オークの隠れ家レストラン
ダイエット中、お腹がすいたので、勢いで書きました。
大陸でも稀有な、うら若き女性ばかりで組織された騎士団――ファン・レイン王国のアルストロメリア娘子軍。
若干十八歳にして新任小隊長となった伯爵令嬢メイア・ストールは、ニヤニヤと人の悪い笑いを浮かべる豚鬼を前にして、羞恥と屈辱に身を振るわせた。
「――くっ、この味は……!?」
「この間罠にかかった王冠箆鹿の肉がそろそろ食べごろだったので、ステック・アッシェにしてみた。つなぎを使わない赤身肉だけのハンバーグのことだ――まあ、世界的に見ればつなぎを使う方が少数派なんだがね――ああ、あと付け合せはさっき土産にもらったジャガイモのポンム・フリット(フライド・ポテト)だ。パンは天然酵母の自家製だが、パン用の専用窯がないんで多少焦げて不恰好ですまんが、なかなかいけるだろう?」
飄々とした態度で料理の解説をする豚鬼の薀蓄を聞きながら、メイアは自分の持っていた豚鬼に対する常識が、ガラガラと音を立てて瓦解するのを自覚するのだった。
そもそも見た目からして常識外れである。だいたいにおいて豚鬼といえば、腰巻を巻いていれば良い方で、ほんどが素っ裸の裸族。そして不潔で体中から豚のような悪臭を放っている――というのが、どこの冒険者ギルドの手引きにも図鑑にも載っている記述であるが、この豚鬼はきちんと水浴びをしているのか、まさかとは思うが風呂に入っているのか、肌には汚れひとつなく体毛もきちんと鋏と櫛が入っていて、おまけにほのかにハーブの匂いまで漂っている。
さらには、どんな素材でできているのかパッと見は不明だが、相当上物な生地でできているだろう染みひとつない純白のコック服とコックスカーフを巻いていて、厨房に君臨していた。
その佇まいはエレガントですらある。
そんな明らかに常識外れの豚鬼の常識外れの料理を前に、反射的に「こんな料理は邪道だ!」と、感情的に反駁したくなるのをぐっと堪えるメイア。
王都で流行っている貴族向けの香辛料をたっぷり使った料理とは対照的に、野にある素材を素材本来の味を生かした調理法は粗野であり異端であるとは思うのだが、反面そこには確かな技法と洗練が感じられた。
使われている食器もさほど高価なものではなく、粘土をこねて釜で焼いただけの素朴なものだが、それがかえってこの料理に合って食欲をいや増してくれている。
確かに細かく粗を探せばいくらでも文句はでてくるだろうが、『美味いか不味いか』と問われれば、素直に『美味い!』と答えざるを得ない。メイアにもそれくらいの公正さと貴族としての矜持があった。
粗にして野ではあるが卑ではない。それどころか、ゴテゴテした料理にはない品格すらある。
もう一口。
と、口に入れた瞬間、肉本来の旨味が口一杯に広がり、いかにも肉を食べている! というインパクトが爆発し、さらにトロリとしたコクのあるソースがほのかなハーモニーを奏でるのだ。
ついでにとばかり付け合せのポンム・フリットとやらを口に運ぶと、芋本来が持つ土の美味さと適度な塩気が、肉の余韻を洗い流して……いや、余韻は残したまま、見事な口直しをしてくれる。
「くう――くっ、くぅ……!」
丸太を削って作った椅子とテーブル。そこに座ったまま、犬が尻尾を振るように、興奮して手足を振り回したくなる衝動をメイアは必死に堪えた。
それでも、思わず肩が小刻みに揺れて、にんまりと頬が緩むのは止められない。
「――まあっ。獣肉なのにまったく臭みがないですわね、お嬢様。それにこのソースは只者ではありませんわ」
「美味いっ。美味いですよ隊長! いや~っ、最高です。こんな美味い物食べたことないですよ!」
同じテーブルに座っているふたりの部下。
もともとストール家においてメイアの侍女兼護衛役だった二歳年上のシャルロットと、今年騎士学校を卒業したばかりの十五歳だというエミリィもまた、目を丸くして出された料理を頬ばっている。
鉄面皮、冷血女などとあだ名される(実際には不器用なだけで人一倍優しいのだが)シャルロットが軽く目を見開き、一口一口舌の上で転がすように食べている。
