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妖術師裁判  作者: 楠羽毛
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妖術師条項

 日暮れとともに、役所の仕事は終わる。いちおう明かりの用意はあるが、基本的には非常時のためのもので、普段から使っているのは宿直室と刑務官棟だけだ。

 正門をくぐって、ふとため息をつく。

 雑用ばかりとはいえ、やはり、緊張していた。当然のことではあるが。

 ぞろぞろと帰っていく同僚たちに挨拶をしながら、少し歩く。一部の下働きをのぞき、役所の事務官は貴族である。居所はだいたい村の北部に集中している。

 ケヴィンは、早足で西へまがった。ラウ家とは違う方向である。

「……メシ屋なら、そっちにはないぞ」

 ふいに、耳元で男の声。

 びくりと足をとめて、ふりむく。それから、安堵する。

「驚かすなよ。」

 ケヴィンと同じく、事務官の制服をきた、くせ毛の若い男。長身というわけではないが、ケヴィンよりは体格が良い。

 彫りの深い顔つきと目つきのせいで険悪にみえるが、口元は笑っている。

 ヤン=クルツ。同い年だが、ケヴィンより2年はやく入庁した友人である。たしか、租税関係の部署にいたはずだ。

「きょう任官だって? 知らなかったぜ。挨拶に来いよな」

「忙しくて。なんせ、きのう着いたんだから。……任官通知が先月の末だよ? 準備にバタバタして、手紙を出してるヒマもなかった」

 正確には、レッツェル家にはまっさきに知らせたのだが、それは言う必要もない。

「そんなことだと思った。じゃ、まだ竈の掃除も済んでないだろ。……外食するんなら、うちに来いよ。妹も会いたがるだろうし」

「いやあ……」

 一瞬目をそらして迷ってから、ケヴィンは正直に言った。

「これから、ユッタのところに行くんだ。夕飯は、そこで。」

「え、……まじかよ」

 ヤンは複雑な顔をした。ケヴィンを通じてユッタとは親交があったはずだが、やはり貴族と平民である。いろいろと思うところはあるのだろう。

「ま、……そうか、ある意味、お前の実家だもんな」

「まあね、」ケヴィンはなんとなく笑った。複雑な家庭事情である。

「……でも、いつまでもってわけにいかないだろ。あの屋敷で一人暮らしするつもりなのか?」

「まあ、とりあえずは、そうするしか。広すぎるけど、かりにも親の家だし──」

 言っている意味をはかりかねて、ケヴィンはぼそぼそと答えた。転居は考えていない。

「そういうことじゃないよ」

 ヤンは首をふった。

「家屋敷の管理もそうだけど、家事とかさ……、役所の仕事のほかに、土地と小作の管理もあるんだろ。一人でできんの?」

「……前は、一人でしてたし」

「できてたか?」

 ずけずけと言われて、ケヴィンは目を伏せた。とはいえ、

「……なんか、怒ってんの?」

 あいまいな笑いを浮かべて、きいてみる。

「いや、……とにかく、誰か雇うとかしろよ。お前、俺よりずっと金持ちなんだからさ」

 そういって、ため息。

 よくわからないが、正論ではある。

 以前、つとめてくれていた下男や手伝いの者たちは、もういない。

「……誰かに、相談してみるかな」

「そうしろよ。」

 じゃ、と手をふって、ヤンはいってしまった。


 都へいく前のことを思いだす。

 といっても、一人で暮らしていたのは、ほんの一年たらずのことだ。

 最低限の義務のほかは、家にひきこもって、国試の勉強ばかりしていた。他のことができる状態ではなかった、といってもいい。

 それで、なんとか生活が成り立っていたのは、彼女のおかげだ。


 大切な、姉の。



「……ということで、誰か、手があいている人を探したいんだ」

 結局、相談相手といえば、親しかいないのだった。

 レッツェル家の食卓である。小作農家としてはかなり大きな家だが、10人もいるとさすがに狭い。大きな丸テーブルは、陶の大皿と木皿で、ほとんど埋まっている。

 人数分の丸パンに、ミルク入りのエール、焼いた芋とたっぷりの薄いスープ。

 ふつうは夕暮れ前に食事を終え、寝室へ引き上げてしまうのだが、きょうはいつもより少し遅い。窓からはいる夕明りをたよりに、手を動かしている。

