脅迫罪
歓迎会は、延期となった。
*
監獄の合鍵とともに、アベルの供述書、当初の起訴文、日報などを受け取り、それらを整理することからはじめた。
村主クルトから意見書が出たのは、昨夜。不寝番の刑務官が受け取った。その際、刑務官の判断により、短時間の取り調べが行われている。
『最近、子供を集めて何か話したことがあるか。』
『あるなら、どんな言葉を使ったか。』
『何か、金品を要求したか。』
いずれの問いにも、アベルは、まともに答えてはいない。
単に覚えていないと答えるか、無言であったと記録されている。
刑務官の側も、護法官に報告する前の取り調べであるから、強引に自白をとることはしない。
あくまでも、事実の確認をするのみである。
妖術師条項のことも、刑務官の頭にはなかったらしく、取り調べの焦点にはなっていない。
ともかく、再度の取り調べが必要だと思われた。
それから、法文の検討である。しかし、その前に理解しておかなければならないことがある。
そもそも、妖術師条項とは何か。
いつ、なんのために制定されたものか。
そういったことも、ある程度は調べておかねばならない。
その後でなければ、取り調べをしても意味がない。ケヴィンはそう考えていた。
さて━━
夕刻である。
とっくに、役所の勤務時間はおわっており、ケヴィンは自宅、つまりラウ家にいる。
もうじき、日が暮れる時刻である。
資料のうちいくらかは、持ち帰っている。
蝋燭も油も高価であり、村庁ではまず残業の許可は出ない。遅くまで仕事をしようと思えば、持ち帰るしかない。
二階の角部屋。今は書斎。かつての勉強部屋。
窓に面した机をのぞいて、三方を書棚にかこまれた狭い部屋だ。書棚には、古い教科書と帳面、反古紙がびっしり詰まっている。
ラウ夫妻の生前、ケヴィンは、一日のほとんどをここで過ごしていた。
さて、妖術師条項である。
国試の参考書や、役所の資料をあさってみても、この条文がいつからあるのか、はっきりとはわからない。
だが、その背後にある考え方は、なんとなく想像がつく。
先の帝の言葉、『妖異神威を尊ぶべからず』である。
帝国のあちこちにあった土着神、妖物に対する信仰を、先の帝は否定した。
『尊きは、ただ血と位のみにあり』というわけである。
血と位のうち、『位』については、ただ才のみにて与えられるのが真なり、とされた。
国試制度も、この思想にもとづいて造られたものである。
制度上は誰でも国試を受けることができ、ただ能力だけがあれば高い位階が与えられる、ということになっているが、実態はそうでもない。国試の範囲をカバーするだけの資料をそろえ、都の学校に入るか家庭教師をつけて学び、さらには一年近くにわたる試験にかかる諸経費をまかなうのは、庶民には無理である。
小作農の出であるケヴィンが、ラウ家の養子となったのも、このためだ。跡継ぎがいないラウ夫妻が、国試制度のなかで家名をあげるため、才のありそうな平民の子に目をつけたのだ。
話がそれた。
『妖術ニヨッテ人ヲ惑ワシ、罪ヲ犯シタル者』という文面からは、『妖異神威』への信仰を否定する先帝の思想が感じられる。
ただし、疑問もある。
妖術によって人を惑わし、という文面からは、妖術そのものの実在を前提としているようにも思われる。まるで、妖術師の存在とその力を認めたうえで、取り締まろうとしているようだ。
もっとも、厳密には、先帝は、妖異そのものを存在しないと言っているわけではない。
『ただ、見るほどのこともなし。』
と、言うのである。無関心に近い。
ともかく、条文が制定された背景については、今、はっきりとしたことはわからない。
あとは、文理上の解釈であるが━━
