第11話 【大切な大切な宝物】
ついに、皆が待ち焦がれ、そして恐れていた時が来た。エリザの陣痛が始まり、長い長い時間が過ぎた。昼間に始まった陣痛から、8時間。外の風景は闇夜となっていた。皆が、赤子が無事に生まれてくる事を願う中、希望とは異なりなかなかその姿を現さなかった。エリザは、滝のように汗を流しながら、痛みと戦っていた。
「まだ時間が掛かります」
一度病室から出てきたメテは、それだけ言うとまたエリザのもとへと戻った。廊下では、コカ、マスター、リドーの三人が今か今かと待っていた。
「コカさん…わしは酷い人間だ…」
マスターは、椅子に座り頭を抱えるようにして丸くなって震えていた。
「何をおっしゃっているんですか」
手に汗を握りながら震えるマスターをコカは、不安を隠しながら優しく問いかける。
「そんな事ないですよ」
「いや、酷い人間だ。エリザを本当の娘と思っているのに、子を諦めろとは言えなかった…」
マスターが頭を抱えていても、青ざめた顔をしているのが想像できた。
「…マスター…」
「君は分かっているんだろう?今のあの子が、出産など危険だと…」
コカは何も言えない。
「コカさんや先生が何も言わなくても、それくらい分かる。分かっているはずなのに…」
コカは悲痛な顔で黙り、リドーは窓から遠くを見て黙っている。
「わしが…わしが、孫を諦めきれなかった…」
泣いていた。マスターのズボンに、大粒の涙がボタボタと染み込んでいく。
「………諦める…って、どうゆう意味ですか?」
コカが、静かに問う。意味は分かっていたが…。
「エリザも子供も大丈夫です。私達は、そう信じています。」
「…」
コカは、優しくマスターを両腕で包み込むと念じるように呟いた。
「マスター、信じてください。二人を」
「…すまない…」
「大丈夫です。二人とも私達が思うより、ずっと強いはずです。絶対…」
必死にマスターを励ます。コカは優しくマスターを落ち着かせようとしたが、当人の心の中は嵐が吹き荒れるようにざわついていた。皆が不安だった。祈り続ける。それしか出来なかった。
祈り続け、更に5時間が過ぎた。が、まだ産まれない…
「コカ、中に入ってください」
「…え?」
途中、疲れた顔をしたメテが病室から顔を出し、コカを呼んだ。
「彼女の手を握って、励ましてください」
マスターは、今は落ち着きを取り戻してはいたが不安気な顔をしている。それでも、コカの背中をトンッと押した。
「行ってくれ、コカさん」
「…はい」
マスターに背中を押され病室へと向かうコカ。部屋に入る前にメテがコカに耳を貸すよう仕草で促した。
「…これ以上長引かせるのは、母体も子供も危険です。何度か気を失いかけています。力づけてください」
コカは小さく頷くと、部屋へと入った。すぐにエリザの横へ駆け寄り手を取る。
「エリザしっかり!!」
「…コカ…」
エリザは、意識が朦朧とする中、息切れしながらコカの手を握り返した。コカは、しっかりと左手でエリザの手を握りながら、空いている右手で汗を拭いてやった。
「ん゛ん゛――っっっ!」
頑張って力んでいる姿を見ると、自然と握っている手にも力が入る。
「ほら、しっかり!」
助手として一緒の病室に入っているフォーレがエリザを励ます。
「ん゛あ゛ぁぁぁっっっ!っ!…ハァ」
何度力んでも、上手く生まれてくれない。エリザは疲れて、ほとんど頑張れる気力が無くなってきていた。
「…ハァ…ハァ…コカ…」
息を切らせながらコカの手を握りかえす。コカは、エリザの声をよく聞こうと耳をエリザの口元に寄せた。
「何?」
「…ハァ…私…もうダメ…」
「何を言う!」
弱気の発言に、コカは大きな声を出した。メテとフォーレは、交代に自分達の喉を潤す為に水を一口飲んでいる。
「…だ…だって…ハァ…もう…」
「何を弱気になっているんですか!しっかりしなさい!!」
コカの怒鳴った声が響き、廊下にいるマスターとリドーは驚いた。
「ちょっと、どなら…」
フォーレも驚き、「怒鳴らないで」と言おうとしたが、メテに無言で止められた。フォーレは、黙って冷めてしまった産湯を交換しに病室から出て行った。一方、怒鳴られたエリザは、虚ろな目でコカを見つめている。コカは、一息吸うといつものように優しくエリザの頭を撫で始めた。
