メーラの町へ
装備を固め、外に出る準備をする。
コートを着込み、アサルトライフルを準備する。コートは防御力も高いし保温性も高い。夏場にも着られる魔法のコートであり、夏場は冷却機能が発動する。
この装備はいずれもレベル100万台のプレイヤーにとっては最高クラスの装備だ。
「上級者」と称されるレベル300万以上のプレイヤーに対抗出来る、適正レベル280万の装備。
僕はレベル120万なので、これは適正装備ではない。これはオークションで落札した装備なのだ。コートもSFIも、僕が一から作ろうとすれば間違いなく過労死するレベルに作ることが難しい。だが、性能は本物だ。
さて、改めて外に出る。
日も落ちかけており、辺りはオレンジ色に染まっている。
僕はもう一度町を一望する。僕のプレイヤーホームは町の外れの丘にあり、そこからは町が見下ろせる。ここに家を買ったのは、町の敷地が埋まっていた、という事情もあるが、結構気に入っている場所だ。
冒険街レクスに所属するこの町「メーラ」は、治安が安定した活気のある町である。店も多く、特に薬剤を買える店には客が集まる。過去には、客が集まりすぎてサーバーがダウンしたという逸話すら残っている。
その設定の通り、見下ろせる町は数々の灯りで照らされ、ここまでも声が聞こえてくる。
吹き抜ける風、辺りを照らす光。その現実感に、これが現実だと思わずにはいられない。正直、内心はこんな世界に来たかったと思うが、いざ来てみると困ることも多いようだ。
丘の坂を下り、町へ向かう。その途中には森が存在し、結構効率の良い狩り場として重宝する。僕も序盤は武器の素材集めで良く通ったものだ。
もっとも、今の僕ではここで狩ったとしても殆ど経験値は入らない。奥地ならまた話は違うようではあるが。
「お出ましか」
森に足を踏み入れて数分経過し、後少しでメーラに着くという所にモンスターが現れる。
グルル、と威嚇してくるそれは、ジャイアントカウだ。
外見は普通の牛だが、3メートルもの巨体を持っている。
ゲームでは楽勝の敵ではある。だが、ここではどうなのかは分からない。実際に体を動かして戦うなんて、僕は初めてだ。
威嚇する牛に対して、僕は腰に吊るした剣、キャンサーを抜き放つ。
この剣はイベントボスである魔蟹キャンサーのドロップ品である魔蟹の鱗から作られる片手剣だ。イベントボスの名を冠するこの剣は、特殊効果として相手の身体を欠損させやすい効果がある。性能も高く、製作から長く使っていられる剣だ。実際、僕はもう六ヶ月はこの剣で戦っている。
そして、この剣は魔剣だ。魔力の籠った剣を魔剣と言う。勿論、ボスの素材から作ったのだから魔剣であっても不思議ではない。
僕は剣を構えた。勿論、それに反応して牛も突進してくる。
サイドステップで回避行動を起こすが、それは僕の予想とは違った物になった。
サイドステップで回避したのはいいが、最大の問題は、「飛びすぎ」だ。
僕の体は予想以上に大きな力を起こし、僕は4メートルも跳躍し側の木に激突してしまった。家で運動したときから思っていたが、予想以上にこの体は身体能力が高いらしい。
激突と共に全身が軋むように痛む。
その痛みは想像を絶し、僕は倒れそうになる。
ふと目に止まった視界の左上の体力ゲージは、殆ど減っていない。少しも減っていないのにこれだけ痛むとは、不可解なものだ。
と言うより、体力ゲージの存在に気付かなかった。これだけ便利なものを何故見落としていたのか。左上の視界にひっそりと現れていたので、気付かなかっただけだろう。
何故体力は殆ど減っていないのか? それは、普通は骨折する速さで物体に激突したのにも関わらず無傷だからだ。この体は耐久力も高い。実際、ステータスは平均的だが。しかし、現実と比べれば圧倒的ではある。
恐らく、車に跳ねられても大丈夫だろう。新幹線はどうか分からないが。
痛みに耐えて起き上がり改めて剣を構える。
「今度はこっちの番だ!」
構えた剣を振りかぶり敵に向かって降り下ろす。
剣は見事に命中し牛の足を根本から切り離した。牛がバランスを崩して倒れる。体力ゲージが表示され、3割ほど減る。少しずつ減り続けているのは流血のせいだろう。グロテスクな血に少し顔をしかめる。ゲームでは流血表現は無かったし、元々僕は血を余り見なかった。外に余り出なかったので、怪我もしなかったのだ。
