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第7話 初陣



 目が覚めた。

 

 視界いっぱいに広がる、無機質な天井。

 枕元の時計を見ると、どうやら爆睡していた。


 世界の命運がかかっている状況でも案外ぐっすり寝れるもんなんだな、と自嘲気味に笑う。

 

 重い体を起こすと、サイドテーブルに置かれたケースが目に入った。

 中には紫色のカプセルが三錠。

 うん、どう見ても人間の口に入れる色じゃない。劇薬そのものだ。

 

 コンコン、と控えめなノックの音。


「零士さーん、起きてますかー?」


 紬だ。ドアを開けると、お盆を持った彼女が立っていた。湯気を立てる味噌汁に、綺麗に握られたおにぎり、そして厚焼き卵。


「ガルドさんが作ってくれました! 出発前に、ちゃんと胃に入れておけって」


「……あの筋肉ダルマ、朝飯まで作んのかよ。ツンデレの才能がガチすぎるだろ」


 悪態をつきつつも、素直におにぎりを頬張る。

 ――ッ! うまい。なんだこれ、米の炊き加減が完璧だぞ。


 最初の出会い方があまりにも最悪だったから完全に警戒していたが、なぜこんなにオカン力が高いんだ。あの丸太のような腕でこれを優しく握ったのかと思うと、胸の奥がざわついて仕方がない。

 

 悔しいが、素直に認めよう。俺は今、本気でこいつに結婚してほしいと思っている。


「あと二時間で、出発です」


「ああ。分かってる」


「零士さん」


 紬が、ふと顔を上げた。


「……おにぎり、美味しいですか?」


「ああ。五臓六腑に染み渡るくらいうまいよ」


「……よかった」


 ふわりと笑って、彼女は踵を返した。

 その背中が、ほんの少しだけ震えていたのを見逃すほど、俺の目は節穴じゃない。何か言いたそうだった。だが、聞かなかった。

 これから地獄に向かうって時に、しんみりするのは俺の趣味じゃない。


 ◇◆◇


 ――二時間後。俺たちはゲートの前に立っていた。

 空間がぐにゃりと歪み、ポッカリと黒い大穴が口を開けている。向こう側は一切見えない。

 

 アドホックによれば、紬の座標指定とマリアの結界を力技で繋ぎ合わせた『特異点への直通ルート』らしい。相変わらず意味不明なデタラメっぷりだ。


 ……もう、君たちだけで行ってきてもよくない?


 ガルドがゴキキッと首を鳴らす。小春は苛立ちを隠すように、飴をガリガリと噛み砕いている。紬は一人、祈るように目を閉じて空間の波を探っていた。


 後方には、無数のモニターを並べたノクスと、インカムに手を当てるルイス。


「現地では僕が通信で情報支援をする。……ただし、特異点内はノイズの海だ。途切れる前提で動いてくれ」


 ルイスが言った。いつもの笑顔だが、目が完全に据わっている。


「ノクスからの観測データもリアルタイムで流す。受信できれば、だがな」


「できなかったら?」


「君たちの目と勘だけが頼りだ」


 最高に心強いサポートじゃねえか、チクショウめ。

 アドホックが静かに前に出た。


「みんな、無事に帰ってきてくれ。これは命令じゃない。……お願いだ」


 穏やかな声。いつもの、掴みどころのない笑顔。

 だが、その目の奥には、明確な「恐怖」と「祈り」が渦巻いていた。この人が、こんな人間臭い顔をするのを初めて見た。


「おう、行くぞ」


 ガルドの低く重い一言を合図に、俺たちは底なしの闇へと踏み込んだ。


 ◇◆◇


 ――特異点。


 突入して最初に来たのは、内臓を雑巾絞りされるような猛烈な吐き気だった。

 視界がぐるぐると反転し、上下の感覚が完全にバグる。まるで脳みそを直接シェイクされているみたいだ。


「う、ぐ……ッ」


「最初は三半規管が狂いますけど、すぐ慣れますよ!」


 横から明るい声が聞こえた。

 慣れるか、こんなもん!