「ごめんね、エリザ。一生懸命、頑張っているのは分かっているよ。辛いね。苦しいね。でも、今、戦っているのは、あなただけじゃない。あなたのお腹の小さな命も、戦っているんだよ。あなたが負けてどうするの。しっかりして。ママでしょ?」
「…コカ…」
コカの言葉に、涙が出てくる。辛さを分かってくれる人がいる。応援してくれる人がいる。それが、こんなにうれしい事だとエリザは初めて知った気がした。
「それと…エリザ。私に家族をください。私の妻となり、私にこの子の父親をやらせてください。一生のお願いです」
「…」
「叶えて頂けますか?」
「…はい」
予想していなかったプロポーズに、エリザは、涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、嬉しそうな笑顔を見せた。
「では、私が証人ですね」
黙って聞いていたメテが、二人に笑顔を見せた。
「さ、奥さん!泣いてる時間はありませんよ!さぁ、頑張って!」
「…はいっ」
それから、一時間後。
「っ!…はぁ…」
エリザが、気の抜けた声を発すると、大きな赤子の泣き声が聞こえてきた。
「産まれました!産まれましたよ!元気な男の子です!!」
フォーレは、嬉しそうに病室の外に報告している。その声が聞こえたのだろう。廊下で、マスターの喜ぶ声が聞こえてきた。エリザは、全身の脱力感で頭がボ~とする中、真上に有るコカの優しい笑顔を見ようと目線を上げた。が、冷たい物がエリザの顔に降り注いだ。
「…パパ」
声を殺して、ボロボロと泣くコカの顔に手を伸ばすと、コカはエリザの頭をぎゅっと抱き締めた。
「…ありがとう…ありがとう…ありがとう…」
コカは何度も何度も礼を言うのだった。
「オギャッオギャッ」
「あぁ、どうしてずっと泣いてるのぉ?」
「オギャッオギャッ」
「泣き止んでくださいよぉ、カーザ」
昼時。コカは、マスターの家の裏庭に出てきて、生後2週間の赤ん坊に困り果てていた。
カタンッ
「あ、フォーレさん!」
苦笑しながらフォーレが、裏口から外に出てきた。
「まったく…見ていられませんね。お父さん」
「す…すみません…」
フォーレは、コカの手からカーザを受け取ると、すぐに『泣いている』理由が分かったようだ。
「あらあら、これは気持ち悪いわね〜変えましょうねぇ」
コカは困った顔をしながら、何を泣いていたのか気にしている様子だ。
「オムツですよ」
まだ、この頃の赤ん坊の排泄物には匂いが無い。無臭の為、泣いて報せるのだが、まだまだ、半人前の父親には届かなかったようだ。彼女はカーザを連れて、オムツを取り換える為さっさと家に入ってしまった。コカは少し寂しそうにショボンッとしたが、すぐに上の階の窓を見上げた。
「部屋に戻ってください。カーザは、私が見てますから」
裏庭で立っているコカに対し、フォーレがそう言う。コカは言葉に甘え、2階の部屋へと向かった。部屋からは、すすり泣く声が聞こえていた。
「コカさん、最後のお別れだ。よく顔を見せてあげて…」
部屋の奥には、エリザの棺が置かれていた。エリザは、一昨日の夜中、病室の布団の中で眠ったまま旅立った。
『私の名前とエリザの名前を取って、「カーザ」はどうです?』
『えぇ、素敵。強い子になりそうね』
『強くて優しくて、皆に愛される子に育てよう』
『えぇ』
たったの2週間だったが、エリザは母になれた。男の子を無事産み、抱き締める事が出来た。エリザの幸せそうな笑顔を見れた。だから、後悔はしていなかった。コカもマスターも。
葬儀も終わり、客人が帰ると、片付けを終わらせたコカをマスターが笑顔を向けて呼んだ。
「コカさん、君も故郷に帰る準備をしてくれ」
「え…」
「明日にでも。カーザを連れて、出ていってくだされ」
コカは、開いた目が動かない程に驚いた。目の前の人が、笑顔で何を言っているのか、しばらく理解出来なかった。孫なのに…いや…その前に…
「カーザは、王子ですよ…」
コカの言葉に、マスターは、相変わらず優しくニコニコ笑っている。
「やはりご存知だったか…」
「はい。王様。いえ、マスター・ドレンコ様」
