第6話 【揺れる心】
おかげで、コカは、暖かい布団で寝る事が出来た。地下の酒場を経営しているこの建物は、もともと旅人用の小さな宿を経営していた為、5つの客室が有った。そのうちの1つをエリザが使い、1つをコカが借り、残りの3室と酒場の床やソファに昨夜の客達がごろ寝をしていた。
「昨夜はよく眠れた?」
目が覚めると、エリザが朝食を持ってコカの部屋へと現れた。
「ありがとう。でも、私もみなさんと同じように食堂で頂きますのに…」
「ううん。ごめんね。昨日はみんな酔っていたから、今朝どんな反応するのか、私が怖くて持ってきたの」
一緒に食べようと、2人でベットに座りながら食べ始めた。エリザが持ってきたのは、ハムエッグとチーズを乗せたトースト2枚とコーヒー1つと牛乳1つ。三階にある南向きのこの部屋の窓からは、朝日と下の道を多くの人達が行き交うのが見える。
「昨夜は、村人が消えたと思ったのに」
トーストを頬張りながら、人の多さにコカは驚いた。人だけではない。どこに隠していたのか、馬や牛が荷車を曳いているのだ。
「夜は、各家に地下を作ってそこで暮らしているの。馬たちも専用の地下室が有るのよ」
「地下室ですか…手下から隠れるため?」
エリザは、黙って頷いた。
「確かに、昨夜の様子だと私のように騙されますね。この村は昔から手下が現れるのですが?」
「いいえ。いつだったかしら。突然姿を1度消したのよ。でも、最近になってまた現れるようになって…みんな、怯えているわ」
エリザは牛乳を飲みながら、不安気に答えた。
「…あなたは、なぜ外に出たんです?」
「…」
エリザは悲しそうな顔をして黙ってしまった。
「ごめんなさい。私は、助けて頂いて感謝しているんです。ただ…そんな大事な体で…」
エリザは、キョトンとした。
「身籠った体で、もし私が手下だったら、どうするおつもりだったんですか?」
「…もしかして…心配してくれているの?」
今度は、コカが黙ってしまい、エリザはクスクス笑い出した。
「何かおかしいですか?」
「いいえ…ありがとう」
エリザは優しい顔で、自分のお腹を撫で始めた。
「マスターはね…私のお父さんじゃないの。」
「?」
「でも、この子のおじいちゃん。夫のお父さんなの」
エリザは愛おしそうに、そして、悲しそうな笑顔で話し始めた。
「夫は私を愛してくれた。両親の居ない私をマスターも可愛がってくれて、子供が出来た事が分かった時は抱きしめて祝福してくれた。」
エリザは懐かしい人を思い出すように、目を閉じ首を傾けた。
「でも…突然、夫が姿を消したの。友達と釣りに行くって言って…一緒に行った友達も帰ってこなかった」
俯きながら、悲しい過去を思い出す。
「探して探して、見つかったのは釣り道具とあの人の帽子と大量の血だけだった。熊に襲われたのか、手下に殺されたのか…今も分からないまま…」
エリザは黙り、残っていた牛乳を飲んだ。
「それは、いつの話なんですか?」
「半年前よ。私は、まだ生きているって信じたいんだけど…お父さんは諦めているみたい」
コカは、マスターの優しい…少し寂しげな笑顔を思い出した。
「だから、昨日外に出たんですね?」
「…背格好がよく似ていたから」
ふふっと、エリザは笑うとコカを見つめた。
「目も似てる。とても優しい目をした人だったわ…」
コカが目を逸らすと、また笑った。
「そんな所まで真似しないでよ」
エリザの夫を知らないコカに真似など出来ない。コカは、何とも言えない切なさで自分の胸が締め付けられるのを覚えた。それが、いったい何なのか分からぬまま、食事を終わらせ、他の客達も居なくなったのを確認するとコカとエリザは外へ出る事となった。
「ねぇ、コカ。そのターバンは、この村では目立つわ。取る事出来ない?」
「え?」
正直、戸惑った。
「もしかして…角が有るの?」
「有りません」
「じゃぁ…ハゲてるとか?」
「違います」
どうしよう…こんなに困惑した事無かったのに…。エリザの顔を見れない。コカは、考え込んでしまった。
「どうしたの?」
「…」
コカは、しばらく黙ってしまった。そして、黙ったままエリザに短刀を持たせた。
「何?これ…」
「良いから、持ってください。で、それを私に向けて」
コカの声は少し震えているようだ。
「は?」
