主税官
翌日、
ケヴィンが机にむかっていると、ばたんと扉があいて、早足で、ヤンと年かさの男が入ってきた。
年かさの男が、ティモ護法官に耳うちする。ケヴィンはぼんやりとそれを眺めて、思い当たる。
主税官。ヤンの上司だ。
三人は、部屋のすみでぼそぼそと話して、緊張した雰囲気で手招きした。ライナーがそれに応じて、話に加わる。
それから、ようやく、
「村主クルト=オルフを捕縛したそうだ、」
戻ってきたライナーが、眉根を寄せて、ケヴィンにそう知らせた。
「どういうことですか!?」
「税務上の問題があったらしい。詳しくは、これから聞く。おまえも来い」
ケヴィンはあわてて立ちあがった。ティモ護法官は厳しい目つきのまま、指を動かした。五人はそのまま、主税官室へと異動し、丸テーブルをかこんだ。
主税官たちは、税に関する罪については、護法官にはからずに逮捕する権限を持っている。ただし、その先は護法官の管轄であり、最終的には領治官が自ら吟味することになる。
「今日までうちに連絡がなかった理由は?」
ティモ護法官が不機嫌そうにたずねた。主税官は、なだめるような口調で目をみながら答えた。
「話が漏れる恐れがあったからだ。役所の中でとどまればいいが、少しでも漏れれば、必ず村主の耳に入る。主税室のほかには、守領官にしか言ってない」
「……いつからだ?」
「調べは、およそ半年前から。不正は、もう10年近く続いているようだ」
不正というのは、こういうことだ。
村主は、村人たちの支払う税をとりまとめ、納税に責任をもつ役割がある。
税にも色々あるが、割合として最も大きいのは、収入の3割をめどに支払うことになっている3割税である。貴族と、貴族の支配下にある農民は免除されるが、およそキーニーの住民の八割ほどが、村主を通してこの税を納めている。
この3割税のごまかしが、クルトの罪状の一つであった。
この税は、収入の3割ということになっているが、個人の収入を正確に把握するのは難しい。そこで、農民であれば、土地の質と面積から収入を概算して、その3割を徴税するのである。気候が悪い年などには、村主が代表して陳情し、一律に税を減ずることもある。
農業の収入については、それでよい。また、村の男たちの多くが働いている紙工場の給金も、官営であるから当然、把握している。
問題は、それ以外のいわば副収入である。
農業のかたわら、内職などをしている民は多い。また、そもそも農業にかかわらず自営している者も当然おり、そういったものたちへの課税は、職種によって一定の基準はあるが、基本的には当人と村主からの申告によるしかない。
単純な話、農家の次男以下が副業として織物をつくっていても、それを申告しなければわからないのである。
「しかし、そうしたことは、昔からあったのではないか」
ティモ護法官が、当然の疑問を口にする。
平民の収入を厳密に把握できないのは当然のことであり、ある意味、必要悪ともいえる。
税額のおおかたをしめる農業収入と、紙工場の給金に対して確実に課税していれば、それでよい。主税官の人数は少なく、締め付けすぎては村人の生活がたちゆかなくなる。
それが、通常の考え方であった。
「ひとことでいえば、度をこしていた、ということです」
ヤンが口をひらいた。なんとなく緊張がみえる。
「確認できた限り、クルト=オルフがはじめてはっきりと不正に手を染めたのは9年前ですが、年々、不正の額は大きくなっています。これ以上は看過できないという判断です」
「……9年前というと、枯枝病が流行したころか」
「それも、原因の一つかと」
ヤンの答えに、ティモは黙って頷いた。
枯枝病が猛威をふるった年、多くの世帯が働き手を失った。3割税の一部は免除されたが、まったく課税されなかったわけではない。
村主は、村人の生活に責任をもつ立場であり、納税が滞れば、立て替える義務もある。この年、クルトが対応に苦慮したことは想像に難くない。
「しかし、警告なしに逮捕というのは?」
内々に警告をして、村主の地位をほかのものに明け渡す。そのように決着するケースも多い。
「ひとことでいえば、悪質だからだ」主税官がいう。
もともと、3割税に関するごまかしは、ある程度、主税室でも認知していた。
ことに、枯枝病の流行後は、村人の台所事情もわかっていたから、少々のことは黙認していた。
クルトの側も、まったく役人に知られていないと思っていたわけではないだろう。
そういった、いわば阿吽の呼吸のなかでのできごとが、だんだん大きくなり、いつしか『多少のこと』ではすまない量になっていったのである。
「逮捕にふみきった理由はもう一つあります」と、ヤンがいった。
それは、不正の目的である。
多少のことは黙認していた、といっても、あくまで、村人の生活を考慮してのことである。
村主が私腹を肥やしているなら、看過する理由はない。
「その点を確認するのに、かなりの期間がかかりました。結局、クルト=オルフは、多くのケースで村人からは規定の税をとったうえで、役所への納付を怠っていたことがわかりました」
「しかし、その逆のケースもあるだろう」ティモが指摘する。
3割税といっても、厳密に3割ということではない。実収入を把握できないかわり、土地や職業があれば、一定の基準に基づいて課税されるのだ。
