第2話 【ヴァルとカーザ】
国の約束がされてから、また何年もの月日が経った。
グリラン国は緑で溢れ、空気は穏やかに流れ、人々の元気な声や楽しそうな笑い声、子供達の遊びはしゃぐ声が聞こえる。兵士達が常に土地を見廻り、グリラン国は平和そのものとなっていた。王妃が、拐われた事など無かったかのように…
「お、ヴァル様だ!」
畑仕事をする農夫が、畑より少し高くなっている道に目をやった。畑の横を馬に乗った5人の一行がいた。外交学者コカを先頭に進んでいく。
「おぉ、今日も機嫌悪そうだなぁ」
一緒に作業していた別の農夫が楽しげに言った。一行の中心に、10歳になった養子として育てられているヴァルがいた。不機嫌な顔をし、綺麗な服を着せられ、立派な漆黒の馬に乗せられている。肌が白く、黒髪で髪が少し長く、首の後ろで小さなリボンで一つにまとめていた。
「今日は、大人しくしてるんだろうか?」
「毎回毎回、コカ先生が、かわいそうだな…」
言葉とは裏腹に、農夫の目は悪い事態を期待しているようだ。ヴァルは、常に不機嫌な顔をしていて、城を脱走しては、城の者達を困らせていることで有名だった。民達にとって特に王家の秘密を知っている大人達にとっては、元気な証拠として面白がっていた。しかし、この時のヴァルはいつもの不機嫌とは少し違った。ヴァルの左頬は、ひどく腫れていた。馬を進める中、城を出る前の父王との出来事を思い出していた。
『母上の墓参り…だと?』
廊下で、ヴァルに引き止められた王は、眉をピクリと動かした。
『はい』
亡き王妃の墓参りをした事の無いヴァルは、父王に墓の在り処を尋ねたのだ。
『するな!お前はアローの子でもない』
『父上!!』
『私を、父と呼ぶな!!』
そう言うと、王は小さな頬に手を挙げ、その音は廊下に響き渡った。
ヴァルは、泣きそうになるのをぐっと耐え、民の目を気にしないようコカの背中を見ながら馬を進めていった。
さて、そんな一行の向かう先に図書館が有る。こげ茶色の煉瓦で作られた5階建のこの国では大きな図書館だ。2~3人の司書が、管理を任されている。出入口には、札が掛けられ『本日、休館』と書かれている。その為、館内は司書意外の人物の姿は無かった。
「ふぅ~…」
しかし、図書館の裏には、一人の若い男が怒った顔で座っていた。砂埃で汚れた服装で、黒髪の肩まで伸びた髪。少し垂れたような目だが整った顔立ちの彼は、つい先ほど他の男の子達と殴り合いの喧嘩をして、敗者を蹴散らしてきたところだ。13歳になったカーザは、殴られた頬をさすりながら、煙管を咥えて空をボ~と見上げた。
(くそ…エイツの奴、思いっきり殴りやがった…)
エイツと言うのは、カーザに喧嘩を売ってくる同い年の男の子だ。エイツとは、3年ほど前から顔を合わせれば喧嘩をしていた。一番初めの喧嘩の理由は、覚えていない。突然殴られた。今は、理由が有る。エイツは、何かとカーザの育ての親をバカにした。
『み~んな言ってるぞ。お前の父親は、化け物だってな』
『訂正しろ』
『訂正?間違ってないだろ。耳があんなに尖ってるんだ』
『訂正しろよ』
『化け物じゃないって証拠があるのか?ないだろ?』
『訂正しろって言ってんだろ!!!』
いつも、このような会話の後、激しい殴り合いをしていた。
「はぁ…なんか面白れぇ事、無ぇかな…」
木にもたれ、空に煙を2つ3つ吐いた時だ。蹄の音が近づいてきたのに気付き、カーザは、木の影に隠れた。音の方を覗くと馬に乗った一行がこちらに向かっている。
(げっ!親父!)
