第一章 第一話 「嵐―始まり―」
古い月
郷山 行進
序章
水門の町。
吹き荒れる黒い嵐。
大地は削られ。
消えていく。
人の多くは大地を追われた。
やがてわずかとなった大地に生きるがゆえ、
愚かな争いを生んだ。
一年の大半を夜の闇が支配し。
月ばかりが海を銀色に照らしていた。
激しい戦いと、続く貧困。
そのうちに戦い続ける事は、できなくなった。
やがて耐え抜いた人々は生き残り、静けさの中、ひっそりと生き続けた。
これはそんな終わりの迫った世界で、懸命に生きていた、ある小さな海の上の水門と言われる町の、一人の少年と世界のお話である。
第一章第一話 「嵐―始まり―」
一人の男が石畳を駆けてくる。年は、・・・三十代、二十代後半といった感じの若い男だ。男の長いコートが風になびいた。
やがて男は低いがハッキリとした口調でつぶやいた。
「リブ。オールを呼んで来てくれ。」
「わかった。」
男の陰に隠れていたもう一人、幼い少年、青年位か・・・顔が童顔なためか、幼く見える。声は声変わりの真っ最中か、枯れた感じだ。
少年が水路沿いの道を走りぬけていく。それを男は見送った。と、手もとから金属のぶつかり合う音、取り出したのは鍵だ。
丸い輪っかにいくつもの鍵がついている。一つ一つには名札がふってあり、一目でわかるようになっている。
が、男はしばらく鍵捜しで時間を使っている。見つけたらしい。鍵を開け、蝶番の音があたりに静かに響く。
「?」
男が近づく足音に気づく。振り向くと足音の主は親しげに声をかけた。
「おうローキー。・・・いよいよくるころとは思ったんだがな。」
「ベアか、ここのところ少し遅めだったから油断していた。」
「まったくだ。今頃オールも飛び起きてるころだろう。」
ベアという身長の高い、筋肉質の男とコートのローキーは話しながら狭い梯子を上っていく。
梯子は水門を制御する部屋につながっていた。周りにはメーターやハンドルがある。
それらは錆びていたが、機械油がしっかりと注してあり、整備は完璧だった。
蝶番がきしむ音。ローキーがひさしを上げ、外を見た。
「見えるか?」
声は後ろで鎖を外していたベアのほうだった。
「いや。見えはしないが、この風は間違いない。」
見上げた視線の先には外壁から張り出すようにつけられた尾の長いの旗がなびいている。風は穏やかだ。
「静かだな。」
「ああ、さっきこいつに気づいて心臓が止まるかと思ったよ。」
「・・・。」
ベアは無言でハンドルのほうへ向き直った。
「風が変わったぞ。まもなくだな。」
ローキーは奥の階段を上っていく。
まもなくして、梯子を上る鈍い軋みが聞こえた。
「遅いじゃないか、オール。そろそろくるぞ。」
オールという名の男、少し太った感じだが、体格がよく、力持ちの印象を受ける。
「すまないな。リブのやつにたたき起こされるまで熟睡していたよ。」
ベアは力強く手元のレバーを引いた。
「そういえば、そのリブはどこに行った?」
「今港に行って船が出ていないか確認している。」
オールは着込んできたコートを脱いで、埃を被った古い椅子に掛けた。
ローキーは塔の屋上にいた。風はさっきと同じ方向に吹いている。旗がなびいていた。
「・・・あれは・・・。」
水平線のかなたに何かを見つけた。
海は静かで、馬鹿でかい月の銀色に照らされ、輝いていた。
梯子が激しくきしむ。大きな音が制御室に響く。
そしてリブがひょこっと頭を出した。汗だくだ。
「やばいよ!オクトの船が網上げに行ったままだ!」
部屋に緊張が走った。ギリッと縛られた感じ、そんな空気だ。
「オール!ベア!船が見える!上がって来てくれ!」
三人が階段を駆け上がり、屋上に出る。手すりにローキーが身を乗り出すようにしている。
「あれか!」
上がってきた二人は飛びつくように手すりに引っ付いた。
「結構距離があるぞ。」
「気づいていないかもしれない。リブ!照明弾は!?」
すかさず、リブが階段を上ってきた。手にはなにやら頑強な箱が抱えられている。
「オクトの船だ!早く!」
リブはバチンと箱を開いた。中には口径の大きな銃のようなものが入っている。
