第5話 全世界同時崩壊
「さて。まずはお互いを知るところから始めようか」
アドホックの穏やかな声で、会議が動き出した。
「今の状況にはさぞ困惑していることだろうね。遅れてしまったが、彼らのことを紹介させて欲しい」
それはありがたい。なんせアナライズがポンコツなせいで、ほとんど情報がないまま魔王軍の大広間に投げ込まれた気分だったからな。
俺は水を一口飲んで、気を引き締めた。
アドホックが最初に示したのは、巨漢だった。
「ガルド・ベルク。近接戦闘の要だ」
「おい。俺はまだ認めてねえぞ、こいつを」
ガルドが太い腕を組んだまま、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「名乗るほどの名じゃねえ」
「って言われても、もう名乗られてるんだが」
「うるせえ!」
「ガルドさんは怖い顔してるけど、ご飯作るのすっごく上手なんですよ! 昨日のカレー、おかわり三回しました!」
紬が横からぶっ込んだ。
「余計なこと言うな小娘!!」
「おかわり三回はほぼ鍋の半分だねえ」
ルイスが穏やかにツッコむ。紬は「えへへ」と笑った。
ガルドの顔が赤くなっている。怒りではなく、たぶん照れてる。
......こいつ、とことん紬には弱いんだな。もう隠しきれてないぞ。
「次に、ルイス・レイン。後方支援の要」
「やあ、改めまして」
優男がひらりと手を挙げた。にこにこしている。
「気軽にルイスでいいよ。よろしくね、ルーキー」
立ち上がって、握手を求めてきた。
まあ、普通の挨拶だ。素直に手を伸ばす。
握った。
指先に触れた感触が、消えた。
「......なんだ?」
ルイスの姿が、ぶれた。輪郭が崩れて、俺が握っていた手ごと消失する。
「――こっちだよ」
声が、背後から聞こえた。
「ッ!?」
振り向くと、ルイスが三メートル後ろに立って笑っている。さっきと寸分違わぬ笑顔で。
「これが僕の能力、幻灯。見えているものが本物とは限らない、ってやつさ」
「初対面の握手で能力使うな!! 心臓止まるかと思っただろ!!」
「あはは。ごめんごめん。でもね、これで一つ覚えたでしょう? 相手によっては目を信じすぎない方がいい」
にこにこしている。全く悪びれていない。
......こいつ、親切に見せかけて実演で「油断するな」と教えてきたのか。それとも単にいたずらが好きなだけなのか。
「そして彼女は――」
「紹介いらない」
フリルの少女が、椅子に沈んだまま遮った。
「......小春」
ぼそっと、それだけ。
「あ、小春ちゃんは――」
「紬。余計なこと言ったら燃やす」
「は、はい……」
紬が口を閉じた。こいつが素直に引き下がるの初めて見たぞ。
「ほーん、小春か。いい名前だな。苗字は?」
聞いてから、空気が変わったことに気づいた。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ、小春の目が揺れた。
「......ない。施設育ちだから」
短くて素っ気ない声だった。
多分これは深く聞いちゃいけないやつだ。
しまった、地雷を踏んだ。
どうフォローすべきか考えた瞬間、紬が自然に口を開いた。
「小春ちゃんの能力はすっごいんですよ! バーンって! ドーンって!」
「擬音しかねえじゃねえか」
「別にそれで十分。見れば分かるし」
小春がぼそっと言った。
ちょっとだけ、口元が緩んでいた。紬のフォローが効いている。......こいつ、天然に見えて実は場の空気を読み取るのが上手いのか?
「そしてノクス・フェルミ博士。技術主任だ」
「......ん? ああ」
ノクスがタブレットから顔を上げた。今の今まで自己紹介タイムだったことに気づいていなかった表情してやがる。
「ノクスだ。君のスキルには非常に興味がある。協力してくれるなら、こちらも全面的に支援する。機材、薬品、解析装置。必要なものは言ってくれ」
淡々と、だが確かな知性が言葉の端々に滲んでいる。だが、解剖するのだけはやめてくれ。マッドなサイエンティストである可能性は否めない。
「ちなみに、この施設のシステム、通信機器、医療設備、全部博士の手作りだよ」
ルイスが補足した。
「全部って......あのホログラムモニターもか?」
「当然だ。市販品など使い物にならない」
さらっと言ったが、こいつ個人でここまでのインフラを構築したのか?
