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妖術師裁判  作者: 楠羽毛
11/12

決意

 領治官がやって来る日まで、あと3日。

 ケヴィンは夜明けのずっと前に起きて、じりじりと何かを待っていた。休日だというのに、ユッタが来る前に着替えて、玄関に一番近い居間のソファでぐるぐると指を動かしている。

 黒のズボンに、背広。いつもの部屋着ではない。むろん役所の制服とも違う。

「……まるで、貴族みたいね。」

 いつのまにか、ユッタが後ろにたっていた。こんこん、と開いた扉をたたいてノックのまねをする。

「どこから、……入ってきたの?」

 ぼうっとした顔でそうたずねると、ユッタはきょとんと目を丸くした。

「どこって、……勝手口。いつもそうだけど」

「ああ、そっか……」

「どこか出かけるの? そんな格好して。」

「いや、……人が、来るかもしれないから。」

「なあに、それ。」

 あきれたように言って、ユッタは廊下に出ていった。そのまま台所にいって、ごそごそと何かしているようである。

「……なにか約束があるの?」

 声だけがとんでくる。

「いや、郵便が……」

「郵便ん? それで、そんな格好してんの。部屋着でいいでしょうが。」

 そう、言ってから、ユッタは、それが貴族というものなのだと気づく。

 ラウ夫妻とは何度か会ったことがあるが、一度として部屋着でいたことなどなかった。


 いや、あの二人に、部屋着なんてものが、あったのだろうか?


「ねえ、……ケヴィン」

 ざくざくと漬物を切る手を途中でとめて、小さくつぶやく。

 返事はない。

 包丁をもったまま、大股に五、六歩あるいて、居間をのぞきこむ。

 落ちつかなげに座った後ろ姿。闇のように濃い色の背広、足首まである長ズボン。それを台無しにするような猫背、寝起きの髪、ぼんやりと揺れる撫で肩、

 どうみても、上流階級の男ではない。

「……似合ってないよ、あんた」

 ちいさく吹き出しながら、そう言う。


 ケヴィンがふりむいてなにか言おうとしたとき、玄関でノッカーの音がした。


 とたんに、ケヴィンは立ち上がり、ユッタをおしのけるようにして玄関にすっとんでいった。がちゃりとドアをあけると、顔見知りの御者。ちょっと気圧されたような顔をして、右手にもった封筒をさしだす。

「文でございます、」「ありがとう」とケヴィンはかぶせて、ポケットからあらかじめ包んでおいた礼金をだして、おしつける。それじゃ、ともごもごいいながら、扉をばたんとしめる。


 後ろからみていたユッタは、ため息をついた。あれのどこが貴族様だか!


 ケヴィンはユッタの隣をすりぬけて、早足に廊下をすすんだ。「ちょっと、朝ごはんは?」「置いといて!」いいすてて、ともかくも書斎へ。

 ドアをしめてから、封筒の名前をたしかめる。

 イェルク=ランガー。味もそっけもない官製封筒の裏に、金釘流でそう書いてある。

 都にいたころの友人。いまも、次の国試を目指して浪人しているはずの男だ。

 糊で封したところをぴっと切って、中身に目をはしらせる。

 時候のあいさつもなく、唐突にはじまる書き出し、近況のような床屋政談のような、ただの世間話のようなよしなしごとが、便箋二枚にわたって続き、そのあとようやく本題。


 妖術師条項については、最近の判例をみつけることができました。ちょうど君が都を出た翌週のことです。異様な速さで裁きがなされたのですが、それは、昨今の政治的混乱と無縁のものではないと推察します。結論から申し上げると、被疑者は、「妖術師を自称した詐欺師」として裁かれました。判事は、先帝のころの判例をいくつか挙げたようですが、それらの詳しい資料は見つけることができませんでした。━━


 ケヴィンは、大きく嘆息した。


 書斎をでて、ラウ夫妻の寝室へ。

 壁にかかった夫妻の肖像画を前にして、考える。


(……ぼくは、何をすべきなのか、)


 むろん、決まっている。

 正義。ただしいことをするために、自分はここにいるのだ。

 だが、なにが正義であるのか。


 法か。


 ならば、迷うことはない。法解釈の検討はすべて終えた。護法官の方針どおりに判決をかいて終わりだ。最終決定権は領治官にあるのだし、自分の立場でこれ以上やることはない。


 あるいは、ラウ家の誇りか。


 義父ならば、いうだろう。ラウ家こそが、キーニーの、いや北嶺地方の旗振りたるべしと。そのためにケヴィンは拾われたのだから、当然だ。地方の役所づとめなどその足がかりにすぎず、出世のためにならぬことは、強いてやる意味がない。


 あるいは、憐憫か。


 アベル=タイケという男は、確かに哀れではある。しかし、役人として、地位ある貴族として、それが何かをなす理由になるだろうか?


