紫陽花の色は
6月、雨の降っている日だった。
教室の中にいる莉乃には、降り続けている雨の音よりも、騒いでいるクラスメートの声の方がよく耳に届いた。締め切られた窓の向こうではグラウンドに形のない雨が降っていた。
一学期中間テストが終わり、気分転換に、と行われた席替えが、莉乃にとって好機となった。くじ引きによって勝ち取った席は窓側の後ろから2番目。別に、授業を安眠音楽にしたい訳でもないし、それすら無視してグラウンドを眺めたい訳でもない。隅っこというのが、なんとなく落ち着く。まあ後ろに1人いるので厳密に隅っこ、とは言えないのだが。
このところ続いている雨の湿気のせいでうまくまとまらない髪を弄りながら、莉乃は勝ち取った席で文庫本を読んでいた。音楽にサビがあるように、物語にも盛り上がるところがある。ちょうどそこにさしかかった辺りで、莉乃の背中がつつかれた。当たっただけかと思ったがどうやらそうではないらしい。
莉乃は少し前に買って貰った栞を文庫本に挟み、そっと机に置くと、後ろを向いた。
窓側の一番後ろという競争率の高い場所を幸運によって手に入れた彼女がそこにいる。
「どうかした?」
「消しゴム、落としちゃったの。取ってくれない?」
彼女が指差す方向を見ると、ちょうど莉乃の足下に片側だけ角の使われていない消しゴムが転がっていた。
莉乃が消しゴムを取ろうと屈んだ瞬間、莉乃の背中で金属が弾けるような音がした。
「むっ!?」
莉乃が変な声を出して机の下で一瞬だけ暴れた。後ろの席の彼女の筆箱が床に落ちて中身が散乱する。
「あっ、ごめんなさい!」
つい先ほど発生したとある事情により、急に起き上がることのできなくなった莉乃は、本来の目的である消しゴムの回収だけ遂行して、ゆっくりと起き上がった。
後ろの席の彼女は慌てて筆箱の中身を広い集めている。
莉乃は後ろの席の彼女が筆箱の中身を広い集めるのを待ってから、消しゴムを差し出した。
「はい、これ」
「あ、ありがとう」
後ろの席の彼女は差し出された消しゴムを百人一首の大会みたいに奪い取ると、それを筆箱にしまって、教室を出て行ってしまった。
取り残された莉乃は、まず彼女の名前を確認した。それから、何事もなかったかのように、文庫本を開いた。一瞬だけ、雨の音が教室の騒がしさを越えたような気がした。
この日、莉乃の下着のホックは、他ならぬ莉乃によって破壊された。
◇◇◇
「先輩、上に着るもの持ってます!?」
良平がカレーパンを買っていつもの空き教室に行くと、珍しく莉乃が先に来ていて、腰をかがめたようなおかしな姿勢で迫ってきた。
「どした、寒いのか?」
「いや、そうじゃない、ですけど、そういうことで!」
6月に入ったということは、実は衣替えの期間なのである。ブレザーを着なくてはならない期間から、シャツだけであったり、指定の半袖シャツでの生活が許されるようになるのだ。
良平も莉乃も、長袖のシャツだけだった。雨が運んできたのは湿気と温度だった。
「まあ、分かった。持ってくる」
なぜか追い出されるように空き教室を出た良平は、なぜ莉乃が上着を欲しがっているのか考えながら自分の教室に戻った。
お昼時の教室はいつもの通り騒がしくて、耳を済ませば学校中の噂話が聞こえてくるようだった。良平はそれらを避けて自分の席まで行くと、カバンに押し込まれた紺色のカーディガンを取り出して、一度時間を確認した。お昼休みはまだ長い。
良平はカレーパンとカーディガンを抱えると、小走りで教室を出た。その背中を見つめる視線にも気付かないまま。
空き教室に戻ると、莉乃はやはりおかしな体制でお弁当をついばんでいた。一口が小さい割に箸が速いので尚そう見える。
