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妖術師裁判  作者: 楠羽毛
12/12

裁判

 忘れろ、と。

 それから、学べ、と。


 言われたのはそれだけだった。



 朝、ケヴィンは両親の寝室へはいり、しずかに肖像画をみあげた。

 そして、


 ふかぶかと頭をさげ、謝罪し、

 つかつかと部屋をでた。


 さようなら、と。


 なにかに、小さく別れを告げて。



 取調室はがらりと模様替えされた。

 取調官と被疑者がむかいあうための机は取り去られ、かわりに、赤い布がかけられた判事机が持ち込まれた。それから、普段は使われない肘掛けつきの椅子。

 椅子も机も、どちらも領治官のためのものだ。

 被疑者は、机からは離れて、部屋のまんなかに立たされる。

 判事補、すなわち書記と資料管理をする役のものは、部屋のすみに小さな椅子を置いて座る。

 裁きのあいだ、室内にいるものは、基本的にこの3人だけである。

 判事補が二人になったり、刑務官が脇に控えたりする場合もあるが、今回はそうではない。

 さほど複雑な事件ではなく、言い渡し文もちゃんとできており、被疑者に凶暴性もみられない。

 簡単な裁判、ということだ。


 少なくとも、領治官は、そう思っている。

 だから、護法官補でしかないケヴィンが判事補をつとめることになった。クルト=オルフの裁判では、ティモ護法官が判事補となる。護法官はそちらに集中するらしい。


 領治官は、裁判の前日にやってきた。いくつかの会議をおえてから、昼すぎに、護法官詰所へ。

 ティモ護法官よりいくぶん若い、への字口をした男であった。

 クルトの裁きも同日にひかえているから、アベル=タイケの資料は、かるく目を通す程度だ。ケヴィンが起草し、ティモ護法官が承認した判決文を、そのまま読み上げる手はずになっている。


 結論は、流刑。


 くつがえるはずはない。判決文に、そう書いてあるのだから。



 刑務官につれられて、アベルが入ってくる。刑務官はリリエンタールではなく、オリヴァという若い男である。アベルを立たせて、刑務官は部屋をでてゆく。

 アベルは、目を伏せて立っている。手は縛られているが、足は自由だ。

 かりに、ここで彼が暴れだせば、ケヴィンがとりおさえねばならない。

 手に余れば、斬ることになる。


 さて━━


 領治官が、罪状をよみあげる。これも、ケヴィンが起草したものである。

 クルト=オルフの意見書を、おおかた引用して、


「以上、村主クルト=オルフの情報提供により、妖術を使えるといつわり、子供たちを脅迫した疑いにつき、これより吟味をとりおこなう」


 と、そっけなく告げる。

 

