第3話 【不思議な力】
それから数日後。
「では、ペリーナ。行ってくるよ。」
「お気をつけて。アロー、お父様から離れてはダメですよ。」
馬にまたがった父の前には、抱えられるようにマントで隠れるようにしたアローレンが乗っていた。クロムロフが出て行くと、今度はイサクがエドルフを前に乗せ、リドーも別の馬で現れた。
「では、母上、パシャ。私達も出かけますので。少しの間、留守をお願い致します。」
「えぇ、気をつけて。数日ですけど、しっかり周りの国の様子を見てくるのですよ。イサクから離れないようにね。」
そうして、しばらくイサク達が走っていくと、国境でクロムロフが待っていた。
「感づかれたかな?」
「いえ。でも良いのですか?こんな事して。」
クロムロフが提案したのは、クロムロフとアローで隣国の王の元へ久々の挨拶へ向かう日に、イサクが教育目的でリドーとエドルフを連れて数日旅に出るというものだった。両者とも決して嘘ではなく、ただ、合流して行くとは、伝えていないだけ。当初の予定では、パシャもアローと一緒だったのだが本人が嫌がったのでアローだけになったのだ。
「こっそり、会われるよりマシという物ですよ。それに、エドルフ。コレが、私の娘アローレンだ。」
やっと、この時エドルフとアローレンはお互いの顔を知った。お互いなんともぎこちなく会釈だけを交わす。
「…?リドーは知っていたの?」
不思議に思い前方を見つめるリドーに問いかけた。
「ん…うん…」
リドーは、どこか上の空でそれに答えた。また、ほとんどアローレンと目を合わそうとしなかった。リドーは異常に無口になり、アローレンだけでなくエドルフにも顔を向けようとはしなくなっていた。一方、そんなリドーの態度を見て、エドルフは自分に隠し事をされていたような悲しい気分になっていた。
「リドーはどうしちゃったの?」
気にするアローレンは、父に問いかけた。
「そうだね。きっと、太陽の下でアローを見るのが恥ずかしいんじゃないかな?」
「違います。」
クロムロフのふざけた答えを、リドーは怪訝そうに瞬時に否定した。クロムロフは、面白そうに笑っている。
「アロー、歌を歌ってくれないかな?優しい歌が良い。」
イサクが優しいフォローをしてくれる。
「歌?」
「歌っておあげ。」
イサクの提案に、クロムロフも賛成した。よくはわからなかったが、アローは歌いだした。優しく澄んだ、そしてやわらかい毛布のような歌声がどこまでも響いていくようだ。リドーは、恥ずかしくて無口になっていた訳ではない。それをクロムロフもイサクもちゃんと理解していた。保護されてから初めて国外に出たのだ。リドーは、心が幼い日の恐怖で押しつぶされそうになるのを必死で耐えていたのだ。
「…」
前方を進んでいたリドーは、馬を止めて歌い手を見つめた。なんとも不思議な歌だった。リドーは、自分の固まっていた心がやわらかくなっていくのを感じていた。
「少しは、落ち着いた?」
先ほどと表情が変わったの確認するようにイサクが話しかけてきた。
「…うん…イサク、コレって…」
「アローの歌?」
「うん」
イサクは、優しく微笑む。
「アローの歌声には、不思議な力が有ってね。人の感情を高ぶらせたり、鎮めたり出来るんだ。」
リドーは、アローが歌っている間、馬を進めながらも何度も振り向いてはアローの歌声に耳を傾けた。
(アローの髪って、緑色だったんだ…)
そんな事を考えながら、耳は後方のアローに向けながら馬を進めていく。しかし、そんな様子が気に入らない者が一人。エドルフは、まだ複雑な気持ちを抱えていた。自分の知らないうちに2人は知り合っていた事も気に入らないし、聞こえてくる歌すらも邪魔に思える。
「あまり乗り出さないでくれ。落としてしまいそうだよ。」
「あぁ、ごめんなさい。でも…」
