秋2
穏やかな日だった。
「ねえ、陽……見て」
少女は手にいっぱいの葉っぱを手に戻ってくる。形からそれが紅葉である事が分かる。
此処は、色の無い世界。俺の夢の中。
何時もの夢、幸せな少女との日常。とても大切な一日。
「綺麗な赤だな」
「そうでしょ」
「ああ、夕の瞳の様だよ」
瞳が赤?
少女を見る。俺には黒く見えるが、赤は黒白にすると黒になるんだろう。
目の赤い少女……
俺は今までそうなのではないかと思っていたが、決め手が足りなかった。この夢が何なのか、ようやく理解する。
俺と同じ目を持ち、本家の一代目でもある神代 陽明。恐らくその記憶だ。
そしてこの少女が、山神……なのか?
「今日お仕事は?」
少女がちょこんと隣に座る。
俺は目を見張った。
「今日は東の山で何か出たらしい」
「東? あの辺りはいろいろ住んでいるからなあ」
「問題ないか見てくる」
「そう……一緒に行けたらいいのに」
少女は愛おしそうにお腹を撫でた。そう、少女のお腹は、まあるく膨らんでいた。
俺はお腹を撫でる少女の手を取り、一緒にお腹を撫でる。
「夕はこの子と一緒に待っていて」
「……うん、早く帰って来てね、陽」
俺は少女を優しく抱きしめて頬に口付けた。
何故、俺はこんな夢を見る?
山神と思わしき少女との日常。幸せな日々。
本当にこれが陽明の記憶? 俺が、同じ眼を持っているからその記憶を垣間見ているのだろうか。
陽明が山神を見、そして白い山を見た。恐らく今の季節は秋。実りの季節。まだ暖かい陽気。
それでも白山には雪が降り続けていた。
遠くから見て、今とそう変わらないように見えた。
何故を繰り返す。
俺が陽明の記憶を見るのには何か原因があるのか?
どうして見続けているのか。
何時か分かる日は来るのだろうか。
ガタン!
大きめの振動が襲ってきた。
「ふっ?」
「……夜、大丈夫?」
黒い髪に黒い瞳。
黒白の夢の中では少女と同じ色持った、女性。
ジーンズにTシャツ姿のとてもラフな格好の……
「紅?」
呟いて、天井を見上げ、理解する。
ああ、今のは……また、夢か。
「大丈夫だよ。寝て悪かった」
現在俺達はバスで移動中。紅が貰った旅行券で旅館に泊まる事になっている。とは、いってもこの町の旅館だが。旅館は少し町から離れた所にあり、手付かずの自然が多く残る。秋は紅葉で少し有名な場所だ。
「……体調、悪いの?」
紅に心配そうに覗き込まれて少し慌てる。
「今日が、楽しみで! ……寝れなかったんだ」
嘘ではない、実際楽しみであった。
寝不足なのには理由がある。最近、夢を見る頻度が多くなっている。熟睡できない事が増えた。夢の内容はいつも大体同じ、陽と夕の日常。恐らく夫婦であろう二人の穏やかな日々。さっきのは少し違った。夕が妊娠していた。恐らく、陽の……
そう言えば、陽明には子供が二人いるはずだ。推測によると、それは孤児であるか、陽明が別に女を作って産ませた子供だとされている。妻である山神には人の子は産めないと考えられているからだ。でも……さっきの映像は? 夕は山神ではないのだろうか?
「っ、紅?」
紅の手が俺の頬を撫でる。
秋に入り気温が下がってはいても昼間はまだ暑い。紅のひんやりした手が心地よい。
「……本当に、大丈夫……?」
「あ……」
紅は心配を隠さずに俺を見つめる。考え事をして上の空だった自分をしかりつける。
「ごめん!」
「夜……?」
「ちょっと考え事してた……折角の紅との旅行なのに……本当にごめんっ」
「……そう、なの」
紅の目が伏せられる。やってしまった、紅を傷つけた。
紅を抱き寄せて、頬にキスをした。先程の夢と同じように。
「っ、よる……!」
「ごめん、もうしないから」
「此処っ……バスで……」
「俺たち以外乗ってない」
今日は平日で、二人で仕事は休んでいる。旅行に行く日取りがなかなか決まらなくてぐだぐだ考えていたら、婆さんが、紅と一緒に休んでいいと言うのでお言葉に甘え、平日に休みを取った。いつもありがとう……婆さん、俺の母親代わり。
「ごめんな、紅……一日お詫びさせて?」
「い、いいよ……そんな………私は夜が心配だっただけだから……」
「俺が納得できないんだ……駄目かな?」
言うと、紅は恥ずかしそうに目を逸らし、小さく頷いた。
その横顔が可愛らしくて感情がこみあげてくる。
ぐっと、紅の手を掴む。
「紅……その………キスしたら駄目?」
言葉に驚いた紅と目が合った。
紅の頬はあっという間に赤くなった。
「ぁ、っ……」
「駄目かな……?」
「此処、は………駄目……」
赤い顔を隠すように紅が抱き着いてくる。それを受け止めて、少し残念に思った。
誰もいないとは言っても公共機関。流石に嫌か。
紅の背をゆっくり、優しく撫でる。
「よる……」
紅はゆっくりと俺の肩に手を付き、唇を俺の耳に寄せる。
「部屋でなら………いいよ……」
心臓が高鳴った。紅は赤い顔のまま俺に体重を預けてくる。
「……っ」
愛おしい。
もっと、もっと、大切にしたい。