 というか、最近こんな理不尽な目ばかりに遭ってる気がするんだけど気のせいだよな!? 気のせいだと言ってくれ!


 胃液を飲み込みながら目を開け、俺は息を呑んだ。

 空が、赤黒く膿んでいる。

 事前映像で見た通りだ。だが、モニター越しと実物では、絶望の「質量」が桁違いだった。


 肉の焦げたような悍ましい匂い。肌にねっとりとまとわりつく重圧。

 足元には崩れかけた高速道路。ビル群はロウソクのように溶けて捻じ曲がり、アスファルトを突き破って、巨大な水晶のような鉱物が牙を剥いている。


「……マジかよ。地獄のテーマパークじゃねえか」


「元々『横浜』だった場所だ」


 ガルドが短く吐き捨てた。今朝、おにぎりを作っていた男の面影はない。その目は、完全に獲物を屠る歴戦の戦士のそれに変わっていた。


「足元に気をつけろ。ここら辺からはどうにも、嫌な感じがしやがるぜ」


 俺は即座に『アナライズ』を起動した。左目に、青白いインターフェースが焼き付くように展開される。


 【空間安定度:危険域】

 【警告:前方7mに空間断裂】


「ストップ! 前方七メートル、空間が裂けてる。目には見えないが、確実に何か『ある』」


「……ほんとですね。ここ、空間が『痛い』って泣いてます」


 紬が目を閉じ、不可視の裂け目に向かってそっと手をかざした。

 感知方法がオカルトすぎてツッコミ待ちかと疑うレベルだが、背に腹は代えられない。


「迂回。右に三メートルずれれば抜けられる」


「……助かったな。小僧、お前が先導しろ」


 ガルドが顎で前を示し、あっさりと先頭を譲る。

 レベル1の最弱野郎に、バケモノ揃いのパーティの命運を丸投げである。冷静に考えたら胃に穴が開きそうな狂気の沙汰だが、今は俺のこの目だけが生命線だ。


 一歩間違えれば即死の綱渡りが続く。十分。二十分。

 

 俺のアナライズで安全なルートを導き出し、紬のオカルト感知で裏付けを取り、ガルドが淀みなく進軍を指示し、小春が油断なく周囲を睨みつける。

 

 お互いの能力を完全に信用しきった、無駄のない連携だ。誰も足手まといになっていない。


 だが、焦りが背筋を這い上がってくる。

 素のアナライズの解像度じゃ、断裂の奥行きや、時間変動のパターンまでは拾いきれない。文字通りの綱渡りだ。


『――こちらルイス! 前方二百メートル地点に生体反応を複数確認した!猛スピードでそっちに接近してる!』


 ノイズ混じりの悲鳴に近い通信。


「来るぞ!!」


 ガルドが腰を落とし、拳を構えた瞬間。

 濃密な赤黒い霧を引き裂いて、「それ」は現れた。

 溶けたコンクリート、ひしゃげた車のドア、折れた標識。そんな都市の残骸が、無理やり人型に寄せ集められたような醜悪なゴーレム。ガルドの三倍はある巨体。


 何よりおぞましいのは、その表面だ。

 何十もの「人間の顔」が、苦痛に歪んだまま装甲に貼りつき、声にならない悲鳴を上げて口をパクパクと開閉させている。


「っ……!」


「ッチ、趣味が悪いにも程があるわね……!」


 小春が嫌悪に顔を歪め、舌打ちをした。

 一体じゃない。霧の奥から、地響きを立てて二体、三体と巨人が姿を現す。


 やるしかない。

 俺はポケットに手を突っ込み、あの紫のカプセルを取り出した。


 今だ。一錠目。

 奥歯で一気に噛み砕く。強烈な苦味が舌を刺す。


 ――三秒後。

 脳の奥底で、爆竹が弾けたような衝撃が走った。


 「ぬおおおぉぉぉッ!?」


 世界が、コマ送りのように遅くなる。

 視界の解像度が爆発的に跳ね上がり、ただのガラクタの寄せ集めだった怪物たちの「設計図」が、左目に透けて見えた。


 全能感とも呼べる感覚。脳内麻薬がドバドバと溢れ出し、恐怖が塗り潰されていく。

 見える。全部、手に取るように分かるぞ!


