浮浪罪
キーニーの村庁舎は、ニル川の西岸にある。
大きな吹き抜けのある二階建て、ひびの入った石造り。しっかりした造りだが、前の前の帝のころの建物だから、そろそろ建て直しの頃合いだ。渡り廊下でつながった紙工場はまだ新しく、せいぜい築二十年というところ。
つとめ人は、ぜんぶで52人。
位階でいえば、十位下から五位下まで。
領治官は普段いないから、実質的には、六位中の守領官が役所のかしらである。
さて──
庁舎1階の端、別棟へと続く渡り廊下のとなり。資料棚と4つの机でほとんど埋まった、狭っ苦しい事務室。
護法官詰所。
そこに、ケヴィンはきていた。
部屋の入口にたち、「よろしくお願いします、」と、多少うわずった声でいい、深々と頭をさげる。
4つある席のひとつには、20代後半くらいの男が座っている。
短髪、大人らしく整った顔立ち、高い背丈。服装は、制服だからもちろんケヴィンと同じ。紅色の薄いマントに、緑に染めた羊毛の上着とズボン。白い手袋、紋章入りのベルトに剣をさして。
同じ格好なのに、ずいぶんと違ってみえる。
「ライナー=デルタイ護法官補だ。よろしくな」
護法官補。つまり、ケヴィンと同じ役職の、先輩ということだ。
「はい、」
かたい声で、もう一度頭をさげる。
ライナーの向かいの席には、眉の濃い、50がらみの背の低い男が座っている。
「ティモ護法官だ」
男は、そういって、座ったまま、こちらをみる。
ケヴィンは、丁寧に頭をさげて、もう一度あいさつをした。ティモは、ただ頷いて眉をしかめた。
*
「━━どうせ、事件はあまりない。」
ぼつぼつと、ライナーの話をききながら歩く。
護法官事務所の入口から、すぐとなり、別棟までは、歩いてすぐ。
「護法官の仕事がなにか、知ってるか?」
「ええ、まあ━━」
いちおう、知識としては知っていた。
犯罪捜査、訴訟の事務、裁判。
管内の民と司法にかかわること、ほとんどすべてと言ってよい。
そのようなことを、ぼそぼそと答えると、ライナーは小さく首を振った。
「まあ、そうだが、実務的には少しちがう。ほとんどの場合、被疑者は、村人が名指しで訴え出るか、村主の報告により特定される。おれたちが直接犯人特定のために捜査することは、実際にはほとんどないってことだ」
ライナーは、こつこつとブーツをならし、留置棟のとびらをあけた。
なにもない廊下に、いくつかの扉。白い漆喰の壁に、板がうちつけてある。
留置室、
取調室、
刑務官控室。
「いま、扱っている事件はひとつだけ。いつも、そんなもんだ」
刑務官控室をノック。こんこん、と二度、三度目の拳が音をたてる前に、扉があく。
しかめっつらの、背の低い男。
事務官の制服とはちがう、茶と緑のシンプルな官服である。剣だけでなく、短めの棒を腰にくくりつけている。
「どうされました、……」
低い声で、じろりと二人をめねつける。
「新人だよ、」
と、ライナー。
「ケヴィン、こちらは刑務官のリリエンタールさんだ」
「ケヴィン=ラウです。よろしくお願いします」
頭をさげると、リリエンタールはかるく首をふって、狷介な目つきのまま手をさしだした。
握手をして、すぐに手をはなす。
「……どうぞ、」
刑務官控室は、いっけんただの事務室といったふう。
机がふたつ、隅に大きな棚、木箱。
「事務官がこちらにいらっしゃるとは、」
「3日に一度はきてるでしょうが。」
「月に一度の間違いでしょう、」
ぽんぽんと軽口。
それから、リリエンタールはケヴィンのほうをむいて、
「……ここは、罪を犯したものを収容し、尋問し、刑を執行するところです、」
と、簡潔に告げた。
「犯罪者は、本庁舎へは、いれないことになってる。保安上の問題があるからな」
と、ライナーが補足する。
「禁錮刑や笞打ちはここで執行する。処刑や晒しは、屋外でやることになっているから、広場まで引き出してやることになる。見たことあるか?」
「ええ……、」
ケヴィンは陰鬱に目を伏せた。ライナーはしまったと目をそらした。
「吟味筋の場合は、裁判もここだ。といっても、ふつうは言い渡しで終わる。出入筋の時のように、互いの弁明からはじまって何度も審理を繰り返すことはない。大きな事件のときは領治官の出席を要するが、手続きは同じだ。……言ってること、わかるか?」
「ええ、」
こんどは明るく、ケヴィンはうなずいた。国試の課題の半分は法理論であり、裁判の手続きは大体、暗記している。
「……だから、裁判前の事実確認が必要なんですよ、」
リリエンタールが次をひきとる。
「吟味筋と出入筋では、裁判の目的自体が違うのはわかりますよね?」
「ええ、」
「出入筋の場合、極端なことを言えば、事実関係はどうでも良いのです。利害の調整が目的ですから。だから、採決よりも和解の道筋をまず探します。吟味筋では、そうはいきません。人を罪に問うのですから、事実に基づかねばなりません。ですから、言い渡しの前に、尋問と証拠調べを入念に行います。場合によっては、拷問が必要な場合もあります」