......揃いも揃って化け物だ。方向性が違うだけで。
「そして――」
アドホックが最後の席に目を向けた。黒いベールの女。
「彼女についてはおいおい、ということで。今はここまでにしよう」
やっぱり紹介されないのかよ。
紬にこっそり耳打ちする。
「......あの人は?」
「マリアさんだよ! あんまり喋らないんだけど、すごく優しい人なの!」
優しい人。あの、視線だけで俺のアナライズを破壊した存在が、優しい人。
まだちょっと目が痛むんだが。
......紬の「優しい」のハードルどうなってんだ。
「さて」
アドホックが軽く手を叩いた。
「自己紹介はこのくらいにして、本題に入ろう。ノクス」
「了解」
ノクスが端末に触れると、円卓の中央にホログラムのスクリーンが展開された。
空中に浮かぶ巨大な地球儀。各地にピンが立っている。赤いピンが、異常に多い。
「現在の世界の状況を共有する。永井くんは外の情報をほとんど持っていないだろうから、ここで一通り把握してもらう」
アドホックが地球儀に手を伸ばし、最初のピンに触れた。
映像が切り替わる。
ご丁寧に地名のテロップ付きだ。ありがたい。地理は赤点だったからな。
ニューヨーク。
マンハッタンの大通りを、戦車が走っていた。戦車だ。あのニューヨークに。
だが、戦車が対峙しているのは軍隊じゃない。一人の男だ。
男が腕を振ると、戦車が紙のように吹き飛んだ。
「アメリカ合衆国。大統領令により能力覚醒者を国家安全保障上の脅威と認定。軍による強制捕縛と登録が開始された」
映像が切り替わる。ロサンゼルス。建物が燃えている。覚醒者と軍の市街戦。
空を飛ぶ人間に、対空ミサイルが撃ち込まれている。SF映画のワンシーンにしか見えない光景。
「抵抗する能力者との衝突が各地で発生。事実上の内戦状態だ。自由の国は、一夜で戒厳令下に入った」
アドホックの声は淡々としていた。
次のピン。中国。
映像は薄暗い。監視カメラの映像だ。
列を作って歩かされる人々。手首に何かの装置が嵌められている。
その列の中に、子どもがいた。小学生くらいの。
「中華人民共和国。即日『能力は国家資源である』と宣言。能力者を国家管理下に置き、登録と訓練を義務化。従わない者は――」
映像の端で、列から外れようとした男が、背後から何かで撃たれて倒れた。
ノクスが無言で映像を切り替えた。
......。
「表向きは秩序を維持しているが、内陸部では覚醒者による反乱が複数報告されている。情報統制が敷かれているため、正確な状況は把握できていない」
次。
中東。
映像に映ったものを、最初は理解できなかった。
砂漠のはずだった。だが、砂がない。地面が、光っている。
カメラがゆっくりと引いていくと、その「光っている地面」がどこまでも続いているのが分かった。
ガラスだ。
砂漠がガラスになっている。
熱で溶けて、固まって、太陽光を反射して、地平線の果てまでギラギラと輝いている。
「......なんだ、これ」
声が漏れた。
「現地では『原初の火』と呼ばれている」
アドホックの声が、少しだけ重くなった。
「覚醒者の一人が暴走し、国土の三分の一を焼き尽くした。一人の人間が、だ。国家は機能停止。難民は数百万規模で周辺国に流出し、それが新たな紛争の引き金になっている」
え? 今なんて言った。
一人で? 国の三分の一を? 一人の人間が?
「被害規模だけで言えば、神奈川を超えている。国家が丸ごと機能停止した。現時点で確認されている災害の中では最大だ」
神奈川を超えてる。あれより上がもう存在してる。
実感が持てないまま、映像がまた切り替わる。
次のピン。アフリカ大陸の中央部。
密林の映像。だが、映っているのは木々じゃない。
黒く蠢く集合体。
画面を埋め尽くす、おびただしい数の、虫か?
