第8話 【山の男】
事件から約1週間が経った。鬱蒼とした森の中にある洞窟にコカはいた。両手を縛りあげられ、体中のあちこちから血がにじみ出している。
バシッ!
「ぐぅッ!」
バシッ!
「ガハッ!!」
「おいおい、殺すなよ?」
あの晩、このアジトに連れてこられて、椅子に座り手下達を騙して逃げ出すタイミングを計っていた。が、すぐに「村人が一気に消えた」という報告が入り、捕まった。何度か下っ端の手下を騙し、縄を解かせ逃げ出そうとしたが…今、木の板で殴られている。
「おい、この嘘つきめ!何度も何度も騙しやがって!!」
手下の一人が、怒り任せに木の板を振った。バシンッ!
「ヅッ!!」
痛みを堪えるのに歯を食いしばりすぎて、コカの口端から血がツーと流れた。バシッ!
「人間どもをどこに隠したぁ!!」
バシンッッッ!!!
「…クッ!…はぁ…はぁ」
あれから、まだ1週間。たぶん逃げ道に隠れているのだろうが、まだ未完成だ。逃げ切るには、まだまだ時間が足りない。
「村に居たはずの人間どもが一夜にして、姿を消したんだ。能無しの俺達に教えてくれよ。どうしたら、そんな事が出来る!?」
バシッ!!
「…!…」
「チッ、気ィ失いやがった」
手下は、コカの顔をバシッと引っぱたいたが、コカは目を覚まさなかった。手下は、椅子にドッカリと座り込んだ頭の前へと行った。
「お頭、こいつ食っちまいましょうよ」
「ダメだ。村人を捕まえる事が先決だ。居場所を知ってるのは、こいつしか居ねぇ」
幸か不幸か。見付からない事が、コカの命を引き延ばしていた。
「ご主人様に聞けば、すぐに分かるんじゃないっすか?」
「バカ野郎!そんな事してみろ!他の部隊から良い笑い者にされるぞ!そんな事も分からんのか!」
頭は怒り任せに、手下を突き飛ばした。手下はヨロヨロと体を起こしながら、ボソリと呟いた。
「しかし、腹が減りすぎて…」
椅子に戻ろうとした頭は、その言葉を聞いてクルリと戻ってきて、手下を見下した。
「じゃぁ、お前が死ね」
「へ?」
驚く手下の首元をガッと掴むと、ズルズルと引きづり他の10人の手下達の所へと投げた。
「野郎ども、今日の飯だ!」
「ひっ!や…やめろ…ッ!!!!!」
悲鳴が、洞窟の奥深くまで響き渡って行った。
「皆、我慢だ。もう少しの我慢だ!」
暗闇の中、わずかなランプの明かりとマスターの励ます声が村人達を支えていた。逃げ道を掘り進めていく村人達は、男女関係なく交代で働き、交代に休んで道の完成を急いでいた。
(コカさん…耐えてくれ…)
マスターは、皆の体調に気を配りながら、コカの安否を祈り続けた。
「この道で間違ってないんだよな!」
「地図通りに進んでるだろ!」
夜通し馬を走らせ、2人の若者が先を急いでいた。一人は丸顔で体の小さな若者で、もう一人は背が高く、あごに髭を生やしている。2人は、村から派遣された若者だった。過度の疲れから、マスターから借りた馬も2人も、大量の汗が湯気となって立ち上っていた。息を切らせて山道を上っていると背の高い若者の馬が、拳程の大きさの石に足を取られ、体制を崩し倒れた。乗っていた若者は、勢い余って頭から地面へと放り出された。
「はぁ…はぁ…」
丸顔はすぐに気が付き、戻ってきた。馬から降り、手を貸し立たせる。
「はぁ…おい…大丈夫か…?」
「あぁ、俺は…」
振り向き転んだ馬を見ると、泡を吹いて死んでいた。ろくな休みも与えず、走り続けたからだ。
「少し休ませよう…」
もう1頭の馬も脚をガクガクさせている。どう見ても限界だった。
「はぁ…村はどこだ…?」
いい加減、煙突ぐらい見えても良い頃だった。【馬で2週間】は、しっかり馬を休ませながら進んだ場合だ。二人は焦っていた。
「少し歩いて探そう…」
馬の手綱を木に結び、歩こうとした。が、2人とも転倒した。足に力が入らない。さすってみても、揉んでみても、足が動かないのだ。先程まで立っていたのが嘘のようだ。どう足掻いても前に進めなくなってしまった。2人とも焦った。必死に冷静になって、考えようとした。どうしたら良い…どうすれば良い…なんとかしないと…なんとかして…どうにかして………冷静になろうとすればする程、気持ちは更に焦った。
「どうしたら……」
二人とも、絶望感で頭いっぱいになった。涙が溢れ滝のように流れ、頭を抱えて地面に倒れこんだ。