「はい、カーディガン」
「どうもです」
莉乃はそれを受け取ると、ボタンが付いているにも関わらず頭からそれを被って着用した。
しばらくもぞもぞとしてから、ようやくカーディガンは収まるところに収まった。しかし当然の事ながら、袖が大分余っている。袖の太さも莉乃の腕に比べると大きいので、捲ろうにも滑って落ちてきてしまう。袖に関しては、ちびっ子博士のようにしなくてはならない。これが萌え袖云々なんて莉乃は知らない。
「じゃあ先輩、これありがとうございます。お昼ご飯『お一人で』ごゆっくりー」
莉乃はそのまま軽い足取りで教室を出て行った。
莉乃にもようやくと言っていいのか、友達が出来たらしく、良平がこの空き教室でお一人様で購買のパンをかじっているのを、皮肉るようになってきた。しかし良平はそれを気にする様子もなく、積まれた机たちの開いた場所に腰掛けた。
「残念ながら、お一人様じゃないんだよな」
良平がパンの袋を開けると、奥の暗がりから人影が1つ、こちらにやってきた。
しかしそれは生きる者のそれではなく、既に、命の終わった者の、未練を残して終わっていった者の、魂の欠片であろう。良平は、そんな者たちとここで何度も会っている。
「いやー、危なかったっしょ。あの子視える子っしょ?危ない危ない」
それにしては軽い口調で話す彼女の肌は褐色で、眩しいばかりの金色の髪。長く煌びやかなまつげ、様々な装飾が施された長い爪が意味するのは、いわゆる『ギャル』である。
「別にいいじゃないか。見られたって」
「ああいうタイプの子ってアタシらみたいなの好きじゃないっしょ」
長い爪を全く気にする様子もなく、恐らく通常の3倍くらい盛られた髪を弄っている。
「好感度とか気にするのな」
「そりゃあねぇ、大事っしょ」
良平は、カレーパンを食べ終えると少し真面目な表情に戻った。
「で、名前は」
「覚えてなーい」
「なっ」
「でもね、やりたいことは、ちゃーんと覚えてるから」
◇◇◇
空き教室を出て行った莉乃は、空き教室を出た瞬間とは打って変わって、朝起きた事を少し考えていた。下着のことではない。
莉乃の後ろの席に座っているのは、筒井郁美という名前の女子生徒だ。友達も多く、部活動は陸上部に所属しているはずだ。朝からそれとなく観察してみたが、元気で、少し声が大きい。なんとかっていうアイドルが好きで、その話で盛り上がってるようだった。しかしどういう訳か、時々酷く暗い顔をしている時がある。
そもそも、なぜこんな事を考えているのか。
莉乃が筆箱を落としてしまったとき、筆箱の中に入っていたのは、プリクラで撮ったであろう写真で、3人の女子が写っていた。しかも3人とも、おそらくは『ギャル』である。
写真には加工で3人の名前が入っていて、「ふたば」「みすず」そして、「いくみ」だった。
もしかしたら昔の写真かもしれない。しかし何らかの思いがあって、その写真をずっと持っている。でも他人にそれを見られたくない。
そこまでならまだ良かった。
きっとそういう人もいるだろう。そう思って話は終わりの筈だった。
莉乃がお手洗いに行こうとした時だった。ちょうど郁美もお手洗いにいて、メイクを直しているようだった。メイク自体あまりにも自然だったから、していることにさえ気がつかなかったのだが、空き教室付近の人のほとんど居ないトイレの中で、コスメ売り場かという程の化粧道具を並べて、その『隠蔽』は行われていた。
トイレの入り口で、鏡に集中している郁美に気づかれないように中の様子を窺った。
郁美がメイクによって隠そうとしていたのは、目の下にある濃く、大きな『くま』だった
