第2話 【新たな家族】
リドーとエドルフが保護されてから、10年の時が過ぎた。
(…ここかな?)
庭の大きな栗の木を見上げると、少年はスルスルと登っていく。この少年は、15歳になったリドーだ。スラリと背も伸びて、肌の色は、少女のように白い。焦げ茶色のサラサラの髪を整え、じっと息を潜めた。
「もう、いぃかぁい?」
館の1階のホールで、そう問いかけたのは、あの赤ん坊だったエドルフだ。今は10歳。こちらは落ち着きの無い元気な男の子で、毎日城内を走り回っていた。そして、今日も。エドルフは、ドタバタと台所へと走る。台所では、真ん中に置かれたテーブルを囲んで5人の侍女達が休憩時間を楽しんでいた。
「あら、エドルフ坊っちゃん。一緒にお茶しない?」
侍女長は、まるで自分の孫に接するように声をかけた。
「しない。」
エドルフは、今それどころじゃない。キョロキョロ見渡し、ゴミ箱の影や、勝手口の外、食器棚の中を見て廻っている。
「…いない」
「お菓子有るよ?食べないかい?」
頭を団子結びした太っちょの侍女が、空いている椅子に招いた。
「…ん?」
エドルフは、侍女達を見つめた。侍女達は、少し焼きすぎて主達に出せなかったクッキーを自分達のおやつにしていた。味は、例え焼きすぎていても王家のお菓子。天下一品に旨い。それをエドルフも知っているし、エドルフは実は焼きすぎの方が好きだ。だから、よく自分の分のおやつを食べ終わると、こっそり台所に来ては侍女達のティータイムに混ざっていた。
「はい。どうぞ。」
いつも身の周りを世話してくれているお姉さんのような侍女の一人が、エドルフにクッキーを手渡す。だが、エドルフは、何かじっと考えて動かない。
「どうしたの?」
「食べないのかい?」
双子の侍女が同じ声で問いかけてくる。
「あ!分かった!」
エドルフは、さっきからティータイムの様子が何か変だと、考えていたのだ。それは、侍女達の椅子の座り方だ。大きくはないテーブルに体がくっつくほどに椅子を寄せて座っている。いつもなら、少し離れた感じにテーブルを囲んでいるのに、今日は違う。答えは、すぐに分かった。
「ここだ!」
エドルフは、テーブルの下に飛び込んだ。テーブルの下は、侍女達の長くて大きなスカートがカーテンのようになり、向こう側が見えない。エドルフが、そのスカートをどけていくと、テーブルの上では、侍女達が苦笑している。
「パシャ、見ぃけっ!」
侍女達のスカートカーテンの中には、エドルフと同じ年頃の男の子が、チョコンと座っていた。
「あ~ぁ、残念。」
「見付かっちゃったね。パシャ坊っちゃん。」
「えへへっ」
パシャは、照れ臭そうに笑ってみせた。
「よし!次は、リドー!」
「頑張って!」
「うん!」
もう一つずつクッキーを貰うと、ごちそうさま。と、二人は手を振って台所を出た。
「本当に仲良しね。」
「本当の兄弟みたいね。」
パシャは、エドルフの一つ下のクロムロフ王夫妻の実の子で、リドーとエドルフが保護された1年後に生まれた。保護された2人は、クロムロフ王夫妻の子供として育てられている。養子になったのだ。皆、仲が良く、本当の家族のように暮らしていた。そして、クロムロフ王夫妻の実子で、リドー達を見付けた長男イサクは25歳になっていた。若いながらに、立派に軍を統率する指揮官に着任していて、指導力も武術も人より長けていた為、皆からの信頼も厚かった。ただ、仕事をするようになってから、弟達となかなか遊べなくなった。それでも、リドーとエドルフはこの兄が大好きだった。顔は、仕事のせいか恐面だったが、背は190センチと高く、背中は子供2人を乗せれる程がっしりと広く、腕や脚は太く長く、男が憧れる程の男臭い良い男になっていた。そして、昔と変わらず優しく、髪の毛は赤く短髪だった。
「リドー?そこで何している…」
(シー!!静かに!)
