冬0
彼女はすでに彼女ではなかった。
俺の手を振り払った彼女は震える喉で吐露する。
「桜が咲く季節を何度も数えた、信じていたから、春になったら迎えに来てくれるって、信じていたからっ………夏になるとあなたと毎年行っていた祭りが始まる、余計に寂しくて…涙が止まらなくなってしまう……秋には紅葉が色付いて赤くなるあなたの瞳を思い出す、恋しくなってしまう……胸が張り裂けそうだった……冬には何もない……あなたと出会う前の事を、寂しい記憶を……もう、嫌なの、一度幸せを知ってしまったら、それを忘れて元の生活になんて、戻れなかった!」
彼女は叫んだ。
赤い瞳を濡らし、涙を零し、声をあげて。
零れた涙は雪の結晶となり、雪の上に積もって行く。
今降っている穏やかな雪は、彼女の心を表しているようだった。
「分かってる……あなたは陽じゃない」
未だ錯乱する彼女は俺を見据える。
雪山の奥地、薄手の巫女服を身にまとい裸足で立つ。
人のそれでは無かった。
はらはらと雪は降り続ける。
まるで彼女の悲しみを表しているかのように。
「陽は、もう……どこにもいない」
最愛の人の存在を失い、彼女は慟哭する。
俺ではそうする事も出来ない。
慰める事がどうしてできようか。
「あなたは……迎えにっ、来てくれなかった」
顔を覆い、震えながら嗚咽を漏らす。
俺は何もできない。
その悲しみを癒すことなどできない。
彼女は踵を返し、さらに雪山の奥へと進んで行く。
「さようなら、夜……」
「ぁっ……」
悲しみを忘れるために彼女は奥に進んで行く。
人が踏み入る事が出来ない場所に。
俺の手の届かない場所に。
「……っ」
寒さで凍え、声が上手く出せない。
それに……彼女をどちらの名前で呼ぶ方が正しいのか分からなかった。
「待って!」
寒さに凍り付いた体を奮い立たせ、追いかける。
深く積もった雪に足を取られ、転びそうになりながらただ真っ直ぐに進む。
彼女は雪の上を滑る様に進んで行く。俺の元から離れて行く。
「待って! 待てよ!!」
彼女は止まらない、進んでい行く。
俺は必死に考えた。
どうしたら彼女は止まってくれる? 俺の話を聞いてくれる?
俺は走馬灯のように今年の春夏秋を思い出した。
美しかった桜、着物姿の彼女。
派手に咲いた花火、ワンピース姿の彼女。
色付いた紅葉、ジーンズを穿いた彼女。
綺麗な雪が降った今日、巫女姿の彼女。
「迎えに来たんだ! 今! 迎えに来たんだ!!」
力の限り叫んだ。
雪にかき消されないように、彼女に聞こえるように。
「だから! 行くな!! 行かないでくれ!!!」
彼女の足は止まらない。
何も聞こえないふりをして一度も振り返らない。
俺は楽しかった日々を思い出しながら、彼女を追いかける……