莉乃は放課後を待って話しかけてみることにした。おそらく向こうもそれを待っているだろうから。朝、写真を見られてしまったと思った郁美は、とっさにそれを片付けて逃げ出してしまった。きっとあの写真を見られるということは郁美にとっての禁忌だったのだ。だとすれば、周りに言わないで欲しいだとか、さもなくば命はないだとか、そんな類の話をしたいに違いない。
郁美がコスメ売り場を閉店させようとしたとき、予鈴が鳴った。
慌ててそれを完了させようとする郁美に気づかれないように、自分の教室に向かった。お手洗いに行く時間くらいあるだろう。
◇◇◇
現世に現れた霊たちは、この世に何かしらの未練があって、それが無くなることで霊たちは成仏することができる。良平は、図らずもその役を担ってきたのだが、今回はどうやらそうもいかないらしい。
厳密に言えば「良平には』不可能だったのだ。なぜならギャル子(仮名)の未練というのが「テンアゲでエンジョイすること」だったからである。テンアゲとは、テンションアゲアゲで、といったニュアンスだ。…と思う。
ギャル子曰わく、エンジョイすることとは、人それぞれであるが、ギャル子らしいエンジョイ方法というのがあるらしく、それを実行せねばならないらしい。良平は、いわゆるパリピな遊び方はできないのだった。しかしそこで相談した相手がまた悪かった。
相談相手は木村という男子生徒で、良平は、とは旧知の仲である。少し小さめの身長に、漫画のようなマッシュルームカット。「見た目は3枚目、中身は1.5枚目」というのがモットーだそうだ。なぜ木村に相談したか、と言われれば、特に理由なんて無いが、そういう事ができるのが、友人関係というものだろう。
「よっしゃ俺に任せときな!」
木村快く快諾してくれた。しかし出たっきり条件が「女子を誰か1人誘うこと」だった。それができたらまずお前に相談しねえよ、と言うのをこらえて、それを実行する事にした。そもそも木村に頼んだ理由も特に無い。
放課後、部活やなんかがある連中はすぐに教室から居なくなってしまって、それらがない良平を含めた生徒たちが、ゆっくりと帰宅の準備をしていた。隅っこで勉強している奴もいる。少しひいて見ると、放課後というのが如何に自由な時間だろうかと思う。
しかし今日は重要なミッションがある。良平は鞄にパンやらお菓子やらを詰め込んでいる生徒のところに寄っていった。誘う時は、爽やかに、笑顔で、フレンドリーに、
「今日この後暇なんだけど、どっか遊びに行かない?」
よしできた!
家に帰ったら自分を褒めてやろうと心に誓った。
誘ったのは、クラスの女子の中では良平に対してよくしてくれている葉山紗英という女子生徒である。以前席が近かったときの、お腹すいたとか眠いとか言っていたイメージしかない。しかし食べ物を目の前にしたときの彼女の反応は尋常ではなく、中学時代に1クラス分の給食をひとりでたいらげたという伝説がある。…他の生徒どうしたんだよ。
「りょうへい君、珍しいねぇ。そんなタイプだったぁ?」
甘ったるい撫で声。ずっと聞いていたら糖尿病になりそうだ。
「まあ、ちょっとな。たまには良いかと思って」
「ふぅん。なんでもいいけどねぇ。で、どこ行くのぉ?まさか2人っきりとか?むふふー」
誘う相手を間違えたかもしれない。
「あ、やっぱ辞めるわ」
「わわわ、冗談だよぅ」
「木村ともう一人いるよ。で、来るの?」
「ご飯があるならどこでも行くよっ」
「よし決まり」
ほっと胸を撫で下ろす。始まりはこれからだと言うのに。莉乃に連絡を入れようと思いスマホを開くと、すでにメッセージがあった。『放課後用事ができたので、先に帰っちゃってOKです』加えて不適に笑う犬のスタンプが送られてきた。先輩はどうせ用事ないでしょうという意志が見え見えである。