コカは、深々とマスターに跪いた。
「やめてくだされ。今まで通りマスターで。なぜご存知なのか伺ってもよろしいかな?」
「はい」
コカは、この村に来て二日目の事を思い出した。エリザに村を案内してもらい、色々教わった。どこの家にも、地下室が有る事を教えられた時、マスターの家のように3階建など上階に居る時に、階段を使って手下が襲ってきた時にどうするのか、エリザに尋ねた。
「その時に、案内してもらったのが、この家の隠し階段でした」
あのマスターを隠した【隠し階段】を案内してもらっていくと、3階の所まで上って行き止まった。
「私の『職業病』のようなもので、行き止まりの小さな空間をキョロキョロと見てしまったのです。そうしたら…」
キョロキョロしていたコカの目は、天井から動かせなくなった。
『これは…?』
狭い空間の中、天井を指さすコカに言われてエリザも驚いていた。
『?…さぁ?何かしら?』
『エリザさんも知らない物ですか』
『えぇ…でも、これがどうかしたの?』
『…どこかの書物で見たような…』
『ふ~ん。なんだろ?』
2人して、天井に描かれた図形のような絵に釘づけになって見ていた。
「逆さまに見ていた事に気付いた時は、驚きました」
コカは、別の国で書き写した書物に似た図形のような物が、書かれていた事を思い出した。存在していた場所は、ここよりずっと東の方だった事。突如として、国も王家も民も姿を消した事。その国の国章の絵。その国の名は、王の名を取り『ドレンコ国』。
「まさか、天井にその国章が描かれていたとは…。正直驚きました。そして、『マスター』とは、その国の王に対する言ってしまえば愛称のような物」
マスターは、変わらず優しい笑顔のまま黙って聞いている。
「その呼び名でこの村に居るのは、あなた様お一人でした。最初は、『酒場のマスター』の意味だと思っていましたが、皆からの信頼度は、ただの酒場の主に対する物とは思えませんでした。この事を知っている村人もいますよね?」
近からず遠からず。と言ったところだろうか。マスターは、一つ大きく息を吸った。
「えぇ。ただ、知っているのは、私の年代の者達から年上ばかり。村の半分は、周りの影響で私を慕ってくれているだけ。私は国王の器では無いし、隠したい身分なんだ」
だから、エリザも知らなかったのだ。
「ここに民達と移り住んだのは、祖父の代だった。私は、こんな小さな村で育てられながら、幼い頃から王家の人間として扱われて、厳しいしつけと厳しい教育。正直、過去の栄光から離れられない両親と祖父母が大嫌いだった」
コカは、あの『石部屋』を思い出した。自分と似たような経験をこの人もしていたのだと思った。
「だから、私が王の名を引き継いだ時、民の皆には私の先祖が王家の人間だと言うことは、忘れるよう、子供達には教えないよう頼んだんだ」
苦笑いを浮かべながら、そう話す。
「おかげで、私の息子は私より伸び伸びと自由に生きられた。結果はどうあれね」
マスターは、優しい顔で息子を思い出す。
「カーザには、更に自由に生きてほしい。この村に居れば、やめてほしいと言っても、王家の人間として見る者が少なくともいるのも事実。それに、これは息子が願った事でもあるんだ」
亡き息子とエリザが、マスターに子供が出来た事を報告した夜。マスターは、息子だけに先祖の話をした。生まれてくる子供に伝えるか、判断を委ねた。
「そしたら、息子は、子供が生まれたら違う国か村に移住して、子供を育てたいと言ったんだ。その方が、安全で伸びやかに育てられると言ってね」
マスターは、実に楽しい思い出でも語るように笑顔で話してくれる。
「押し付けるようで申し訳ないんだが、コカさん、孫を頼む」
マスターは、コカに頭を下げた。
「私が、あなたの事を話すかもしれませんよ?」
その言葉に、マスターは笑顔で答えた。
「コカさんは、しないよ。絶対」
「ずるい方だ…」
マスターに負けじと、コカも笑顔で返す。
「しかし、他の皆さんが納得しますか?」
「大丈夫。明日の夜、地下道を使って行ってくだされ。数日後に、皆には話す事にしよう。リドー様にもフォーレにも話して準備をしてもらっているし…」
(なるほど、手回しが早い。ん…?)
