第3話 【大切な物】
「こんな所で、何しているんですか」
予想は的中。振り返るとコカが、こちらを見つけ怖い顔で立っていた。
「俺が、図書館にいたらおかしいか?」
「あぁ、おかしい!今日は、リドー殿に武術を習う約束だったよな?」
とりあえず、カーザは梯子から降りてきた。
「何より今日の図書館は休館日になっている。今すぐ出ていけ!」
「…うるせぇな」
梯子から降りてきたカーザは、怒る父の言葉を鬱陶しそうに嫌な顔をした。聞いた事の無い声に驚き、ヴァルが傍に駆け寄ってきた。
「コカ。僕が、手伝うよう言ったんだ。知り合いだったか」
「これは!ヴァル様…お恥ずかしいところを。私のバカ息子です。それに私におっしゃって下されば、この階より、もっと面白い本を…」
ヴァルは、残念な顔をコカに向けた。
「そんなに僕を歴史から遠ざけたいか」
「いえ…そうでは…」
珍しく落ち込んだ様子のヴァルに、コカはしどろもどろになる。
「もう帰れ」
ヴァルは、カーザにそう言うと自分の背後を目配せした。カーザが目をやると、先ほどの本3冊を隠し持っていたので、こっそり受け取った。
「…名前は?」
「カーザ」
「カーザ、また会おう。コカ、他の階には何がある?」
コカの背を押しながらヴァルは、下の階へ向かった。カーザは、少し驚いていた。ヴァルの笑顔を初めてみたのだ。それでも、作り笑顔だったが…
(約束…聞いてくれたんだな)
カーザは、本を隠し持ったままそそくさと図書館を出て行った。
「ヴァル様…カーザを相手にしないでください」
コカは、心配そうにヴァルに言った。
「なぜ?」
「我が息子ではありますが、あの子は、少し私の手に負えない所がありまして」
「どんなところが?」
ヴァルは、対して興味の無い本棚に目をやりながら、コカと会話を続けた。
「毎日のように殴り合いの喧嘩なんですよ。今日の顔も、アザが有りましたし。いつも注意するのですが…」
「…何か理由が有ると思うけど?」
ヴァルは、違う本棚に移動しながら、問い続けた。
「喧嘩に理由はいらないでしょう。暴力は暴力。決して褒めれる事ではありません。…幼い時は素直な優しい子だったのに…あんな乱暴者になるなんて。ヴァル様に何か有っては、私はお詫びしきれません」
息子の行動に不安を隠せないコカに対し、ヴァルは軽蔑の眼差しを浴びせた。
「最低だね」
「えぇ、喧嘩などやめてくれれば…」
「君だよ。コカ」
「え…?」
コカは少し驚いた。
「カーザは、きっと今でも優しいよ。父親がそれを信じないで…子供がどんな気持ちになるか…信じてもらえないカーザが可哀想だ」
ヴァルはコカを置いて、更に下の階に行ってしまった。コカは、ヴァルの背中を見送りながら、肩を落としていた。
「いえ…本当は信じてます…ただ…今は…あの子の事が分からないんです…」
まるで自分に言い訳をするように、非常に小さな声で悲しげに呟いたコカの言葉は、虚しく空に消えた。
「王子と認められない哀れな養子ヴァル様…か…」
数日後、本を持って帰ったカーザは、そう呟きながら、ずっと本の中から『アローレン』の名を探していた。
「…無い…なぁ…」
すべての本を見ても、どこにも『王妃アローレン』の文字は無かった。
(…無いなんて事が有るのか…?病死だろ?)
カーザは、10年前のページを見ている。
(変だ。流行病で亡くなったって話なのに、この頃に多くの人が亡くなった記録は無い…)
ページを捲って確認していく。
(それにおかしな点はもう一つ)
カーザは、記述の一部を指でなぞっていく。
(王妃が亡くなったとされる時期から、だいぶ後に行方不明者が大勢いる。しかも、まとめて…)
カーザは、8年前のページを開く。
(定期的とまではいかないけど、この現象は2年後までに何度か起きている)
カーザは、椅子の背もたれに体を預け、天井を仰いだ。
(で、突然、この現象もなくなっている。どうなってるんだ?)