カーザが見つけたのは、コカだ。カーザは、慌てて煙管の火を消し、木に登った。
(ったく、こんな日に珍しく来るなよ…)
カーザは、コカにケガを見られると酷く叱られた。
『また、ケンカですか?暴力では何も生まれないと、いつも言ってますよね?』
コカは、ケンカの理由を知らなかった。聞いてもカーザは答えないのだ。
「ヴァル様、どのような本をお探しいたしましょう」
幼い子供に丁寧な言葉を使う父に、思わずカーザは舌を出す。
「…自由にしてろ。勝手に探すから」
偉そうに答えたヴァルを見た瞬間、カーザは、少し驚いた。
(…あぁ、あの時の…やっぱりアイツだったのか…)
つい先日の事をカーザは思い出した。
「はぁ…落ち着く…」
天気の良かったあの日。カーザが学校をサボってベリー丘で寝転んでいると、黒い馬に乗った少年が丘にやって来た。
「…誰だ?」
馬が草を踏む足音に気付いたカーザは、草むらに隠れて様子を見ていた。
「見廻りの兵士…では、ないか…」
サボっている所を見つかったら、連れ戻される。そう思い隠れたのだが、違ったようだ。が、少年の来ている服の立派さにカーザは、草むらから出るのを止めた。そして、馬から下りた少年を遠くから、じっと様子を伺っていた。顔はよく見えなかったが、服装から養子ヴァルだと言う事は察しがついた。
(アイツ…ここに何しに来たんだ?)
時刻は昼。子供達は皆学校に行き、貸切状態だからノンビリ出来ると思って、此処に来たのに。と、予定外の客人に若干カーザは腹を立てていた。しかし、その感情はすぐに消えた。少年は、泣いていた。しゃがみこみ、草をブチブチとちぎっては投げ捨て、大地を拳で叩き、大声で泣いていたのだ。少年も、貸切と思って、この丘に来たのだろう。泣き止まない少年に対し、馬は黙って傍に座り、少年は馬に抱きついて泣き続けていた。結局、少年が帰るまでカーザは、草むらの中でじっとしていた。
(俺が言うのも何だけど…ひでぇ顔)
ヴァルの腫れた頬が目に入った。木の下ではコカが不安そうな顔をしている。
「今日は、逃げないから安心しろ」
たった10歳の子供に発せられた言葉に、コカは、ほっとした顔を見せた。
「…そんな簡単に信じて良いのか…」
「ヴァル様は、私には嘘をつかれませんから」
優しい笑顔を見せたコカに、今度は、ヴァルが困った顔をしたが、直ぐに踵を返し館内に入っていった。
(『休館』ってのは、王家が使うって意味も有ったのか…)
そんな様子を木の上からカーザは、じ~と見ていた。そして、コカや兵士の皆が中に入っていくのを見る。
「なるほど。急に『休館』なんて変だと思ったぜ」
カーザは、木から降りてきて図書館を見つめた。
「さて…どうすっかな…」
カーザは、こっそり裏口から入っていった。興味が有った。なぜ泣いていたのか。養子とは言え、王子だ。そんな王子は、ただの可愛げの無いガキだと思っていたのに、それを大泣きさせる理由は何だろう。と。
(おっと…)
カーザは、父親や大人達を避け館内をこそこそと走り、ヴァルを探した。
(居た)
2階でヴァルが本棚から本を出しては入れ、出しては入れをしている姿を見つけた。ヴァルは、明らかに何かを必死で探している様子で、でも目的の物が見付からずに苛々しているようだ。
「何を探してんだ?」
カーザは、傍に行き声を掛けた。ヴァルは、声に驚き体をビクッとさせたが、カーザの姿を頭の先から足の先まで見ると、何も無かったように本棚に目線を戻した。
「君には関係ない。それに、一般者の君がここにいるのが問題だ。大きな声を出される前に帰りたまえ」
ヴァルは、棘の付いた言葉を返したが、カーザは屁とも思っていない。
「大声?出さないだろ。出したら、即刻お前は城に戻る事になる」
「…」
余裕の有るカーザの言葉に、ヴァルは何も言えず睨んだ。
「君。無礼だぞ。私は、王家の人間。敬語も無ければ、私を『お前』呼ばわりか?」
「だから?」
「…」
まだ睨み続けるヴァルに対して、カーザは気の抜けた笑顔を向けた。
「まぁ、帰っても良いけど。でも、城を出ていられる時間にも制限があるんだろ」
「…それがどうした…」
まだ警戒心が解けないままヴァルは、カーザを横に再び本棚に向き合った。
「この図書館には、約3万冊保管されているらしいけど、探し物は見つかりそうか?」
(3万冊…)
ヴァルの手は、一度止まった。
「なぜ、そんな事を知っている…」