「ふうん、」

 レッツェル夫人は鼻をならして、こつこつと額をなでた。

「けど、今は時期が悪いかね。麦の収穫は終わったけど、紙工場の臨時雇いがあるだろ。男手はほとんどそっちに行っちゃうからねえ」

「そりゃ、まあ……」

 ちらりと、むかいに並んでいる父や叔父、兄弟たちをみる。たしかに、昼間あいている大人はいない。他の家でも、似たりよったりだろう。

 レッツェル家はラウ家の畑を耕す小作農家である。

 小作といっても、貴族の庇護下にある小作は、すこし特殊な立場だ。

 地主の指揮監督のもと労働力を提供する一般の小作とは違い、かれらは土地を『半ば所有』することを許され、帝国に税を払うかわりに、主たる貴族に年貢を納めている。

 そのかわり、帝国に事あらば、貴族の手兵として軍役に服する、ということになっている。

 つまり、かれらは本来的には地方貴族の支配下にある領民であり、帝国とその臣民の支配関係とは、すこし外れたところにいるのである。

 もっとも、今はその理念も形骸化し、収穫祭の前後を除いては主との関係を思い出すこともない。貴族のほうも、年貢を受け取る瞬間以外は、小作のことなど忘れている。

「けど、それじゃ年中同じことじゃないの。農閑期に紙をつくってるんだから。」

 ユッタが芋を手づかみで頬張りながらいう。行儀が悪いが、誰もわざわざ指摘する者はいない。

「そういうものさ。それで、この村は潤ってるのよ。」

「ふうん、……」

「ま、探せばいないことはない。知り合いにあたってみても……」

「それよりさ、」

 夫人のとなりに座っている男が、眉をしかめながらいった。ユッタの兄である。

「女手でいいじゃん。かーさんかユッタ、行きなよ。」

「ていうか、ここに住めば?」

「役所すぐそこだし。兄ちゃんが紙工場に通うのといっしょでしょ」

 弟妹たちが、口々に言う。父親が顔をしかめる。

「そうもいかん。ケヴィンにも、立場ってものがある。今はレッツェルじゃなく、ケヴィン=ラウなんだから。そうだろ?」

「……うん、父さん。」

 うなずきながらそう返されて、父は苦笑した。

「だから、ユッタ。行け」

「うん、」かるくうなずく。「わかった。」

「いや、その」

 ケヴィンは言葉に詰まった。「だから、男手が」

「別にいいでしょう。どうせ、都に行く前だってサ」

「それは、まあ……」

 なんだかしゃくぜんとしない気持ちで、ケヴィンは首をひねった。

 ううん、と呟いてから、

「……変な噂が、たつんじゃないかな。若い男女が、……」

 ちいさく、そういうと、


 みんな、大きく口をあけて笑った。



 夕食後、今後のこまかい取り決めをして、レッツェル家を辞した。

 星あかりをたよりに、ラウ家まで歩く。

 なんだか、変な気分だった。



 夢を見た。


 炎が、男を灼いている夢である。

 ぐずぐずと乱れて落ちていく肉のかけらが、焚きあげる炎の芯にふれて崩れる。

 はりつけにされた男が、悲鳴をあげる。

 ぎぃぃぃぃ、とも、

 ぢぃぃぃぃ、とも、聞こえる。

 男の顔は、ここからは見えない。


 ただ、ぼんやりとそれを見上げている。



 翌朝、


 出勤してすぐ、ライナーから、歓迎会にさそわれた。ヤンもくるらしい。

 午前中は、倉庫で書類の整理。過去の事件記録を、片付けがてら読みあさる。

 田舎の村のこと、主だった事件記録は、ものの半日もあれば大筋把握できてしまう。

 昼前になって席に戻ると、

「おい、」

 少し、緊張したおももちで、ライナーが書類をしめす。

「これ、見てみろ。……おまえの知り合いのあの親爺な、」

 目をおとすと、それは意見書であった。

 払い下げの官用上紙に、達筆な文字で書かれている。もっとも、文字の綴り方から、官職につくための教育を受けてはいないことがわかる。つまり、貴族の手になる書ではない。

 差出人は、村主クルト=オルフ。

 村主というのは、村内の平民を代表して、貴族階級である官人たちとの間をとりもつ役である。領治官が指名する役であるが、実際には世襲されていたり、農民のあいだで力をもつ者が務めることが多い。税や賦役のとりまとめをするほか、平民の利益のために役所と交渉のようなことをする場合もある。官職ではないが、ある意味ではそれに近い。

