第7話 【コカの大芝居】
コカは隠し階段を使って一度自分の部屋に戻ると、剣を持ってマスターの部屋へと向かった。
「マスター!」
マスターの部屋の扉を開けると、マスターは青い顔をし、床に座り込んでいた。
「…コカさん…」
「どうしたんですか。さぁ、急いでッ」
コカが立たせようと近くに寄る。マスターを見ると、冷や汗をボタボタと掻いている。彼の手は、胃の辺りをさすっている。
「痛いんですか?」
コカが、心配して尋ねるとマスターは顔を歪ませながら頷いた。
「音を聞いて飛び起きたんだが…腹が痛くて…動けなくて…」
コカは急いで、腹痛に効く薬草を取り出しマスターに飲ませた。他の家々では、悲鳴が聞こえている。
「さぁ、急いで」
太ったマスターを抱え、何とか隠し階段へと連れて行った。が、まだ痛みの引かないマスターは、階段で座り込んでしまった。
「私は、ここに隠れる。コカさん。あなたは、皆の所へ行ってください」
「いいえ」
コカがきっぱりと断ったので、マスターは苦しい顔を上げて、コカを見た。
「私はこの部屋に残ります」
「何を言って…?」
マスターは、困惑した顔を見せた。
「マスター。エリザさんも他のお客さんも地下室から逃げ道へと行きました。ここは、私が食い止めますから、静かにして、手下が居なくなったら、皆と合流してください」
「食い止める…って、それは、いかんよ」
今度はマスターが首を横に振り、コカの肩を掴んだ。
「いいえ、他の家では犠牲者が出ています。この家から、誰一人と見つからなかったら、隅々まで探し回って、最後には地下室を見つけ出されてしまうかもしれない。そうなったら、エリザさん達が見つかる可能性が高くなります」
肩に置かれたマスターの手をゆっくり外すと、今度はコカがマスターの両肩に手を置いた。
「それだけは、防がなくては。私が何とかして、あの手下達を外に出します」
マスターは、困ったように視線を下げた。
「皆を守る為です。絶対、声を出したり物音を立てないで下さい。」
「君は客人だ。この家の主は、私だ。私が…」
マスターの言葉を途中で、コカはゆっくり首を横に振った。
「皆をまとめる事が出来るのはマスターしかいません。それに、私、逃げ足は速いんです。ご心配なく」
最後に笑顔を見せるとマスターはそれ以上何も言わなくなった。コカは、マスターから離れマスターの部屋へと戻ると、マスターの隠れた隠し階段に続く壁の扉の前にタンスを移動させた。タンスを移動させた事が分からないように、もともとタンスが配置されていた場所の埃や、ズラした時に出来た線を足で消した。そして、数分後。バンッ!!と、大きな音を立てて、この部屋の扉が開けられた。扉の向こうに立っていたのは、恐ろしい醜い姿の手下達だった。
「やっと居たぜ。おい、お前、他のヤツはどこにいる?」
不気味に口角を上げ、笑みをこぼすとコカへと近づいてきた。
「…」
「おいッ答えろッ!」
何も答えようとしないコカを捕まえようと、手下は腕を伸ばしたが、その動きがピタリと止まった。
「それは、私に言っているのか?」
コカは、今までにした事もない程の冷たい目で手下を睨むと、持っていた剣を手下の顎に当てた。
「…ここは空き家だ。この騒ぎは、誰の指示だ…」
「あぁ?」
コカの落ち着いた口調に手下は眉をひそめた。
「まさか、ご主人様が?」
「どうゆう意味だ…?」
手下は少し躊躇した。コカは、その様子を確認すると不適に笑みをこぼした。
「ふっ、そんなことあるはずがない。頭の良いあのお方の事だ。私をこの村に送り込んでおいて、私の足手まといになるような君達を送り込むはずが無い」
コカの姿は、手下が怖さを感じるほど気味悪かった。
「お前…何を言っている…」
「何をしてるんだ!」
コカをどう対処すべきか手下が考えていると、部屋の入口から、ゾロゾロと別の手下達が入ってきた。
「お頭!」
お頭と呼ばれた手下は、最初に入ってきた手下に状況の説明を受けた。お頭は、じっくりとコカの姿を頭の先から足の先まで見ると、怪しむように訊ねてきた。
「貴様は、何者だ?」
「分からないのか?私は君達の仲間だ」
コカは、帽子を取り自分の耳を指さしてみせた。耳の尖った人間を見た事が無い手下達は、戸惑い焦り始めた。
「…すべて、無にしてくれたな」