「全部、読まされたから」
意外な答えにヴァルは驚いた。読書が趣味なようには見えないこの男が、図書館の本をすべて読んだと言う。
「…なら、君に聞けば、どんな本がどこに有るのか分かるのか?」
「さぁ?力は貸すけど、保証はしない」
カーザのなんとも無責任な答えにヴァルは訝しがった。
「…君に何のメリットがある?兵士になるコネがほしいか」
ヴァルの問いに、カーザは考えてもいなかったと笑った。
「兵士になるつもりは無い。単なる暇潰しだ」
ヴァルは、カーザを見て考えた。自分に寄ってくる者達は、だいたい下心を持っているものだ。だか、この背の高い顔にアザを作っている男は、いたずらっ子のような笑顔を見せ、本当に暇潰し目的のようにも見える。ましてや、3万冊も本が有るなら…この男を使ってみる価値は有るのかもしれない…そう、ヴァルは小さな頭の中で考えた。
「…………この国で起きたことが全て載っている本はあるか?」
「歴史か?」
「ただの歴史書でなく、何時どんな病気が流行ったのか、死んだ人間がどこの墓に入っているのか…」
カーザは、(おかしな事を調べてるな)と変な顔をした。
「有るのか無いのか。どっちだ?」
「記録書…だな」
カーザは、顎に手を当て、記憶の中を探した。
「5階だな。歴史書の階の一部の本棚に、見た記憶が有る」
2人は、他の大人たちに見られないよう5階へ向かった。カーザは、一気にどんどん先に進んでいく。少し疲れたヴァルは、階段を登る足が遅くなった。足が止まってしまったヴァルは、顔を上げて驚いた。目の前に手が差し出されたのだ。先を行っていたはずのカーザが、優しい笑顔戻ってきたのだ。媚びない笑顔も、手を差し出された事も、ヴァルには初めてだった。少し戸惑いながら、カーザの手を握った。手を繋ぎ5階に辿り着くと、本を探し始めた。
「どれも、普通の歴史書だな…」
カーザは、梯子を本棚にかけ、高い所に有る本を探している。ヴァルは、先程と同じようにただ必死に本を出し中を見ては本棚に戻してを繰り返した。カーザの目には、焦っているようにも見えた。
「なぁ、一つ聞いても良いか?」
カーザの言葉に、ヴァルは梯子の上を見上げた。
「何だ?」
「おとといの昼間、ベリー丘で泣いてた理由は何だ?」
「…」
ヴァルは、黙ってしまった。
「なんで知ってる?」
「俺が居たところに、お前が来たんだ」
「誰も居なかったと思ったが…」
この言葉にカーザは苦笑した。
「隠れたら、いきなり泣き出されて、出るに出られなくなったんだよ」
「そ…そうだったのか…」
ヴァルは、バツが悪そうに俯いてしまった。
「悪い…理由は言わなくても良い。ごめんな」
カーザは、気まずくなり目線を本棚に戻した。
「ただ、一つだけ約束してくれ」
落ちてきた言葉に、ヴァルは顔を上げた。カーザは、梯子の上からヴァルを見下ろす。
「皆の前では、笑顔でいろ」
「…」
「作り笑顔でも良いから」
「どうゆう事?」
不思議がるヴァルに対し、カーザは梯子を降りてきてヴァルのおでこをペシッと叩いた。
「今も泣きそうな顔をしてるから」
そういうとカーザは、梯子を別の本棚に掛けて上った。ヴァルは、おでこを抑えていた。痛くは無かった。だが、今まで感じた事の無い何かを感じていた。それは、どことなく温かいような気がしたが、それが何なのか…この時は分からずにいた。
「おい」
考えているとカーザに呼ばれ、ヴァルは再び見上げた。
「見つけたかも」
カーザは降りてくると、上の方から取り出した本をヴァルに見せた。本のタイトルは、『別れを告げた人々』となっており、名前と墓の場所が書き記されていた。しかも、本は3冊有り、3冊目は途中から白紙になっていた。誰かが亡くなる度、誰かが書き加えてるのであろう。カーザは他にも有るかもしれないと他の本棚も探している間、ヴァルは、閲覧用の机で、本を開いて一つの名前を必死に探していた。
「…ローレン…」
思わず声に出てしまったのであろう。ヴァルの声に、カーザは耳を傾けた。
「?」
「…アローレン…」
(養母の墓?)
疑問を抱きながらカーザは、本棚の上に目をやった。
(…そういえば、王妃の墓なんて、俺も知らねぇな…?ん?なんだ、これ…)
カーザは、背表紙が見たことの無い文字で書かれた1冊の本を手に取った。中を見ようとしたが、後ろの階段を誰かが上がってくる音が聞こえ、思わず服の中に隠した。