「ガルド、左のデカブツの核は胸の右寄りだ! 小春、真ん中のヤツは腹のど真ん中! 右のやつは紬に任せる!足を止めろ!」


「おうッ!!」


 ガルドが地面に極太の腕を叩きつけた。分厚い掌から放たれた種が弾け、凄まじい突風が巻き起こる。

 二発目、三発目と立て続けに種が撒かれる。地面を突き破って大樹の芽が吹き出すたびに、風が共鳴し、暴力的なまでに加速していく。


【能力:暴風種テンペスト・シード

【効果:種が成長するたびに、風の威力が上昇する】


 事前にアドホックから概要は聞いていたが、今のアナライズを通せば、その凶悪なシナジーが手に取るようにわかる。

 

 ゲームのバフ効果が時間経過でスタックしていくように、ただの風が瞬く間に分厚い「暴風の壁」へと変貌を遂げた。

 

 直後、左の怪物が咆哮を上げて突っ込んでくる。

 ガルドの作り出した暴風の城壁が、そいつを真正面から迎え撃った。


 瓦礫の装甲が濡れ紙のようにベリベリと剥がれ落ち、むき出しになった赤い核を、風の刃がミキサーのように切り刻んだ。


「っしゃオラ! まずは一体!!」


「小春!!」


「言われなくても、分かってるわよッ!!」


 小春が両手を前に突き出すと、彼女の周囲からジリッと空間を歪めるほどの陽炎が立ち上った。

 

 直後、真ん中の怪物に向けて致死の熱波が殺到する。分厚い装甲が赤熱し、白熱し、飴細工のようにドロドロと溶け落ちていく。出し惜しみなど一切ない、初手から最大火力だ。

 

 怪物の腹部、完全に露出した核に向けて、小春が無慈悲に指先を突きつけた。

 核を中心に空気が急膨張し、内側から蒸発した。

 二体撃破!!


「紬、右のヤツの足元の座標、固定できるか!」


「やります! 逃がさない……ッ!」


 紬が両手を天に掲げた。空間が軋む音と共に、右の怪物の両足が見えない鎖に縫い止められる。

 もがき苦しむ怪物の胸に、ガルドの暴風と小春の熱線が同時に叩き込まれた。

 三体、完殺。


「……ッあ」


 薬の副作用が襲い来る。こめかみをアイスピックで刺されたような激痛。鼻の下を拭うと、べっとりと赤い血がついていた。


 だが、笑いが込み上げてくる。

 やれた。レベル1の俺の指示で、このバケモノパーティの火力を完璧にコントロールしてやった!


「ふん。悪くねえ連携だったぜ、小僧」


「……まあまあ、ね。足手まといにはならなかったじゃない」


 息を切らしながらも、二人の口元には微かな笑みが浮かんでいた。


『……戦闘データ受信した。見事な指揮だ。だが、薬の残りは温存してくれ。あれは本来、一回の任務で一錠が限界なんだ。まとめて飲むと脳への負荷が――』


 ノクスの警告。しかし、途中で激しいノイズが走り――ブツッ、と通信が途絶えた。


「ノクス? おい、ノクス!」


 返事はない。


『……ガッ、ザーッ……みんな、通信が、かなりまずい……ッ』


 ノイズまみれの中で、外にいるルイスの焦った声がかろうじて鼓膜を打つ。


『ここから先、通信は完全にアテにならない……頼む、絶対に死なないでくれよ……!』


 プツン、と。

 無機質な電子音が鳴り響き、それきり深い沈黙が落ちた。

 俺の耳にはまったインカムは、もはやただの不格好な耳栓になった。

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