良平は防犯のため莉乃と共に帰宅していたのだが、これなら手間が省けた。『了解』と送って良平はスマホをポケットにしまった。
雨はまだ降っている。
◇◇◇
良平にメッセージを送ってスマホを閉じた莉乃は、一呼吸置いてから振り返った。
後ろの席の郁美は、莉乃に向かって手を伸ばしていた。今まさにはなしかけようとしていたのだ。
「さっき見ちゃったんだけどさ」
郁美は、黙って聞いている。
「郁美ちゃんってメイクすごいんだね!」
笑顔で、フレンドリーに、隠し事をしながらのコミュニケーションがここまでとは思わなかった。自分の顔がひきつっているきさえする。今朝見た写真の事はおいておいて、別のところから核心に迫る。
その後の何秒かで、地球が2周した気がした。
それから郁美の表情が柔らかくなった。
「見られちゃった?もしかして、興味あるの?」
「そうなの!凄く興味があるんだけど、なかなか難しくって。郁美ちゃんはどこでそれ覚えたの?」
不自然にならないように、と気を使ってるつもりだが、そもそも喋り方がおかしいことは莉乃自身わかっている。意識高い系女子を演じるのがここまで難しいとは…
「ねえ」
「どうかした?」
「隠さなくていいよ。見たんでしょ。プリ」
演劇部にでも入って修行しようかな、と思った瞬間だった。
しかしそう聞かれて、見てないよ、なんて言い訳が通用するとは思えない。莉乃は意を決した。
「そう。見たよ」
「どう思った?」
「難しいけど、見られるの嫌だったみたいだし。それに、目の下のくま、どうしたのかなって」
「そんなとこまで見られてたのね…」
ばつの悪そうに頭をかく郁美。それから少し周りを見て、筆箱から写真を取り出すと、莉乃の方に向けた。
「こっちの青い髪のが美鈴緑色のが双葉で、みんな違う学校の友達。この金髪が私なんだけど、見ての通り今は普通。他の二人はどうしてるかな…あーなんか懐かしいな。」
「そうなんだ…」
中心に写っている金髪のギャルが、今目の前で淡々と話をしているのが、なんだか信じられなかった。
「どうして筒井さんだけ、辞めちゃったの…?」
「うーん、ホントは分かってるでしょ。私ここの高校にどうしても入りたかったの。だから、辞めちゃった」
心のどこかでそう思っていたのかもしれない。莉乃たちの通う高校は、この近辺の高校のなかでは比較的偏差値が高い。中学校の3年間をこの格好で遊んでいたら、まず担任に止められてしまうだろう。
窓を向いて、郁美は続けた。
「裏切ったんだよね。私」
郁美はそれ以上何も言わなかった。莉乃も、それから言葉を無くしてしまって、写真をじっと見ていた。
「そろそろ行かなくちゃ。またね」
莉乃が返事をするよりも早く、郁美は教室を出て行ってしまった。
雨は、まだやまない。
◇◇◇
「良平くん良平くん!あっち!お寿司があるよ!」
「お寿司のぬいぐるみ、な」
そう言って、紗英はクレーンゲームの方に走っていった。右手にはイチゴのクレープ、左手には唐揚げのカップを持っている。
良平は若干疲れたようにそれについて行く。
その更に後ろを見えないギャルがついていく
「そうそうそんなカンジ~いいね~マジテンアゲ」
テンアゲとはなんだ、と聞くのはもうやめた。さっきから知らない日本語(?)が聞こえまくっていて、いちいち聞くのが面倒になってきていた。
ちなみに、木村ともう一人は既に居なくなっていた。迷子がどっちか分からないので、捜すのもやめた。