一応銃も使ってみることにする。背中に吊るしてあったライフルを触る。
SFIを取り出し、持つ。安定した重さが安心感を産み出している。しかし、その重さはライフルにしては軽すぎた。最初に持ったときは気付かなかったが、これは異常だ。恐らく、自分の筋力パラメータが関係している。これが高いお陰で楽に持てているのだ。
僕は見よう見まねで銃を構えて照準を合わせる。これを見ていた者が居たら「様になっている」と発言していただろう。最初にしては上手く出来た。
そのまま引き金を引くと、軽く反動が体に流れてくる。やはり、反動も軽い。
轟音が鳴り響き、牛の頭を貫通しそのまま背後の木に銃弾が突き刺さる。
同時に牛に体力ゲージが減少し、7割残っていたゲージがゼロまで減少する。
本来ならゲージの消滅と共にモンスターも消滅するが、今消えたのはゲージだけだった。死体が地面に倒れている。
ゲームとは違う仕様だ。流石に驚くが、現実であればこれで合っている。現実基準なら、おかしくはない。
また、アイテムも出ていない。本来ドロップアイテムとして肉が落ちる筈だが、アイテムは落ちなかった。
「まさか、自分で剥ぎ取れとか言わないよな……………」
この死体が残っている原因、それが素材の入手方法に関係しているのなら。
ナイフを取りだし、肉を取り出してみようと考える。ナイフの金色が微かな光を反射している。
「やってみるか」
ナイフで肉を剥ぎ取り、取り出してみる。
「うわっ」
グロテスクな血が吹き出した。流石にこんな物は持ち帰れない。
剥ぎ取るのを断念して町に向かう。
もう町は目の前だ。あと少しで町の門に着く。
町に着いたら、まずは探索しようと思う。ゲームと変わっていなければ助かるが、どうなっているのだろうか。
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メーラの町に着いた頃には、すっかり夜になってしまっていた。
だが、そんな中でも人々の話し声は聞こえてくる。しかし、少し笑い声は少ない。
元々メーラはその設定上メーラに拠点を構える者も多く活気に溢れていた。
その設定、それは商業都市である事だ。
ゲーム時代、ソードマジックではアイテムが非常に重要になっていた。回復薬一つでデュエル__つまり決闘をするまでに重要だった。回復薬を賭けてのデュエルの回数は、これまでに五万回を越えている。
無論、それはこちらでも変わらないだろう。この世界で死ねばどうなるのか不明な以上、出来る限り安全に行動したい。少し前の初戦闘で分かった事だが、この体は十分に強い。ビルから飛び降りた程度では死なないだろう。もっとも、それを実証する証拠はない。
死ぬ可能性はモンスターとの戦闘かデュエルかに限定されるが、もしこの世界に災害があれば、ただでは済まないかもしれない。
町はダメージ無効のシールドが張られている。たとえデュエルであっても、HPはゼロにはならない。それを発動しているのが、ビーコンである。このビーコンが、ダメージ無効のシールドを展開している。
しかし、この町にはシールドがある事を示すビーコンが無い。
つまり、町に居てもダメージを受ける可能性があるのだ。唯一存在したのは、モンスター避けの結界だけだ。しかも、この世界がゲームの設定に従って具現化されているのならモンスター避けの結界はあまり効果を発揮しなくなる。
モンスター避けの結界、その設定は「周辺のモンスターに効果のある魔力を放出し、モンスターを遠ざける」である。一見問題無さそうに見えるが、フィールドボスの設定を見ればその欠陥が分かる。
設定は「周辺を統率する力の強いモンスター。"人間の作った対魔物魔力が効かない"」である。
設定に忠実なのであれば、結界はフィールドボスには効かなくなる。シールドは魔力の塊であり、フィールドボスには効かないのだ。
そして、その設定に関係する一番恐ろしい事が、侵略イノベーションである。
侵略は、周囲のモンスターがフィールドボスと共に大挙して町に侵攻してくるイベントだ。