 さて、書題は、こうある。


『アベル=タイケなる男について』


 近日中に釈放される見込みのあの男が、何だというのか。

 さっと目をはしらせて、大意をつかもうとする。中ほどの言葉が目をひく。


『かように、酒に溺れ、まことの心なく、ただ愉しみがために空ごとのべたてる男につき、』

『けして、』

『様々申し立てられようとも、ただ己の利と、悪しき心がゆえに申すことに違いなく、』

『くれぐれも、』

『まことの言葉とうけとられませぬよう、お願い申しあげます』


 ケヴィンは、違和感をおぼえた。

 これが、村主の言葉だろうか。

 村主は農民の利益を代表する者であり、微罪で収監されているアベルは、どちらかと言えば庇われる立場の筈である。

 よほど、たちの悪い男であると、思われているのであろうか。


 すこし、目をもどして、前半の文章をよむ。


『七日前の夕刻のことでございますが、アベルが、自分の畑近くの四ツ辻で、近所の子供を集め、脅していたと申すものがおります。自ら妖術を使えると称し、何かあやしげな手妻を使って子供たちを怖がらせていたということです。もっとも、金銭や物品を要求していたという証拠はございませんが、このようなことからしても、アベルの言葉を信用してはならないのは明らかであります』


 すっと読みすごしてから、数秒して、気づく。

 顔をあげる。

「気づいたか、」

 いつのまにか、背後に、ティモ護法官が立っていた。

「ライナーは気づかなかった。さすが、都帰りだな」

「やめてくださいよ、」とライナーが不満げにつぶやく。「では、」と息をつめてケヴィンは問い返す。

「法度禁令百条の、第七十二条━━」

 そういいかけると、ティモは、こんどこそ本当に驚いたように顔をしかめた。

「そこまで暗記してるのか。そう、妖術師条項だよ。」

 つまり━━


『妖術ニヨッテ人ヲ惑ワシ、罪ヲ犯シタル者ハ、財産ヲ没収シ流刑ニ処ス』


 これが、法度禁令の第七十二条。妖術師条項といわれるものである。

 滅多に、つかわれる条文ではない。ケヴィンも、文面は覚えているが、判例は知らない。

 ライナーがすぐに思い当たらなかったとしても、無理もない。それだけ、マイナーな法文だ。

「村主から上申があった以上は、検討はせねばならぬ。もし、妖術師条項を適用するとなれば、領治官が来られるのを待つことになろう」

 実務上、護法官が判決から刑罰の執行まで行うのは、謹慎や短期間の禁錮、財産の一部没収といった、比較的軽い刑罰に相当する罪だけである。

 妖術師条項では、財産の全部没収および流刑ということであるから、護法官の補助のもと領治官が正式な裁判を行い、判決を下すことになる。

 このあたりのことは、判事法官実務心得に規定されている。昨夜、ざっくり目を通しているから、ケヴィンも承知している。

「領治官は、いつ来られるのですか。」

「およそ、一ヶ月後だな。それまでに罪状を検討して、判決文を起草するわけだが━━」

 場合によっては、それまで、アベルは釈放されないということだ。

 いや、それどころではない。

 仮に有罪となれば、流刑。どこへ流されるかは定かでないが、いずれも厳しい土地だ。

 島流しにせよ、鉱山での労働にせよ、酒びたりのあの男が、長く耐えられるとは思えない。

 ある意味、死罪に等しいともいえる。

「……護法官、」

 勝手に、言葉がすべり出していた。

「ぼくに、検討させてください。妖術師条項が適用されるかどうか━━」

「ほう、」

 ティモは、ライナーと目をみかわす。ライナーが、ちょっと目をさまよわせてうなずく。

「よかろう。ライナー、教えてやれ。どうせ、引き継ぎもせねばならん」

「そうですね、」

 小さく、ため息。どういう意味かは、よくわからない。


 ともかくも、そういうことになった。


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