「ケヴィン、」
しずかな声とともに、こんこん、と扉をたたく音がした。
応える前に、ドアがひらく。
「今日はとりあえず帰るけど。テーブルの上に、置いておいたから。あとで食べなさい」
ユッタである。
「ありがとう、」
ふりむいて、にっこりと笑う。
その、笑みをうけて、安心したように、ユッタは目を細めた。
*
さて、条文の解釈である。
『妖術ニヨッテ人ヲ惑ワシ、罪ヲ犯シタル者ハ、財産ヲ没収シ流刑ニ処ス』
前半の、『妖術ニヨッテ人ヲ惑ワシ、罪ヲ犯シタル者』というところ。
これは、『妖術ニヨッテ人ヲ惑ワシ、(かつ、)罪ヲ犯シタル者』と、読むべきである。
つまり、『妖術ニヨッテ人ヲ惑ワシ』ただけでは、処罰の対象にならない。それと同時に、なんらかの罪を犯した時点で、犯した罪の処罰に加えて、『財産ヲ没収シ流刑ニ処ス』のである。
構造としては、同じ法度禁令百条の中にある、以下のような条文に近い。
第五十条
位階ニアラヌ者ガ、位階ニアル者ノ生命財産ヲ犯シタル時ハ、ソノ罪ヲ重クスル
第六十条
官職ニアル者ガソノ権能ヲ偽リ、誤信セシメルニヨリ罪ヲ犯シタル時ハ、ソノ官職ヲ免ジ、以後官職ヲ得ルベカラザル事トス
これらの条文は、いずれも、罪を犯した者に対して、その罪の内容や状況によって、さらに罰を課すものである。
妖術師条項も、考え方としてはこれと同じである。
「……ですから、」
翌朝。
ケヴィンは、ティモ護法官の机の前に立って、緊張した面持ちで口を開いていた。
「妖術師条項が適用されるには、別の罪を犯していなくてはなりません。アベルの場合━━」
「浮浪罪で収監中だな」
「ええ、ですが」
ケヴィンは首をふった。ライナーが後ろできいている。
「浮浪罪を犯した時点と、妖術師を自称したとされる時点は、数日のへだたりがあり、状況的にも関連はありません。これを結びつけるには無理があると思います」
「今回の場合、浮浪罪を犯したということだけでは、妖術師条件の適用条件を満たさないと?」
「そう考えるのが自然だと思います。
……例えば、第六十条の権限偽装罪ですが、これは『権能を偽り誤信させる事』により、『罪を犯した時』というように、手段と目的の関係が有るからこそ罰するわけです。
妖術師条項では、条文の書き方こそ違いますが、『妖術師を自称する事』と『罪を犯すこと』の間に何らかのつながりを想定しないと、法の趣旨に沿わないのではないのでしょうか」
「なるほど、」
ティモはうなずいたが、手放しに納得した様子はなかった。
「少し、時間をもらおう。他の業務を片付けておくように」
そう、言った。
*
午前中は、ライナーの指示のもと、書庫の整理をしてすごした。
昼休み、役所の奥にある喫食所でユッタからもらった軽食をたべて、詰所へもどると、ライナーとティモが何ごとか話していた。
「おう、ちょっと来い」
そう、ライナーにいわれて、輪にくわわる。
「朝のことだが……、」と、ティモが口火をきる。妖術師条項の適用条件のことだろう。
「はい、」
いくつかの細かいことが、頭のなかをかけめぐる。
「やはり、状況を考えれば、妖術師条項は適用されるとしか考えられない」
「……と、いいますと」
「脅迫罪が成立するだろう」
ケヴィンは眉根を寄せた。脅迫罪の条文は次のとおりである。
第二十四条
威力、妄言、有形又ハ無形ノ力ヲ以テ人ヲ脅シタル者ハ、禁錮又ハ謹慎又ハ重敲トス
「実務は心得ませんが……、この場合、脅迫になるものでしょうか」
「普通なら、ならんね。子供にほらを吹いて脅かした程度じゃ」
あっさり、ライナーがそういいはなつ。
「だが、村主から意見書が出ている。通常なら知らずで済ませる程度のことでも、文書で把握した以上は、正式に対応しなければならない」と、ティモが後をひきとる。