「良いから、言う通りにして!」
珍しくコカが声を荒げた。コカは、酷く緊張していたのだ。
「ど…どうしたの?」
「ごめんなさい。怒鳴ったりして…そこに居てください」
コカは、エリザを窓側に立たせ、自分は部屋の出入り口であるドア側へ行き、ドアを背に座り込んだ。これなら、他の人に見られる事は無いだろう。エリザ以外の人には…。
「お願いです。これから、ターバンを取りますが…驚かないでください」
「え?」
コカの真面目な目は、エリザの目を捉えた。
「騒がないでください。約束して頂けますか?」
「…分かったわ」
エリザは何が起こるのか少し怖い気もしたが、コカを信じた。コカはゆっくりと解き始めた。シュルシュルと音がする中、少しずつ少しずつコカが隠していた物が見えてくる。エリザは、じっと息を止めコカを見つめていた。
「これが…私の隠したかった物です」
怖かった…自分の耳を見て、彼女はどんな顔をしているのだろう。怯えた顔か。それとも、怒りの顔か。それとも…。考えるだけで、めまいがした。目を瞑ると、過去に訪れた町や村で、無理矢理ターバンをむしり取られ、手下と同じ耳だと卑下され、石を投げられ、殴られ蹴られ、「父を返せ」と子供に足を刺された記憶がよみがえってきた。完治していても思い出すだけで、足に痛みが走る。頭がクラクラする。緊張しすぎて気持ちが悪い…。彼女は、どう感じて、どう見ているのだろうか…。気分が悪くなるのをグッと目を瞑って耐えていた。不意に、何かが髪を触った。不思議に思い目を開けると、エリザは短刀を捨てて、すぐ横に来ていた。そして、優しくコカの頭を抱きしめ撫で始めた。
「…」
何が何だか分からない。
「大丈夫…大丈夫よ…怖がらないで…」
優しい彼女の声が頭に降りかかる。コカは、頬に冷たいものが流れているのに気が付いた。
「なんで見せたりしたの…」
「信じてほしくて…」
彼女の腕に力が入る。
「ごめんなさい。怖い思いさせて…」
コカは、自分が言おうとした言葉をエリザが言ったので驚いた。顔を見なくても分かる。彼女は泣いている。自分の痛みを分かってくれる人と出会えた事を嬉しく思い、2人でしばらく泣いた。
エリザは、コカに夫の形見である帽子を貸してくれた。それは、調度良く耳を隠してくれる形になっており、それを被ると、二人は出掛けた。コカは何日もこの村に留まった。村に留まり、手下からこの村の人々を守る方法を考えた。そして、村の店を覗いてみたり、村人の話を聞いてみたり。たまに、村人の畑を手伝ったり、食器の作り方を教わった。釣りに連れて行ってもらったりもした。
「これで魚を釣るんですか?」
「なんだ、コカさんは釣りを知らんのか?」
この村に来て1か月が過ぎる頃。河釣りに誘ってくれた村の男性は、初めてこの村に来た時、警戒していた酒場の客だ。コカは今まで、海沿いしか訪れておらず、網漁や素潜り漁しか知らなかった。初めて見る釣り竿に興味津々で、竿の作り方、針の作り方、糸の素材、釣り方など細かく教えてもらった。
「これ、お前が釣ったんだって?」
初日にコカを警戒していた他の客達も、帽子を被ったままでもコカを受け入れてくれていた。地下の酒場に皆で集まり、コカが釣ってきた魚で食事し、酒を飲み、楽しい話に花を咲かせた。すべて、エリザがいてくれたおかげだ。
「釣りをやり始めたばかりで、これだけ釣れりゃぁ立派なもんだ。」
マスターも褒めてくれた。
「ところでコカさんよ。皆で進めているあの“道”の事だけど…」
コカは、この村の家々に、地下室だけでは不十分だと伝えていた。この村の地下室には、他に逃げ道が無い。もし、この地下室に手下が辿り着いたら、終わりなのだ。今まで、そのような事が無かっただけで、今後の事を考えるべきだと。みんな、始めは嫌々では有ったが、それぞれの家で地下室から他の地下室に繋がる地下道作りをしていた。また各家から地下道を伸ばし、合流地点を作り、別の村に繋がる一本道を計画していた。だが、まだ所々で合流できる程度で、他の村に繋がる道の完成までには時間が必要とされた。
「完成するまで、私も手伝います。それに、繋がったら私からその村に挨拶に行きます」
コカは、繋がる予定の村の村長に手紙を送り、了解を得ていた。
「コカさんが来てくれて、何だか毎日楽しいよ。エリザ、君もそうだろう?」
