第6話 攻略前夜
結衣の話をする時の、あの紬の顔が頭に残っている。
口元は笑っているのに、瞳の奥はちっとも笑っていないような……そんな、ひどくちぐはぐな顔だった。
(……いや、今は考えるのはよそう)
内心で小さくかぶりを振り、俺は目の前の厄介事に意識を向け直す。
モニターの表示が切り替わり、アドホックが口を開いた。
「まず前提として。神奈川に落ちた黄金の剣、あれが特異点の核だ。あの剣を中心に周辺地点が完全にダンジョン化している」
衛星写真が映る。神奈川の沿岸部が赤黒い霧に覆われて、地図からごっそり消えている。
まるで地図の方がバグったみたいだな。
「内部は通信が不安定で、正確な状況が掴めていない。分かっているのは、時間の流れが局所的に狂っていること。ある区画では一時間が一分に圧縮されていたり、別の区画では逆に引き伸ばされていたりする」
時間の流れが、狂っている。
時空崩壊特異点、というダンジョンの表示を思い出す。
仰々しい名前はそういう意味だったのか。
「ノクスが送り込んだ観測ドローンのデータからの推測だ」
「そのドローンはもう全滅してしまったのだがね」
ノクスが淡々と補足した。
天気予報のノリでサラッと流されるドローン達が居た堪れないよ。
「つまり中に入ったら、地図も時計もアテにならないってことか」
「その通り。ナビなしの初見ダンジョンだね」
ルイスが肩をすくめた。笑ってるけど目が笑ってない。
こいつが笑顔を崩さないのはいつものことだが、目が笑ってない時は本気でヤバい案件だって、もう分かってきた。意外と顔に出るタイプなのかもしれん。
「そしてもう一つ」
アドホックがモニターを切り替えた。
「特異点の中心の状況だ」
映像が変わった。
ノイズだらけの、ザラついた映像。何度も途切れながら、辛うじて形を保っている。
クレーターの中心。
何かが浮いていた。
光の繭みたいなものに包まれて、丸くなっている。人の形が浮かんで見える。
そこから無数の光の筋が伸びて、周囲の空間を歪ませている。
映像が悪すぎて細部は見えない。
反射的にアナライズが起動しかけたが、慌てて止めた。前回の二の舞はごめんだ。くっ、左目がまだ疼く。
「彼女の名前は天音結衣。かつて、我々の仲間だった」
アドホックの声が静かだった。
「......仲間ね」
「そう。ハンドラの一員だった。そして、強大な能力を保有していた」
「紬の親友よ。私もお世話になったわ」
小春が目を伏せながら言った。
こいつの口から素直な言葉が出るの、初めて聞いたぞ。それだけで、結衣って人がどういう存在だったか伝わってくる。
「......結衣ちゃんは」
紬がぽつりと言った。
「私に色んなことを教えてくれた人です」
視線はモニターに向けたまま。
「私、外のこと何も知らなくて。学校も、コンビニも、電車も、全部結衣ちゃんが教えてくれました」
「結衣ちゃんは本の虫で、物語が大好きで。英雄が世界を救う話。お姫様が呪いを解く話。仲間と冒険する話。......そういうのを、いつも私に読んでくれました」
そうか、と俺は内心で息を吐く。俺はまだ、紬のことを何も知らないんだ。
こいつがどんな環境で育ってきたのか、知れば知るほど謎が増えていく。それでも、何か言葉を返したくて不器用な問いが口を突いて出た。
「......一番好きだった話は?」
「ひとりぼっちの騎士が、みんなに笑われながらも、世界で一番大きな剣を抜いて、世界を守る話です」
心臓が跳ねた。
「......世界で一番大きな、剣」
「はい」
紬がモニターを見た。映像の向こう。ノイズの奥。
クレーターの中心に浮かぶ存在と、その背後にそびえる黄金の影。
「あの剣は......」
「結衣ちゃんの能力です」
紬の声は静かだった。
「結衣ちゃんが好きだった物語の中に出てくる剣が、あの大きさで現実に出てきちゃったんです」
しばらく誰も喋らなかった。
あの剣は非道な兵器じゃなかった。
一人の女の子が大好きだった物語から生まれた剣だった。
それが今、誰かの悪意によって都市を一つ消し飛ばしている。
好きだったものが、こんな形で世界を壊している。