考えても何も分からないカーザは、父の書斎へと行き、父の本棚を見た。たくさんの本が並ぶ中、父の日記を見付ける。取り出し、パラパラと捲っていくが…
(…破り取られてる…)
見たいと思ったページの全てが、意図的に破られた跡が有った。
(謎だらけ…か…)
途方に暮れ、日記を元に戻すと外へ出た。今日も太陽がまぶしく、国を照らし出している。カーザは、背伸びをし空気を思いっきり吸い込むと、両手をズボンのポケットに突っ込み歩き出す。住居が立ち並ぶ中を進んでいくと、放牧場として使われている草原へと出た。正確には、石レンガの壁の前に出た。草原と住居区域を隔てて灰色の石レンガが道の横にカーザの肩の高さ程までに積まれている。これは、暴走した牛や羊達が間違って、住居に入ってこない為に作られた物だ。カーザは、石レンガの上に上がると腰を下ろした。気持ちの良い風が、草原を抜けて顔を撫でる。春真っ盛りの草原は、青々とした若い葉で光の波を見せ、その中で放牧されている牛や羊達は穏やかに日々を満喫しているように見える。少し熱いぐらいの日差しに、カーザはベストを脱ぎ、石レンガの上で横になり、顔の上にベストを乗せた。暖かい空気に、暫く落ち着いて目を閉じていた。
(…おかしな事だらけだな)
カーザは、ヴァルの事を考えていた。
(王自ら、捨て子だったヴァルを養子に迎え入れたって話なのに、王は可愛がらない。王子としての扱いも無い)
ヴァルの今にも泣きそうな顔が、頭に浮かんでくる。
(そりゃ、苦しいよな…まだ10歳なんだし…)
頭の中でグルグル考えていると、石レンガが馬の蹄の音をカーザの耳に伝えてきた。その音は、駆け足だ。しかも、1頭じゃない。平和な国で、こんな急いだ足音を聞いたのは初めてだった。カーザは、ガバッと起き上がると、石レンガの上から草原側に飛び降りた。石レンガ越しに馬が来るであろう道を覗くと、将軍リドー達が怖い顔をして近づいてきたので、思わずカーザは身を隠した。しかし、リドー達は、カーザに気付かず目の前を走り去っていった。
「?何だ?すげぇ勢い…怖い顔して…」
カーザは、目線をリドー達の向かった先にやった。
(なんだ?あれ…)
カーザは、頭が真っ白になった。目に見えた物…異常な量の黒い煙が、青空を断ち割るように高々と昇って行っていた。見ていると胸騒ぎを感じた。
(……!)
カーザも、急いでリドー達の後を追った。胸騒ぎは、大きな深い闇のような不安に変わり、カーザを慌てさせた。
(まさか…まさか…そんな…気のせいだ…絶対気のせいだ…)
不安な気持ちを抱え全力で走って行くと、あの図書館が火の海で包まれている。周りの様子を見て、カーザは頭を抱えた。嫌な胸騒ぎは、気のせいでは無かった。周りには、先日ヴァルと一緒にいた兵士が火傷をして、手当てを受けていた。
(…親父!親父は、どこだ?)