マスターは本当に楽しそうに言った。
「えぇ、とても」
「コカさんが現れてから、本当に幸せそうだもんな」
客達も、エリザが変わったと口々に言った。コカは少し照れ臭くなった。
「良し!結婚しちゃえ!」
一瞬、皆言葉が止まった。
「…お義父さん…もしかして、飲んでます?」
マスターは酔っていた。酒に弱いマスターは、水と間違えて酒の入ったグラスを飲み干していた。コカともう一人の客でマスターを抱えて、ベッドに運び、戻ってくると他の客達もウトウトと眠り始めていた。
「あらら…皆さんお疲れのようですね」
戻ってきたコカには笑顔を向け、エリザは皆に毛布を掛けてまわった。
「ここは、私が見ていますから、エリザさんは寝てください」
「いいえ、居るわ」
コカが椅子に座ると、隣の椅子にエリザが座った。
「ダメです。子供の為にしっかり休んでください」
「…はい…」
エリザは、おとなしく自室へ行こうとした。が、足が止まった。
「どうなさいました?」
「…ここで寝ちゃダメ?」
振り替えたエリザの所へ、コカは歩み寄った。
「何を小さな子のように…」
「だって…寂しいんだもん…」
今にも泣きそうに、コカの服を掴んで言った。
「…じゃぁ…寝るまでそばに居ましょうか?」
エリザは、少し驚いた。
「だから、ちゃんと寝てください」
優しい笑顔にコクリと頷くと、エリザが転んで落ちないように後からコカが階段を上っていった。部屋に入り、言われたとおり素直にベッドに入った。コカは、ベッドに腰掛け、伸びてきたエリザの手を黙って握る。1か月この村に留まっているが、とても手下に怯えているとは思えない程、何とも優しく愛しく、静かな時間だった。
「ねぇ…」
「?」
「耳…触らせて…」
コカが体を傾けると、エリザはコカの耳に手を伸ばした。
「ふふ…柔らかい…」
「私は、少しくすぐったいです」
クスクス笑っていると、突然、ガンッガンッガラッガーンッと金属の物が複数落ちてぶつかった音がした。びっくりして、コカが窓のカーテンの隙間から外を覗いてみた。
「な、何が起きたの?」
驚き怯えるエリザに、青い顔をしてコカが答えた。
「見張り台が壊された…」
【見張り台】は、コカが作った手下達への罠だった。高々と作り上げた、見張り台には、人影に見えるよう案山子を立たせ、複数の鉄製のバケツと使わなくなった鉄鍋を乗せて置いた。そして、すべてのセットが終わると、他の者が登ろうとすれば、すぐに崩れるよう数箇所に斧で傷を入れておいたのだ。それが壊れたと言う事は、手下が案山子を人間と間違え殺そうと見張り台に登ったのだろう。あの金属音は、言わば警報のような物だった。この家は、各部屋に隠し階段が壁に隠されている。コカは急いでエリザを隠し階段から、客達の居る地下室へと連れてきた。
「みなさん、地下道へ!」
エリザと客達を、未完成の地下道へと誘導した。
「マスターは?」
一人の客の問い掛けに、ハッとした。まだ、部屋から出てきていない。
「私が見てきます。みなさん、エリザさんをお願いします。あと3分経っても降りてこなかったら、入り口を閉めてください」
「いやっ、行っちゃいや!」
背を向けかけたコカの腕をエリザが掴んだ。
「エリザ…さん?」
「いや…お願い…自分が何を言ってるか、分かってるわ…非常識だとも思う…でも…でも…あなたまで失いたくないの…お願い…一人にしないで…お願い…」
エリザは、震えながら泣いて頼んだ。
「エリザさん…エリザ…私を見て。私を見るんです」
コカは優しく、エリザの顔を両手で包むと目を合わせた。
「約束します。絶対戻ります。お義父さんを必ず守ります。だから、私を信じて。ね?」
「…本当に?絶対、絶対?」
エリザの目からは、涙が滝のように溢れて流れた。
「はい。絶対。約束は守ります。だから、エリザさんは、お腹の赤ちゃんの事を第一に考えて。ね?君にしか守れない命なんですから。ね?」
「絶対よ。絶対戻って…。」
「はい」
そうコカが笑顔で答えると、エリザは自分の唇をコカの唇に重ねた。コカが驚いたのは、もちろんの事、周りに居た人達も驚いた。エリザが離れると、コカは少し笑顔を向け、すぐに顔を背けた。
「では、みなさん。言ったとおりに」
コカは、振り向きもせず、隠し階段でマスターの部屋へと向かった。