表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖術師裁判  作者: 楠羽毛
6/12

青い屋根の家

 キーニー村の北は広大な森、南は都との間にそびえる山脈。

 ニル川ぞいに紙工場や村庁舎、そのあたりが中心街。

 川の北は、おおむね貴族や富裕層の邸宅、所有農地。

 南は、小規模な自作農や通いの小作の家土地、それから日用品の店舗がぼつぼつと。


 村の南端、集落と山が接するあたりに、アベル=タイケの家はある。


 家の隣には小さな畑があるが、手入れはされていないようで、雑草が生い茂っている。とはいえ、雑草にまじって葉野菜がちらほら生えていたり、芋を掘り返した跡もあるので、まったく使っていないわけではないようだ。

 玄関のそばには、金属製の大きな輪っかや、木彫りのようなものがいくつも転がっている。


 その日は雨であった。


 ケヴィンは、役人服のうえに革製の合羽をはおって、扉のまえに立っていた。懐から、アベルから押収された鍵をとりだして、錠をあける。

 さびついた音をたてて、扉がひらく。

 むわっと、しみついた悪臭が鼻をさす。生ごみの匂いは覚悟していたが、それよりも酒と、脂のようなつんとした匂いが強い。

 あまり広い家ではない。せいぜい、レッツェル家の半分か、三分の一というところ。扉をあけるとすぐ居間兼寝室というつくりだが、がらくたと書物、紙くずで、床は殆どふさがっている。

 テーブルの上には、喰いかけの干し芋と、これまた、がらくたの山。


 ケヴィンはとほうにくれて、もう一度部屋のなかを見回した。


 がらくたの山と見えたものを、一つずつ検分する。

 大きくひび割れた硝子のなかに、金属の線のようなものが見える。

 人形と、こまかい木の部品が複雑に組み合わさったものがある。

 それから、黒く塗られた木箱の先に、丸い硝子が入ったようなもの。

 いずれも、どういう道具なのか、ケヴィンにはわからない。


 妖術師らしいのか、そうでないのか。


 じっさい、妖術師とはどういうものであるのか、ケヴィンにはさっぱりわからなかった。おそらく、この村の誰ひとりとして知らないだろう。


 黒い獣。

 あれが、妖術だとでもいうのか。まさか。


 休日をふいにしてまでここに来たのは、半分は私情である。黒い獣のことがなければ、わざわざこんなことはしなかっただろう。


 しかし、のこり半分は、義務感だ。


 あの男が妖術師だとは、どうしても思われない。

 いや、そもそもそんなものが存在するなどと。

 よしんば、妖術師を『自称した』ことが罪に値するにせよ、子供を集めての戯言が、流刑に相当するほどの悪事だろうか。


 善であれ悪であれ、法を守ることが護法官、いや護法官補の職務とはいえ━━


 ともかくも。

 すこしでも、事態を明らかにする材料を探そうとここへ来たのだが、意味のあるものは何も見つかりそうになかった。

 迷いながら、そこらに転がっている書を、手にとってみる。

 とても分厚い、硬い表紙のついた、赤い本である。

 見たことのない種類の薄紙でできている。

(読めない、)

 そう、気づく。

 外国語であろう。およそ見たこともない、複雑で曲線的な文字である。

 横書き。

 文の区切りもわからない。

 しかし、手書きではないようだ。かすれも歪みもなく、文字ごとに全く同じ筆致で記されている。都では手刷りの色版画が売られていたが、それと同じようなものだろうか。しかし、それにしても同じ文字が全く同じ筆致というのはおかしい。よほどの名人が彫ったのか。

 外洋の書物である。

 よく見ると、部屋にある書物の半分くらいは、外国語で書かれているようだ。この本と同じ、曲線的な文字で書かれているものもあれば、ケヴィンも文字の形くらいは知っている、南方諸国の地域文字もある。

 乱暴に撒き散らされたメモ紙も、外国の文字で書かれたものが多いようだ。

 つまり、あの男は、外国語の読み書きができた━━それも、日常のメモ書きを外国語でするほどに、熟達していたということになる。この、辺境の村にありながら。

 ぞっとした。


 まさか、ほんとうに、妖術師ということではないか。


(ばかな、)

