第5話 【神隠し村】
コカはリドーにいくつかの防衛術を学ぶと、すぐに荷造りを始めた。
「で?何から調べるつもりなんだ?」
「まずは海沿いに進んで行こうと思います。この国の周りがどんな地形なのかも分かっていませんし、どんな人達が住んでいて、どんな生活をしているのかも分かっていませんから、まずはそこから調べていこうと思います。」
「期限は守れよ。」
「はい」
コカは、期限をきっちりと守った。3ヶ月毎に戻っては部屋に篭り、土地や文化、武器、建物の構造など、調べた事を明確に書物に書き記した。この資料で、エドルフ達は国を守る方法を考える事が出来た。また、コカの外交で、様々な物が国に入るようになった。物物交換や、物を作る為の技法。服や装飾品。コカのおかげで、民の暮らしは豊かになったと言っても良いだろう。そして物だけでなく、知識も残した。コカは、たまにメテの手伝いで途中で帰ってきたりして、旅に出られなくなると、他の民達の為に文字の勉強の教材や簡単な計算が学べる教材、子供達の為に絵本を書いたりした。アローレンは、それらを使って、民に文字や計算を教えてやり、子供達に読み聞かせをしてあげた。コカが、生涯で作成した書物の数は、二万冊とも三万冊とも言われている。すべて手書きである。しかし、この頃は、まだコカは【自分が書いた】とは一切公表しなかった。公表すれば、きっと誰も読まなかったし、アローレンの授業も受けようとはしなかっただろう。公表されたのは、コカが亡くなった後の事。それほどまでに、多くの民はコカの耳を嫌っていたのだ。
「よし。出来た。」
城の一室では、最初の旅から1年が過ぎた頃、コカは訳有って国に留まっていた。そして、ちょうど三十冊目の絵本が出来た所に、メテが飛び込んできた。
「コカ!コカ!」
「産まれたんですか!?」
メテに第1子が産まれた。メテによく似た目の細い可愛い男の子だ。
「良いな…なんて可愛らしい…」
エドルフは、クレ国の医者の使っていた部屋をメテに診療所として与えていた。
「抱いてみたら?」
「な!何言ってるんです!そんな恐ろしいこと出来ませんよ」
メテの提案に恐れてコカはぶんぶん首を横に振って断った。
「ふふ。大丈夫よ、コカさん。椅子に座って抱けば、怖くないわ。」
メテの妻は、夫と同じようにコカに優しくしてくれた。大人しい静かな優しい女性だ。
「ほらほら落とさないでよ。なんだか不安ね。」
からかうように現れたのはアローレン。
「本当に可愛いわね…」
アローレンは、コカに抱かれた赤ん坊の頬を優しく撫でた。
「おめでとう、メテ」
「ありがとうございます」
続いて現れたエドルフにメテは深々と頭をさげた。
「名前は決めたの?」
「はい。テックスにしようと」
メテ夫婦は、嬉しそうに答えた。
「あぁ…私も早く赤ちゃん欲しい…」
アローレンが、少し寂しそうに呟いた。結婚して何年か過ぎるのに、まだエドルフとアローレンには子供が居なかった。二度妊娠したが、過酷な日々のせいなのか、残念な事に流れてしまったのだ。だが、この二人の落ち込んでいる姿を見た事がない。落ち込む時間など無いほど、二人は忙しい日々を過ごしていた。
「さ、安心出来たし、私は明日の朝、旅に出ます。」
「もう?」
「はい。血がウズウズしてるので。」
赤ん坊を母親に戻すと、コカは部屋を出た。翌朝、まだ民の多くが眠りにつく中、コカは静かに旅立った。
メテの子が生まれてから、1ヵ月が過ぎた。コカは、あの朝から、クレ国の商人のように頭にターバンを巻き、そのターバンで耳まで隠した姿で馬を進めた。ずっと続いている暗い森の中、立ち寄った町で聞いた嫌な噂を思い出していた。
「あの村にはもう行けねぇ」
「魔王の手下が待ち構えている」
今から向かおうとしている村は、周りに森と山に囲まれた場所で、変わった果物や、美味しい野菜、薄くて丈夫な食器が有名で、他の村や町に行くには2週間はかかる所だった。それでも、人々はこの村の良さを知り、コカも、前々からこの村に興味をもっていたのだが…。
「主が居なくなって数年経つのに、手下はまだ居たんですね…」
耳が尖っている事で、化け物に間違われ石を投げられる事など頻繁に経験しているコカは、常に自分の耳が出ていないか確認しながら、馬を進めて行った。
目的の村に着いたのは、それから1週間後の夜だった。コカは目を疑った。例え小さな村でも、手下が出たとは言え、最近まで多くの人々に愛された土地だ。宿屋が有ってもおかしくないのに、宿屋の看板すら無い。それどころか、もっと昔に忘れ去られた土地のような…。人も動物も居ないのだ。
「困りましたね…」
馬から降り、歩きまわったがやはり人の気配がしない。仕方の無くなったコカは、馬の居なくなった馬小屋へと自分の馬を連れて行き、人探しは明日にしてコカはそこでうたた寝を始めた。どれぐらいの時が経ったのだろうか…。闇に紛れて何者かがコカへと近づいた。