「オールとベアは水門の準備にかかってくれ!合図で閉められるように頼む!」
「わかった!」
「おう!」
二人とも返事よりも早く階段を駆け下りた。
「ほら!」
リブは手際よく照明銃を組上げると弾を込め、ローキーに投げ渡した。
「よし。」
照明銃を構え、月を狙った。
「気づいてない、間に合うかな・・・。」
「気づかせるさ。」
ゆれる船の上、二人の人影が動く。二人は網を上げ終わり帰り支度を始めていた。
「なあ、父さん、あれって・・・。」
「どうした。」
若い男、息子であろう。二人は指差す方向を見た。
光の帯が高く上っていく。蒼い閃光がほとばしる。
「気づいたかな。」
「あの親子だ、すぐに気づくさ、だからさっさと戻って来い!」
薬莢が地面に転がる、ローキーはまた弾を込めると月を狙い、引き金を引いた。
「ローキー!こっちは準備できたぞ!」
下の階から声が聞こえた。
「わかった!しばらく待機してくれ!」
「父さん!早く!」
「急げ!そっちの帆を張るんだ!錨をあげろ!」
二人があわただしく船を帰路に向ける。
「よし、急いでロープを・・・。」
オクトは息子の異変に気づいた。船の後ろを見て、呆然としている。オクトもまた、振り返った。
水平線に黒いうねりが見える。それはたちまち高くなっていく。風が吹き始めた。
「!」
「来たか!」
ローキーが声を上げた。
「・・・またきたか・・・。」
リブが立ちすくむようにその光景を見ていた。黒いうねりはどんどん空を埋めつぶしていく。
目の前の水平線すべてから黒い壁が迫っていた。
海にオレンジの閃光が走る。リブがはっとして叫んだ。
「気づいた!」
「さあ来い!急げ!」
「タオト!帆をしっかり保て!」
「ああ!」
タオトはオクトの息子の名だ。ロープを放すまいと体を斜めにして耐えている。
気づけば黒い風が頭の上にまで覆い被さって来ていた。
「俺ら・・・死んじゃうのかな。」
「勝手に死ぬな!生きて帰るんだ!」
もうすぐ後ろにまでうねりが迫っているように感じた。
「だ、だって・・・。」
頬を暖かさも冷たさも感じない風がなでた。
「っく。タオ!手を離すなよ!」
帆が激しく波打つ、風がさらに強まった。
「・・・こ、こいつが、リブの家族を殺したんだろう?」
「その話はよせ!・・・とくに、リブの前ではな。」
「間に合う・・・だろうか・・・。」
ローキーは銃を脇に抱えてリブをつかみ、階段を下りた。
「ローキー!まだ来ないのか!」
ローキーは無言のままひさしの所まで行った
「間に合ってくれなきゃならない。」
横の鉄の扉を開けてオールが入ってきた。
「町中のみんなは避難した。『盾』の準備も万端だ。」
「わかった。」
ローキーは椅子に前かがみに座り、親指のつめを噛んだ。不安な時の、いつもの癖だ。
リブは照明銃の入っていた箱に乗り、ひさしから外を見ていた。
「・・・間に合わない・・・。」
そうつぶやくと急に駆け出した。
「!?」
「リブ!どこへ行く!」
「おい!」
皆の制止も聞かず、梯子を滑り降りる。
「おい!」
オールが町を見渡す窓から、走っていくリブに向かって呼びかけたが、聞こえていないようだった。
「いったい何を考えて・・・!?」
水路を走る影、水門へと一目散に突っ切っていく。ベアは何者か気づいた。
「リブの小型艇だ!」
「あ、あいついったい何を!まて!外へ出るな!」
ローキーは鉄扉を開けて引きとめようとしたが、リブは全速力のまま真下の水門の間をくぐって行った。
「あいつ!」
ローキーは梯子を降りていく。
「あっまて!・・・たく、二人しておんなじだぜ。合図送る奴がいなくなってどうするんだ。」
ベアはブツブツ言った。
「っふ。」
ローキーは隣の物見の塔まで登ってきた。息を切らしている。
「リブだぞ!あいつ何考えてんだ!」
そこには数人の若者がいた。
「・・・た、『盾』は準備できてるか?」
「あ!ローキーさん、万端です。それより、リブですよ!」
「ああ、止め切れなかった。」
見ていた一人が声を上げた。
「船まで行って、・・・戻ってきたぞ!」
「なんだ、何か持ってる、・・・ロープか?」
「!」