コカは、納得しながらも疑問が心に引っ掛かった。
「フォーレさん…ですか?」
「赤ん坊が居るし…あれ?ご存知ではないんですか?」
今度は、マスターが目をパチクリさせている。
「何がです?」
「フォーレがリドー様のプロポーズをお請けした話…」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!?」
コカは、驚きすぎて腰が抜けた。
(し…知らなかった。ってか、いつの間にそうなったのか、ここのところ自分の事ばかりで、親友の行動を全然知らない…)
コカの頭の中では、リドーとフォーレの顔が行ったり来たりしてぐるぐる回っている。
「お…落ち込まないで」
「い、いえ。落ち込んでいるわけでは…驚きすぎて…」
頭を両手で支え呆然としているコカの様子に、マスターは慌ててしまった。
「大丈夫です…明日3人とこの村を出ます…でも、なぜそんなに急いで出る必要があるのですか?」
コカが頭を上げると、また、マスターは苦笑いをした。今度は、少し淋しそうに…
「一緒にいる時間が長い程、私がカーザから離れられなくなりそうなんだよ」
翌日の夜。
予定の時刻に、地下道の入り口に集まった。マスターは、カーザを抱きしめ最後のお別れをしている。コカ・リドー・フォーレは黙ってそれを見守っている。リドーは、フォーレの両親に、フォーレとの結婚を許してほしい。と、頼みに行ったらしく、結果、父親に殴られたようでリドーの頬は赤く腫れていた。2人は追い出されるように出てきて、今ここにいる。しかし、コカは、もう何も言わなかった。リドーとフォーレが、本当にお互いを大事に思っているのが、端から見ていてもよく分かる。お互い気が強いから、その辺、馬が合うのだろう。
「では、道中お気を付けて」
「どうかお元気で…」
コカはカーザを抱えて抱っこ紐で固定すると、久しぶりの愛馬に跨がった。リドーもフォーレもそれぞれの馬に乗り、マスターから離れていった。
「これで良い。なぁエリザ。これで、コカさんが命を粗末にする事は無いな…これで良かったんだよな…」
マスターは、涙を流しながら呟き、いつまでも見送っていた。
出来立ての木材で囲まれた地下道は、馬達の蹄の音がよく響く。先に谷の村に移動して出張医療をしていたメテが、こっそり地下道の出口を開けてくれた。地下道を出る時、3人とも深呼吸をし、二度と来ない村の匂いを体いっぱいに貯めた。
「コカさんの子!?」
帰国し、一番先に驚きの声を出したのは、エドルフだった。
「母親が亡くなってしまって、誰も育てる人がいなかったので、私の子として育てます。名前はカーザです」
コカ達は、詳しい話はしなかった。ただ驚く王夫妻に、そう嬉しそうにコカは赤ん坊を紹介した。
「大丈夫かぁ?大変だぞ」
「大丈夫よ。私が手伝うもの。ね。コカさん」
からかい半分で茶化すリドーに対し、フォーレはコカに笑顔を向けた。
「えぇと、そちらの女性は?」
赤ん坊に目が釘付けで、エドルフもアローもフォーレに気付いていなかった。アローは、目をパチクリさせている。
「家内だ。よろしく」
「「はい―――!!?」」
リドーの言葉に、驚く王夫妻。仲良しなのは構わないが、そんなにハモらなくても…。
「ちょっと、まだ結婚してないわよ!」
すかさずフォーレが否定の声を上げる。
「あぁ、でも結婚するんだから、家内だろ?」
「お嫁さんとか、未来の妻とか、もうちょっと違う言い方してよ!」
実に女性らしい希望だ。と、コカは頷いた。
「あ゛ぁ?…面倒臭い…」
バシッ!!
「イテッ!」
子供を叱るように、リドーのお尻を叩いたフォーレ。そんな様子を見ていたアローは、ふき出してしまった。
「ふふふふ。リドーがまるで子供ね。お名前伺っても良いかしら?」
「…フォーレです」
綺麗な王妃に名前を聞かれ、フォーレは少し戸惑いながら答えた。
「あら、私アローレンよ。ね、私の事はアローと呼んで。私はあなたの事をフォーって呼ぶわ」
王妃の無邪気さに、無作法な村の娘でも驚いたようだ。
「あ…アロー…様…」
「だぁめ!アロー!」
「あ…アロー…」
「うん。フォー。よろしくね」
姉妹みたいでしょ?と、アローは嬉しそうにフォーレの肩に抱きついた。実際、本当の姉妹のように二人は仲良くなり、フォーレはすぐにこの国に馴染む事が出来るのだった。
「カーザ。あなたは、私のたった一つの宝物です。大事にします。…エリザ…見守ってくださいね」
拝啓 読者の皆様
第2章は、これで終わりです。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございます。
次からは、第3章となりますが、
小説をアップする曜日を金曜日から日曜日に変更します。
宜しければ、また第3章もお読み頂けると幸いです。
まだまだ未熟者ですが、宜しくお願い致します。
敬具
2012.3.23 天龍光照