紗英の食費はともかくとして、収穫があったとすれば、良平は意外とクレーンゲームが得意だったということであろう。きっともっと上手い人はもっと上手いのだろうが、別にそこを目指すつもりはない。
マグロの握りに顔のついた謎のキャラクターのぬいぐるみを取ろうとクレーンゲームに向かっていると、ガラスの向こうに莉乃の姿を捉えた。
莉乃は何か探すように辺りをキョロキョロと見回していて、その拍子に良平と目が合った。
何かを伝えようとこっちに向かって来る。
「りょうへい君、右!右!」
「あ、ああ」
莉乃に見惚れて…いた訳ではないが莉乃を見ていたせいで手元が狂い、およそ関係の無いところにクレームゲームのアームが入っていった。無駄な動きをしながら元の位置に戻っていくアーム。それが戻るのよりも早く、莉乃は怪訝な顔をして別のクレームゲームの影に消えてしまった。
誤解されたな、と思ったときにはもう遅かった。
「取るの難しそう?」
「あ、うん、まあ、そうかもしれない」
「じゃあ仕方ないねぇ~あっ、あっちにアイスの自販機あるよっ!」
いつの間にか手ぶらになっていた紗英は、そのままアイスの方に駆けていった。アイスに救われたのは初めてかもしれない。良平は足下に放置された可哀相な人形たちを手に持って、紗英のいる方に歩き出した。
「いいねーいいねー。青春ってカンジ」
もはや人事である。というかこんな事をして本当に彼女は成仏するのだろうか。今更不安になってしまう。
「これでいいの。アタシはこれがいいの」
「これで何にもならなかったら神社かどっか行くからな」
「それはマヂ勘弁」
その時だった。
「どうも先輩、奇遇ですね!」
莉乃だった。
「こんなところでお会いするとは、デートですか?」
若干怒っているような気がするのは気のせいではないだろう。その矛先は定かではないが。莉乃が目をゆっくりと細めてニコニコしている時はだいたい怒っている。
「あー、デートっつうか、幽霊の未練がだな」
「はあ。で、どこにいるんですかね」
ギャル子は別に隠れているのではなく、良平の隣に突っ立っている。莉乃の登場があまりに急だったせいで隠れられなかったのだ。
しかしどうやらギャル子の姿は莉乃には見えていないらしい。なぜだ?
「まあ、そういうことなら私も手伝ってあげましょう。…見失っちゃったんで」
見失っちゃった、何を?と聞こうとした所で紗英が帰ってきた。
「あれぇ、りょうへい君、ナンパぁ~?」
「違うよ。後輩」
「ども。莉乃です」
「りのちゃんって言うんだね~よろしく~」
言い終わるかどうか、ニヤニヤしていたギャル子が何かを感じて振り返った。それに気づいた良平も振り返る。そこには莉乃と同じ1年生の制服を着た女子生徒が、どこか懐かしそうに辺りを見ながら歩いていた。
続いて莉乃も気がついたようで、女子生徒、もとい筒井郁美のところへ駆けていく。
「筒井さん一人?」
「え、あ、うん」
「じゃあさ、一緒になんかしない?」
郁美はあまり乗り気でなかったようだが、莉乃に根負けして、こちらにやってきた。
莉乃としては、自分1人では力不足と感じていた。良平と紗英をどうにかするということについて。
そこからは4人と見えない1人で行動した。まず、プリクラを撮った。
撮影は何事もなかったが、その後加工をする場面で、1枚、良平の肩にバッチリネイルの決められた手が写っているのに気がついた。完全に心霊写真である。良平は慌てて、星形のスタンプを肩に置いた。少し不自然だが仕方ない。
それから、併設されている小さなレストランで軽食をとった。紗英は軽食、と言いながラーメンとチャーハンのセットをたいらげた。980円なり。
程なくして、莉乃がお手洗いに行くと言って席を立った。
「えーっとぉ、いくみちゃんだっけぇ?ぬいぐるみ、いるぅ?」