心臓が耳の横にあるかと思う程の心臓音を聞きながら、真っ青な顔のカーザは、慌てて駆け足で周りで治療されている人達を確認していった。父を探していると、火に包まれた建物の中から2人が火達磨になって転がり出てきた。兵士達にバケツの水をかけられ火を消すと、それはコカと助けに入ったリドーだった。
「…ヴァル様…」
コカは、うめくように小さい声でヴァルの名を呼んでいた。
「…」
カーザは、動けなかった。駆け寄るよりも、自分の心を覆った黒い煙が、スッと消えた事に落ち着きを取り戻していた。気が付くと、カーザの頬を一筋の涙が流れ落ちた。涙を拭き、父に駆け寄ろうとした時…
「おい!しっかり抑えろ!!」
その声に驚き、カーザが振り向くと、綺麗な漆黒の馬がいななき、自分を抑える兵士達を振り切ろうとしている。ヴァルが、いつも乗っている馬だ。
(……)
カーザは何か考えている。まるで馬の気持ちが分かるような気がしたのだ。振り返ると父はぐったりとして、リドーは再び火の中に入ろうとするのを、崩れ落ちる壁に阻まれ部下たちに抑えられている。
「離せ!」
「危険です!」
気が焦り荒れるリドーを見つめると、カーザは心を決めたのか顔はキリッと引き締まっていた。カーザは、ダッと走り出すと、ヴァルの馬に飛び乗った。
「何をする!」
驚いた兵士の言葉を無視し、手綱を持っていた兵士の手を蹴飛ばすと、自由になった漆黒の馬と一緒に火の中に飛び込んでいった。これには、皆が驚き、青ざめた。集まっていた民達の中には、悲鳴を上げた者もいる。
「カーザ!戻れ!!」
驚いたリドーや兵士達の呼び止める声が、後ろで聞こえたが、直ぐに火の音でかき消された。
「5階だ!そこにいる!!」
馬は理解したかのように、どんどん上へ階段を駆け上がっていく。
「ヴァル!!!!」
5階の奥の火に囲まれた場所に、ヴァルは両手に何冊もの本を抱えて立ち往生していた。カーザが馬から降りると、馬は自分で階段近くまで退いた。
「ヴァル!出るぞ!本を捨てろ!!!」
「ダメだ!!これは!大事な…!!!」
カーザがヴァルに駆け寄ろうとした時、ヴァルの横に立っていた本棚が大きな音を立ててヴァルの立っている方に倒れてきた。
「ヴァル!!!!!」
ヴァルは、息が止まった。目をグッと瞑り、逃げ出す事も出来なかった。轟音と共に体が宙に浮いた感覚を味わった。カラカラッと、かけらが落ちる音がする。ヴァルが、恐る恐る目を開けると、自分は片腕上げた状態で宙にぶら下がっている。上を見ると、カーザが片手で自分の腕をしっかり掴み、もう片手で5階の床を必死に掴んでいる。5階の床は、先ほどの本棚のために大きな穴がぽっかり開き、4階の床もすでに落ちていた。5階の床を掴むカーザの手は、火に炙られている。
「!!カーザ!放せ!!」
「バカ!騒ぐな!!!」
驚き慌てるヴァルに、カーザは握っている手にグッと力が入る。
「僕など助けなくたって!!!」
「黙れ!バカ!!」
カーザが大きな声を出す度に、灰を吸い込んだ。
「ゴホッゴホッ!!」
カーザに、2人分の体を持ち上げる力は無い。ただ、必死で床を掴んでいるのが精一杯の状態だ。
「放すんだ!君まで死んでしまう!僕なんか助けなくたって良いんだ!」
「ふざけんなっ!」
ヴァルは、自分のせいでカーザを巻き込んだ事を悔やんでいた。
「ふざけてない!僕は死んだって、構わないんだ!もともと捨て子なん…」
「ふざけてるじゃないか!死んでも構わないだと!?笑わせんな!そんなヤツ、この世に存在しねぇんだよ!」
怒りからか…ヴァルの腕を掴むカーザの手に更に力が入る。
「『捨て子だから、死んでも良い』だと!生きて欲しいから、捨てられたんだ!育てられないから、城門に捨てられたんだ!良いか!母親ってのはな、10ヶ月も長い間、腹の中で育つ子の幸せだけを願って、死ぬかもしれない痛みに耐えて、俺達を産んだんだ!顔を知らないからって、そんな母親を裏切るつもりかよ!母親がくれた命捨てるのかよ!」
ヴァルは、抵抗を止めた。カーザにも母親が居ない事に気が付いたのだ。コカに妻はいない。ヴァルは、何も考えが浮かんでこなかった。
「…でも…どうしたら…」
助かりたくても、この状況をどうすれば良いのだろうか…。
「願え。ただ、生きたいと願え!生きたいと言え!」
カーザの答えは、簡単な物だった。
「心の底から願えば、何か思いつくはずだ…」
ヴァルは、ぶら下がっていたもう一方の手でカーザの手を掴んだ。
「…生きたい…生きたい生きたい!生きたい!!」
上を見ると、滝のような汗を流しながらカーザが笑顔を向けた。
「良し…しっかり捕まってろ!」
カーザは、上を見上げて考え始めた。
(さて…どうする…)
威勢良く説教したものの、指が限界でプルプル震える。床を掴んだ手は、熱気にあぶられている。
(考えろ!考えるんだ…!!)
