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妖術師裁判  作者: 楠羽毛
3/12

浮浪罪

 キーニーの村庁舎は、ニル川の西岸にある。

 大きな吹き抜けのある二階建て、ひびの入った石造り。しっかりした造りだが、前の前の帝のころの建物だから、そろそろ建て直しの頃合いだ。渡り廊下でつながった紙工場はまだ新しく、せいぜい築二十年というところ。

 つとめ人は、ぜんぶで52人。

 位階でいえば、十位下から五位下まで。

 領治官は普段いないから、実質的には、六位中の守領官が役所のかしらである。


 さて──


 庁舎1階の端、別棟へと続く渡り廊下のとなり。資料棚と4つの机でほとんど埋まった、狭っ苦しい事務室。

 護法官詰所。

 そこに、ケヴィンはきていた。

 部屋の入口にたち、「よろしくお願いします、」と、多少うわずった声でいい、深々と頭をさげる。

 4つある席のひとつには、20代後半くらいの男が座っている。

 短髪、大人らしく整った顔立ち、高い背丈。服装は、制服だからもちろんケヴィンと同じ。紅色の薄いマントに、緑に染めた羊毛の上着とズボン。白い手袋、紋章入りのベルトに剣をさして。

 同じ格好なのに、ずいぶんと違ってみえる。

「ライナー=デルタイ護法官補だ。よろしくな」

 護法官補。つまり、ケヴィンと同じ役職の、先輩ということだ。

「はい、」

 かたい声で、もう一度頭をさげる。

 ライナーの向かいの席には、眉の濃い、50がらみの背の低い男が座っている。

「ティモ護法官だ」

 男は、そういって、座ったまま、こちらをみる。

 ケヴィンは、丁寧に頭をさげて、もう一度あいさつをした。ティモは、ただ頷いて眉をしかめた。




「━━どうせ、事件はあまりない。」

 ぼつぼつと、ライナーの話をききながら歩く。

 護法官事務所の入口から、すぐとなり、別棟までは、歩いてすぐ。

「護法官の仕事がなにか、知ってるか?」

「ええ、まあ━━」

 いちおう、知識としては知っていた。

 犯罪捜査、訴訟の事務、裁判。

 管内の民と司法にかかわること、ほとんどすべてと言ってよい。

 そのようなことを、ぼそぼそと答えると、ライナーは小さく首を振った。

「まあ、そうだが、実務的には少しちがう。ほとんどの場合、被疑者は、村人が名指しで訴え出るか、村主の報告により特定される。おれたちが直接犯人特定のために捜査することは、実際にはほとんどないってことだ」

 ライナーは、こつこつとブーツをならし、留置棟のとびらをあけた。

 なにもない廊下に、いくつかの扉。白い漆喰の壁に、板がうちつけてある。


 留置室、

 取調室、

 刑務官控室。


「いま、扱っている事件はひとつだけ。いつも、そんなもんだ」

 刑務官控室をノック。こんこん、と二度、三度目の拳が音をたてる前に、扉があく。

 しかめっつらの、背の低い男。

 事務官の制服とはちがう、茶と緑のシンプルな官服である。剣だけでなく、短めの棒を腰にくくりつけている。

「どうされました、……」

 低い声で、じろりと二人をめねつける。

「新人だよ、」

 と、ライナー。

「ケヴィン、こちらは刑務官のリリエンタールさんだ」

「ケヴィン=ラウです。よろしくお願いします」

 頭をさげると、リリエンタールはかるく首をふって、狷介な目つきのまま手をさしだした。

 握手をして、すぐに手をはなす。

「……どうぞ、」

 刑務官控室は、いっけんただの事務室といったふう。

 机がふたつ、隅に大きな棚、木箱。

「事務官がこちらにいらっしゃるとは、」

「3日に一度はきてるでしょうが。」

「月に一度の間違いでしょう、」

 ぽんぽんと軽口。

 それから、リリエンタールはケヴィンのほうをむいて、

「……ここは、罪を犯したものを収容し、尋問し、刑を執行するところです、」

 と、簡潔に告げた。

「犯罪者は、本庁舎へは、いれないことになってる。保安上の問題があるからな」

 と、ライナーが補足する。

「禁錮刑や笞打ちはここで執行する。処刑や晒しは、屋外でやることになっているから、広場まで引き出してやることになる。見たことあるか?」

「ええ……、」

 ケヴィンは陰鬱に目を伏せた。ライナーはしまったと目をそらした。

「吟味筋の場合は、裁判もここだ。といっても、ふつうは言い渡しで終わる。出入筋の時のように、互いの弁明からはじまって何度も審理を繰り返すことはない。大きな事件のときは領治官の出席を要するが、手続きは同じだ。……言ってること、わかるか?」

「ええ、」

 こんどは明るく、ケヴィンはうなずいた。国試の課題の半分は法理論であり、裁判の手続きは大体、暗記している。

「……だから、裁判前の事実確認が必要なんですよ、」

 リリエンタールが次をひきとる。

「吟味筋と出入筋では、裁判の目的自体が違うのはわかりますよね?」

「ええ、」

「出入筋の場合、極端なことを言えば、事実関係はどうでも良いのです。利害の調整が目的ですから。だから、採決よりも和解の道筋をまず探します。吟味筋では、そうはいきません。人を罪に問うのですから、事実に基づかねばなりません。ですから、言い渡しの前に、尋問と証拠調べを入念に行います。場合によっては、拷問が必要な場合もあります」