あれはシャルロットにとって最大の驚愕の表情であり――前回見たのは、五年前に父である伯爵が不慮の死を遂げ、跡を継いだバカ兄貴がわずか一週間で投資に失敗して、領地を含んだ財産すべてを失ったと知った瞬間。怒りのあまりメイアがバカ兄貴に飛び蹴りかましたあの時以来だろうか――心底夢中になっていることを、長い付き合いのメイアはよく理解していた。
一口一口、舌の上で転がすように食べているのは、どうにかこの料理をものにできないか分析しているのだろう。
対照的にエミリィは半分泣きながら、物凄い勢いで料理を掻き込んでいた。
いちおう砦では三食食事は提供されていたのだが、連日繰り返される塩辛い干し肉や形の悪い豆、カチコチの黒パンという献立によほど飽き飽きしていたのだろう。
あっという間に食べ終えて、「お代わり! お代わりください!!」皿を持って盛んにアピールしていた。
そんな部下たちの様子に、どうにか冷静さを取り戻したメイアは、軽く居住まいを正すと、つんと取り澄ました表情に戻って、厨房に戻ってお代わりの皿を持ってきた豚鬼に向かって言い放つ。
「……ま、まあまあだな。思ったよりも食えないものではないな」
さきほどの醜態をなかったかのような顔で、そう評価するメイアの態度に豚鬼は軽く肩をすくめ、途中で皿を受け取った妖精族の目の覚めるような美少女は、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。
「――それでは、当店の営業許可はいただけるのですね?!」
銀鈴のような声とキラキラ輝く瞳でそう確認され、一瞬口ごもったメイア。
ちらりと横目で部下の様子を窺うと、シャルロットは『お嬢様に従います』というような透徹した目でメイアを見つめ返し、エミリィは『隊長お願いしますよ~。お代わり欲しいですぅ!』という縋るような目で見ている。
「…………」
メイアは「なんでこんなことになったのだ……?」と、無言でため息をついた。
バカ兄貴を殴っても蹴ってもどうしようもないと見切って、腕一本でのし上がろうと騎士学校に最後の伝手を頼って入学したのが間違いだったのか。
卒業生の総代を決める模擬戦を前に闇討ちしてきた軍務卿の息子を、ボコボコに返り討ちにして、腹立ち紛れに素っ裸に剥いて、女子寮の玄関前に『短剣』と股間に書いて逆さ吊りにしておいたのがマズかったのか。
こんなド辺境の掘っ立て小屋みたいな砦に、いきなり左遷されると辞令を貰った瞬間、上官の机を手刀で真っ二つにしただけで、その場で軍を辞めなかった自分が不甲斐ないのか。
それともエミリィの口車に乗ったのが浅はかだったのか……。
思い起こせば、ことの起こりはほんの半日前――。
ライデンの森にべらぼうに美味い料理を出す飯屋があるらしい。
だけど店主兼料理人は豚鬼で、その日の気分によって出す料理も変わってくるとか。
ついでに、女給は別嬪の妖精族だって話だ。
そんな噂話を近くの開拓村でエミリィが聞きつけてきたのが始まりである。
「隊長、噂が本当か確かめに行ってみませんか~?」
どれひとつとっても眉唾物どころか与太話以前の噴飯ものの噂であった。
ライデンの森といえば、鳥も通わず飛竜でも横断できない大陸でも有数の危険地帯である。
ファン・レイン王国の中でも辺境中の辺境。
近くに開拓村はあるとはいえ、旅人も通らない僻地。
そんな場所に飯屋があるわけはない。まして、料理人は国によっては魔物扱いされる豚鬼で(ファン・レイン王国では人間を襲わない限り、一応は亜人扱いされる)、女給が豚鬼を人間以上に忌み嫌う妖精族などと、根も葉もない噂話にしてもあり得ない取り合わせであった。
普通なら一笑に付してお仕舞だったのだが、三人がこの辺境の砦に赴任してきて一カ月。
まったく代わり映えのない日常に腐っていたところもあり、気分転換に足を延ばしてもいいか。
と、この時メイアは珍しく気まぐれを起こしたのだ。
「ふーん……まあ、ライデンの森の監視は私たちの仕事だからね。変な噂があるんなら調査しないとまずいわね」
「そうこなくっちゃ!」