ローキーの思考が凄まじい勢いで動き出した。突然港のほうへ身を乗り出した。
「ど、どうしました?」
目の前に、一隻の船が泊まっている。
「リッジオ!お前の船のキーを貸せ!」
「えぁ?は、はい。」
リッジオは船の鍵を放るとローキーはそれを受け取り、階段を駆け下り始めた。
「ど、どうしたんですか!?」
「お前の船だ!」
「はぁ!?」
「お前の船には巻上げ機がついてるだろ!」
「いそげ!」
「はいっ!」
リッジオはエンジンを始動した。重いエンジン音が静まり返った町に轟く。ローキーは周りの取り巻きに言った。
「みんな手伝ってくれ!この船を港に固定するんだ!かかってくれ!」
「おう!」
いっせいにみんなが動き出した。ローキーは船から飛び降りると水門へ走っていく。
遠く、水門のほうから誰かの声がした。
「リブが来たぞ!」
ローキーは水路の脇の道をひた走っている。するとエンジンの音が聞こえてきた。
水門の間をすり抜け、小型艇に乗ったリブが現れた。
リブはローキーの姿をみると、ロープを持った方の親指を天に立てた。そしてニッと笑った。
ローキーはちょっとうつむいた、口元はニヤリと笑っていた。
「うまくやれよ。」
「ああ。」
二人の会話はすれ違う一瞬に行われた。
「リブ!」
取り巻きが口々に言った。リブは無言のまま小型艇を船の横に着けると、すばやい動作でロープを巻き上げ機の端にくくりつけた。
「行くぞ!!」
リブは思い切りレバーを引いた。手入れが不十分で、えらく硬い。が、引ききった。
少し間をおいて、巻き上げ機は動き出した、どんどん速度が上がっていく。周りからどよめきが起こる。
「・・・ま、間に合えっ!」
「と、父さん!」
「つかまれ!」
タオトは舳先にロープを縛り付けた。あまったロープに体をくくり、しがみついた。
歓声が起こった。
「ぐんぐん近づいてるぞ!」
「いいぞ!リブ!お前は天才だ!!」
リブは表情を緩ませはしなかった。
間に合わないかもしれない。いや、間に合わせる。
心の奥にそんなことが浮かんでいた。
黒いうねりは町の中からも見え始めた。
「ベア!オール!いいか!」
「いつでもオーケーだぜ。」
「おう。」
二人ともレバーに取り付いていた。ローキーはひさしを閉め、ガチャンと鍵を掛けた。
「ロキ、そろそろだな。」
扉から一人の男が言った。
「ああ、『盾』準備を。」
「わかった。」
男はそう答え、身を翻すと通路を駆けていった。
「・・・万全だな。あとはあれだけだ。」
ローキーは階段を上っていく。
すでに黒い壁は目前に迫っていた。その影に覆いかぶされる形で小船は引き寄せられていく。
「ぎりぎりか・・・。」
ローキーは誰に言うでもなく、呟いた。
「ロキ!限界だ!待てないぞ!」
「わかってる!」
下からベアの声がした。
ローキーは場所を水門の真上に移動した。
「来い、・・・来てくれ、頼むぞ・・・。」
風の凄まじいうねりが近づいている。もうあたりは風の音しかしなかった。
しばらくの沈黙。ローキーの首筋にも黒い風を感じた。そのとき、かすかに水音が聞こえた。
「来た!!」
どこかで誰かが叫んだ。そしてローキーにも船が見えた。うねりに押しつぶされるようにして辛うじて浮いている。
「今だ!!」
「うおおお!」
ベアとオールは力いっぱいレバーを引いた。
ゴーンという音とともに水門が閉まりだす。閉じるぎりぎりで小船がかすめて滑り込む。
「やった!!」
「やったぞーー!」
歓声が広がる。
「ロキ!」
水門が閉まりきり、巨大な横柱によって扉が固定された。港のほうまで船が引かれていくのを見て、ローキーため息をついた。
その瞬間、『盾』が起動した。
轟音とともに真後ろから巨大な『盾』が立ち上がる。町の周囲を巨大な盾が覆っていく。
それから少しして、黒い嵐がその盾に激突した。
唸るような地響きと凄まじい振動が町を揺らす。
「ローキー!やったな!」
下からベアがやってきた。ゆれのため手すりにつかまり、よろめきながらローキーのそばまで来た。
「リブに礼をいわなきゃな。」
「おっと!ああ、そうだな。」
第一話 「嵐―始まり―」終わり。