低く冷たい声で、手下に対して怒っているコカの様子に、焦るばかり。手下が、このコカに恐怖を覚えたのだ。
「だ、旦那…あんたは何しにこんな小さな村に来て…」
「そんな事も分からんのか?」
手下の一人の質問に、コカは馬鹿にしたように鼻で笑ってみせた。
「君達より、より人間の姿に近い私が、人間達に近づきご主人様の奴隷にしようとしていたのだ。君達は、大事な動力を殺しすぎるからな。ご主人様を神のように洗脳させてしまえば、反抗する者も現れない。そんな大役を授かったのに、どうしてくれる」
「どう…って」
「言っておくが、罰が下るのは、私では無い。君達だ」
さすがにお頭を含め、手下達は、恐怖と不信感で顔が歪んだ。どうこの男に対処すべきか、頭が回らないようだ。
「ど…どうしたら良い…」
震える声で部下の手下は尋ねたが、お頭はコカに警戒の眼差しを注いでいた。
「簡単な事だ。とりあえず、村人達に、私が奴隷として捕まったように見せて、お前達のアジトへ連れて行け。そこで、お互いご主人様のお怒りを食らわず済む策を練るんだ」
「…その必要は無い…」
ずっと考えていたのだろう。お頭が、静かに答えた。
「貴様が言っている事は、嘘だ。それが、事実ならなぜ俺らにその情報が下りてこない」
お頭の言葉に、部下の手下達はざわついた。が、コカの表情はピクリとも動かなかった。それどころか、バカにしたように笑い出した。
「くっくっくっくっくっ、はっはっはっはっはっ!」
「なっ!!何がおかしい!!?」
お頭は、驚きの声を出しながら一歩退いた。
「情報が下りてこないだと?笑わせてくれるわ」
余裕に不敵に笑い出したコカに、お頭は自分の額に冷や汗が溢れ出てくる音を聞いた。
「何がおかしいっ!!?」
自分の不安を見破られまいと、お頭は必死に声を張り上げた。
「下りるはずが無かろう!極秘に動いているものを、お前らのような能無しに教えると思うか?」
「なんだと!?」
お頭の怒りは、頂点まで達していた。が、お頭もコカの命を取るという決断を付けられずにいた。本当に仲間じゃない確信が持てないのだ。目の前にいるコカは、不適に笑い、不気味なオーラを纏っているようだった。隠し階段の壁に耳を当て、部屋の様子を伺っていたマスターですら、コカの正体に疑問を持ちそうになったぐらいだ。お頭の心臓の音が早鐘を打ち、汗が頬を流れた、ちょうどその時。窓から見える村に一番近い大きな木に雷が落ちた。大きな雷鳴と地響き、雷によって木の幹が割れる音、燃える音が聞こえてきた。
「ほら、ご主人様がいい加減にしろとお怒りだ」
コカは冷めた目でそれを見つめている。
「…分かった。指示に従おう…」
外は、豪雨が降り始めていた。
「エリザ!」
「お義父さん!」
しばらくすると手下の気配が無くなり、雨音しかしなくなった。マスターの腹の痛みもいつの間にか治まっていた。隠し階段から地下室へ行き、皆と合流すると外へ出た。ケガをしている者の手当てを始める。村人達は、マスターのそばに集まっていた。
「お義父さん、コカはどこですか?」
養父の様子がおかしい。とエリザは思った。マスターは、口数少なく何かを必死で考えているようで、しかしその顔からは悲しみの色も見えた。
「お養父さん…?」
マスターは、小さく息を吐き出すと、エリザの顔を見た。
「…たぶん、手下達と一緒だ。」
エリザの顔が凍りつき、マスターの言葉に皆がざわついた。
「やっぱり、あの人は手下だったの?」
子供が不安げな声で大人に尋ねた。大人達は、答えられない。
「さっき、窓からこっそり見えたんだけど…」
「君も見たか」
一人の女性の言葉に、男性が反応した。
「えぇ、手下達と歩いていくコカさんを見たけど…耳が手下達と同じように尖っていたわ」
この言葉に、更に皆がざわついた。
「やっぱりあいつは、敵だったんだ」
「あいつが、手下達を招き入れたのか…」
「俺達は、騙されていたのか…」
一気に、コカに対しての皆の批判は酷くなった。あぁ…これが…コカが恐れていた過去の体験の一つなのだ…と、エリザは悲しく涙を流した。
「…」
マスターは、エリザに…皆に何と言えば良いのか分からなかった。自分自身も混乱していた。自分を隠し階段に隠してくれたコカが本当の姿なのか、声だけだったが恐ろしいコカの姿を想像できたのも事実。どちらが本当のコカなのか…。