*****
終点に着いて、バスを降りる、細い田舎道を進んでいたバスは、折り返して来た道を戻って行く。
バス停付近はすでに沢山の旅館が立ち並び、土産や食事屋など観光客をもてなしているようだ。今日はそれなりに人がいるようだ。ここまで電車が通っているので、バスよりも電車で来る人が多い。俺達が居る町から来る場合はバスの方が早いのだ。
予定では宿に入って、荷物を置き、紅葉を見に行く予定だ。
一泊二日の小旅行。紅と二人で旅行なんて初めてだからドキドキした。
「ね、夜……綺麗だね」
周りの木々はほとんどが紅葉か銀杏で、空間を彩っていた。
からっとした秋の風が通り過ぎると葉が何枚か落ちた。
「本当……綺麗だ」
紅葉を楽しみながら予約を取った旅館に向かう。
すれ違った人の中に家族連れが居た。まだ幼い子供。楽しそうに笑いながらすれ違う。微笑ましい光景だった。
「……ん?」
遠くで祭囃子が聞こえる。
太鼓の音と笛の音。あとは……鈴の音だろうか。
「……あ、夜………お祭りかな……?」
「祭り? こんな時期に……?」
「荷物置いたら行ってみよ?」
その言葉に頷いて、旅館に向う。
「此処かな?」
名前を確認する。ここの様だ。中々立派な旅館だ。此処にタダ券使って泊まるのも気が引けるぐらいだ。
「こんにちは」
受付の女性に声をかける。
「いらっしゃいませ」
着物を着た女性が深々と頭を下げる。
「予約をしていた者です」
「ご予約、ありがとうございます。お名前をよろしいですか?」
「神代です」
「神代様ですね……」
女性にじっと顔を見られた。
……なんだろうか。
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
女性の後を付いて行くと、旅館の一室に案内される。
こちらです、と女性がふすまを開ける。典型的な和室。二人部屋としてはそこそこの広さだった。二部屋あるようで、一部屋には机が置いてあって、もう一方には何も置いていない部屋、恐らくこの部屋に布団を敷くのだろう。
ゆっくりと呼吸をする。畳のいい匂いが鼻をくすぐった。
荷物を取り敢えず適当に下ろす。
にこりと微笑んでいる女性が口を開く。
「神代様は、神代神社と何か御関係があるのですか?」
「……はい、分家の方ですが」
「今、神代神社で豊穣祭が行われているので何か関係があるのかと思いまして」
そう聞いて、ああ、そう言えばそんな祭りあったな。とぼんやり思う。本家はここからそう遠くない、徒歩で行けるような場所にある。豊穣祭などの祭りは基本的に本家でしかやらない。分家にはほとんど関係ないと言える。……たまに手が足らない時に召集されるらしいが。
「俺達はただの旅行ですので」
「そうでしたか、失礼しました」
女性は頭を下げて、それではごゆっくり……と、その場を離れた。
「紅、祭りは本家の豊穣祭みたいだ」
「……そう、本家の」
「行ってみたい?」
正直俺は、行きたくはない。俺を知っている人間が居るだろうし……頭をよぎるのは本家の跡取り息子だ。あいつにだけは会いたくない。それと氷美の事もある。まあ、氷美は本殿のさらに奥の、元々は陽明が住んでいた家の辺りにしか縛られていて、出てこられないだろうから大丈夫だろうけど。
「うーん……」
紅は少し考える。
紅が行くと言うなら俺は付き合うつもりだ。
「少し、行ってみたいかも」
「……分かった」
「夜は嫌かも知れないけど……」
「いいよ、大丈夫」
こそこそしながら行こう……誰にも気が付かれないように……
「あのね、夜」
「ぅん?」
「桜祭りの事なんだけど……」
紅は桜祭りで本家の舞の技術が低い事を言われたらしい。
それで少し気になっていて、俺が行きたくないのを知っていながらも行きたいようだ。
「お祭りなら舞の時間もあると思って」
「うん、確かあったと思う」
「……夜、無理してない? 私、一人でも……」
「いや、大丈夫。紅と離れたくない」
何の為の旅行なのだ。紅と一緒に居る為だ。
ふと紅を見ると、赤くなっている。
俺は紅を驚かせないようにゆっくりと抱き寄せる。
「っ、夜……?」
「紅……」
部屋でならいいって言ったよな。
紅の耳元で低く告げる。
びくりと体を震わせ、さらに顔を赤くする紅を見つめる。
「…………」
紅は俯いていた顔を上げ、涙の幕が張った黒い瞳を瞼の裏に隠す。
その光景に目を細める。
自らの唇を差し出す紅が扇情的で、良くない感情が鎌首をもたげる。
いや、それを聞くのは……日が暮れてからにしよう。
「………んっ」
ゆっくりと重ねて、紅の唇を楽しむ。最後にいたずらで少し強めに唇を吸うと、紅が声を発した。
終わると、紅がずるずると下に座り込むので、一緒に座る。
少しやりすぎただろうか。紅は俺を責める様に何度か軽く額を俺の肩にぶつけてくる。
「駄目だよ……」
「何が?」
「これから出かけるのに……」
「ごめん」
謝って、背を撫でる。紅は、とても温かかった。ずっとこうして居たい思いに駆られる。
紅は体に力が入らなくなってしまったようで、俺の腕の中で大人しくしていた。