そう言って紗英は良平が持たされていた謎のぬいぐるみ達をテーブルに上げ始めた。
「わぁ、いいんですか?こういうの好きなんですよ」
「全然いいよぉ。だってそれ食べられないんだもん」
たい焼き、のぬいぐるみ。チキンナゲット、のぬいぐるみ。よく見たら全部食べ物だった。そんな話をしている間に、ギャル子が「シメはカラオケっしょ」と言ったので提案してみたところ、あまり遅くならなければOKということで、後は莉乃待ちとなった。
しかし莉乃は一向に帰ってこず、莉乃が席を立ってからもう15分が経っていた。
「んーりのちゃん遅いねぇ」
「私見てきますね」
「おねがぁい」
そうやってお手洗いに向かった郁美だったが、出てきたのは、郁美1人だった。
「あれ、りのちゃんはぁ?」
「えっと、あの」
「どうした?なにかあったのか?」
郁美が差し出して来たのは、莉乃の生徒手帳だった。莉乃の名前と顔写真が表紙に印刷されている。
嫌な予感がした。
良平は、怪訝な顔で聞いた。
「つまり、どういうことだ」
あまりに突然の事態に、誰も、今起きていることを口に出そうとはしなかった。
トイレに行ったはずの莉乃は居なくなっていて、生徒手帳が残されている。考えられる最も悪い可能性。
莉乃は、何者かに誘拐された。
しかしその瞬間の沈黙を破るように、郁美が声をあげた。
「心当たりが…心当たりが、あります」
◇◇◇
ゲームセンターを出た良平たちは、郁美の言う心当たりの場所に向かっていた。
郁美が言うには、誘拐の黒幕は郁美が中学の時の友人で、実際に誘拐したのはその彼氏かもしれない、とのことだった。
しばらく雨が降っていたせいで、ゲームセンターにも、外にもあまり人がいなかった為に、白昼堂々と犯行が完遂出来たわけだ。
雨は、午前中までの勢いを取り戻し、ザーザーと音をたてて良平たちに降り注いでいた。傘をさす人たちの間を抜けるように走るが、強く、激しく降る雨は、良平たちの体力を奪うには十分すぎた。徐々に疲労の色が濃くなっていく。視界が薄れていくのは、おそらく、雨のせいでは…
「先輩!大丈夫ですか!」
急に現実に引き戻された。郁美だ。疲れの色は見えるが、まだまだこれからという表情をしている。
「ごめん、ちょっとバテた」
「紗英先輩は2メートルくらいでバテてカフェに倒れ込んでましたから」
郁美は歯を見せて笑った。誰かに似ているような気がした。
それから、すぐに真剣な表情に戻って、立ち止まった。
「ここです」
そこは、建設途中と思われるビルだった。鉄筋が剥き出しで、コンクリートの板のようなものがあちこちに積まれていた。
勇む心を抑えて、呼吸を整える。嫌な想像が脳裏を巡る。さっきから連絡を試みるが、返事はない。仮に返信が来たとしてもそれが莉乃ものであるとは思えない。
「先輩、気持ちは分かります。でも。ここからは、私の聖域です」
「なにか、あるのか」
一応は、郁美はそう言った。それからビルの反対側に回って、ビルが完成していれば非常口かなにかになったであろう金属の簡単な扉を押した。
中は恐ろしい程静かで、外で降りすさぶ雨の音しかしなかった。良平は、音を立てないようにゆっくりと、しかし確実に一歩ずつ歩みながら、郁美の指示を待った。
「いるとしたら、ここに…」
郁美の見る方向には、教室一つ分くらいの大きさの部屋、(といってもコンクリート打ちっぱなしではあるが)があって、奥に段ボールの敷かれた空間があった。そして、莉乃もそこにいた。いた、なんていうのはあまりに優しい表現で、目と口を布で塞がれ、手と足をガムテープで拘束されたいた。莉乃は身じろぎ一つしない。意識を失っているのかもしれない。