訓練を終え、久々に早くに帰宅してみると、木の上でじっとして動かないリドーを見付けた。
「?」
様子を見ていると、小さな弟達が駆けてきて、イサクの目線の先を指さした。
「あ、やっぱりいた!次は、リドーが鬼だよ!」
「ち…イサクのヴァ~カ…」
「…すまん…」
15にもなって、かくれんぼってのもどうなんだ?などと、苦笑しつつもリドーの面倒見の良さにイサクは感心するばかりだ。イサクとは正反対だがなかなか良い男になったリドーは、恋人が出来ても良い年齢だ。リドーは、民の女達から多くのラブレターが届くのだが、赤面し読みもしない。一度、一つだけ開けた事が有ったが、熱烈な恋文が書かれており、この事も有ってリドーは女を苦手としていた。だから、リドーにとって城は気楽に過ごせる場所なのだが、弟達の遊び相手をする理由は他にも有った。リドーが、エドルフから目を離す事は無かった。
「俺が生きているのは、エドルフに会ったからだ。エドルフに会わなかったら、死んでいた。」
だから、自分はエドルフを生涯守るのだと、いつも口癖のようにリドーは言っていた。
「おい、リドー。ガキの相手ばっかしてねぇで、たまには付き合えよ」
リドーに、長い棒を投げてよこしたのは、17歳で身長160センチの童顔の兵士のハドル。
「なっ!ガキじゃないやい!」
「ガキだよ。オチビ。」
「違うったら!!パシャ!君も何か言いなよ!」
パシャは、エドルフの後ろに隠れてしまった。
「何も言えねぇよな~」
「よせ、ハドル。イサクが怒ってるぞ」
いつから居たのか。木の陰から、肩まで黒い髪を伸ばした優しい顔したビュールと、スキンヘッドの細い釣り目の無表情のラックが現れた。
「ラックが、『どんぐりの背比べ』だってさ」
「あんだと!ラック―――!!」
イサク・ビュール・ラックは、同い年の幼馴染で、ビュールは175センチ、ラックは180センチと背が高く、3人が並ぶと威圧感すら感じてしまう。ハドルとリドーは、よくこの3人の稽古に混ぜてもらっていた。
「ハドルは、君に身長を抜かされた事が悔しいのさ。相手してやってよ」
優しい笑顔でビュールが、そうリドーに声を掛けた。と言っても1・2センチの差なのだが…
「は!誰が悔しいもんか!すぐに抜かしてやるよ!」
「…無理するな…」
無表情でボソッとラックに言われ、余計に悔しい。
「僕のほうが年上なんだ。勝負しろ!手加減してやるよ!」
「リドーは、ハドルより強いぞ!リドーやっちゃえ!!」
負けじと言い返すのは、エドルフ。そうだ!そうだ!とパシャも心の中では言い、やれやれとばかりにリドーはハドルと勝負する事になり、打ち合いが始まった。そんな様子を、クロムロフ王は庭の見える上階のテラスから微笑ましく、いつも見ているのだった。
そんなある夜の事。兄弟達が、隣で寝ている中、リドーだけ、どう足掻いても寝付けれず、ぼ~と部屋の窓から月を見ていた。こんな事は、度々有った。どんなに寝ようとしても、魔王の手下に襲われ、捕まり、逃げ出し、追いかけられ…と、安心できる場所に居ても、恐怖の記憶はリドーの心を苦しめた。
「?」
月明かりに一瞬、庭で動く物を見た気がした。きっと鹿などの動物だと思ったが、同時に魔王の手下かもしれないと思い、そっと確認しようと庭へと降りていった。月は、満月だった為、庭も近くの森も明るく照らし出してくれた。
(魔王の手下なら、満月の日に動くはず無いか…)
きびすを返し部屋に戻ろうとした時、森の方からガザガザと音がした。びっくりして、パッと、身構えていると現れたのは10歳程の少女。クルクルと自然な巻き毛の少女。
(なぜ、こんな夜更けに女の子が…新手の手下なのか…?)