「楽しい?」
「うん!」
気持ちを後ろにいるイサクにすら気づかれないよう、周りの風景に夢中のフリをして隠していた。イサクは、良かった。と笑顔を向けると、またリドーと話し始めた。
「父上の力は、知っているかな?」
「治癒の力の事?」
「…?チユの力?何それ?」
興味深々に会話に混ざった。
「あぁ、そうか。エドルフは知らないんだね」
「…知らないよ。知らない事だらけだ…」
エドルフは頬を膨らませて拗ねた様子。そんなエドルフの頭をイサクは優しく撫でてやる。
「いつか分かるよ。でも、もっと強い力を持っているんだよ。」
「もっと強い力…?」
それは、まだリドーも知らないのか首をかしげた。
「もしかして、イサクも?イサクもその力ってのが有るの?」
エドルフは、イサクの顔を見上げて尋ねた。
「旅の途中で、見せてあげられるよ」
イサクが笑顔で答えると、エドルフの目はキラキラした。
「何か出来るんだ!え?何だろ?何?何が出来るの?」
「今は教えないよ」
「えぇ、良いじゃん!教えてよ!何が出来るの?」
エドルフは、興奮して大きな声で問う。そんな様子にずっと歌っていたアローは嫌気がさし、歌うのを止めた。
(何よ…無視してくれちゃって…)
「あれ?どうしたの?もう歌わないの?」
邪魔にすら感じていたが、突然聞こえなくなった歌声に疑問を感じた。
「ふん、知らない。」
プイッとそっぽを向いたアローの心境など、まだエドルフには分からなかった。
(なんだよ・・・変なヤツ…)
アローは、それからしばらく不機嫌だった。どんなにクロムロフが宥めても、意地として機嫌を治してはくれなかった。
「もう、ほっとこうよ」
イサクが、点けてくれた焚き火に当たりながら、エドルフは詰まらなさそうに横になった。なかなか仲直りが出来ないまま、何日目かの夜。また、いつものようにイサクが手をくるりと回すと、手の中に小さな火が現れる。それを、枯葉にふっと吹きかけ焚き火にし、食事の用意をし始めた。
「3人とも、ここから動くんじゃないよ。」
「俺と父さんは、薪を拾ってくるからね。」
気まずい仲を何とかしてほしくって、わざと2人は、子供達だけにした。なんとも気まずい空気の中、リドーは魚を木の枝に刺し焚火の横に立てる。アローは黙ったまま、膝を抱えて火を見つめていた。
「リドー、魚はまだ焼けない?」
沈黙を嫌ったエドルフが、リドーに話しかける。
「まだ、待った方が良いよ。」
無表情に答えたリドーに対し、またエドルフが尋ねる。
「リドー、お湯沸かそうか。父上達、コーヒー飲むよね?」
「ねぇ、リドー」
「ねぇ、リドー」
エドルフは、ずっとリドーに話しかけ続けた。アローは、まだ、黙って火を見つめているだけ。
「エドルフ。なんのつもりだ?」
さすがに、いつもニコニコしているリドーの顔が少し怒っている。
「何…って別に…」
(僕は何も悪くないじゃん)と言いかけたが、リドーに睨まれ言葉を飲み込んだ。こんな風にリドーの機嫌を損ねた事は、今までに無い。どう対処しようか悩んでいると、リドーは、エドルフから目線を逸らし、魚の焼き具合を確認している。
「…俺は、今のエドルフもアローも嫌いだ。」
「「!!」」
リドーの言葉にエドルフもアローも、ショックでしばらく黙っていたが、最初に口を開いたのは、エドルフだった。
「…なんだよ…」
エドルフはわなわなと震えている。
「なんで!?なんで、嫌われるんだよ!!こいつはともかく!!」
勢いよくアローを指さす。
「なっ!?なんで、私が嫌われるのよ!あんたがいけないんでしょ!?」
さすがに黙っていられない。アローが反論した。
「僕が!?僕の何がいけないんだよ!」
「人が歌っているのを、大きな声で邪魔するからじゃない!」
