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春1




ねぇ、と目の前の黒い影が……細長く、艶やかな指を伸ばしながら話しかけてくる。

女の見た目は一五歳ほどの少女、顔もはっきりと見えず分かるのは仕草と大体の大きさ。

仕草は大人の女性の色気が漂っていた。

だから、そんな幼い少女ではないと一方的に思う。

世界のほとんどが黒で塗り潰され、少女の生気を全く感じられない光景だったが、シルエットだけは何故か鮮明に見える。

でも、色は全く見えない。

色と言う存在が無くなってしまったかのようだ。

目の前の人影に、声をかけた。


「何?」


声をかけた俺の声は酷く枯れていた。聞き取れたかどうかも怪しい。

女は伸ばした指で俺の着物の袖を掴んで優しく微笑む。髪の色も肌の色も、全く分からないモノクロの世界で、幸せそうに笑って、


「ありがとう」


と、何故か感謝され、女は少女と見間違えるような幼さを孕んだ体で抱き着いて、見上げてくる。


「ごめん……なさい」


次に、謝られて困惑したが、モノクロ世界の俺は女の頭を優しく撫でおろし、唇を髪に寄せた。

しばらくそのまま女の体温を感じていると、


「……ょ…………っ……」


どこか遠いところから声が聞こえた気がした。

声は俺を呼んでいるようだった。

それでも変わらず俺の行動はエスカレートしていく。

俺は女の耳元に唇を近付け、


「絶対に、迎えに行く」

「……」

「愛してるよ」


俺は指先で女の涙を拭った。

何故そんな事を言っているのかはさっぱりだが、取り敢えず恥ずかしさで叫んでしまいそうだ。


「よ………るっ」


その間も声は近づいていて、だけど耳障りな雑音にしか聞こえず、全く気に留めなかった。

表情しか分からない真っ黒な顔に見つめられる。

顔のパーツも眼の色も髪の色も分からないのに、その存在が愛おしくて。

そして二人は口付けを……


「……る……よ、る……夜!」


名前を呼ばれ、眼を見開いた。


「夜……また勉強さぼって」


その言葉と目の前の光景と人物によって、一気に現実に引き戻された。


「あ……そうか………なんだ、夢か」


その言葉に神社の縁側に腰を掛け、彼女は小首を傾げた。

俺は何時から眼を閉じていたのだろうか?

そのぐらい現実味溢れる夢だった。

目の前にいる巫女服の彼女は名前を雪森ゆきもり 紅葉もみじ

俺が小学生の時に近所に引っ越してきたいわゆる幼馴染だ。

初めての出会いは茜色に染まった小さな公園だった。どんな色もうつさない短く整えられた艶やかな黒髪、大きく全てを吸い込んでしまいそうな漆黒のまあるい瞳。

ひとめ惚れだった。

もっとも、幼すぎてそれに数年間気が付かなかった訳だが……


こうこそ、仕事はどうした?」

「掃き掃除が終わったら、夜の勉強の見張り」


そう言って紅はいたずらっぽくひかえめに笑う。

相変わらず俺の心を根こそぎ持っていこうとしている。

俺は紅葉の事を紅と呼ぶ、と言うのも紅葉と書いてもみじと読むのはおかしいと小学生の時思った訳で、一文字とって紅と呼んでいた。その癖がいまだに取れず、相変わらずそう呼んでいる。

