春2
広い土を固めて作った大通り、道の脇に等間隔で並ぶ木。
何かがはらはらと木から舞い散っていた。
一つ手のひらに乗せ、観察する。
「桜の木、こんな近くで見たことなかった」
ようやく俺は、その言葉でこれが桜の花びらであることを理解した。
見てからなぜ直ぐに分からなかったのか、それはここがモノクロの、つまり俺の夢の中の世界だからだ。
声を発した人物は、何時もの通り、着物を着た少女。
夢の中の俺は、
「それは良かった、花が好きなのか?」
「うん……私が居た場所では、あまり見ることが出来なかったから」
「……そっか、なら今年は季節の花を沢山を見に行こう」
少女が着物の裾を掴んで引っ張るのでなんだろうと思って相手を見る。
頬が緩んでいた。恐らくだが微笑んでいるのだろう。
「本当? ありがとう、嬉しい」
少女はとても嬉しそうに笑っていた。
二人はそのまま広い道を楽しそうに進んで行った。
しばらくすると開けた場所に出る。
俺は、ずっと見てきた光景に違和感を抱いていた、桜の並び方や道の太さ…桜祭りがおこなわれる通りにそっくりだ。そして今いるこの場所は今で言う公園……桜の大きさを見ると、ここが昔の……過去である事が分かる。
そして少女に腕を掴まれたまま、広場の中心に植えたばかりであろう桜の苗木を見つめた。
恐らく、この広場のシンボルにするつもりなのだろう。
現在では公園のほぼ真ん中に立っていて、樹齢何百年かは知らないがすごい迫力の桜の木だ、明日確認しよう。
「ね、この桜が大きくなるには、どのくらいの時間が必要なのかな」
少女が聞き答えるが、俺の表情が歪む。
「何十か、何百か………途方もない時間だよ……」
それに気が付いた少女は、
「……そんな顔しないで、私は、今が一番幸せなんだよ」
明らかに無理をしている顔と、声だった。
でもあえて気が付かない振りをするのが、夢の中の俺の、精一杯の優しさだったのかも知れない。
「また、来年見に来ようね!」
「……ああ」
少し、悲しみを引きずっている声と表情。
少女と手を繋ぎ再び始める。
ぎゅう、と手を強く握る。
少女の存在を確かめるかのように、自分が此処にいる事を確かめるように。
そして、
じりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり!
けたたましい目覚まし時計によって、俺はゆっくり眼を開けた。
ぼんやりとした頭で目覚ましを止める。
「あー、また変な夢を見た」
乱雑に頭を掻いて、布団から出た。
目覚ましは七時に設定したから多分、七時五分くらい。
紅が家に来る時間が八時、着物を着つけて遅くても九時に家を出る。
ちなみにだが俺は神社に住んではいない。神社近くの家に祖父と祖母、三人で暮らしている。両親とは暮らしていない。と言うよりは、神社を継ぐはずであった母はもともと体が弱く、俺を産んですぐに亡くなり、婿養子であった父はこの家に居づらくなってしまったのだろう。当時赤子だった俺を連れて消えたらしい。捜索願まで出して探したが一向に見つからず、一ヶ月後に父みずから神社にやってきてこう言ったらしい。
香夜を返す、だから金を貸してくれ。
我が父ながら最低だと思う。貸してくれとは言っても返って来るはずがない。
そうは言っても祖父母からしたら大切な一人娘が残してくれた孫、父の眼は血走り、断ったら何をするか分からない状態、もしかしたら俺が殺されてしまうかもしれない。言われるがまま、結局金を渡し、俺を引き取った。
言うなれば、俺は父に金で売られたのだ。
売られた先が死んだ母の実家で良かったが。
顔を洗い、朝食を食べる。今日はどんぶりに昨日の夕飯のおかずのあまり物を乗せて味を調えた言わば手抜き。
いや手抜きなんて言ったら婆さんに怒られる、手抜きでも美味いから文句なんて言えない。ごちそうさまでした。