課税額にみあうだけの収入がなければ、とりようがないのだが、そういった場合は村主が不足分をたてかえなければならない。
そういったケースがあることも考えれば、他方で、ある程度着服して帳尻をあわせたとしても、それほど悪質ではないともいえる。
「決定的なのは、賦役税を勝手に課していたことです」
「なに!?」
農民に課される税は、大きく、3割税と賦役税の2つがある。
年に一回、収入に対して課す3割税とは違い、賦役税は、臨時の税である。
税といっても、もともとは金銭で支払うものではなく、無償で公共事業に参加する義務のことであった。大規模な工事の際などに、強制的に人夫を確保するための制度である。
今では、労役のかわりに銭で納めるのが主流となり、役所が必要に応じて臨時に課す税金という性質が強くなった。これも、村主がとりまとめるが、当然、勝手に課してよいものではない。
「昨年の春、治水工事の協力金として、各世帯ごとに300デニーの税が課されたとのことです。公式に課税した事実はありませんし、この金が役所に納められたこともありません」
「着服ということか」
「そうです。まったく架空の賦役税を課したのは、確認できた中ではこれが初めてですが━━ここ5年にわたり、賦役税の金額を過大にして差分を着服したり、一度しか課していないものを複数回にわたって課されたことにするなど、様々な手口で銭を懐におさめているようです」
「なるほど」
ティモは首をふった。
「話はわかった。資料をすべて引き渡してもらおう。あとは、こちらの仕事だ」
*
取り調べは、長時間にわたった。まず、資料をさっと確認したライナーとティモが取り調べをおこない、平行してケヴィンが捜査資料をまとめる。
それから、供述書と、ケヴィンが作った要約書をつきあわせ、もう一度供述をとる。
そのように、作業は進んだ。
だから、ケヴィンがクルト=オルフの顔を見たのは、ほとんど夕方になってからだった。
*
その男は、アベル=タイケよりは幾分若く、荒々しくみえた。
やけに長い手足、ぎょろりとした目つき。だらしなく椅子に座っているのは、長時間の取り調べで疲れているからか。
ケヴィンが子供のころから村主を務めているから、どこかで顔くらいは見ているはずだが、思い出せない。相手も、こちらを知らないようだ。
「……これで、今日の取り調べは終わりだ。このあとは、刑務官の指示に従うように」
それだけ、なるべく無機質にケヴィンは告げた。
「まってくれ、」
クルトは低い声をなげつけてきた。若い役人とみて、いくぶん気がらくになったのかもしれない。
「アベルと同室になるのか? それとも、あいつはもう釈放されたか」
「……アベル=タイケは、釈放される予定はない」
思わず、ケヴィンはそう答えていた。
もとより、この状況であえて秘密にしなければならないことでもない。
「……なんだって?」
「脅迫罪と、妖術師を自称した罪で、裁きを待っている。流刑になる可能性もある」
「流刑、だと」
しばし呆然としてから、クルト=オルフは、苦々しげにいった。
「護法官と話したい。もう一度、呼んでくれないか」
*
「意見書を取り下げたいと、言っている」
ライナーにそう告げられて、ケヴィンは思わず音をたてて椅子から立ちあがった。
「アベル=タイケの脅迫罪に関する意見書ですか?」
「そうだ。理由はわからんが」
ライナーのうしろから、ティモ護法官が入ってくる。護法官は眉根をよせたまま、黙って自分の席に座った。
ケヴィンは声を小さくして、ライナーにささやきかけた。
「それでは……」
「そうはいかんさ。護法官とも話したが、クルトはもう村主ではないから、村主として出した文書を取り下げる権限はない」
「でも、……クルトは少なくとも数年前から違法行為を繰り返してきたわけです。村主を罷免されてしかるべき行為をずっとしていたのですから、意見書の信用性は落ちるのではないですか。」
「それはそのとおりだ。法的な有効性はさておくとしてな。……さて、おれたちは村主から意見書が出たから、アベル=タイケを断罪するのか?」
「それは、」
「おっと。本音はともかくとしてだ。たてまえは?」
「……それは、無関係です」
「そうだな? であれば、意見書が有効であれどうであれ、それによってアベルの扱いを変えるのは筋道がたたない。事実関係に誤認があったのなら、別だがね」
「……それは、先輩の意見ですか?」
「いんや。ティモ護法官の意見だ。わかるな?」
「……はい」
ケヴィンはちいさく嘆息して、調査報告書にもう一度目を落とした。
*
妖術師条項については、考えがなくもなかった。
ところで、
ふと、思う。かりに、アベルが無罪であるとすれば、クルトは誣告罪に問われるだろうか? 考えても意味のないことではある。どのみち、クルトは重罪人だ。
誣告罪について、法度禁令百条には、こうある。
『人ヲ罪ニ陥レンガタメ偽リヲナシタ者ハ、財産ノ半分ヲ没収シ禁錮又ハ謹慎トス』
クルトに、アベルをおとしいれる意図があったかどうかは、わからない。そこは、外形から判断するしかない。
では、クルトが偽りをなしたと言えるかどうか?