拷問、という言葉が、平坦な声で飛び出した。ケヴィンも、特に顔色を変えなかった。
「まあ、そこまでするのは、特に重大な犯罪の場合だけだ。この村では、滅多にそんなことはない」
「そう、ですね」
どうしても、あの光景が頭にちらつく。
ケヴィンは首をふって、目をしばたかせた。
とりなすように、リリエンタールがいう、
「牢をお見せしましょう。それから、取り調べ室も。」
*
木格子のすきまから、どんよりと濁った目をした男がこちらをのぞいていた。
囚人服というのか、藍色の簡素なズボンと上着、ベルトもボタンもないだぼだぼの服をきて、ぼんやりと壁に背をもたせている。
年齢は、よくわからない。中年か、老年か。
三人が牢の前を通ると、伏せていた目が、ぐっとあげられる。
驚いたような、声。
「ぼうず、ぼうずじゃあないか。ええと、ケヴィン=レッツェル……」
ケヴィンははっとして、格子のすきまから男の顔をみた。
ずいぶんとかわりはててしまったようにみえるが、間違いない。
青い屋根の家に、住んでいた男だ。
アベル爺さん。
たぶん、本当はそれほどの年ではなかったはずだが、子供たちはそう呼んでいた。
酒びたりの、くそじじい。
まだ、ケヴィンが、ユッタと正式なきょうだいであった頃のことだ。
*
黒い獣の姿。
はっきりと覚えているのは、それだけだ。
ただ、うすぼんやりと記憶にあるのは、長い長い距離を走って逃げたこと。
それから、
がらくたのまきちらされた小路、
ちいさな武具と、本、
つらぬいた胸の穴。
記憶の断片が、つなぎあわせる糸のないままに、ただ落ちている。
馬よりもずっと大きく、
山羊よりも長い、ねじくれまがった角をもち、
まっくろな毛皮におおわれ、
銀の眼と、するどい爪と、
赤い、血にそまった牙をみせつけて嗤う、四つ足の獣、
それだけは、瞼に焼き付くように覚えていた。
*
「……浮浪罪だ。これだよ、」
護法官詰所。
ライナーは、ちいさな指輪のはまった人差し指で、『法度禁令百条』のページを指した。
『法度禁令百条』とは、犯罪とその処罰に関する規定を記したものだ。護法官の業務においては基本的な資料である。
あくまでも役人のための内規であり、一般に販売されるようなものではないが、国試の出題範囲であるので、受験者は暗記しなくてはならない。
第18条。
条文は、単純なものであり、ケヴィンも覚えている。
訳ナク野外ニテ寝起キスル者、又ハ居宅ヲモタズシテ諸所ヲ徘徊スル者ハ、叱リノ上、護法官ノ命ズル所ニヨリ短期ノ禁錮トス
つまり、
理由なく野宿した者、
あるいは、住所を持たない旅人は、
護法官による叱責を受け、さらに短期間入獄を命じられる場合がある、
ということだ。
ここで、『護法官の命ずる所により』というのは、その部分を適用するか否か、護法官に裁量があるということであり、場合によっては叱責だけで済ませてもよいということだ。
短期間の禁錮ということは、通常、3日から7日ほど。
「……酔っ払って、外で寝ていたらしい。一昨日の夜だ」
「ということは、じきに釈放ということですか。」
「多分な。明日か、あさってか━━」
「あらかじめ、禁錮の期間を告知しないのですか?」
「ああ……、」
ライナーは、机の端から、もう一冊の本をとって、ぽんと放った。
「それ、持っとけ。……さすがに、見たことないだろ?」
ケヴィンはあわてて受け取って、表紙をみた。そっけない文字で、「判事法官実務心得」とある。
「ええ、……これは、どういう?」
「護法官の執務について書かれた指示書だ。これによれば、短期の禁錮については、入牢者の反省を促す意味から、1日ごとに状態をみて、一定の範囲内で釈放の時期を適宜判断すべしとある」
「……知りませんでした」
「そりゃ、知らんだろう。国試にも出ないし、本当に担当官にしか交付されないやつだからな。業務上の細かいことはほとんどここに書いてあるから、見ておくといい。……あと、これだ」
もう一冊の本は、引出しの奥からでてきた。先ほどのものよりさらに簡素な小冊子である。
「『キーニー村庁例規』、これは国の文書じゃなく、この村独自のもんだ。勤務上の規定や文書の扱いなんかは、ここに書いてある」
「あ、……それは、」
ケヴィンはあわてて、自分の机の上をさぐった。辞令といっしょに受け取ったはずだ。
「……持ってます。まだ、見ていませんが」
「ああ、まあ読んどけ」
ライナーは気にした様子もなく、軽く言う。
「……それにしても、」
「ん?」
「なんでも、文書で決まっているものなんですね。」
ライナーは、それをきくと、なんだかおかしそうに声をあげて笑った。
「ま、役人だからな。そのうち慣れるよ」
*
それから、日報と出勤簿のまとめ、文書録の整理。
そんなことばかりで、初日は終わった。