......きつい。シンプルにきつい。
「天音結衣は現在、敵対勢力に操られている状態だ」
アドホックが続けた。
「特異点の中心で能力が暴走させられている。彼女自身の意思ではない」
「......裏で糸を引いてる黒幕がいるってことかよ」
「正体は掴めていないが、特異点の内側に少なくとも一人、観測データにない未知の干渉波が確認されている」
「未知の干渉、ね......」
「ミッションは二つ。天音結衣の救出と、彼女を操っている存在の排除だ」
言うのは簡単だが、前提条件が狂っている。
ナビも通信も死んでいる未知の特異点に突入し、正体不明の化け物を排除して、どんな状態かもわからない女の子一人助け出す。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「この組織、ハンドラ。結衣って人が仲間だったってことは、結構前から存在してたってことだよな」
アドホックが少し間を置いた。
「そうだね」
「つまり能力者は、世界がアップデートされる前から存在してた」
「一部の人間にはね。ごく少数だが、世界が変わる前から力を持っていた人間はいた」
なるほど。パズルのピースが一つ嵌まった。
紬が「測定不能」のスペックを持ってるのも、マリアが人間離れしてるのも、最近目覚めたんじゃなくて元々、だったのか。
「そのへんの詳しい話は、戻ってきてからゆっくりしよう」
アドホックが穏やかに言った。
「戻ってきてから」。当然のように帰還を前提にしている。
狡い言い方だ。だけど、おかげで少しだけ不安が薄まった。
「決行は十八時間後。特異点の歪みが比較的安定するタイミングだ。メンバーは、ガルド、小春、紬、そして永井くん。ルイスとノクスは後方支援。マリアは本部防衛」
「おい待て。俺が前線に入るのか」
「紬の傍にいてほしい。彼女の座標指定が、特異点内での唯一のナビゲーションになる。そして君のアナライズは、ナビでは拾えない情報を補完できる」
「......レベル1のポンコツスキルに期待しすぎだろ」
「ポンコツかどうかは、さっきのブリーフィングで見せてもらったよ」
悪気など微塵もない、純度100パーセントの期待を込めた言い方だ。……こういう風に退路を断ってくるから、こいつはタチが悪い。
「あと、これを」
ノクスがテーブルの上に小さなケースを置いた。
中に、紫色のカプセルが三錠。どう見ても体に悪い色をしている。
RPGの道具屋で売ってたら絶対に買わない見た目だ。
「なんだこれ。自決用の毒か?」
「神経接続増幅剤だ。能力の処理速度を一時的に引き上げる。名前はまだない。効果は約十五分。副作用は頭痛と鼻血くらいだ」
「副作用あんのかよ」
「ないわけがないだろう。脳を一時的にオーバークロックするんだ」
「もうちょっとオブラートに包めよ」
「事実を包む意味がない」
「お前が医者じゃなくて本当によかったよ。患者全員泣くぞ!」
「紬ちゃん」
ルイスが紬に声をかけた。
「大丈夫かい?」
いつもの柔らかい声。だが、冗談の色がない。
「大丈夫です」
紬が答えた。
「結衣ちゃんを連れて帰ります。絶対に」
静かだった。声は小さいのに、部屋の隅まで届く強さがあった。
「......全く。簡単に言うけどさ」
小春がぼそっと呟いた。足をぶらぶらさせている。
「あんたが無茶するのはいつものことだけどさ。今回は相手が相手でしょ。もうちょっと怖がりなよ」
「怖いよ。すっごく怖い」
「......え?」
「でも怖くても行くよ。だって結衣ちゃんだもん」
小春が黙った。何か言いかけて、やめて、舌打ちした。
「......バカじゃないの」
悪態のはずなのに、怒ってなかった。
むしろ、なんか安心したみたいな声だった。
「ガルド」
アドホックが巨漢に目を向けた。
「前線の指揮は任せるよ」
「ふん。言われなくても、んなこたぁ分かってる」
ガルドが腕を組んだまま、ちらっと紬を見た。
「......小娘。飯は食ったか」
「え? あ、まだです」
「馬鹿野郎、戦の前に飯も食わねえでどうする。終わったらメシだ。全員食堂に来い」
立ち上がって、ドスドスと出ていった。
