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握った手

 人は遥か昔、翼を持っていたという。

 その翼で人は自由に空を飛び、その恩恵を体全体で受けて生きていた。雲も、太陽も、あの眩しい程の蒼の空も、いまの僕らよりもっと近くにあって、それが当たり前だったそうだ。


 そんな中で、一人の人間が空を愛してしまった。

 その人は毎日、空に愛を歌った。


 いくら歌っても空は何も答えてくれなかったが、その人は命尽きるまで空に愛を歌ったという。

 その人の命が残り僅かになってしまった時、空は風に乗せてメッセージを送った。



 ……想いは届いたのだ。



「空は統べてのものに平等にその恩恵を与える」


 ――そこに隔たりがあってはならない。


 それは神様が定めた掟――そのことを知った神様は怒って人から翼を取り上げた。

 空に愛を歌った人の種族に至っては歌も取り上げ、想いも叶わなくしてしまったそうだ。



 それから、長い長い時を隔て、僕らは翼があったことも忘れてしまい、空に愛を歌った人がいたのも忘れ、人の記憶から消えたまま、空と少し離れたこの大地でその頃からとさほど変わらない空の恩恵を受けて生きている――。


 その人の種族が後に「叶わない糸を紡ぐ者『叶糸鳥』」と呼ばれるようになったのも、僕らは知らないし、『叶糸鳥』達の血が時が流れるとともに世界中に流れていったのも勿論知るわけがない。

 もし、あなたが想いは叶わないと嘆いているなら、あなたは叶糸鳥かもしれない。



 ――小さい頃、こんな本を読んだことがある。


 幼い僕にはただ悲しいだけの物語に布団を被って隠れてこっそり泣いていた。

当時住んでいた6畳が二部屋繋がったあの家の間取りも、お日様の光を吸った布団の匂いもしっかりと覚えてることに気付いたのはこの本が記憶の片隅にある本棚からポロリと落ちた時だ。

 十数年も前に読んだ本を思いだしたワケは、この気持ちのせいだろうか……?


 ――もしかしたら僕は『叶糸鳥』なのかもしれない……。




―叶糸鳥―『握った手。』


 寒い冬の学校の帰り道に駅前のホームセンターに


「猫の餌を買いに行く」


 と言った君に「僕も行く」と笑ったのは君ともっと一緒にいたかったからだ。

 その時僕は熱があってフラフラしていて、鞄を持つ手も痛かったけれど、君と少しでも一緒にいたくてホームセンターまで君の後をついていった。

「風邪ひいてるんでしょ?大丈夫なの?」

 駅前といっても僕が乗るバス停からは少し離れている、僕の体を案じてか寄り道しないで早く帰った方がいいんじゃないの? と君は言う

「大丈夫だよ、冷たい風に当たったら少し楽になった」

 本当は楽になるどころか関節痛は酷くなる一方だし、歩くのがやっとだったけれど、そんな素振りを見せないように頷いた。

 心配そうに僕の顔を覗きこんだあと「仕方ないなぁ」というように笑って、僕がついていくのを了承してくれ、学校から駅に向かって枝だけになった並木道を並んで歩く。

 傾いた陽が雲の多い空を淡いピンク色に染めて、葉っぱを付けていない痩せた木が空に綺麗なコントラストを描いている、冬はあまり好きじゃないけど、こういう景色は好きだ。

 これで熱さえなければ最高なのに、と思いながら君の歩調に合わせて重い体を引きずる。

 なんとか君の隣を歩くことが出来たけど、それが今の僕の精一杯でホームセンターの前にある坂に差し掛かったところで僕は君のペースに合わせる事が出来なくなってしまい「待って」とか「もう少しゆっくり歩いて」なんて言えずに君の後ろをとぼとぼ歩いていた。


 微妙にズレていく歩調で君との少しづつ距離が離れてゆく。


「もう、やっぱり具合悪いんでしょ?ホラ……」


 坂の途中でそんな僕に気付いてゆっくり歩く僕の腕を掴んでまた歩きだす。

その歩調は相変わらずで、君に僕は引きずられるような形になった、掴まれた腕は君の掌の暖かさで更に熱を持ち、顔をあげてその手を見ると君の掌にすっぽり包まれた僕の腕の細さや、黙ったまま君に引きずられている自分が無性に情けなくなり、それでもしっかりと握られたその手を振り払うこともできなくて、気付いたら僕は腕を掴む君の手をさりげなく解き、そっと握っていた。