 ほんとうは、この後に、妖術師条項の趣旨についてひとくさり述べる文が入っていた。

 ティモ護法官の意見で削られたが、打ち合わせの際に領治官の目には入っている。それで、充分であった。

 妖術師条項が、妖術師を『自称する』者を罰する規定だということを、領治官に認識しておいてもらわねばならなかった。


 さて、

「認めるか?」と、領治官がたずねる。

 アベルは、無言で首をふる。

「しかし、村主が証言しているな。」

 たんたんと、領治官がことばをかえす。

「村主が見たことを認めないのではない。妖術を使えるといつわった、というところだ。」

「そのような言動はしていないと?」

「いや。……いつわったのではない。真実なのだ」

 じめじめとした崖のような声で、男はそういった。

 すこしの沈黙のあとで、かすかに嘲笑をこめた声で領治官はきいた。

「妖術を使えるとでも?」

「あれは、」

 と、アベルが指さす。領治官のうしろを。

「おぬしの影だ。」

「なんだと?」

 たしかに、窓からはいる光が、薄暗い室内に長い影をつくっている。

 だから、なんだというのか。

「影を見てみよ。動きはせぬか」

 ほう、と領治官は声をあげて、右手をあげてみせた。

 当然、影も、右手をあげる。

「影が動かぬでどうする。」

 そう、言ってみせる。老人のざれごとに、頓智で返したつもりであった。

「では、色はどうだ」

 アベルは、ぞわりと震えるような声で続ける。

「手の先をみよ、」

 そう言われて、思わず、影の手の先に目をやる。

 とんとんと、たたみかけるように、次の言葉がとんでくる。

「影の手の先、━━紅くはないか。」

「なに?」

 わずかな、色の違いであった。

 いわれて初めて気づくほどの差にすぎないが、わずかに淡く色づいているように見える。

「血の色に、染まっている。そのように、見えはしないか。」

「ばかをいえ。夕日であろう」

 思わず、領治官はそう反駁した。

 まだ夕陽がさすような時間ではない。とっさに、他に言葉がでなかった。


 ごう、と窓から風がはいった。

 雲が動いたらしく、さっと影がさす。

 暗闇、というほどではないが、夕刻の空と同程度の暗さになった。

 部屋のすみにいるケヴィンの顔が、目をこらさねばよく見えない、という程度である。


 アベルは、にたりと笑った。


「うわあ!」

 とつぜん、ケヴィンが叫んだ。

 ケヴィンの影が、うぞうぞと蠢いて、床をはいまわっている。いや、そのように見えた。

 領治官は目を丸く見開いて、硬直した。

「ばかな……」

「ほれ、おのれの足元をみるがいい」

 いくえにも身をかさねた蛇のような、ぶきみな黒いものが、領治官の足にからみついていく。

 鳥肌がたった。

「う、……」

「これは、妖術ではないのか?」

「……きさまっ、」

 領治官が、なにごとか叫ぼうとしたとき、

「ひいいいいいぃっ!」

 ケヴィンが大声をあげた。かれの服の上まで、黒いかげが這い登ってきている。

「領治官! 無理です……お許しください……この男は本物の妖術師です! 逆らったら……」

「うろたえるな。ケヴィン護法官補」

 領治官はきりりと唇をかんで、まっすぐにアベルをにらみつけた。

 アベルも、じっと領治官をみつめたまま、微動だにしない。

 ぞわり、ぞわりと、影が領治官の身体をはいまわる。

 そして、


「……判決は、のちほど護法官から言い渡す。ケヴィン護法官補、いそぎ起草せよ」

 吐き捨てるように、いって、席をたった。



 天井裏。

 のぞき穴に向けた幻灯機のあかりを吹き消して、リリエンタールは大きく息をついた。


 鏡と、色のついた薄紙。それから、蝋燭。

 手回しハンドルのついた小さな箱のなかに、歯車と硝子。

 もとは、舶来の機械だということだ。

 まさか、このために作ったわけでもあるまいが━━


(あの男、本当に妖術師ではないか。)

 そんな考えが、頭をかすめる。


 まあ、何だって構うまい。

 六位下にもなる上級貴族の土下座など、滅多に見られないのだから。

 いずれ、かれが領治官になったら、みんなの前でばらして笑ってやろう。


 リリエンタールはその光景を思い浮かべて笑った。くつくつと、のどの奥で声を殺しながら。

 