「はぁ!?邪魔なんかした覚え無いね!!お前が、いつまでも歌っていたから飽きたんだよ!!」
「なんですって!?」
いまにも掴み合いの喧嘩になりそうなのを、リドーが冷静に2人の間に立ち距離を保たせた。
「だいたい、なんで、リドーはこいつの事知ってたんだよ!!」
「え?」
突然の問いかけにリドーは目を丸くした。
「何それ!?別に良いじゃない!」
「良くない!なんで、いつも一緒なのに、僕の知らないヤツが…」
エドルフの悔しそうな顔を見て、リドーは少し罪悪感を感じた。
「何それ?やきもち?」
バカにしたようにアローが半笑いで、言葉を投げる。
「アローやめなさい。エドルフも…」
諌めたつもりが油に火を点けてしまったようだ。リドーは、言い争いを止めようとしたのだが…
「そうだよ!やきもちだよ!!リドーは、僕のお兄ちゃんなんだ!お前のお兄ちゃんじゃない!!」
「私にとってもお兄ちゃんよ!同じ家族なんだから!!」
「やめるんだ、2人とも!」
もう止まらなかった。2人を抑えようとした手は振り払われた。
「お前には、イサクもパシャもいるじゃないか!!リドーは、僕のだ!!!僕にはリドーしか居ないんだ!!!横取りすんな!!!!!」
「ひどい!!血が繋がってないと、家族じゃないの!!?だったら、あんたも、リドーと血なんか繋がってないじゃない!!!本当の兄弟じゃないわよ!!!!!」
アローは、言った後でハッと我に返り、口を手で塞いだ。が、時すでに遅し。目の前には、エドルフが傷ついた様子でうなだれている。リドーも酷く傷ついた顔をしていた。
「お前なんか…お前なんか…大ッ嫌いだ!!!」
キッとアローを睨むと、大粒の涙を流しながらエドルフは、クロムロフの言いつけを忘れ、知らない森の中へと走っていってしまった。
「…お前はここにいろ」
リドーは、アローの顔も見ず背を向けるとエドルフを追っていった。
「…はぁ…わたし…わたし…」
言ってはいけない言葉が頭の中で繰り返された。後悔と恐怖で、アローの目から涙が溢れ出てきた。
「名前…呼ばなかった…」
リドーが本気で怒っている事、嫌われたかもしれない心細さで、更に後悔の波が押し寄せて来た。
「少し、離れすぎたかな?」
「戻りましょう。いい加減、仲直り出来てますよ。」
戻ったクロムロフ達の目には、3人の姿が消えていた。
「まずい…」
「そう遠くへは、行って無いだろう…探すんだ」
その頃、アローは、泣きながら居なくなってしまった2人を探していた。
「エドルフ―――!!リド――――!!どこ―――?」
周りは、音も無く暗い森の中。必死に呼びかけながら、アローは二人を探した。
「ごめん…私、あんなひどい事言って…ごめんなさい!謝るから!お願い!2人とも出てきて!!」
「ヒヒヒ…こりゃ良い…旨そうな女の子供だ…」
不意に、アローは後ろから聞こえた声に足を止めた。聞いた事の無い薄気味悪い声だった。
「…」
アローは、恐る恐る振り向き、恐怖で声が出なくなった。喉に物が詰まったように声が出ない。後ろに居た者。それは、あの魔王の手下だった。手足は細く長く、小さな尖った耳が4つも頭に付いている。黒ずんだ皮膚は腐っているのか、酷い悪臭がしている。初めて感じる恐怖感。震えるアローに薄気味悪くニヤッと笑うと、魔王の手下は剣を高々と上げた。
「グァッ!」
しかし、上げた所で魔王の手下は、目を覆って悲鳴をあげた。
「アロー!逃げろ!!」
「こっちだ!!」
振り向くと、来た道を引き返してきたリドーとエドルフがいた。2人は、魔王の手下の目に石を投げつけたのだ。エドルフは、しっかりアローの手を掴むと走りだし、リドーは二人の後方で、まだ追ってくる魔王の手下に石を投げ続けていた。
「父上!父上!!」