よほど退屈していたのか、跳び上がって喝采を叫ぶエミリィに苦笑しながら、メイアは何の気なしに尋ねる。
「そういえば、その豚鬼の飯屋って名前はあるの?」
「ええ、なんでも『森の隠れ家レストラン・スポンタネ』って言うらしいですよ。どんな意味かは誰も知らないそうですけど」
「ふん。大方豚鬼の言葉で“餌場”とかそんなところでしょう」
「本当にそんな店があるのなら、人間を食べるために開いているのかも知れませんね、お嬢様」
そう珍しく軽口を言ったシャルロットにしても、単なるお嬢様の暇つぶし……くらいにしか考えていなかったはずである。
雲行きが怪しくなってきたのは、歩いて二十分ほどで行ける開拓村で聞き込みを始めたすぐのことである。
「あんれまぁ! お嬢さん兵士の皆でスポンさんのところへ飯食いに行くんだか? 気をつけていてらっしぇ。ああ、そうそう、前にオラたちが行った時、ツケてもらったんで悪ぃけんども、代金代わりに畑の芋持って行ってくんねべか?」
適当に見かけた畑仕事中の農夫に聞いてみたところ、あっさりと噂の裏づけが取れた。
というか、なにかもうここの開拓村では、当然の共通認識となっているようですらあった。
「……なんで、前任者からそういう大事なことは引継ぎがないのかしら……?」
呻くメイアを取り成すシャルロットとエミリィ。
「いかにも無能で左遷されたような男でしたからね。もしかすると本当に知らなかったのかも知れません」
「そうですよ。あたしが聞いた時も、『あんまし余所の人間には教せたくねーだども、お姉ちゃんたちは可愛いから特別だぁ』って感じでしたし」
で、詳しい場所を村人に聞いたところ、『村から見える一番高い木の傍にあるだよ』というアヤフヤな答えが返ってきた。
ついでに渡された二十キロぐらいありそうな麻袋に入った芋を、しぶしぶ三人で協力して持ち上げて、とりあえず大雑把な目印目掛けてテクテク歩くこと一時間あまり。
森に入っては目印もなにもないだろうと思ったのだが、ライデンの森に入ってすぐのところに、しっかりと矢印が描かれた看板があり、『森の隠れ家レストラン』となかなか達筆の大陸共通語が書かれていた。
隠れ家を標榜している割りに隠す気が微塵もない。
「「「…………」」」
昔話に出てくる性質の悪い妖精か、狐狸妖怪の類いに化かされているのでは? と、三人とも己の正気を疑って顔を見合わせる。
どうやら幻覚の類いではないと判断をして、看板に沿って獣道を歩いてさらに三十分ほど。
やがてそこだけ森がぽっかり拓け、中心に一本だけひときわ巨大な木があり、さらに清涼な水をたたえる泉。そして、小奇麗な高床式のログハウスが一軒、陽だまりの中に存在するという、まるでお伽噺のような場所に出た。
ここまで来れば毒食らえば皿までも……とばかり、腰に佩いていたサーベル(支給品の安物)を抜き放ったメイアともに、抜き身の刃を構えた三人の女騎士たちは慎重にはしご階段を昇り、看板と同様に『森の隠れ家レストラン』と書かれた玄関ドアを確認すると、もう一度顔を見合わせて頷き、示し合わせて一斉にドアを蹴って開けると、中へと雪崩れ込む。
「いらっしゃいませ~♪」
「……へい、らっしゃい」
抜き身の剣を構えて殺気立つ三人の女騎士を出迎えたのは、女給服を着た妖精族の娘と、この店の店主兼コックだという無愛想な豚鬼であった。
その後は「こんな店を認めるわけにはいかん!」というメイアと、「別にあんたの許可はいらんよ」という豚鬼の間で売り言葉に買い言葉、
「なら私に美味いと言わせてみろ! そうしたらきちんと正式な営業許可を出してやろう」
「――ふん。そんなことか」
「言っておくが、私は仮にも(没落したとはいえ)伯爵令嬢だ。悪食の豚鬼如きに私の舌を納得させられると思うなよ」
「ふん、伯爵家のお姫様で騎士か。これが本当の姫騎士ってやつか……」
「? なにを言っているんだ、お前は?」
「いや。なんでもない。いいだろう。料理人なら腕でその口を黙らせてやる」
「大言壮語を吐く豚鬼だな」
ということで、結局のところ豚鬼が作った料理――ステック・アッシェとやら――を前に、ぐうの音も出ないほど完敗したのだった。