「先輩はここで見張っていて下さい。とりま準備してきます。なにかあれば、私のことは気にしないで大丈夫なんで」
わかった、と返事をすると、郁美は小さく頷いてどこか別の部屋に消えて行った。
ギャル子の幽霊が居ない事に気づくのにそこまで時間はかからなかった。しかしそれはそれで好都合だ。あの雰囲気で周りのいられると思うと、気が気でない。
「…でさー、ちゃんと捕まえて来たワケ?」
「おん。だってあれっしょ?あの4人の中で一番遊んでそうなやつ」
「そうそう…って、なにこいつ、違うケド」
「うっそマジで?!」
騒がしくやってきたのはギャル子に似た格好の二人組で、1人は男だった。
「あーっ!イライラする。みすずー、なんか違うの来たよー!」
今さっき来た方向に呼びかけた。それからすぐに、「嘘マジでー!?」とか言いながらまた二人組が出てきた。こっちもギャルのようだ。さっきから、「みすず」「ふたば」と呼び合っている。
「うわマジじゃん。こいつ、意味わかんない。死ねば」
「ごめんってばー。だってこの子、いっちゃん遊んでそうじゃん?」
「知らない。ムカつく。このまま公園の男子トイレ置いてきてよ」
「うわ、確定ルートじゃん」
みすずの彼氏と思われる男がケラケラと笑った。
良平は身体に纏わりついた雨水が乾いていくのを感じた。怒りが込み上げる。激しく歯を噛み締めた。握った拳から血が出そうだった。
良平が一歩踏み出そうとしたときだった。
「なにやってんの」
不機嫌そうに振り返る4人。視界に捉えたのは彼女らのよく知っている郁美の姿だった。
しかし良平にとっては初めて見る姿だ。なびく金髪、盛りすぎかというくらいの長い睫毛、手入れの行き届いた爪、鮮やかな口紅。確かに郁美なのだが、あまりの衝撃に怒りがどこかに引いていった。それは、郁美がそれであった衝撃的よりも、郁美の後ろにいたギャル子と、郁美の姿が完全に同じようにだったからだ。
あの商い教室で出逢ったギャルの幽霊と、郁美が、同じ?頭が周りきらなかった。
郁美の姿に目を取られている時だった。後ろのギャル子が、こちらを向いて何か口を動かしている。なんとかそれを読み取る。
「い、ま、の、う、ち」
4人とも、郁美に気を取られているようで、こちらに気がつく様子はない。うまく回り込めば、そのまま救出できるかもしれない。良平は頷いて、ゆっくりと歩み出した。
「郁美じゃん。そんなカッコでなにやってんの。ウケるんだけど」
「今更なに、裏切り者のクセに」
みすずとふたばの言葉を聞いても、郁美はそのまま立っていた。
「アタシがなんで抜けたか、二人はわかる?」
「はあ?」
「分かるかって聞いてんの!」
少し気圧されたのか、みすずが少しずつあとずさりした。負けじとふたばが答える。
「道で素敵な先輩見つけたって言って、そいつのいる高校いくために、やめたんでしょ!」
「そう、そうだよ。でもそれだけじゃない…」
郁美の高校選びに衝撃を受けている場合ではない。良平は、莉乃の元に足を進めた。まだ気づかれる様子はない。
「じゃあ、なんだっていうのよ」
「2人ともさ、彼氏ができてから、3人でいること少なくなったんだよ。アタシはさ、寂しかったんだよ。でもさ、言える訳ないじゃん。だから、メイクとか、沢山練習して、アタシのところに戻って来てくれるように、頑張ったんだよ。でも、ダメだった。だから…」
「自分から抜けたかっていうの?」
郁美は俯いたまま、両の手を握って、涙をこらえているようだった。
「…バカ」
沈黙を破ったのはふたばだった。
「そんなこと、言ってくれれば、良かったのに、バカ」
みすずが続ける。