歯磨きをしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
婆さんがそれに応対し、
「香夜、紅葉ちゃんが来たよ! 香夜から聞いているよ、少し古いかもしれないけど……」
「いいえ、着られるだけで嬉しいです、いつもありがとうございます」
「気なんか使わなくてもいいんだよ、数年後、楽しみにしてるからね……今年でもいいんだよ?」
「婆さん、何言ってんだ!」
背後に俺がいることに気が付かないで婆さんが話すので、慌てて遮る。
そういう話は好きじゃない。
「紅、上がってくれ、玄関じゃなんだし」
「あ、うん」
その時、あれ? と、紅が来る前には着物を着ている計算だったのに、やけに紅が来るのが早い。時計を見ると七時三十分だった。
「紅、今日はやけに早いな、どうしたんだ?」
紅が俺を見遣る、その顔は少し赤らんで見えた。
「なんかね、久々に夜と出かけるからそわそわしちゃって、居ても経っても居られなくなっちゃった」
そう言って紅は恥ずかしそうにはにかんだ。
それを見て俺も何だか照れくさくなってしまい、紅から視線を外しそっぽを向いた。
きっと、頬は赤くなっていただろう。付き合い始めて六年になるのに、未だに慣れない。俺が紅にベタ惚れだからだ。
「じゃあこの部屋で着物選んで。婆さん後はよろしくな」
我が家は伝統的な日本家屋なので、畳とふすまが基本になる。
縁側を歩き、衣裳部屋に紅を通した。
「女の子に着物選んであげられるなんて、楽しみねぇ」
ふと、婆さんが呟く。
「……最後は何時だったかねぇ」
少し下を向く。最後に着せたのは俺の母だろうから。
婆さんは、今でこそ元気だが、母が亡くなった時は号泣し数日は喉に何も通らず、俺が居なくなった時には錯乱して自殺未遂。爺さんは大変だったらしい。
自室に戻り、着物を何着か出す。まだ肌寒いから羽織も。
少し悩んで灰色の着物に黒色の羽織に決めた。
曲がりなりにも神社の跡取り息子なので、一人着物を着る。着れなかったら毎日大変だ、仕事着は着物なのだから。
着付け終わり、衣裳部屋隣の部屋で紅をのんびり待っていると、
「夜? いる?」
着替えが終わったのかふすまの向こうから紅の声が聞こえた。
「いるよ、着替え終わったの?」
「うん……でもこんな色着た事ないから…」
ふすまをゆっくり開けると紅が不安げに見つめてきた。
「なんだ、すごく似合ってるよ、綺麗」
白い着物に柄は桃色の桜の花、羽織も桃色。
一瞬、見惚れた。
「そうかな……でも、ありがと、夜の着物は灰色なんだね」
「うん、この色だと紅に見劣りしちゃうなぁ」
「そんなことないよ! 夜と歩いていたら女の人達に嫉妬されちゃうよ」
「……嫉妬?」
そう言うと紅は口を両手で隠した。
両肩を掴んで逃げられないようにしてから顔を近付けて行くと、紅の顔が真っ赤に染まった。
可愛いなぁと思いつつ俺は、
「今日の俺の眼は何色?」
と言うと、両手越しのくぐもった声で、
「……く、黒」
「紅、顔近付けたぐらいでその反応やめろよな~、昨日だって紅が俺に突然やってきた事なんだから」
少しおどけながら軽くそう言う。
心臓がうるさいのをごまかすため。
「だってやられる側になるなんて、思ってもみなかったんだもの……」
「紅は自分の眼の色、汚いなんて言うけど、俺は紅の眼、好きだよ」
そんな告白をして、桜祭りに向かうため、強引に紅の手を引き玄関に向かった。
昨日紅が俺に対して言った事と全く同じ事を言っただけなのに、羞恥からか紅は泣きそうになっていた。
玄関に向かう途中、婆さんとすれ違ったので、
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、あまり紅葉ちゃんをいじめないようにね」
紅の表情が見えたのか、そうたしなめられた。