どうしようか必死に考えていると、火に包まれた1冊の本が、カーザの右顔に直撃した。
「クッ!!」
火がカーザの頭に燃え移った。熱さに驚き思わず頭を振ってしまい、指が床から外れ2人は落下した。
(しまったっ!!)
落ちる中、カーザはヴァルを抱えた。
(守る!絶対!)
4階の穴に近づき2人がもうダメだと思った時、火の中から馬が飛び出してきた。馬は、飛び出してきた足で残っている4階の床を蹴り、2人を宙で体当たりして奥の床のある方へ飛ばした。
外では、壁が崩れたりして消化活動は難航していた。しまいには、全ての出入り口が崩れてきた壁で塞がれてしまった。バケツで水をかけても、もう無駄だった。そんな中、少年が3人、少女が1人。野次馬の中に立っていた。
「カーザ…」
「大丈夫だよ、出てくるよ」
不安そうな少女は、12歳になったジャスだ。今では、カーザの許婚でもある。そんな少女を宥めているのは、背の低いぽっちゃり体型のロジ。ロジは、いつもエイツの後をくっついているような大人しい少年だった。
「とっとと、出て来い!!!」
突然、ロジの隣で叫び始めたのは、3人の少年のリーダー格のエイツ。
「俺は、こんな所でくたばるような奴に喧嘩売ってたわけじゃねーぞ!!」
「エイツ…」
エイツの隣にいた一番背の高いテックスは、落ち着いた表情でエイツの肩に手を置いた。エイツの肩は、小刻みに震えている。
「まだ俺はお前に勝ててないんだ!勝ち逃げなんて許さねぇぞ!!!」
いつも、カーザと顔を合わせれば喧嘩をしていたエイツの事も、皆が知っている。嫌い合っているのだとばかり思っていたが…
「聞いてんのか!カーザァァァ!!」
しばらく、皆、このエイツの様子に驚いたが、後に続いた。
「出て来い!カーザ!!」
テックスも叫んだ。皆、後から後から続けて呼び始めた。
「カーザ!!!」
「カーザ!!!」
「カーザ!!!」
「出て来―――い!!!」
「カ―――ザ―――!!!」
皆の声が、コカの涙を誘った。
(聞こえますか?カーザ…ヴァル様を連れて無事に出てきて…)
コカは、痛い体を起こし、天に跪いた。
(神よ…アロー様…エリザ…二人をお守り下さい)
コカは、涙を流し祈った。そして、野次馬達を背に、リドーも焦っていた。
「まだか!?」
「まだ、姿は見えません!」
図書館の一角が、音を立てながら崩れていく。部下の言葉に、更に焦った。
「遅い!やはり私が行く!」
「さっきから言っているようにダメです!!危険です!」
「今は、カーザを信じましょう!」
体の大きなリドーを止めようと、5人の兵士がリドーを抑えた。
「離さないか!!もう、待てん!!!」
その時。2階の窓を割り破って、馬が2人を乗せて飛び降りてきた。ヴァルは、しっかりとカーザに抱えられ、馬に乗っている。
「カーザだ!!」
ロジの大きな声が響いた。
「ヴァル様!!!」
「ヴァル様!!!」
兵士達が馬に向かって水をかけ、近くに駆け寄った。ヴァルは、兵士に抱えられ馬から降ろされる。リドーもコカも駆け寄った。
「僕よりカーザを!!」
カーザは、服を頭に被っていった。
「貴様!遅いではないか!!」
まだ、馬の上でヴァルをしっかり抱えていた形で動かないカーザに、リドーは掴みかかった。
「うるせぇよ…ジジイ…」
カーザは、ズルッとリドーの方に馬から崩れ落ちた。被った服の中から、顔に大火傷を負っているのが見え、思わず青くなったリドーはそのまま強く抱きかかえ、それを隠した。