緊張しながら身構えていると、少女の方もリドーに気づいた。
「えっと…どうかした?リドー?」
「へ?」
突然、名前を呼ばれて驚いた。
「リドーでしょ?」
「…」
「…私、アローレンよ」
なぜ自分を知っているのか、この少女は誰なのか。分からず頭が混乱する。
「こんな夜更けに何してるの?っていうか、何で僕を知ってるの?」
約10年、同じ館にいて初めて会った少女は、リドーの手を取り笑顔で答えた。
「パシャが、リドーとエドルフの事をいつも聞かせてくれるの。だから、きっとリドーだって思って。こっち来て。ここじゃ、お父様に見つかる。」
リドーは、あっと声を出しそうになった。過去の記憶を思い出したのだ。それは、保護され1年経った頃、双子の赤ん坊を見せられた事が有った。記憶違いと思い込んでいたが、そうではなく、パシャには双子の妹がいて、その子がこの子なのだと。この国の独特の習慣で、未婚の女性は、赤ん坊を除き子供でも家族以外の者に姿を見せてはならないと決まっていた。だから、この10年間、お互い顔を見ずに同じ城内で時を重ねていたのだった。
「変だよね。リドーもエドルフも家族なのに、会っちゃダメって言うのよ。私だって、皆と遊びたいのに…」
父は一度、リドーとエドルフにも会わそうとしたらしい。しかし、それに反対したのは母だった。母が言うには、例外を作るのは良くない。娘に変な噂でも立ち、結婚出来なくなっては困る。との話だった。自国意外の人間を保護した事も初めてだった為、いきなり習慣を変える事は皆が戸惑うと言うのだ。
「お母様のおっしゃる事も理解出来るわ。でも…やっぱりリドーとエドルフには会いたかったから、会えて嬉しい」
少女はひまわりの様に笑顔を向けた。
「あ、でも今夜の事は内緒ね。」
「そうだね。ペリーナ様が怒ると嵐になるからね」
冗談ぽく言うと、二人して笑った。少し歩くと、小さな花畑に出てきた。そこは、青い小さな花が所狭しと花を咲かせている。
(夜なのに、花が開いてる…)
「この子達は、夜に起きるの。みんな~出ておいで~」
「この子達…?」
不思議に思うリドーと笑顔のアローレンの他には人の姿は無い。が、しばらくすると、ポォゥと小さな光が花の中から次々と顔を出した。
「コレは…」
「見た事ない?花の妖精達よ。」
妖精達は、親指ほどの背で、ピョンピョン花の上を弾んでアローレンの足元に集まってきた。
「満月の夜は、ここで皆とおしゃべりするの。リドーもどう?」
「妖精って、羽が有るんだと思った…」
不思議な風景にリドーは見惚れてしまう。
「それは、蛍族の妖精達よ。この子達は、ユリ族の妖精達なの。」
「種族があるの?」
その日以来、2人は夜に決まってこっそり会うようになった。2人は、散歩しながら話す事が多く、アローレンの部屋は玄関横の15畳程の部屋だと分かった。また、満月の夜には森へ出て、リドーは、アローレンに薬草を教わった。アローレンは、兄のパシャと違いやんちゃな女の子で、時には、木に登ったり、木から木へ飛び移ったり、大きな木の枝を見つけると、リドーに武術を教えてもらおうとした。
「女の子は、木に登っちゃダメ。剣だって、覚えなくて良いんだよ。」
こんな会話になると、アローレンは決まって不機嫌な顔をした。
「もうっ!女、女って!皆、そう!あれするな、それするなって息が詰まるわ!!」
今日のアローレンは、いつもより機嫌を悪くした。
「大体、誰が決めたのよ!そんな事!!私は、強くなりたいの!誰かに守られるんじゃなくて、自分の身ぐらい自分で守りたいわ!」
「…」
なんと答えて良いのか戸惑ってしまう。
「男達が皆死んじゃったら、武器の使い方の分からない女はどうなるの?おとなしく死ねと言うの?」
「そうじゃないよ。」
アローレンは、じぃぃぃとリドーを見ている。
「あ、分かった!女が男より強くなるのが、怖いんだ!そうでしょ!」
「違うよ!」
「じゃぁ、教えて。」
身を乗り出して教えを乞うアローレンに、リドーは難しい顔をする。
「…」
「リドーは、弱いの?」
「はぁ…分かったよ。その代わり、高い所に登ったり、僕を心配させないって約束して。」
リドーの根負け。と言うより、女に口で勝とうなど無理なのだ。こうして、リドーの一番弟子となったアローレンの飲み込みは、早かった。
***
「アローレン様!そんな物騒な事おやめ下さい!」
昼間に一人、室内で剣の稽古していると、双子の侍女達に止められた。
「キャッ!危ない!」
「あっ!!」
横振りに振った剣が、花が飾ってあった花瓶に当たってしまった。アローレンも侍女2人も、目をつむって割れる音が響く事を覚悟した。
「…?」
するはずの音がしない。恐る恐る目を開くと、侍女長が真っ青の顔で生けてあった花や水を被りながらもギリギリ花瓶を受け取っていた。