見たことのない形をしている。昆虫とも甲殻類とも違う。既存の生物学の分類に収まらない、何か。
硬そうな外殻。体表から滲む液体。群れが一つの意思を持っているかのように、波のように動いている。
「ダンジョン化した地域から溢れ出した生命体だ。便宜上『異形の蟲』と呼ばれている。硬い外殻、腐食性の体液、そして群体で知性を持つ」
映像の中で、国連軍の装甲車が蟲の波に飲み込まれていく。銃弾が外殻に弾かれている。火炎放射で一部が燃えるが、その何十倍もの数が背後から押し寄せる。
「通常兵器では対処不能。対抗できるのは一部兵器、そして覚醒者だけだが、現地には資源も能力者もほとんどいなかった。周辺の村落は数時間で飲み込まれた」
「......数時間で?」
「映像は3時間前のものだが、現時点では倍以上の範囲に広がっていると推測される。ここの推移は僕が追っている」
ノクスが淡々と補足した。
次。ロシア。
映像がない。
代わりに衛星写真が表示された。シベリアの広大な大地。
その中央に、影がある。巨大な、丸い、影。
「ロシア連邦。一切の情報が出てこない。外交チャンネルも沈黙。ただ、衛星画像でシベリアにこれが確認されている」
「......何だ、これ」
「分からない。誰にも分からない。直径は推定八十キロ」
八十キロ。東京から横浜までの距離が約三十キロだから、その二倍以上の「何か」がシベリアに出現している。
なのに、何であるかすら分からない。ロシアは沈黙。
アドホックが、最後のピンに触れた。
太平洋。
海上の映像だ。波の上に――門が立っていた。
黒い、巨大な門。
海底から生えたのか、空から降りてきたのか。何もない大海原に、不条理に、ただ立っている。
「太平洋上に確認されている構造物だ。内部は一切不明。接近した艦艇は全て通信途絶している」
ルイスが、珍しく笑みを消していた。
「通信途絶......って、要するに帰ってきてないってことかな?」
「こりゃ、全員生きちゃいねぇな」
ガルドが低い声で言った。
沈黙が落ちた。
俺は、手元の水を飲もうとして、指が震えていることに気づいた。
整理しろ。頭を使え。これは情報だ。データだ。
ゲーマーなら、データは恐怖の対象じゃない。攻略の材料だ。
......そうだ。
「一つ聞いていいか」
自分でも驚くほど、声が平静だった。
震えていた指が止まっている。データを処理し始めた途端、ゲーマーの脳が起動した。
「今の映像。全部、世界がアップデートされてからの話だよな。数時間で、世界中がここまで崩壊してる」
「そうだね」
「だとしたら、おかしいだろ」
アドホックが、ほんの僅かに目を開いた。
「動きが速すぎる。アメリカの軍が覚醒者に対応するにしても、数時間じゃ大統領令なんか出せない。中国の管理体制も、即日で構築できるような規模じゃない」
部屋が静まった。
「つまり、二つのうちどっちかだ」
俺は指を二本立てた。
「一つ。世界がアップデートされたのは実は数時間前じゃなくて、もっとずっと前から段階的に進行していた。俺たちが気づいていなかっただけで」
「二つ。あるいは、時間の流れ自体が場所によって違う。日本では数時間でも、他の地域ではもっと長い時間が経っている」
沈黙。
ルイスが口笛を吹いた。
「......へえ」
ノクスが猛烈な速度でタブレットに何かを打ち込んでいる。
「......後者の仮説は、私も検討していた。だがデータが足りず保留にしていた。今の推論、裏付けとなる根拠は」
「根拠はない。ただ、さっきの映像をアナライズで拾った時に何か違和感を感じたんだ」
ノクスの目が光った。
「違和感、とは?」
「……レベル1の精度だからアテにはならないが。映像ごとに情報の古さがバラバラだった。全部同じタイミングの映像のはずなのに、中東のやつだけ明らかに時間が経ちすぎてる」
「面白い」
ノクスが立ち上がった。
「その左目、やはり精密検査させてくれ。解剖はしない。......九割はしない」
「一割すんのかよ」
アドホックがこっちを見ていた。笑ってるような、笑ってないような、いつもの読めない顔。
……でもなんとなく、安心しているような顔だ。根拠はない。勘だ。
......少しだけ、この場所に立っている感覚が変わった。
「さて、ブリーフィングを続けよう」
アドホックがモニターの映像を切り替えた。
ロシアのシベリア衛星写真が拡大される。
「各地域の状況は今見てもらった通りだが、これらの災害には共通点がある。ノクス」
「ああ。全ての大規模災害の発生地点を重ねると、あるパターンが――」
ノクスの説明が始まった。
......その時だった。
左肩に、重みを感じた。
柔らかくて、温かい重み。
横を見た。
紬が、目を閉じていた。
俺の肩に頭を預けて、すうすうと寝息を立てている。
......。
......おい。
世界の命運がかかったブリーフィングの最中に、お前、寝てるのか?
国が丸ごと燃えて、異形の蟲で村が飲まれてるし、ロシアに謎の八十キロの影があるんだぞ?
その横で安眠してんじゃねえよ!