「クソッ!ここまで来て…ここまで来て…クソォォォッッッ!!!」
髭の若者は悔しくて悔しくて、拳を何度も何度も地面に叩きつけた。その悔しさは、丸顔も同じだ。丸顔は、悔しくて自分の足を殴り始めた。
「クソ!クソッ!」
「やめろ!!そんな事して、どうなる!!」
丸顔の拳骨を掴み止めるが、2人の顔は泥と汗と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「だって…だって…」
悔しくて涙が止まらない。
「皆が…待ってるのに…皆が…皆が…」
優しく笑う、マスターの顔・村の皆の顔、そして、コカの顔が頭に浮かび、罪悪感で押し潰されそうになる。2人して泣いていると、不意に頭上から声を掛けられた。
「君達、どうしたんだ?」
驚き急いで涙を隠すと、声の主を見上げた。
「あれは、君達の馬か?」
声の主は、馬に乗った男だった。がっちりした背格好の男は、自分の馬から降りると、休ませている馬の近くへ行った。男は、じっくりと馬の体を見ると、カバンの中から薬草を取り出し、それをすり潰すと馬の左前脚の蹄の部分と付け根に包帯を巻いた。そして、馬を宥めるよう声を掛けると、不思議な事に馬は地面に座りこんでしまった。この様子に若者2人は驚いた。馬が、外で地面に座り込むのは命掛けで、外敵から身を守る為には安心出来る場所でなければ絶対座らないはずなのだ。それが、座った。2人は、驚きで声が出ない。
「一晩休ませてやれ。明日になれば、少しずつだが歩けるようになる」
この男は何者なのだろう…。
「しかし、随分と立派な馬だ。よく鍛えられている…」
男が馬を撫でると、馬は嬉しそうにその手に甘えた。
「君達も休んだ方が良い」
「あ…あの…」
一か八か。2人は、この男に縋り付いた。
「お願いです。お助けください!」
「お願いします!」
若者2人は、土下座し頭を地面に擦り付けながら、助けを求めた。
「な…何だ何だ?どうしたと言うんだ…」
男は驚き、2人に頭を上げるように促すが、必死の思いから2人は頭を上げる気にはならなかった。
「手下でも追ってきてるのか?」
2人の必死さに、まさかと思い聞いてみると、髭の若者が顔を上げ男の腕を掴んだ。
「俺達の村が…!皆が…!!」
この言葉だけで十分だった。男は、緊張感のある顔付きになり2人の肩を掴み、冷静な声を発した。
「落ち着きなさい。何が有った?」
若者達は、すべて打ち明けた。旅人が手下に拐われた事、村人達が今必死に何をしているか、自分達に任された役目、すべてを。男は話を聞き終わると、二人の若者を担ぎ、自分の馬に乗せた。
「あ、あの…」
丸顔は、状況が読めず困っている。
「村へ行こう。君達が向かっていた村だ。すぐそこの谷にある。」
「あ、ありがとうございます!」
男は、包帯を巻いて座り込んでいる馬に再び優しく声をかけた。すると、馬が立ち上がり、びっこを引きながらゆっくりと、男に着いてきた。男は、2人を乗せた自分の馬と、包帯の馬を引いて、谷に有る村へと連れて行った。男は、若者達を降ろし、村人に手当てをするようすぐに手配してくれた。
「あ…ありがとうございます。でも、俺達…」
「私が村長に話す。良いから休め。」
2人を村人達に任せて、男は村の畑の方へと走っていった。
「村長!」
「…?」
村長と呼ばれた初老の男性は、男から話を聞くと、急いでそばに有った穴に飛び込んでいった
。
それから、何時間が過ぎたのか。日もとっぷりと暮れ肌寒くなった頃…暗闇の中に小さな光の線が差し込んだ。
「繋がったのか!?」
「おいっ、そこにいるのか!?」
「生きてたら、返事しろ!」
松葉杖を使って歩けるようになった若者達は息を飲んだ。谷の村の人達は、自分達の逃げ道作りに、「早く出来上がるように」と、出口側から掘っていてくれたのだ。穴が繋がったのか、土の壁が少し崩れ、小さな穴が出現した。
「マ…マスター!返事してくれ!」
「みんな!助かったんだぞ!」
「声を聞かせてくれ!!」
2人は必死に声を掛けた。警戒していたのか、若者の声を聞くと、ざわざわと穴から声が聞こえてきた。
「…生きてる…」
嬉しくて涙が出た。
「今、この穴を大きくするからな、離れてろ。」