「あ…あの…」
「休憩時間になっても来ないから…何か有ったのかと思って来てみれば…」
侍女長がわなわなと震えている。アローレンは、恐ろしくなり双子の後ろに隠れたのだが、双子も震えている。この後、3人はたっぷりと絞られたようだ。
さて、そんな事が起きているとは知らず、デッキの方では。
「リドー起きろよ~」
「また、寝てる…」
リドーは、昼間のデッキで寝る事が多くなった。
「寝かしてあげなさい。気持ち良さそうじゃないか。」
「父上、今度、僕も朝の散歩連れて行ってください。」
今は、イサクに代わりリドーが散歩に付いて行っていた。
「楽しい散歩ではないよ?それに早起きしなくては。起きれるかな?」
「起きます!いつもリドーばっかり…」
エドルフもパシャもふくれっ面だ。
「あはは、寂しいか?」
「…」
「リドーが好きかな?」
エドルフもパシャも、コクリと頷き、クロムロフは満足そうに笑った。本当に気持ちの良い天気で、エドルフもパシャもいつの間にか、リドーの隣で寝てしまい、クロムロフはその脇で読書を始めた。昼休憩を取ろうと、ペリーナがデッキへ出てきた。手には毛布を持っている。
「…風邪ひきますよ…」
そっと、ペリーナは子供たちに毛布をかけてやった。
「ね、あなた。」
「ん?」
「リドーのこんなに安心した寝顔初めて見ましたわ。」
「そうかな?」
ペリーナは、スヤスヤ寝る子達の顔を覗き込みながら微笑み、そして、少し悲しげだ。
「お気づきです?リドーが、私達の事、父とも母とも呼んでくれていないのを…」
「…」
「もう十年にもなるのに…未だにこの子の考えている事が私にはわかりません。」
クロムロフは、屈んだままの妻の背中を見つめた。
「嘆く事ない。一緒に食事するし、子供達とも民達とも仲が良い。私達を好いてくれている。ここで、笑って生活している。ただ、目の前で、両親を殺された子だ。御両親への愛情も今もしっかり持っている。散歩に行くとね、必ずある方向をじっと見ているんだ。あの子の生まれた村があった方向をね。生みの親に対する愛と、私達に対する愛。どう表現すれば良いのか、分からないんだよ。しっかりしているけど、不器用な子なんだよ。気長に待とう。私達が焦ってはダメだ。いいね?」
クロムロフは、読書の続きを始めた。
「それと…アローの事なんですけど。」
「今度はアローか。君は、少々心配事が多すぎだよ。ここにお座り。気持ちが良いぞ。」
苦笑いをしてペリーナを膝の上に乗せた。
「私をからかわないで下さい。親なのですから、子供のことを心配するのは当たり前です。」
「そうだね。アローがどうかした?」
夫の変わらず穏やかな笑顔に、ズルさを感じながらそんな所に惚れた事を思い出す。顔が赤くなるのを見られないよう、妻は膝に乗ったままそっぽを向いた。
「あの子も、昼間にものすごく眠たそうにしている事があるんですよ。どこか病気じゃなければ良いのですけど。」
「君の判断は?」
「剣を振り回したり、おかしな行動も多いですが、どこにも異常は無いと…でも…」
「分かったよ。後で、私が見てこよう。」
夫に髪を撫でられながら、昼休憩を終え、ペリーナは自室へ戻っていった。
コンコンッ
「あら、お父様。」
「私の可愛い姫君はお元気かな?」
「やだ、お父様ったら。変わりなく元気よ。どうなさったの?」
アローも双子の侍女も、花瓶の件で怒られるのではないかと内心ヒヤヒヤしているのだが、侍女長は黙っている事を約束してくれていたので、平静を装った。
「母上が心配してますよ。病気じゃないかって」
「あ…ごめんなさい…」
「元気なら謝る事ないけど、それとも、嘘かな?」
「いえ、元気です」
父は、優しく微笑んだ。
「…リドーに会うのは止めませんが、夜更かしは良くありませんね。」
「え?」
気づかれていた。全て見透かされたように、笑顔で父の目は自分の記憶まで読み取るようだった。
「ご…ごめんなさい…」
「母上が知ったら、怒りますよ。」
「お母様には、黙ってて!」
慌てて父に頼んだ。
「ん~でも、このままではね…他の者達が知っても得になる事はありませんし。」
「得?」
「あなたの清らかなイメージが崩れるのですよ。非行者だとね。良いのですか?」
「…」
非行と言われるのは嫌だが、だからと言って、やっと出来た唯一の楽しみが無くなるのもツラく困ってしまった。
「…こうしましょう」
クロムロフは、こっそり何かアローに耳打ちしてやると、ニコニコ笑って部屋を出ようとした。
「あぁ、そうそう…」
何か思い出したようにクロムロフは、アロー達に振り返った。
「元気なのは良いけど、侍女達に迷惑かけてはいけませんよ。いいですね?」
やはり全てお見通しなのだ。いたずらっぽく笑うと父は部屋を出て行った。