周りの視線が自分ひとりに注がれている中、メイアは一度だけ唇を噛んで、ヤケクソのように言い放つ。
「わかった! 確かに美味かった。私の負けだ。ちゃんとこの店を王国に登録して、正式な飲食店と認めるよう砦に戻ったら書類を発行してやる!」
「やったあーーーっ!!」
小躍りしながら、女給の娘はすかさずお代わりの皿をエミリィの前に置く。
「よっしゃあああああああっ!」
お預けをくっていたエミリィは、早速とばかり舌鼓を打つのだった。
ただ一方で冷静なのは店主の豚鬼で、腕組みしながらメイアと、より冷静そうなシャルロットに視線をやりながら尋ねる。
「――で、その場合、税金は何割になるんだ? 言っておくがウチの店はマトモな客が少ないので、だいたいが物々交換か現物払いになっているんだが」
問われたメイアとシャルロットは互いに視線を交わせて、
「こういう場合は売り上げの三割が妥当かしら?」
「ですがお嬢様。店主が亜人の場合は、特務法の適用になりさらに二割が加算される計算です」
どうにも風向きが怪しい話に、豚鬼は顔を顰めた。
「おいおい。五割もとられたらやっていけねえぞ。つーか、ひでー法律だな、それ」
「たしかにそうなんだけど、悪法でも法は法だし……」
「ああ、そうですわ。この店は基本現金を使わない、物々交換で成り立っているのですよね?」
「ああそうだ」
「ならば抜け道があります。物流交換法の対象になるので、その場合は現金に相当する物で充当することは可能です」
シャルロットの言葉に、夢中で食事を摂っていたエミリィが勢いよく顔を上げた。
「つまり、税金代わりにあたしたちが毎日ここで飲み食いするってことですね!」
こういう時には抜群の勘の良さを発揮する少女である。
苦笑しながら、メイアは頷いて肯定をした。
「そいうことよ。どう、悪い話じゃないでしょう? 私たちも正直、砦の保存食は食傷気味だったから、ここで今日みたいな美味しいご飯が食べたいのよ」
最初はツンケンした女騎士かと思っていたのだが、案外素直で可愛いところがあるな、何より俺の料理を『美味い』と喜んでくれるところが気に入った、と思いつつ豚鬼は鹿爪らしい表情を崩さずに頷き返した。
「いいだろう。ただし、俺の料理はその日の材料に応じて変わる即興だ。同じ料理は滅多に出ないし、日によっては材料不足で休業することもある。それでよければ、いつでも食いに来てくれ」
「わかったわ。よろしくね、スポンタネ」
「今後とも、お嬢様ともどもよろしくお願いします、スポンタネさん」
「美味しい料理を楽しみにしてるよ、スポンさん!」
「いや、俺の名前がスポンタネってわけじゃなくて……まあいいか」
和気藹々と挨拶をしてくれた三人のかしましい女騎士を前に、ため息をついた豚鬼は、次の料理に取り掛かるべく厨房に戻るのだった。
この日、ライデンの森にひっそり佇む豚鬼が営むレストランに、三人の常連が増えたのだった。
《一口メモ》
王冠箆鹿の調理法。
仕留めたらその場で血抜きして、解体する。
厨房で各部位に切り分けたのち、植物油とハーブでマリネして冷暗所で二~三週間熟成させる。
肉質は鉄分を多く含む赤身肉だが、鹿類の脂肪は人間の胃の中では消化されないので完全に取り除く。
一般的には若い個体よりも年を経たもののほうが赤身と風味が強い。
雄と雌では雄の方が堅く風味も強い。また火の入りも雄はなかなか火が通らないが、雌は比較的火が入りやすいなど違いが有るので調理の際には気をつけるようにする。
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「くっくっく、どんなに粋がっても上の口は正直だな」
「あああっ、こんな……止まらない。くっ、こんな豚鬼の言いなりになるなんて……」
というような描写を入れようかどうか悩んで没にしました。さすがに……ねえ?
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8/5 追記。連載版を作成いたしました。