予想外の反応に、驚きの表情を浮かべる郁美。
「そんなこと言われたら、メイク落ちるじゃんか…」
みすずとふたばが、最初はゆっくりと、すぐに速くなって、郁美の方に駆け寄った。
「バカ、バカぁ…」
3人で抱き合って泣いている。
しかし彼氏2人の方は、さながら面倒くさそうな顔をして、その場から退場しようとしている。許せなかったが今は莉乃の方が優先である
良平は、莉乃を抱き起こし、目と口の布を取った。気を失っているようだ。それから、できるだけ速く、ガムテープを取り払った。
「先輩…」
ガムテープの痛みか、意識を取り戻した莉乃の口に指を当てて言葉を制した。
莉乃を置いて、あの彼氏どもを成敗しようかとも思ったが、それは無用のようだった。さっき良平が侵入した場所を、後ずさりしながら彼氏どもがやってきた。何かに怯えているようだ。
「オンナノコの友情が分からない男子はぁ、こうだよっ!」
紗英だった。たしかみすず彼氏の方の腕を鷲掴みすると、そのまま軽く持ち上げて、コンクリートの床にたたきつけた。建物が揺れた。もちろん気のせいだ。
「いってぇ!なんなんだよ、なんなんだよおおおお!」
そう言って2人とも逃げていってしまった。
静寂を取り戻した空間には、もう言葉は必要なかった。
もう雨は止んでいた。
◇◇◇
それから、本やネットで調べていて、分かったことがある。
あくまで推察の域をでないが、良平が出逢ったギャル子の霊は、『生き霊』とよばれる類のものだったのではないだろうか。生きている人間の、強い想いや、具現化して、霊となってしまうのだ。怨念の籠もったものであれば、その相手に対して絶大な威力を発揮するが、生き霊を放った本人も良くないことがあるらしい。自分の魂を半分にしているのだというから、当然かもしれないと思った。莉乃は、もしかしたら死者の霊しか見ることができないのかもしれない。それなら莉乃がギャル子の姿を見られなかったのも合点がいく。
今回の場合は、郁美の、ギャルメイクは、ふたばや美鈴に対する想いが形になったものだったのだろう。郁美が、それらと向き合ったことで、ギャル子も消滅したのだろう。いや、1つになった、というべきか。
一応、その後の話もしておこう。
誘拐の一件以降、莉乃は良平に対してだいぶ優しくなった。と、莉乃が思っている。良平は、更に素っ気なくなってしまった、と少し残念がっている。その行き違いには莉乃の良平に対する一見複雑そうで実は単純な想いがあるのだが…
郁美は、ギャルメイクこそしないものの、1学年のファッションリーダー的存在となっている。ちなみに、郁美の高校選びに関わった素敵な先輩、というのは未だにわかっていない。
ふたばと美鈴は、そこまで大きく変わったところはないが、郁美との縁を取り戻し、彼氏との縁をすっぱり切ったらしい。
紗英は柔道部だった。
紫陽花は、植えられている場所の酸性度によって色が変わる。酸性ならば青、アルカリ性なら赤になる。ところが根から送られてくる成分の量の関係で、同じように株でも色が違うことがあるという。しかし、だからこそ、美しいのだ。同じ色だけでも、それは、同じ色の中の輝きに過ぎないのだ。2つの色が互いを理解しあうことで、より深い、多彩な輝きが生まれるのだ。
梅雨の時期の見頃になる紫陽花は、雨を受けて、より輝く。それは雨の中の美しさよりも、やんだ後の、露の輝きなのだ。
雨のつくことわざに、悪い意味のことわざはあまりない。
雨降って地固まる。
雨垂れ石を穿つ。
郁美は、誰かのところに雨が降って、その勢いに、冷たさに、長さに、凍えているなら、伝えてあげられるだろう。
この世にやまない雨はない、と。