ゲームでは一度も起こっていないが、これは設定資料集に記載されている。もし設定の再現がこれにも及んでいれば、大変な事になる。この侵略は三年と二十年おきに発生する。
そして、この二つが重なるときが、まさに悪夢である。レイドボスと呼ばれるゲームでは狂気とも言えるステータスを持つ敵が出現する。レイドボスは、かつてイベントが起こった時に一度だけ出現した。全員でHPを協力して削るイベントだ。レイドボスイベントは設定と関係なしに起こったが、それが出現する設定が存在するのだから恐ろしい。もし現れれば、僕のレベルでは即死だ。良くて瀕死。僕のレベルは120万を越している。それでも即死なのだから、レイドボスのステータスは圧倒的に高い。
最初に現れた時のレイドボスのHPは億を越えていたと言う。
話を戻そう。メーラは、商業都市である関係上活気がある。ゲームでは昼夜問わず人に溢れていた。
だが、今は大通りでさえゲーム時代の半分ほどの人しかいない。
だが、それでも___
「ソードマジック最高!」
こんな声も聞こえる。恐らくプレイヤーだ。こんな事は、プレイヤーしか言わないだろう。この世界に来れたことを純粋に喜んでいるのだろう。
人々の中にはプレイヤーらしき者もチラチラと見受けられる。
だが、驚くべきはNPCであろう。ゲームではプログラムに書かれた事しか答えないそれが、もはや普通の人間のように話している。
もうこの世界では人間だ。あの表情や話し方を、プログラムが再現は出来る筈はない。例え学習を繰り返したAIでも、このようなしゃべり方は出来ない。
普通の人間とプレイヤーの違い、それは、体力ゲージの上のランキング表示だ。僕は千万台のランクだが、希に十万台もいる。この町にはトップランカーは居ないが、中堅層が多い。
しかし、町には闇も確かに存在した。
嬉しそうに騒ぐプレイヤー達とは対照的に、明らかに絶望に満ちた者もいる。
町のレンガ床に備えられたベンチに座り、頭を垂れる者も居れば泣いている者もいた。
見たくない光景だった。
この光景は想像もしたくない。絶望にまみれた世界のどこに光があるのか、理解できない。
僕はその光景から目を背け、店に向かって歩き出した。アイテムの物価を見るためである。
ゲーム時代でも、僕は毎日店の物価をチェックし、安いときに大量に買って節約した。
「ここだな」
懐かしい店だ。
町の一角にあるパン屋。ゲームの時は、食料集めで大いに役立った。
店に入る。
そして、一番近くのパンの値段を見る。
「135ルア…………!?」
パンの値段が明らかに違う。
本来、このパンは50ルア位の筈だ。ルアとはこの世界の通貨単位で、何かの略語だ。僕は覚えていないが、確かどこかの設定資料に載っていた筈だ。
僕はパンの値段を見て驚愕した。これはフランスパンに似ている物で、こんなに高くない筈だ。
確かに食料としては優秀ではあるが、こんな値上げは有り得ない。
他のパンは……………
「こっちも高くなっている……………」
僕が落ち込むのを見た店員が少し驚いているのが横目に見えた。
僕は気にせずに考え始める。
値段が倍以上に値上がっている。おかしい、いくらなんでもこんな値段に変動する筈がない。どんな時でもパンは50から80ルア程で、130を越すような事は有り得ない。余程高級なパンでない限り、そんな事はない筈だ。
「いや、まさかこの値段は……………」
僕は一つの考えに行き着いた。
「現実の物価と、同じ…………?」
この値段は、現実のものと同じだ。
僕は良くパンを買いに行っていたので分かるが、これぐらいの値段のパンが多かった筈だ。
そこまで考えて、僕はパンを一つ手に取った。
そのままカウンターまで持っていく。
「148ルアです」
流暢な日本語で返してくる店員に財布にいれてあった金を渡し、パンを持って店の外に出る。
驚くほど流暢な日本語だった。見た目は西洋風なのに、話しているのは見事な日本語。日本のゲームが元なのだからこれでいいのかもしれないが、イメージと少し違う。
僕はパンを食べながら商店街の道を歩いた。
「……………味も、再現しているのか」
僕が買ったのはフランスパンであり、その味は前に日本で買ったフランスパンと殆ど変わらなかった。
「もう現実としか思えなくなってくるな」
このリアルさ、もう驚けなくなってくるほどに驚いた。