料理作りに行ったな、あの人。
「彼はああいう形で心配を表現するんだよ」
ルイスがくすくす笑った。
確かにちょっと可愛く見えてきたぞ。
スキンヘッドの筋肉ダルマが割烹着つけてカレー作ってるとこ想像したら、なんか和む。
会議が終わって、みんなが立ち上がる。
マリアだけが最後まで座っていた。紅茶のカップを持ったまま。
紬がマリアの前で立ち止まった。
「マリアさん。行ってきます」
マリアは何も言わなかった。
ただ、ベールの向こうで、かすかに頷いた。ように見えた。
紬が笑った。いつものちゃんとした笑顔だった。
◇◆◇
迷路みたいな白い廊下を抜けた先に、随分と立派な食堂があった。
ガルドの飯はカレーだった。
悔しいが、うまかった。
おかわりしたら「ケッ」って言いながらよそってくれた。ツンデレにも程がある。
紬はおかわり三回。お前それ体重の何割だよ。
小春は黙々と食ってた。なんか辛口ばっかり選んでる。味覚も攻撃的か。
ノクスは食いながらタブレットを打ってた。カレーのルーがタブレットに飛んでるのに気づいてない。
ルイスだけがワインを飲んでた。戦前にワインを嗜む男。余裕ある感じがなんか癪だ。
飯の後、各自が準備に散った。
俺もゲストルームに戻って、ノクスにもらったヤバい色の薬を枕元に置いて、ベッドに横になった。
昨日までただの高校生だったんだけどな、俺。
エナドリ片手にモニター睨んでただけの男が、数時間後には命がけでダンジョン攻略。人生何があるか分からないな。
静かに天井を見つめる。白い。面白くない天井だ。
怖い。
普通に怖い。
ゲームなら嫌になったら電源を切ればいい。明日に回せばいい。
でもこれには電源ボタンがない。
......だけど。
紬のあの顔が頭から離れない。
「怖いよ。すっごく怖い。でも結衣ちゃんだもん」。
怖いのに行くって言い切れる奴が隣にいて、俺だけ「怖いから嫌です」は、さすがに格好がつかない。
格好の問題かよ。
......あぁ、格好の問題だよ。男子高校生なんてそんなもんだ。
目を閉じた。
明日のことは明日考える。今は寝る。
......寝れるかな、これ。
◇◆◇
同刻。
神奈川。
空は赤黒く染まり、極彩色の雷が絶え間なく走っている。
重力を失った瓦礫が惑星の輪みたいに空を漂い、溶けたビルが飴細工みたいに捻じ曲がっている。
その中心。
大地を貫く黄金の剣。
天を衝くほど巨大なその刃は、かつて一人の少女が一番好きだった物語から生まれたものだ。
剣の柄の上に、影があった。
「――ああ、美しいね」
軽い声。場違いなほど軽い声。
燕尾服にシルクハット。手にはステッキ。
不安定な剣の縁で、タップダンスを踊っている男。
「第一幕は上々。いい客入りだ」
男はステッキをくるりと回し、眼下の崩壊した街を見下ろした。
「さて、次の幕は何にしようか。悲劇? 喜劇? それとも――」
男の動きが、不意に止まった。
タップダンスのステップが途切れ、ステッキを回す手が下がる。
シルクハットの下の目が、ふっと焦点を失った。
「............」
数秒の沈黙。
風の音だけが、赤い空に吹いている。
男の口から、声が漏れた。
さっきまでとはまるで違う、擦り切れたみたいな、小さな声。
「......疲れたな」
ぽつりと。
誰に言うでもなく。
それは、芝居の台本のどこにも書いていない一言だった。
次の瞬間。
男の目に光が戻った。
口が三日月型に裂けて、芝居がかった笑みが顔面を覆い尽くす。
「――おっと、いけないいけない。役者が台詞を忘れてどうする」
ステッキを振り上げ、シルクハットを被り直す。
「さあ、幕間は終わりだ。そろそろ来る頃合いだろう? ハンドラの諸君」
剣の上から、男は遥か遠くを見つめていた。
その目の奥で、何かが蠢いた。
瞳の奥に、無数の複眼がぎちぎちと折り重なっている。
それが一斉にこちらを――いや、まだ見ぬ敵を――向いた。
「最高のショーにしよう。入場料は命。退場ゲートは――」
くすくすと笑い声が赤い空に溶けていく。
「ないよ。そんなものは」
黄金の剣の上で、道化師は一人、踊り続けていた。