谷の村人達は、中の人が傷付かないよう手で穴を広げていった。やっと、人が一人通れる程の大きさになった時、中に居た人達の顔が月明かりで照らし出された。皆、泥だらけの顔に涙を流している。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
皆が涙を流しお礼を言っている。その横で、マスターはただ泣いていた。
「…」
「マスター?」
若者達には、マスターが喜んで泣いているようには見えなかった。マスターは顔を上げると、悲痛の顔を見せた。
「エリザが…エリザが…」
「エリザが危険なんだ…」
泣き崩れるマスターの変わりに、他の男性が答えた。2人は青くなった。
「すみません、タンカをお願いします!」
「妊婦なんです!」
2人の言葉に谷の村人達は、急いで穴の奥に入りエリザをタンカに乗せると、医師の所へと運んだ。
「息をするんです。外に出られたんですよ!」
他にも、疲労と少ない空気、昼と夜の寒暖の差が激しかった事で体調を壊している者が多かった。
「メテ!私に支持しろ!」
若者を助けた男は、医師に指示を仰いだ。
「はいっ!」
細目の医師は、谷の村人達と協力し患者を診て廻った。
翌日。日も上り、昨夜のドタバタが嘘のように静かになっていた。カーテンの閉まった部屋で、マスターはベッドに横になるエリザの手を握っていた。スヤスヤと眠っているエリザは、熱は有るが最悪の事態を脱したのだった。
「ありがとうございます。神様…本当にありがとうございます」
泣いて感謝した。村の女性と看病を交代すると、マスターは皆が食事している店へと案内された。
「皆様、本当に!本当に!!ありがとうございました」
深々と頭を下げた。どれだけ礼を尽くしても、尽くしきれない。マスターの足元の床に、雫が落ちた。
「マスター…まだ泣いてんの?」
沈黙の中、そう茶化した者がいた。周りの者達は、微笑んでいる。
「泣いてるさ。嬉しいんだ。泣いても良いだろう」
泣きながら、そう答えたマスターに、皆は、「うんうん。嬉しいね。」「泣こう泣こう」と笑顔で、マスターを椅子に座らせた。
「マスター、この方が居たから助かったんだ」
若者2人は、山で出会った男を紹介した。
「私は、何もしていない。この村に今居るみんなが、それぞれ頑張ったんだ。私は、ちょっと手を貸しただけさ」
男は、少し照れたようにぶっきらぼうに答えた。
「将軍…照れてますね?」
「…うるさいぞ。メテ…」
「失礼しました」
苦笑している医師に、どうもこの男は弱いらしい。
「あの…お名前を…」
マスターが恐る恐る聞いた。
「リドーだ」
マスターの顔がパッと晴れ、マスターはリドーの手を握った。
「どうした?」
「娘が、コカさんから聞いたんです。囚われていたコカさんを助けたのは、顔に三本の傷を持ったリドー将軍だと」
そう。この男の顔には、傷が有った。
「急いで、奴らの居場所を探すんだ。もし、可能性の有る場所が有ったら、私に報せてくれ。いいな。勝手な行動は取るな」
リドーは動ける男達を連れて繋がったばかりの逃げ道を使い、エリザ達の村に来た。
「待っていろ、コカ!」
皆は、数人のグループを使い、近くの山や川、森を探し始めた。が、なかなか見付からない。
「何処だ…何処にいる…」
男達は焦り、リドーも緊張から顔が強張ったままだ。しかし、一日探し回っても見付からないまま、日が暮れてしまい皆は急いで逃げ道へ隠れた。
「リドー様…」
不安と焦りで、皆、落ち着かない。
「私が見張っているから、皆は寝てくれ。今日はご苦労だった」
意外な程にリドーの声は落ち着いている。男達は、少し驚いたがリドーの剣を握っている手を見て、何も言わなかった。
「…明日は、必ず見つけ出しましょう」
唯一言えた言葉だった。皆が見たリドーの手は、声とは別に震えていた。必死で自分達には悟られまいとしているリドーの不安が、そこに現れていたのだ。
「あぁ…ありがとう」
リドーは、それだけ言うとマスターの家の玄関から外を手下が通らないか見張った。
(…手下達は、俺達の存在に気付いていないのか…?)
今日1日、村に来れば手下達が徘徊しているだろうと思っていたのだが、一匹の姿すら見ない。静まりかえった村で三日月が辺りを照らし出す。リドーは、一人ジッと石像のように動かなかった。