俺の名前は神代かみしろ 香夜こうや、紅が当時俺だけずるいと言い、対抗意識なのか何なのか俺の事を夜と呼ぶようになった。

紅が仰向けになっている俺の顔を覗き込んでくる。と、同時に紅の顔が近づいてきて、吐息が分かるくらいの距離になる。

そして、次に紅は顔を不満げに歪めてこう言う。


「やっぱり黒くなる……本当は綺麗なのに」

「黒も綺麗な色だと思うけど?」


会う度に、こうして紅は俺の眼を覗き込んでくる。

俺の眼は少々特殊で、周りの環境、周りの色によって瞳の色が変わってしまう。

今、紅は外で縁側に腰掛けていて俺はその近くで読んでいた文献を投げ出して寝転がっている。

恐らくこの状況だと、俺の眼の色は茶色か黒、もしくは植物の色で緑だ。

俺の眼の色が綺麗だからと紅は覗き込むが、その宝石の様な漆黒に見つめられたら眼の色だけでなく違うものも黒色に変わってしまうだろう。

補足すると、眼の地の色は茶色、白だけは映さない。髪の色は色素が薄いのかこげ茶で、夕日に当たると赤茶っぽくなる。


「もう勉強再開して」

「ふあぁい」


現在四月下旬、暖かくなってきた時期、眠いものは眠い。


「……せっかく初代様の眼を受け継いだのに」

「そんなこと言われてもなあ…」


俺は、短大卒業して今年で二十一になる。

今は実家の神社を継ぐため今は現当主である祖父を手伝いながら歴史のお勉強。

お陰で毎日着物を着ている、好きだからいいけど。

初代様と言うのはこの神社の初代当主、つまり創設者だ。

初代様はあらゆる物の怪、悪霊、なんでも請け負い退治してきた神々しいお方で、その方の眼が俺の眼と似ているとの事。

文献によると


辺りの色により己の色も変わりし希有な眼


とあるが全く同じとは言いたくないので似ていると言っておく。

何故同じと言いたくないのかと言うと、俺が継ぐ神社はいわゆる分家。

初代様には二人の御子が御産まれになり、一人は男児、もう一人は女児で、男児は本家を、女児は分家をそれぞれ継いだとの事、またそこから沢山の子孫が枝分かれし、それぞれが別に神社をお建てになったそうな。

俺が継ぐ予定の神社はそんな沢山枝分かれした分家の一つである。

そんな由緒正しい本家に子供の頃用事があり、爺さんと訪問した。

その時、たまたま俺とそう歳が変わらない男の子、つまり本家の跡取りになる子に絡まれて……

曰く、分家のくせに生意気だ、本当なら私がその眼を手に入れていたはずなのに。

そう言うといきなり人の顔に手を近付けて眼球を取り出そうとしたのだ。

それだけにとどまらず、本家の人間に嫌味を言われたり、嫌がらせをされたり……

爺さんには迷惑をかけたと思う。

トラウマを植え付けられた俺は、数日はまともに寝られず、同時に自分の眼が嫌いになった。

でも……


「初代様と同じ眼じゃなくても、私は夜の眼、好きだよ」


紅のたったこれだけの言葉で疎ましかった眼が、かけがえのないものになる。


「私は眼じゃなくて、夜の事が好きだから」


そう言われたのは出会ってから数日後だった。


「俺って単純だなぁ」


そう小さく呟いて、


「それより、掃き掃除はいいのか?」

「あ……うん、そうだね」


ふと紅が明後日の方向を見つめ始める。

それにつられ、その方向を見る。


……白い、山。


紅は、高校を卒業後、いずれは俺が継ぐ神社で巫女をしている。

その頃から、紅が頻繁にあの雪山を見ていることに気が付いた。

聞くと、引っ越してきて以来ずっとあの山が気になって仕方がない、何故か山の気持ちがが分かる、今日は泣いていると語りだした。

正直、病気か何かだと思った。でも、あまりにも紅が真剣に話すから、病気だと少し

でも思ってしまったのに申し訳なくなり、雪山についての話はよく聞くようにしている。

あの白い山は、何故か一年中吹雪いている。

夏だろうが晴れていようが関係なく。

遠い昔、何人もの研究者があの山に足を踏み入れ、そして帰ってこなかった。

大昔は姥捨山として多くの不必要とされた人間を飲み込んできた事でも有名だ。

踏み入った者が二度と帰って来ることのない死の山。そうも呼ばれた。

神社の文献によると昔は一年中雪は降っていたが、死の山と言われるほどでは無かったそうだ。

それには初代様の伴侶が関係しているとどこかで読んだが、まだ俺は初代様の歴史を学んでいるため、奥方様の事にまで追いついていない。

簡単に言えば、初代様の奥方は人間ではないらしい。

初代様は特殊な眼故に忌子とされ家を追い出された。その後は町を転々としながら時々物の怪を退治しては路銀を稼いでいた。そして遠いこの地に行き着き、この地を治める藩主に、あの雪山をどうにか出来んかと藁にもすがる思いで頼まれた。雪山に入り長い長い道のりを歩いて行くと、赤い目をした黒髪の少女がいたと言う。