エドルフは、必死でアローの手を掴み走りながら、クロムロフを呼び続けた。が、その声も足もピタリと止まった。目の前に、もう一匹、魔王の手下が薄気味悪く立っていたのだ。こっちの手下は、酷く背骨が曲がり、両手両足の幅が大きい。両手の爪は鋭く長く伸びている。前にも後ろにも、進めなくなった。リドーは、二人にだけ聞こえる声で話しかけた。
「エドルフ、アロー、よく聞くんだ。」
リドーは、向きを変え、敵を左右に、二人を背に隠すように立った。
「このまま少しずつ後退するんだ。で、俺の合図とともに後ろの方へ真っ直ぐ走れ。もう少し頑張れば、焚き火のところに出られるはずだ。良いね?」
2人は、おとなしくリドーの言葉に頷いた。1歩…2歩…3歩…少しずつ後退し…
「今だ!行け!!」
エドルフとアローが言われた通り、パッと振り返り再び走り始めた。と同時にリドーは、足元に落ちていた太めの木の枝を持つと手下達に立ち向かっていった。
「「リドー!!」」
「早く行けぇ!!!」
「父上…ちちうえ――――――っっっ!!!!」
エドルフは、大きな声で、叫び始めた。走れと言われているのに、ただひたすら叫んだ。
「どんなに叫んだって、どんなに逃げたって、誰も迎えになんぞ来るもんか!!」
手下達は、しばらくリドーの木の枝を避けていたが、そう言うとリドーから枝を取り上げ、鋭い爪でリドーの顔を引っかいた。爪は、リドーの右目の目頭から、鼻っ柱を横切り、左の頬へとザックリと3本の線を入れた。毒でも塗られていたのか、リドーの顔からはジューと焼けるような音と煙のような物が出ている。
「うぁぁぁッッッ!!!」
リドーは、痛みに苦しみ、その場に倒れこんでしまった。手下は、爪に付いたリドーの血を旨そうに舐めた。
「お前が、どんなに足掻こうがな、どんなに立ち向かってこようが、所詮わしらの相手じゃねぇ。よえ~んだよ。ガキ。」
「2人とも…逃げるんだ…」
リドーは、汗を流し、顔を抑えながら必死に立ち上がろうとする。
「無力だ。無駄な事。」
黒ずんだ手下が、幼い2人を狙いリドーの横を通り過ぎようとした。
「無力じゃない…守って見せる…」
「まだ言うか。」
「いくらでも言ってやる!!俺の弟、妹に指一本触れさせねぇ!!!」
そうゆうと、リドーは仁王立ちになり、2匹の手下の前へと出た。
「殺してくれる。」
黒ずんだ手下は、リドーを蹴飛ばすと、あばらの上に片足を乗せ、どんどん体重を乗せていった。リドーのあばらは、ミシミシと悲鳴をあげ、リドーは酷い悲鳴を上げた。
「良い声だ。さぁ、もう少しで、折れるぞ。折れるぞ。ほら、折れた。」
あばらが、2・3本折れたのか、酷い音はエドルフ達にも聞こえた。
「キヒヒヒッ良い音だ」
「さぁ、次はお前達の番だ。」
薄気味悪い笑顔をエドルフ達に向ける。
「その子から放れろ!!!」
大人の声に、驚き振り向いたリドーの上にいた黒ずんだ手下は、頭に矢が刺さり倒れ、それを見た爪の長い手下は、一目散に逃げ去っていった。
「なんて、ひどい事を!!」
声はクロムロフ、矢はイサク。2人は、バラバラに探していたのか。違う所から、姿を現した。
「酷い…動かすのは危険です。」
「うむ…骨が心臓か肺に刺さるかもしれんな…」
クロムロフは、リドーの治療をその場で始めた。クロムロフは、そっと、リドーの腹に手を当て、まるで念じるように、目を閉じ集中し始めた。すると、クロムロフの手から、白く明るい光が現れたかと思うと、その光はリドーの体をすっぽり包み込むように大きくなった。非常に強い光で、そして、とても暖かい気持ちの良い光。
「コレが…父上の本当の力…」
「お兄様が手から火を出すのと、一緒みたい…」
いや…イサクの出す小さな火とは比べ物にならない。非常に強い力だった。
「再生の力だ。」
しばらく、時が止まったように、イサクもエドルフもアローも動かず、じっとその光を見つめ続けた。