 帝への忠誠か。


 もうすこしで直接顔をあわせるところだった先帝はまだしも、即位して間もない現皇帝は顔も正式な名前も知らない。人並みの忠誠心はあるつもりだが、現実感はない。生まれながらの貴族ならば、また違うのだろうが。


 もう一度、肖像画を見上げる。

 義父の顔。ただ、無表情に、こちらを見下ろしている。これ以外の表情を見たこともない。

 もう、見ることもない。


 そして、義母。

 あまり、目をあわせた記憶はない。ただ、期待されていたのだとは思う。

 最後まで、母と呼ぶことはなかった。


 入庁したばかりのころ、護法官詰所で、昔の裁判記録を読んだ。

 罪状は、殺人と、強盗。

 判決は、火刑。


 男が火にかけられるところを、ケヴィンは見ていた。

 ずっと。 


 あの、骨と、筋と、あぶらの焦げたにおいを。



「……ヤンがきたよ」

 昼食をたべながら、ユッタが小さくいった。

「ヤンが? いつさ」

「さっき。……すぐ帰っちゃったの。あなたに用があったわけじゃないみたい……」

 ぼんやりといいよどみながら。ケヴィンは眉をしかめた。何だというのか。

「……ねえ、」

 たべかけのパンが皿におかれた。

 ユッタは、じっとこちらをみていた。

 ほおづえ。切れ長の目を、くるりとまん丸くして。

「……アベルの裁判、あなたが担当なんですって?」

 え、とケヴィンはぼんやり呟く。

「ヤンからきいたの。皮肉なもんね。」

「皮肉、……?」

 ケヴィンがききかえすと、ユッタはかすかに目をとじて息をついた。

 迷うように、くるくると指をまわして間をとってから、

「おぼえて、ないの?」

「なにが?」

「あなた、……かれの友達だったじゃない。まいにち、あの家にかよって、おもちゃをつくったり……わたし、日暮れ前に連れ戻すの大変だったんだから」

「……なんの、こと?」

 ユッタのいいぶりからすると、レッツェル家にいた頃のことのようだが、そんな覚えはない。

 いや、


 そんなことも、……あったのだろうか?


「ケヴィン、」

 そっと、食卓ごしにユッタは手をのばした。

 指先が触れたとき、ケヴィンの肩はびくんと震えた。かまわず、ユッタは太い指でかれの掌をおしつつんで、きつく握った。

「おねがい。……助けてよ。あなたなら、できるんでしょう。」

 じっとりとした汗が、ふたりの指のあいだを流れて落ちた。

 そして、ちいさな涙の玉が、ユッタの目のおくにあるのをみて、かれは決断した。


 強く、うなずいて。



 たすけてよ、とさけんだとき、だれの名前をいうつもりだったのか。

 アベル=タイケ。そのつもりで、口をひらいた。

 けれども、


 ほんとうに、喉の奥まででかかったのは、別の言葉だった。


 あなたを。

 あの日の、あなたを。

 


 ふたたび、取調室にて━━


 休日であり、護法官詰所には誰もいない。刑務官はいるが、いまは部屋の外に出ている。

 アベルはなんとなく居心地悪そうにしていた。今日は取り調べはないと思っていたのだろう。

「クルト=オルフが、あんたを無罪にするよう嘆願した」

 ケヴィンが、じっと目をみてそう言うと、アベルの表情が、さっとかわった。

 わざと、こういう言い方をした。正確な言い方ではないが、まるきりの嘘でもない。

 意見書をとりさげるというクルトの主張を、ケヴィンはそう解釈した。

「いまから、方法を考える。協力してもらう」

 きっぱりと、そう告げる。


 それが、最初の一歩だった。

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