのか、そうでないのか。
じっさい、妖術師とはどういうものであるのか、ケヴィンにはさっぱりわからなかった。おそらく、この村の誰ひとりとして知らないだろう。
黒い獣。
あれが、妖術だとでもいうのか。まさか。
休日をふいにしてまでここに来たのは、半分は私情である。黒い獣のことがなければ、わざわざこんなことはしなかっただろう。
しかし、のこり半分は、義務感だ。
あの男が妖術師だとは、どうしても思われない。
いや、そもそもそんなものが存在するなどと。
よしんば、妖術師を『自称した』ことが罪に値するにせよ、子供を集めての戯言が、流刑に相当するほどの悪事だろうか。
善であれ悪であれ、法を守ることが護法官、いや護法官補の職務とはいえ━━
ともかくも。
すこしでも、事態を明らかにする材料を探そうとここへ来たのだが、意味のあるものは何も見つかりそうになかった。
迷いながら、そこらに転がっている書を、手にとってみる。
とても分厚い、硬い表紙のついた、赤い本である。
見たことのない種類の薄紙でできている。
(読めない、)
そう、気づく。
外国語であろう。およそ見たこともない、複雑で曲線的な文字である。
横書き。
文の区切りもわからない。
しかし、手書きではないようだ。かすれも歪みもなく、文字ごとに全く同じ筆致で記されている。都では手刷りの色版画が売られていたが、それと同じようなものだろうか。しかし、それにしても同じ文字が全く同じ筆致というのはおかしい。よほどの名人が彫ったのか。
外洋の書物である。
よく見ると、部屋にある書物の半分くらいは、外国語で書かれているようだ。この本と同じ、曲線的な文字で書かれているものもあれば、ケヴィンも文字の形くらいは知っている、南方諸国の地域文字もある。
乱暴に撒き散らされたメモ紙も、外国の文字で書かれたものが多いようだ。
つまり、あの男は、外国語の読み書きができた━━それも、日常のメモ書きを外国語でするほどに、熟達していたということになる。この、辺境の村にありながら。
ぞっとした。
まさか、ほんとうに、妖術師ということではないか。
(ばかな、)
妖異神威を尊ぶべからず━━
それは、先帝の即位以来の、ラフタラン帝国の根本原則のひとつである。
見えないものに頼ってはならぬ、ということだ。
徹底した合理主義とでもいうべきか。
しかし、それは、この世に妖異が存在しない、ということではない。
いや。
妖術師など、いるものか。
ただの老人と思っていた男が、思ったよりも博識であった。それだけのことだ。
外国の文字も書物も、たしかに珍しいが、都であれば、学ぶことも、買うこともできる。
もう一度、あたりを見回す。
わけのわからないがらくたばかりに見えたが、よく見ると、そうでもない。
陶の食器、柄杓、藤籠などの生活用品。
ちょっとした刃物。
それから、子供のおもちゃのようなもの。大半は手作りで、細かな部品が組み合わさった寄木細工のようなもの。人形もある。
子供の書いたような汚い文字のメモがたくさん。それから、紙芝居のようなもの。
なぜか、ちくんと胸が痛んだ。
(……ただの、変人だ)
そう、思う。
*
結局、たいした収穫もなく、ケヴィンはタイケ家を出た。
元々、期待はしていない。探すものも決めずに来たのだから。
ただ、納得したかったのだ。
あの男が、流刑に値するのかどうか。
結局、わからない。
雨に濡れながら、しばらく歩く。
畑と森にはさまれたような、ほそい辻に出る。
アベルが子供を脅したというのは、おそらく、このあたりか。
夕刻ということだった。5日前は曇天。日がおちれば真っ暗だ。
ふと、獣のことを思い出す。
もう、場所などはっきりと覚えてはいないが、あの獣も、こうした闇のなかから出てきたのであったろうか。
思い出す。
あのとき、アベル=タイケが、ケヴィンに獣をけしかけてきたのではなかったか。
熊よりも大きく、黒い毛皮と大きく裂けた口をもつ、おそらく四足の獣を。
その後どうなったのか、まるで覚えていない。
ただ、獣のおそろしげな姿だけが、目にやきついている。
「ラウ護法官補」
しずかな声が、背後から。
ふりむくと、青い合羽をきた、中年の男が立っていた。
ハーゲン=リリエンタール刑務官である。
「どうしたんです。こんなところで。」
役所の外でも、リリエンタールの口調は丁寧である。張り付いたようなしかめっつらで、こちらをのぞきこんでくる。
「いえ、……」
「現場検証ですか。」
否定しかねて、かるく頷く。してみると、やはりアベルが子供を脅迫したというのはこの場所だったらしい。
「見るほどのものは何もありませんよ。」
ちょっと怒ったような声で。そういえば、アベルの再逮捕後に調書をとったのは、彼だった。
「別に……、」
ぼそぼそと言い訳をしかけて、首をふる。いったん口をとじて、別のことばを吐き出す。
「リリエンタール刑務官。……あなたは、アベルは有罪だと思いますか。」
「なんです、きゅうに。」
リリエンタールは目を丸くしたが、すぐに真剣な顔に戻って、
「浮浪罪のことを言っておられるわけではないんでしょうね。」
「もちろん、」
「有罪でしょう。……もっとも、たいした事件ではありません。」
「そういうことではなく……」
「わかってます。妖術師条項ですね」
そう言われて、ケヴィンはちょっと驚いた。
「法度くらいは知っております。もっとも、当初は気づきませんでしたがね。」
「それなら、……」
「それでも、」
いいかけたケヴィンをさえぎるように、リリエンタールははっきりと言った。
「奴は有罪だと思います。脅迫罪については。」
「それでは、」
ケヴィンは唇をかんだ。
「かれは、流刑に値すると思いますか。」
「いいえ。」
リリエンタールは、ちょっと苦い顔をしてこたえた。
「5日か、なんなら半月も牢にいれてやれば酒が抜けるでしょうよ。それで上等だ」
「……やはり、そうでしょうね」
陰鬱な気分で、ケヴィンはつぶやいた。リリエンタールは少しかしこまった声になって、
「ラウどの。」
「なんです、」
「あなたは、護法官です。」
護法官補ではなく、あえて、そういう言い方をした。
「われわれ刑務官とは、ちがいます。護法官は、法をつかうのが仕事ではありませんか。」
「つかう?」
ケヴィンはおどろいて首をかしげた。
「法を守るのが護法官ではないのですか。」
リリエンタールは、かすかに唇をまげた。
「違います。法を守るのではない。法によって護るのですよ。」
「……何を?」
「さァ、それは……」
にっこりと笑って、刑務官はいった。
「私からは、なんとも。あなたが考えるのですよ、護法官どの」
いつのまにか、雨はやんでいた。