「何者!!」
コカは寝たふりをして十分に引き付けてから、その者を捕まえた。
「離して!」
「え…女の人…?」
顔は見えないが、声は女性だ。
「離してってば!!」
勢いよく捕まえてしまったので、押し倒すような形になっていた。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて離れたコカは、驚きすぎて頭が真っ白になっている。月に照らしだされた女は若く美しかった。が、気の強そうな意思の強そうな目をして、コカをじっと見ていた。
「本当にごめんなさい。女性だとは思わなくって。」
「あら、私が男に見えるの?」
「そうじゃなくて…」
困っておどおどするコカを見て、女は笑顔を向けた。
「ふふっ冗談です。ごめんなさい。」
その笑顔は実に優しかった。
「あの、大丈夫でしたか?」
「えぇ、平気」
「…お腹の子も?」
女は妊婦だった。大きくなったお腹を優しく擦っていた。
「大丈夫よ。丈夫だもの。」
女の笑顔に、コカは安堵した。
「私もごめんなさい。手下だと思ったの。」
「え…」
コカは、自分の耳を見られたのかと耳を触って確認した。ターバンでちゃんと隠されている。
「でも、違ったから安心したわ。こっち来て。」
コカは、馬小屋の隣にある家の中へと招き入れられた。中は、明りが無く暗闇となっており、コカは一瞬、女の居場所が分からなくなった。きょろきょろしていると、女はコカの手を取り、静かな声でついてくるよう言った。
「下りの階段だから気をつけて」
女は地下へと続く階段をコカの手を引きながら下っていった。地下の階にたどりつくと、扉の隙間から、わずかだが明りが漏れている。そして、10人程の男達が騒がず静かに酒を楽しんでいる姿が見えた。
「エリザ、その方は?」
「お客様よ。馬小屋で寝ていたからお連れしたの。」
カウンターの中に立っている太った初老の男性が、女とコカに気付き声を掛けた。女の言葉を聞いていた他の客達は、警戒の眼差しを一気にコカに浴びせた。
「大丈夫よ。みんな。悪い人じゃないわ。」
「おいおい、お嬢ちゃん。どうしてそう言えるんだ?」
一人の男性が、ビールを片手に座ったままコカを睨みつけて言った。
「どうしてって…」
「怪しい者だ。そのターバンも怪しい。角が生えていたりするんじゃないのか?」
皆の目が、警戒の色で濃くなっていく。女は、コカに連れてきた事を申し訳なく思いながら、どう対処しようか悩んでいた。
「怪しい…」
「怪しい…」
コカは半ばうんざりしていた。毎回、初めての場所に行った時、警戒の解けない地域では同じ質問をされる。この土地が初めてではない。こんな光景何度も目にしているのだ。しかし、ターバンを取ると言う事は、同時に命を危険にさらす事を意味していたのだが。
「…すみません。お嬢さん。これ預かって頂けますか?」
コカは、深いため息をつき覚悟すると、脇に差していた短刀や長靴の中やマントの内側に隠し持っていた武器を女に渡した。
「ますます怪しい。そんなに武器を持つ必要がどこに有る?」
「世の中に危険なのは、手下だけではありません。山賊もいますし、信用した人に裏切られ命の危険を感じた事もあります」
コカは、人々の警戒の目に怯む事無く堂々と答えた。
「…さぁ、コレが私が持っている武器の全部です」
コカは、女に武器を渡すと、自ら女から離れた。そして、離れた場所でターバンを解こうとした…。
「もう、よさないか」
ターバンを解こうとしていたコカの手を押さえて止めたのは、この部屋に入ってすぐに女を「エリザ」と呼んだ太った男だった。まだ耳まで外されていなかったが、男は、優しくコカにターバンを直すよう促がした。
「マスター…なぜ止めるんだ」
客の一人が不満を漏らした。
「これだけの武器を持って、警戒しながら旅している人が、ここでは全てを娘に渡した。これだけで、この人が危険人物でない事が分かるじゃないか」
マスターと呼ばれた男は、落ち着いた優しい声で答えた。
「もし手下だったら…」
「角が生えていたら、手下?生えていない手下だっていますよ」
「お嬢ちゃんまで、何を言い出すんだ…」
まだ、不安を隠せない客達は、おどおどし始めた。
「おじさん、この人の事は私が責任持って守るわ。おじさんはもちろん、他のみんなにも迷惑かけないから。ね。お願い」
女は、客人の足元に膝まづいて許しを願った。
「…はぁ…」
「あはは、お前の負けだな」
「お嬢ちゃんには、勝てないさ」
諦め溜息を吐いた客を見て、他の客達が笑いだした。コカは、助かったのだ。
「ありがとうございます」
コカは2人に頭を下げた。
「なに…気にする事ないさ。娘の目を信じただけさ」
「本当にありがとうございます」
「ふふ。私はエリザ。よろしくね」
今この場には、コカを疑う者は一人としていなかった。