低い、表情のよみにくい声である。
「事実関係は……」
「むろん、状況を把握してからのことだ。本人の自白はないようだな」
ティモの手元には、アベルの取調調書があった。
「近日中に、事実関係をはっきりさせて、法論理を整理するように。以上だ」
*
少し、ライナーと議論して、それから、アベルの取調べをした刑務官に話をきいた。
もう一度、キーニー村の過去の事件記録をみなおす。
どこか、釈然としなかった。
村主という役職は、区域内の平民たちの利益を代表する存在の筈である。
法律上、正式に意見書を村庁へ提出できるのも、無位者では村主に限られる。
当然、役所側からしても、村主の意向は無視できない。
意見に応える義務があるわけではないが、法律上さしつかえのない範囲で、できるだけ便宜をはかっているようである。
罪改めについては、特にそうだ。
そもそも、これまでの記録を見ていると、犯罪者を特定すること自体、官側ではなく村主が行うことが多い。
村主や、村側の自治組織が、犯罪事実と犯人を特定し、場合によっては私刑を加えた上で、村庁へ通報しているのである。
たとえば、およそ半年前の、窃盗事件がそうだ。
村主が中心となり、村人たちが幾度か会合を開いて犯人を割り出したという。
護法官は、それを追認して処罰したにすぎない。
今回も、それに近い。
アベルが浮浪罪で逮捕されたのは、村主を含む数人の村人から、通報があったからだ。
事件記録によれば、三人の村人が、刑務官詰所へアベルを連れてきて引き渡した、とある。
そのうちの一人が、村主クルト=オルフである。
クルトには、ケヴィンも会ったことがある。といっても、小さい頃のことで、よくは覚えていない。
村主であれば、ケヴィンの実の両親の葬儀にも出ていたはずだが、それこそ記憶にない。
事件記録を、もう一度新しいほうから順に見直していく。
今回の浮浪罪や、窃盗のような小さな事件は、一年に2~3回。
強盗殺人のような重大事件は、十年に一度あれば多いほうか。
直近では、
ケヴィンのよく知っている、あの事件くらいだ。
*
帰宅すると、ユッタが待っていた。
今朝から、通いで来ている。早朝から来て、昼に一時帰宅するほかは、基本的にこちらの家にいるはずだ。
大きな玄関扉をあけると、ひょいとあけっぱなしのドアから顔をだして。
「おかえり、」と、家族にかけるような声で。
「ただいま。」
小さくこたえて、ちらりと廊下をみる。埃だらけだった床が、きれいになっている。
「ありがとう、」というと、
「なあにが。」と、きょとんとした顔で。「夕食、できてるから。」と、つづける。
室内から、野菜スープの匂いが、ただよって来る。
夕食は、芋が定番だが、きょうは少し手のこんだ、ふかし芋と豆の練り物である。
「お茶でも入れようか?」
ばかな。
夕食の飲み物といえば、エールと相場がきまっている。
そう思ってから、そういえばラウ家でエールを飲んだことはなかったなと気づく。たいてい、夕食の前後に茶と、ごくたまに、干し林檎のはいった豆酒。エールは庶民の飲み物なのだ。
結局、この家の生活には慣れなかった。少なくとも、ラウ夫妻が生きているあいだは。
「……お茶っ葉、あるの?」
一応、きいてみる。
「そこの奥にあったけど。」
食器棚の隣にある引出しだんすの上段。二年近く、置きっぱなしだったことになる。
「……さすがに、」
「いいじゃん。……一度、飲んでみたかったんだよねえ。」
うきうきと鼻歌でもでそうな顔をしながら、壺の封をあける。ぷうんと茶の香りが、スープの匂いにまざる。