 妖異神威を尊ぶべからず━━

 それは、先帝の即位以来の、ラフタラン帝国の根本原則のひとつである。

 見えないものに頼ってはならぬ、ということだ。

 徹底した合理主義とでもいうべきか。

 しかし、それは、この世に妖異が存在しない、ということではない。


 いや。

 妖術師など、いるものか。


 ただの老人と思っていた男が、思ったよりも博識であった。それだけのことだ。

 外国の文字も書物も、たしかに珍しいが、都であれば、学ぶことも、買うこともできる。

 もう一度、あたりを見回す。

 わけのわからないがらくたばかりに見えたが、よく見ると、そうでもない。

 陶の食器、柄杓、藤籠などの生活用品。

 ちょっとした刃物。

 それから、子供のおもちゃのようなもの。大半は手作りで、細かな部品が組み合わさった寄木細工のようなもの。人形もある。

 子供の書いたような汚い文字のメモがたくさん。それから、紙芝居のようなもの。


 なぜか、ちくんと胸が痛んだ。


(……ただの、変人だ)

 そう、思う。



 結局、たいした収穫もなく、ケヴィンはタイケ家を出た。

 元々、期待はしていない。探すものも決めずに来たのだから。

 ただ、納得したかったのだ。

 あの男が、流刑に値するのかどうか。


 結局、わからない。


 雨に濡れながら、しばらく歩く。

 畑と森にはさまれたような、ほそい辻に出る。

 アベルが子供を脅したというのは、おそらく、このあたりか。

 夕刻ということだった。5日前は曇天。日がおちれば真っ暗だ。


 ふと、獣のことを思い出す。

 もう、場所などはっきりと覚えてはいないが、あの獣も、こうした闇のなかから出てきたのであったろうか。

 思い出す。


 あのとき、アベル=タイケが、ケヴィンに獣をけしかけてきたのではなかったか。

 熊よりも大きく、黒い毛皮と大きく裂けた口をもつ、おそらく四足の獣を。


 その後どうなったのか、まるで覚えていない。

 ただ、獣のおそろしげな姿だけが、目にやきついている。


「ラウ護法官補」

 しずかな声が、背後から。

 ふりむくと、青い合羽をきた、中年の男が立っていた。

 ハーゲン=リリエンタール刑務官である。

「どうしたんです。こんなところで。」

 役所の外でも、リリエンタールの口調は丁寧である。張り付いたようなしかめっつらで、こちらをのぞきこんでくる。

「いえ、……」

「現場検証ですか。」

 否定しかねて、かるく頷く。してみると、やはりアベルが子供を脅迫したというのはこの場所だったらしい。

「見るほどのものは何もありませんよ。」

 ちょっと怒ったような声で。そういえば、アベルの再逮捕後に調書をとったのは、彼だった。

「別に……、」

 ぼそぼそと言い訳をしかけて、首をふる。いったん口をとじて、別のことばを吐き出す。

「リリエンタール刑務官。……あなたは、アベルは有罪だと思いますか。」

「なんです、きゅうに。」

 リリエンタールは目を丸くしたが、すぐに真剣な顔に戻って、

「浮浪罪のことを言っておられるわけではないんでしょうね。」

「もちろん、」

「有罪でしょう。……もっとも、たいした事件ではありません。」

「そういうことではなく……」

「わかってます。妖術師条項ですね」

 そう言われて、ケヴィンはちょっと驚いた。

「法度くらいは知っております。もっとも、当初は気づきませんでしたがね。」

「それなら、……」

「それでも、」

 いいかけたケヴィンをさえぎるように、リリエンタールははっきりと言った。

「奴は有罪だと思います。脅迫罪については。」

「それでは、」

 ケヴィンは唇をかんだ。

「かれは、流刑に値すると思いますか。」

「いいえ。」

 リリエンタールは、ちょっと苦い顔をしてこたえた。

「5日か、なんなら半月も牢にいれてやれば酒が抜けるでしょうよ。それで上等だ」

「……やはり、そうでしょうね」

 陰鬱な気分で、ケヴィンはつぶやいた。リリエンタールは少しかしこまった声になって、

「ラウどの。」

「なんです、」

「あなたは、護法官です。」

 護法官補ではなく、あえて、そういう言い方をした。

「われわれ刑務官とは、ちがいます。護法官は、法をつかうのが仕事ではありませんか。」

「つかう?」

 ケヴィンはおどろいて首をかしげた。

「法を守るのが護法官ではないのですか。」

 リリエンタールは、かすかに唇をまげた。

「違います。法を守るのではない。法によって護るのですよ。」

「……何を?」

「さァ、それは……」

 にっこりと笑って、刑務官はいった。

「私からは、なんとも。あなたが考えるのですよ、護法官どの」


 いつのまにか、雨はやんでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