この赤目の少女が、初代様の伴侶になる。

少女は雪山の神。山神様、元は雪の化身だったがこの山に居着いたと書かれている。

こんな内容、普通なら嘘だと笑い飛ばすだろう。

……でも、実際に一年中雪が降っている山がこんなに近くにあるのだから、信じるしかない。

山から視線を外し、紅の横顔を見る。雪山を見つめるまなざしは真剣そのものだ。


「……今日はどんな感じですか」

「ん……楽しそう? 明日が楽しみだって、明日って何かあったかな」


明日って言うと……


「桜祭り?」

「……あ、そっか山のふもとまでの道、ぼんぼりが付くから」


桜祭り、文字通り桜を歩きながら眺める祭りだ。

この辺りで桜と言えば山桜が一般的で、咲く時期は遅く今ぐらいなのだ。

桜通りと町の人々が呼ぶ通りには立派な桜の木が左右に見える。その桜通りを交通規制して散策する祭り、とは言っても出店が出るわけでもなく夜に桜をライトアップするくらいだ。


「行きたい?」

「え………でも……明日、仕事で……」


紅は口籠ってしまい、俯いてしまった。まるで謝っているようだ。

それを見て少し悲しくなって、神社の中で事務をしているであろう祖母を大声で呼ぶ。

婆さんは主に神社では経理をしている、つまり紅の雇い主は婆さんになる。

遠くから婆さんの声がして、用事を聞いてきた。


「明日、桜祭りがあって、紅借りてもいい?」


すると簡単にОKが帰って来た。


「夜、私……」

「いいだろ、たまには」


たまに息抜きしたって罰なんか当たらない。

そういや桜祭りなんて行くのなんて何年振りだろう……

確か桜通り終着の桜公園で何か出し物をしていたと思う。太鼓と笛で演奏とか昔ながらの踊りを音に合わせて踊るとか。

ああ、なら折角だし。


「紅さん紅さん」

「な、なに?」

「お祭り、着物で行かない?」


身を乗り出して紅の顔を覗き込む。

俺は普段から着物を崩して着ている、紅は普段は巫女服で、それでも十分可愛いのだが、たまのお祭りだし、着物を着ていっても何も問題ないだろう。

そう思って言ったのだが紅が眼を伏せて、少し落ち込んだ表情になってしまった。


「ごめん、家にお金なくて……着物となくて」


そんな事、今更言わなくても承知済み。何年一緒にいると思っているんだ。

紅と紅の母親は、前は違う土地に住んでいたが、父親が女を作って蒸発したらしく、当然生活が出来なくなってしまい、祖母と暮らし始めた。

紅は、父親がどこに居るのか何をしているのか、生きているのか死んでいるのかさえ、知らないらしい。

紅の言葉を聞いた俺は、


「着物なら家にいっぱいある、明日家に来いよ」


分家と言え神社の家、着物が無いわけない。


「……でも」

「いいの、俺が紅の着物姿見たいんだし」


ああ……そうだ、一つ書き忘れていた事がある。


「恋人なんだから、そのくらいさせてくれてもいいだろ」

「……うん、ありがと」


紅と俺は、恋人と言う関係になる。

俺は、最初こそ恋心に気が付かなかったが、中学卒業の時、紅と行く高校が同じでは無い事に頭がすっきりしなくて、それを当時の友達に言うと、それって恋かもな、と答えが返ってきて……友達に言われるまで気が付かなかったのはどうかと思うが……その後、長い神社の階段を上り始めた紅を階段の頂上から見て、俺は大声で告白した。告白って普通体育館裏とかでするものなのに、腹に力入れた声でするなんて、自分でも笑ってしまう。しかも告白した内容を全く覚えていないし全く思い出せない、相当緊張していたのだろうか。何を言ったか分からないが、紅は、頬を赤らめ、口元で弧を描いて、いいよ、と返した。そして俺の告白は近所で話題になり、散々もてはやされた。甘酸っぱくて、そして苦い思い出だ。

それから紅とはもう、五年、今年で六年目になる。

掃き掃除に戻った紅の後ろ姿をぼんやり眺め、再び文献を開いて読み始める。

初代当主が討伐した妖怪の名。

山神は討伐リストに載っていない、当たり前だが。

そういや山神は、どうして初代当主と一緒になったのだろう。いくら力があるからとは言っても、所詮は人間だろうに。

少し考えた所で、首を左右に振る。

俺が考えたところで分かる訳がないのだから。


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