子供を脅迫していたということについては、はっきりとはわからないが、アベル自身も認めている以上は偽りとは言えない。
かりに、脅迫の事実がなかったとしても、これは伝聞である。
あくまでも、クルトは、人から聞いた話として書いている。これを、クルト自身の偽りとするのは、難しい。
妖術師条項についてはどうか。
かりに、アベルが妖術師条項にあてはまらないとして、あの意見書を以て、クルトがアベルを陥れるために妖術師条項を利用したと言えるだろうか?
おそらく、言えまい。
なぜならば、クルトが妖術師条項を知っていたとは思えないからだ。法度禁令百条は、秘密文書というわけではないが、基本的には役所の内部規定であり、村主といえど一般の平民が手にすることができるようなものではない。
意見書の書きぶりからしても、妖術師条項をクルトが知っていた可能性は、低い。
結局、アベルの裁判の結果がどうであれ、クルト=オルフは自らの罪で裁かれるということだ。
それが、よいのか悪いのか、わからないが。
*
翌日。
護法官詰所は、朝早くから動いていた。
ケヴィンに課されたのは、主税室の資料を精査し、まとめたものをティモ護法官へあげる作業である。捜査日報、納税帳簿の写し、想定計算書、協力者からの聞き取り調書。
捜査協力者の名前には、ケヴィンの知り合いもいる。
これだけ大規模な捜査をしておきながら、当日まで護法官に知らせなかったのは、むろん情報漏れを警戒してのことだが、ケヴィンの存在と無関係ではないだろう。
新入りの、しかも平民出身の護法官補。
その存在がなければ、せめて逮捕の数日前くらいには、予告をしていたかも知れない。
さて、
「……アベル=タイケの件ですが、」
要約書の最後の段落をつづる手を止めずに、ケヴィンはそうきいた。
「なんだ?」
ライナーは昨日の聴取録を見なおしている。こちらも、目は書類におとしたままだ。
「妖術師条項のことです。……そもそも妖術師条項とは、妖術師を自称した輩を罰するための条項なのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「あれは、妖術師を罰するものではないのですか?」
「……本物の妖術師なんてものが、いるとでも?」
「そうは思いません。……が、立法当時の意図がそれであった可能性も、否定できません。であるなら━━」
長々としゃべろうとするケヴィンを、ライナーが小さないらだちをこめた声でさえぎった。
「……それだけじゃ、護法官にあげるには不足だな。資料をもってこい。あれば、ティモ護法官も聞く耳をもつだろう」
それきり、議論はおわりになった。
*
ケヴィンが帰宅したのは、もうとっぷりと日が暮れてからである。
月が大きいので帰り道に不安はなかったが、家に入ると、さすがに暗すぎる。窓はあるが、廊下まで光が届かない。玄関のわきにある戸棚から、火打ち石とランプ一式をとりだし、おぼつかない手つきで火をつける。
ユッタはとっくに帰っている。
あかりを持ったまま食堂へ入ると、テーブルの上に、パン皿とチーズの入った盆がある。
もそもそと、喰う。
味気ない夕食をすませてから、やっと部屋着にきがえ、書斎へ移動する。
仕事の資料は持ち帰っていない。アベルの件はともかく、クルト=オルフの捜査資料は、持ち帰りの許可が出なかった。
そのかわり、右脇の棚から、便箋をとりだして、机のうえにおく。
ランプの小さなあかりに目をこらしながら、細筆を走らせる。
達筆である。
ことさら丁寧な文字で、便箋3枚にわたる手紙をかきあげ、ラウ家の紋がはいった封筒にいれて、蝋印で封をする。
これが、最後の切り札であった。