だが動けない。
起こそうとして、手が止まった。
近い。顔が近い。髪が近い。
柑橘系のあの匂いが、至近距離から襲ってくる。
いや匂いだけじゃない。体温が。肩に伝わる体温が。
あと睫毛が長い。寝顔が良い。これは客観的な事実であって主観的な感情とは一切関係が――
「......なに固まってんの」
冷たい声。
小春が、氷点下の目でこっちを見ていた。
「違う。これは俺が望んだわけじゃなく......」
「きも」
一言で斬られた。
ルイスがくすくす笑っている隣で、ガルドが呆れた顔をしている。
おい、助けてくれ。誰か。
「......紬はここに来るまで三日間ほとんど寝ていないんだ」
アドホックが穏やかに言った。
「君を見つけて、連れてきて。ようやく安心したんだろうね」
三日間。
あの天真爛漫な笑顔の裏で、三日間寝ずに、俺を探していたのか。
「......起こさないでおくよ」
「それがいい」
アドホックが少し笑った。
そのあと、小さな声で付け足した。
「あの子の寝顔を見られるのは、信頼されている証拠だよ」
......何を言ってるんだこの人は。
俺は左肩に紬の体温を感じながら、モニターに目を戻した。
ノクスが説明を続けている。各地の災害発生地点を結ぶと浮かび上がる法則性について。
だが正直、半分くらい頭に入ってこない。左肩が暖かすぎる。
......集中しろ。
世界は崩壊しかけている。
そして日本には、都市を一つ消し飛ばした何かが座っている。
全世界同時崩壊だ。
たった数時間で――いや、俺の仮説が正しければ、もっと前から――世界はこうなっていた。
俺に何ができるかは分からない。
レベル1で、アナライズはポンコツで、さっきの映像分析だって確信なんかない。
でも。
さっき、幹部たちの反応が変わった。
俺の目が、この場で意味を持った瞬間があった。
この目だけが、俺のカードだ。
この目を、もっと鍛えなきゃいけない。もっと精度を上げなきゃいけない。
そうしなきゃ、このテーブルに座る資格がない。
「――永井くん」
アドホックの声で、意識が引き戻された。
「次は神奈川の話になる。紬を起こした方がいい」
その声のトーンが、一段階、落ちていた。
モニターに映し出された文字列。
【特異点・神奈川】
紬の肩に、そっと手を置いた。
「......おい、紬。起きろ。ここからは、お前も聞かなきゃいけない話だ」
紬が薄く目を開けた。
一瞬、寝ぼけた目で俺を見上げて、ふにゃっと笑った。
「......あれ。零士さん、枕になってくれてたんですか......えへへ、あったかかった......」
「枕じゃない。あと、えへへじゃない」
だが、紬の目がモニターを捉えた瞬間。
笑顔が、消えた。
さっきまでの寝ぼけた空気が、一切の余韻なく凍りついた。
隣にいる俺にも分かった。
この子の中で何かが切り替わった。
「……結衣ちゃん」
紬が小さく呟いた。聞いたことない名前だ。
さっきまで俺の肩でぐっすり寝てた奴と同じ人間の声とは思えなかった。
「待っててね。すぐ行くから」
「待っててね。すぐ行くから」
静かな声だった。震えてない。怒ってもない。泣いてもない。
ただ、そうすると決めている人間の声だった。
部屋が黙った。
ガルドが目を逸らした。小春が唇を噛んでる。ルイスのいつもの薄笑いが消えてる。ノクスがタブレットを置いた。
マリアが紅茶のカップを持つ手を止めた。
全員知ってるんだ。こいつが誰のためにここにいるのか。
俺だけが知らない。
でも、分かったことが一つある。
さっきまで俺の肩でよだれ垂らしそうな顔で寝てたこの子は、結衣、という名前の誰かのために、こんな顔ができる奴だった。
――さっきの世界情勢が頭を過ぎる。
その全部がでかすぎて、正直まだ処理しきれてない。
でも、隣にいるこいつにとっては、世界の崩壊よりたった一人の友達の方が重い。
それはたぶん、バカみたいに真っ直ぐで、バカみたいに正しい。
俺には、そういうのがなかった。
誰かのためにこんな顔ができるほど、大事な相手がいたことがなかった。
……なんだろう。
悔しいとか羨ましいとかじゃなくて、もっと単純な何か。
こいつの隣にいたら、俺もそういうものが見つかるのかな、とか。
――柄じゃないことを考えてる。やめだやめ。
「……それで、その結衣って誰だ」
知らないままじゃいられないと思った。
紬が俺を見た。
さっきの決意の顔から、ほんの少しだけ、いつもの顔に戻った。
「――私の、一番大事な友達です」