 握った瞬間、後悔の波が押し寄せる。


 ――この気持ちが掌から零れ落ちて君に伝わってしまわないか。


 ――握った手を振りほどかれはしないか。


 背中まで伸びた緩くウェーブのかかった髪と、灰色のコートが歩く度にふわふわ揺れている君の後ろ姿を見ながら、僕は後悔しながらも手を離すことが出来ないでいた。

 会話のないまま、坂を上がり終わるまで君と手を繋ぐ形で歩いていると、君は振り返りもせずに訝しげに僕に問う。

「……なんで、手繋いでるの?」

 その後ろ姿が僕の全てを拒絶しているようで不安になる。

 ――もしかしたら、気持ちが掌から伝わってしまったかもしれない、と。

そんなことあるわけがないのに。

「あ、ごめん……」

 慌てて君の手を離し、僕は急いでコートのポケットに両手を突っ込む。

「辛そうだったから引っ張ってあげようと思っただけなんだけど……」

 きっと、君は煩わしそうに顔を歪めて唇を動かしているのだろう。

 降り向かずにそれだけ言うと君はなにも無かったかのようにまた歩き出した。

 ――いつまでたっても子供扱いか……本当に情けないな、僕は。

 ポケットに入れた両手を強く握りしめて唇を噛み、離れた君の後を追う。

 君にとって僕は子供の頃から変わらない小さくて弱い、みんなから虐められていつも一人で泣くのを我慢している情けない幼なじみでしかないんだ。



 ――好きだ、なんて言えるわけがない。



 自分の弱さが悔しくて、情けなくて、冷たい風が通り抜けた瞬間、涙がでそうだった。

 倒れそうな体と、込み上げる涙を鞄を握る手に力を込めて抑えこみ、一足先にホームセンターに入る君の後に続く。

 自動ドアをくぐると、眩しいくらいの蛍光灯の光と、暖かい空気に、体も気持ちもスッと楽になる。


「ペットコーナー、どっちだっけ……、あ、あった!」

 天井に下がっている案内板からいち早くペットコーナーを見つけだし、僕を置いて早足でそこに向かう君はすぐにずらりと並んだ棚に隠れて見えなくなる。

 場所はわかっているから僕は安心して背の高い棚に並べられた商品を見ながらゆっくりとペットコーナーまでの道をたどる。


 電化製品、文房具、洗剤、殺虫剤とホームセンターは本当に色んなものを売っているなぁ、と感心しながら、なんだか殺虫剤の反対側にペット用品が売っているのも妙だなと思ってしまう。

 だって、生き物を生かす為のモノと生き物を殺す為のモノが背中合わせなんだもの。

 殺虫剤コーナーと言ってもネズミ取りなんかもあるわけで、ペットコーナーにはカブトムシの餌や木もあるわけで。


 ハムスターはペットでネズミは害獣。

 色艶が似たゴキブリは害虫でカブトムシはペット。

 人はどこまでも勝手なのだろう?偉そうに言う僕もゴキブリは苦手だけれど……。


 そんなことをカブトムシ用の土を袋の上からふかふかしていたら、ネコ缶と大きめのキヤットフードをカゴに入れた君が僕の横にしゃがみこんで「カブトムシ、飼いたいの?」と首を傾げる。