 拷問、という言葉が、平坦な声で飛び出した。ケヴィンも、特に顔色を変えなかった。

「まあ、そこまでするのは、特に重大な犯罪の場合だけだ。この村では、滅多にそんなことはない」

「そう、ですね」

 どうしても、あの光景が頭にちらつく。

 ケヴィンは首をふって、目をしばたかせた。

 とりなすように、リリエンタールがいう、

「牢をお見せしましょう。それから、取り調べ室も。」



 木格子のすきまから、どんよりと濁った目をした男がこちらをのぞいていた。

 囚人服というのか、藍色の簡素なズボンと上着、ベルトもボタンもないだぼだぼの服をきて、ぼんやりと壁に背をもたせている。

 年齢は、よくわからない。中年か、老年か。

 三人が牢の前を通ると、伏せていた目が、ぐっとあげられる。

 驚いたような、声。


「ぼうず、ぼうずじゃあないか。ええと、ケヴィン=レッツェル……」


 ケヴィンははっとして、格子のすきまから男の顔をみた。

 ずいぶんとかわりはててしまったようにみえるが、間違いない。

 青い屋根の家に、住んでいた男だ。

 アベル爺さん。

 たぶん、本当はそれほどの年ではなかったはずだが、子供たちはそう呼んでいた。

 酒びたりの、くそじじい。


 まだ、ケヴィンが、ユッタと正式なきょうだいであった頃のことだ。



 黒い獣の姿。


 はっきりと覚えているのは、それだけだ。

 ただ、うすぼんやりと記憶にあるのは、長い長い距離を走って逃げたこと。


 それから、


 がらくたのまきちらされた小路、

 ちいさな武具と、本、

 つらぬいた胸の穴。


 記憶の断片が、つなぎあわせる糸のないままに、ただ落ちている。


 馬よりもずっと大きく、

 山羊よりも長い、ねじくれまがった角をもち、

 まっくろな毛皮におおわれ、

 銀の眼と、するどい爪と、

 赤い、血にそまった牙をみせつけて嗤う、四つ足の獣、

 それだけは、瞼に焼き付くように覚えていた。 



「……浮浪罪だ。これだよ、」

 護法官詰所。

 ライナーは、ちいさな指輪のはまった人差し指で、『法度禁令百条』のページを指した。

『法度禁令百条』とは、犯罪とその処罰に関する規定を記したものだ。護法官の業務においては基本的な資料である。

 あくまでも役人のための内規であり、一般に販売されるようなものではないが、国試の出題範囲であるので、受験者は暗記しなくてはならない。

 第18条。

 条文は、単純なものであり、ケヴィンも覚えている。


 訳ナク野外ニテ寝起キスル者、又ハ居宅ヲモタズシテ諸所ヲ徘徊スル者ハ、叱リノ上、護法官ノ命ズル所ニヨリ短期ノ禁錮トス


 つまり、


 理由なく野宿した者、

 あるいは、住所を持たない旅人は、

 護法官による叱責を受け、さらに短期間入獄を命じられる場合がある、

 ということだ。


 ここで、『護法官の命ずる所により』というのは、その部分を適用するか否か、護法官に裁量があるということであり、場合によっては叱責だけで済ませてもよいということだ。

 短期間の禁錮ということは、通常、3日から7日ほど。

「……酔っ払って、外で寝ていたらしい。一昨日の夜だ」

「ということは、じきに釈放ということですか。」

「多分な。明日か、あさってか━━」

「あらかじめ、禁錮の期間を告知しないのですか?」

「ああ……、」

 ライナーは、机の端から、もう一冊の本をとって、ぽんと放った。

「それ、持っとけ。……さすがに、見たことないだろ?」

 ケヴィンはあわてて受け取って、表紙をみた。そっけない文字で、「判事法官実務心得」とある。

「ええ、……これは、どういう?」

「護法官の執務について書かれた指示書だ。これによれば、短期の禁錮については、入牢者の反省を促す意味から、1日ごとに状態をみて、一定の範囲内で釈放の時期を適宜判断すべしとある」

「……知りませんでした」

「そりゃ、知らんだろう。国試にも出ないし、本当に担当官にしか交付されないやつだからな。業務上の細かいことはほとんどここに書いてあるから、見ておくといい。……あと、これだ」

 もう一冊の本は、引出しの奥からでてきた。先ほどのものよりさらに簡素な小冊子である。

「『キーニー村庁例規』、これは国の文書じゃなく、この村独自のもんだ。勤務上の規定や文書の扱いなんかは、ここに書いてある」

「あ、……それは、」

 ケヴィンはあわてて、自分の机の上をさぐった。辞令といっしょに受け取ったはずだ。

「……持ってます。まだ、見ていませんが」

「ああ、まあ読んどけ」

 ライナーは気にした様子もなく、軽く言う。

「……それにしても、」

「ん?」

「なんでも、文書で決まっているものなんですね。」

 ライナーは、それをきくと、なんだかおかしそうに声をあげて笑った。

「ま、役人だからな。そのうち慣れるよ」



 それから、日報と出勤簿のまとめ、文書録の整理。

 そんなことばかりで、初日は終わった。

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