ケヴィンはかるくため息をついた。目は笑っていた。
「……茶器はそこ。入れ方はわかる?」
「もちろん、」
高い食器棚の上から、背伸びもせずに茶器の箱をおろしてあける。
湯は沸かしてあるようだ。準備のいいことだ。
ケヴィンは寝室へ行って、制服をぬいだ。薄く織られたマントとウールの上着。さして重いものでもないが、やはり、脱ぐと身体が軽くなる。
手袋をはずして、剣を部屋のすみに片付ける。
貴族、すなわち位階者は、時あらば手下を率いて出陣するのが義務だ。
もっとも、そんな機会はついぞないのだが。
香りは悪いが、飲めないことはなかった。
ユッタは、ケヴィンの食事だけを出して、自分はあとで食べようとしていたようだ。居心地が悪いので、一緒に食べるよう言った。
もっとも、言ったとたんに盆にのった食事一式が出てきたあたり、最初から薦められるのを待っていたようにも思われる。
「……明日は、お休みなのだっけ」
むかいあって、練り芋をスプーンですくいとりながら、ユッタが口を開く。
「うん、」
だから、こなくていいよ、と言おうとしたが、
「じゃ、お弁当はいらないのね。家にいるの?」
先にそう言われて、口ごもる。
「……ちょっと、朝は出かける。午後は、夕方まではここにいる、と思う」
「夕食は?」
「ヤンと、役所の先輩と、外で。歓迎会だってさ。」
「ふうん。」
仔細ありげに手をとめて、ユッタは首をかしげた。
「あんたも、……そういう、貴族どうしの付き合いができるのね。嬉しいわ」
「なんだよ、それ。」
「だって、」
もぐもぐと咀嚼しながら喋るのは、ユッタの悪いくせだ。
「……あなた、このお家に養子に来てから、ひきこもってずっと勉強ばっかりだったんじゃないの。家を継いでからだって━━」
「たまに、ヤンと出かけたりはしてたよ」笑いながらケヴィンは言い繕ったが、おおむね、ユッタの言うとおりである。国試のために養子にされたようなものなのだから、仕方のないことだ。
「だから、いつまでたっても平民っぽさが抜けないんだって、かーさんが言ってたわよ」
「いいんだよ、別にさ━━」
十二の年まで平民として育ったのだ。今さら、貴族らしくあろうなどと。
生家での9年、レッツェル家に引き取られてからの3年。どちらも、大切な記憶だ。
そういえば、と思いついて、きいてみる。
「ユッタ。……まだ、うちの親が生きてた頃なんだけど、」
「なあに?」
ユッタは首をかしげた。実の両親の生前、つまりケヴィンの子供時代のことだ。
「……村はずれに、アベルってオジサンがいたでしょう。」
この時代、役人の間にも、守秘義務という厳格な考え方はない。
まして小さな村のこと、アベルが逮捕されたことくらいは、ユッタもとっくに知っているだろう。
それでも、ケヴィンは一応言葉をえらんだ。ユッタは、ただ頷いて先をうながした。
「あのさ、……あの家に遊びに行ったか何かして……大きな犬とか、それかもっと大きな動物、獣っていうか……、熊か猪みたいな……、」
記憶にある姿は、そのいずれでもなかったようには思う。
もっと禍々しい、黒い獣、としか言いようがない。
「はぁ?」
当然といえば当然のことだが、ユッタは何も知らないようだった。
「あの家じゃ、犬は飼ってなかったと思うけど。何なの、それ?」
「いや、……何でもない。」
ケヴィンは首をふって、スープに目をおとした。どうでもいいことだ。
「……あのさ、」
なんだかいいにくそうに、ユッタは低い声で、
「何か、あるんなら言いなさいよ。勤めのことだってさ━━」
「うん。……ありがとう」
そう、それよりも、仕事のことだ。
ぼんやりと、いろんなことが胸のなかをよぎる。
ぼくは、
あの男を、どうしたいのか?