「ううん、ふかふかしてて気持ちいいから触ってただけ」

 生き物は飼いたくない。

 だって僕はきっと彼らが欲しがるような愛情は与えられないから。それは言葉に出さずにもう一度カブトムシの砂を指でそっと押した。

 動物は好きだけれど、その反対でこわがっているのだ、かわいいねと触ったら牙を剥かれて唸られないか。

 カブトムシを手の平に乗せたらすぐに飛び立ってしまわないか……。

 僕は僕の気持ちを相手に裏切られるのがこわいのだ。


 だから僕は生き物を愛でる資格なんてないと思う、裏切られない保証もないのに無償で愛せるわけないから。

「本当だ、ふかふかしてるね」

 僕の手の横に白い手が伸びて、指で押す君が僕を見て笑う。

 いつもは僕の方が小さいから君に見下ろられる形になるけれど、今は同じ目線で微笑んでいる。

「うん」

 本当は嬉しかったけれど、君の顔をきちんとみれなくて目を逸らして微笑んだ。


 ――君にだってそうだね。


 気持ちを伝えた瞬間、君の顔が歪んで僕を拒絶するのが怖くて気持ちを伝えられないのなら、僕は君を想う資格すらないのかもしれない。


 ――それでも、好きになってしまったんだ……。


「コレ、買ってくるね」

スッと立ち上がると隣に置いたカゴを手に持ってレジに向かう。

袋の上から押された砂は二つの指の後を残している。

君が押した後を指で撫でてから僕も立ち上がり、レジに向かった。


君は丁度お金を支払うところでカウンターの上に大きな紙袋に入れられたキャットフードとネコ缶を僕は両手で抱えて君が会計を済ませるのを見計らって歩きだす。

「ちょっと、いいよ……私が持つ」

「大丈夫、そんなに重くないし冷たさが気持ちいい」

 荷物を受け取ろうと手を出す君を背に今度は僕が君を追い越して歩きだす。

 確かに、いくつかのネコ缶とキャットフードが入った袋は程よい大きさと重さで抱きしめるとひんやり僕の熱を奪ってくれて気持ち良かった。

「もう……風邪ひいてるんだから無理しなくていいのに」

 先に歩く僕に早々と追いついて君はあっという間に僕の隣を歩きながら荷物を気にする。

 ピンク色の空は淡く青く染まり、星がにわかに見えはじめていた。

「いいよ、バス停までは僕に持たせて」

 青に溶けることのない黒い枝を生やす並木道の先に君とサヨナラするバス停が見える、そこまでは君の荷物を持たせて。


 ――この両手で、持っていさせて。



「……もぅ、無理しなくていいのに」


 小さくため息をついたあと「じゃあ、少しだけお願いね」と、苦々しく笑い、僕の隣で空を見上げる


「暗くなっちゃったね」


 ……空の青さは深くなって街灯が僕らの歩く道をポツポツと照らしてる。


「うん」


 冬の日照時間は僕らが思ってるよりも短くて、夜が来るのは早いけど……。


「でも、星が綺麗だ」


 ――君が言うこの暗い空には、小さな星が煌めいている。

冬は、陽がでている時間は確かに少ないけれど、夜の空は一番綺麗なんだよ。

そして、冬の夜は季節の中で一番長いんだ。


 それって、ちょっぴり嬉しいことだよね、今君が隣で歩いてるのが嬉しいくらいのちょっぴりだけれど。


 ――そのほんの少しを重ねて、君を好きになったんだ。


 バス停まであと少し、君が僕の歩調に合わせて歩いてくれるのをいいことにゆっくり歩いた。



「はい、コレ、あっためといた」



 バス停の前に着いて、荷物を渡す。

 その紙袋を受け取り、胸に抱くと「ホントだ、あったかい」君はニッコリと笑う。


「最初は冷たくて気持ち良かっけど、あったまっちゃった」

 苦笑いする僕の後ろにバスが停まる。


「やっぱり熱があるんだよ、今日はもう帰ってゆっくり休んで」


 紙袋を抱えたまま片手でバイバイする君に、頷き手を振りかえし、バスに乗り込む時

「風邪ひいてるのに持ってくれて、ありがとう」

 そっと、君の指先が僕の手を撫でた。


「……またね」


 ドアが閉まって、君を置いてバスが走りだす。



 ――君の荷物を持ったのはね、両手が塞がっていれば君と手を繋ぎたい、って思わなくてすむからなんだ。



 君が握った僕の手から想いは伝わらない。


 君は僕の手を軽々と振りほどいてしまえるから。


 僕の熱を持った紙袋から想いは伝わらない。


 この冷たい空気じゃ、缶が入った紙袋はすぐに冷めてしまう。



 掌からも、移った体温からも、想いは伝わることはない。



 ――わかってるよ。



 でも、言葉に出来ない気持ちが体から溢れて伝わってしまわないか……怖いんだ。

 たった一言「君が好きだよ」という言葉が言えないばかりに、言葉が熱になって伝わらないか怖いんだ。


 だって、君は僕を好きにはならないのは解っているから。

 それは君をずっと見てきた僕が一番良く知っている。


 窓際に座り、流れる景色を見ながら、鞄にいれた青い表紙の本を取り出す。



 ――もし、あなたが想いは叶わないと嘆いているなら、あなたは叶糸鳥かもしれない。


 色褪せて掠れた帯の文章を指で撫でてみる。



 ――叶糸鳥だっていいじゃないか。



 空に愛を歌い続けた叶糸鳥のように、僕も君を想い続けよう。


 君が好きになるのは僕じゃなくて構わない。


 ただ、いつだって君の味方でいるよ。



 君の手を握った左手を目の前にかざしてみる。

 バスの蛍光灯に照らされた掌は自分から見ても小さくて頼りなかったから少し笑ってしまう。


 今はまだ、拒絶されるのが怖いけれど、いつか握った手からでも、紙袋に移ったた熱からでもなく、言葉で伝えられるようになるまで強くなるよ。

 叶糸鳥の歌が空に届いたように……、いつか君に想いと共にこの左手を差し出そう。

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