「おい、」

 と、仏頂面をしたライナーがケヴィンの肩をたたいた。

「え、」

「やりやがったな。……たいしたやつだな、お前」

 褒めているようにきこえるが、目は笑っていない。

「いえその、ぼくは……まさか」

 ケヴィンはもごもごと口ごもった。

「……まさか、あんなことが起こるとは……とっさにびびってしまって、その」

「……おい、」

 ライナーは声をひそめて、顔をぐっと近づけた。

「お前まさか、俺たちまであれを信じたと思ってるんじゃないだろうな?」

 ケヴィンは絶句した。冷や汗がだらだらとにじみ出ている。

「あのオッサンが妖術師じゃないなんてこたあ、おれも護法官も、わかってるんだよ。あたりまえだろうが」

「……護法官は、そんなこと一言も」

「領治官のメンツをつぶすようなこと、誰が言うかい」

「そうですか……。申し訳ありませんでした」

 ケヴィンは深く頭をさげた。ライナーはにやっと笑った。

「あやまる必要はない。おれたちがいるのは上意下達の世界だ。領治官がいいっていやあ、いいんだよ。お前はスジを通したってわけだ……けど、」

 ちょっと心配そうな顔になって、

「領治官の前で、あの醜態だ。出世は遠ざかったろうな。ま、がんばれよ」

 むろん、後悔などない。

「ありがとうございます」

 そういって、ケヴィンはかすかに笑った。



 3日後━━


 ケヴィンとアベルの二人が、アベルの家の戸をくぐった。

 アベルにとっては、一ヶ月以上留守にしていた家である。

「……ああ、やっぱり家が一番だな」

 がらくたをかきわけ、大儀そうに座りながら、ぼそぼそと、そんなことを呟く。

「やはり、そうですか。」と、ケヴィンは苦笑する。

「クルトの奴のおかげで、長いこと窮屈な生活だったが、出てみるとあれもよい経験だな」

 にやりと笑って。

「……そのことですが、」

「ん?」

「クルト=オルフは、税の不正をおこなったかどで、流刑を申し渡されました。あなたの裁判と同日です」

 なるべく感情をこめずに、ケヴィンはそう告げた。

 ほんの少しだけ沈黙してから、アベルは頷いた。

「そうか、……」

「……驚かれないのですね」

「知っていた。税の不正とやらについては、ということだが」

「そうですか。……でも、なぜ」

「本人に聞いたからさ。おれが捕まる前の日だったか、少し揉めた。金のことでな。それで、まあ、口がすべったということなんだろう……」

 たんたんとした口調。それ以上、なにも言いたくないようだ。

 ケヴィンは話題をかえた。

「そういえば、幻灯機……ぼくが、昔みたのも、あれだったのですね」

「……なに?」

「昔、この家にきたとき、黒い獣に襲われたことが……いえ、そう思ったことがあるんです」

 アベルは首をかしげた。

「いや、……そんなわけはない。あれをつくったのは、今年になってからのことだ。いちおう試しはしたが、人前で使ったのは今回が初めてだ。ちゃんと使うには天井に穴が必要だしな」

「なんですって、……」

「そうか、……きみはまだ小さかったからな。覚えていないのか」

 アベルはかなしげにいった。

「昔、よくここへ来て、いろんな話をしたろう。きみは物語詩がすきだったな。まだ幼いというのに、即興で物語を口ずさんでいたじゃないか。そのきみが、頭のよさをかわれてラウ家へひきとられたと知ったときは、さもありなんと思ったがね……」

 覚えていない。

 物語詩など、もうずっときいたこともない。

「ほんとうに、おぼえていないのか。」

 ぼんやりと、考える。

 ラウ家へいく前、自分はどんな子供だったのか。

「……黒い獣というのは、きっとこれだな」

 アベルは部屋のすみにある棚から、古ぼけた平たい紙袋のようなものを取り出した。その中から、何枚もの厚紙がでてきた。

 厚紙をかさねて、一番上の紙がよく見えるように、ケヴィンにむける。

 森の絵のようである。


 ━━くらーいくらーい森のなか、子どもがひとり、おりました。


 アベルはそう歌った。紙の裏に、言葉がかいてあるらしい。

 紙をめくる。

 こんどは、森の絵のなかに、子供の絵がかいてある。

 それから、奥のほうに、なにかが隠れているような。


 ━━森の奥のそのまた奥に、なにかが住んでおりました。


 また、めくる。


 ━━黒い黒い、狼のような、熊のようなけものが、

   森の奥のそのまた奥の、がらくた小路におりました。


 そこに、獣がいた。

 子供がかいたような、稚拙な絵であった。

「……これは、」

 ケヴィンはつぶやいた。あとは、言葉にならなかった。


 涙が、失われた歳月の重みが、ぼたぼたとかれの目から流れ落ちていた。

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