「お義父さん…お義父さんも、コカが、手下だと?」
「…いや。わしは、コカさんは味方だと信じたい」
エリザの言葉に、マスターはそう答えると、皆に、隠し階段に隠れている間に聞いた、コカと手下のやり取りをすべて話して聞かせた。
「何を見せて手下達に自分を仲間と思わせたのか分からなかったが、耳が尖っているなら、納得がいく」
マスターは言葉を区切ると、エリザの方を向いた。
「エリザ、君はコカさんの耳が尖っているのを知っていたか?」
「えぇ…」
エリザはコクリと頷いた。
「じゃぁ、なぜコカさんの耳が尖っているのか、なぜそれを隠していたのか、それも知っているか?」
「…はい」
養父が何を言おうといているのか分かったのか、エリザはもう泣かず、きりっとした顔で答えた。
「説明します」
エリザは、すべて話した。初めてコカの耳を見せられた時のコカの様子、コカの種族の話、コカがこれまで受けた心無い人々の反応・暴力。話を聞いていた者の中には、耳を塞ぐ者、涙を流す者が数人いた。
「…皆、これで納得出来たかね?」
頷く者もいたが、まだ不信感を抱いている者も数人いた。
「もし、彼が手下の仲間なら、逃げ道を作らせただろうか…」
このマスターの問いに、不信感は消えた。確かに、手下なら、そんな物を作らせる必要は無い。実際、それに逃げ込み助かった者達も大勢いる。もし、仮にコカが手下の仲間なら、そこにいる事をきっと知らせただろう…。
「じゃぁ…あの人は…」
村人達の顔には、不安の色が浮かんでいた。マスターも、その不安を拭えない。
「死ぬ気かもしれん…」
「そんな!」
マスターの言葉に、エリザが動揺した。
「もちろん…そんな事、絶対させん!助け出してみせる!」
エリザを落ち着かせようとマスターは彼女の体を支え、その言葉に皆が頷いた。
「でも、どうしたら良いんだ?」
「俺達だけでは、コカさんの行動を無にしかねない…」
皆、考え込んでしまった。
「…手下を倒して、コカさんを助け出す事が出来る人なんて、この村には…」
村人がそう嘆いた時、マスターはハッとした。
「それだ!」
マスターが大きな声を出したので、皆が心臓をバクバクさせながら驚いた。
「エリザ、コカさんの故郷がどこか聞いているか?」
「ここから、北に1ヶ月馬を走らせた所ってぐらい…」
興奮気味にマスターはエリザに確認したが、すぐに肩を落とした。
「1ヶ月…時間が掛かりすぎる…」
落胆する皆を見ながら、エリザは何かを思い出した。
「あ、でも、逃げ道の先の村はその国ともうすぐ貿易を始めるって、コカが言ってたわ。村に行けば、何か分かるかも」
その言葉にマスターは落ち着きを取り戻した。
「それでも、馬で2週間は掛かるぞ…」
「いや、今はそれしかない」
村人の言葉も事実だが、一縷の望みにかける事にした。
「とにかく急ごう。大勢で向かえば、手下に見付かり易くなる。誰か2人行ってくれないか?」
私が行きます。と若い男性が二人、マスターの前に出た。
「私の馬を使え。足も速いし、体力も有る。残った者達は私と一緒に、村に繋がる逃げ道を掘って、そちらに向かう。君たちは何としてもなるべく早くこの状況を伝えるんだ」
「「はいっ!!」」
若者2人は、馬を2頭出してくると、パンと水でいっぱいになったリュックを受け取り、すぐに駆け出した。
「さぁ、皆!!少々、狭いし、きついが地上に居るより安全だ。食料だけ持って、すぐに逃げ道へ動くぞ!」
皆は、迅速に動いた。
(皆をまとめる事が出来るのはマスターしかいません)
荷物をまとめながら、マスターはふっとコカの言葉を思い出した。
「…エリザ…」
「はい?」
果物とパンとチーズと水をリュックに入れていたエリザは、声を掛けられ振り向いた。
「何でしょう?」
エリザの顔には、不安の色が無い。それを確認すると少し安心した。
「…地下は冷えるから、タオルを持って行きなさい」
「はい。ありがとうございます」
マスターから、タオルを受け取ると、エリザは、にっこり笑った。
「…大丈夫か?」
「えぇ…私もこの子と元気にしてなきゃ。戻ってくるって約束してくれたから…」
「そうか…」
マスターは、孫がいるお腹を撫でて、頑張ろうと答えた。
(エリザが、知っているはず…無いな…)