第4話 無理ゲーのギルドへようこそ
空飛ぶ絶叫アトラクションを、気を失う寸前まで堪能させられた末。
ようやく、地面という概念が足の裏に戻ってきた。
「......っ、ぐ、ぅ......」
膝に手をつき、四つん這いの姿勢で深く息を吐く。
ギリギリ、リバースだけは免れた。俺のSAN値を褒めてやりたい。
地面がある。重力がある。上が上で、下が下。
素晴らしい。ありがとうニュートン。お前はやっぱり正しかったよ。
「到着でーす!」
隣では紬が涼しい顔で立っている。スタミナゲージ減少なしかよ。汗一つかいていない。
あのな、お前はさっきジェットコースターも顔負けな速度で東京の上空を旋回したんだぞ。人間としてもうちょっと疲労しろ。
......と、ここで俺は致命的なことに気がついた。
着地の瞬間。
紬は空中から真下に降りてきた。
俺はその直下で四つん這いになっていた。
つまり、物理的に、角度的に、
――見えた。
いや待て。見てない。断じて見てない。
視界の端に白い布地が光速で通過しただけだ。情報として認識していない。脳が処理を拒否したからセーフ。
「零士さん? 大丈夫ですか? 顔赤いですよ?」
「......気圧の変化だ。高度差による血圧の乱れ。科学的に説明がつく」
「へー、そういうものなんですね!」
信じた。天然って最強だな。
俺は咳払いをして立ち上がり、周囲を見回した。
森だ。
どこを見ても木、木、木。三六〇度、圧倒的な緑。
都心の喧騒は完全に遮断され、湿った土と濃い葉の匂いだけが鼻を突く。
さっきまで東京の上空にいたはずなのに、ここはまるで人里離れた山奥だ。
「......いや、どこだよここ」
「ここが、私たちの拠点への入口なんです! こっちです!」
紬はひょいひょいと木々の間を縫って歩き出す。
慌てて後を追う。枝を避け、足元に気をつけながら進んでいくと、森の奥に――それはあった。
「......廃神社?」
崩れかけた石段。苔に覆われた鳥居。
その奥に、古びた社がひっそりと佇んでいた。
人の手が何年も入っていないのは一目で分かる。雰囲気が完全に隠しダンジョンの入口だ。
「先生たちのところに行きますよ!」
「……先生?」
「着いたら分かります! あ、まずここの入口を開けますね」
紬が鳥居の前に立ち、両手を合わせた。
「――ごまおむすび!」
……。
「……おい」
「はい?」
「え、今の何。合言葉?」
「はい! ここ、合言葉を言わないと中に入れないんです」
「いや、それはいいんだが。お前......自分で言ってて恥ずかしくならないのか? 何よりセキュリティとしてどうなんだそれ......」
「あ、合言葉は定期的に変わるんです! 先週は『ごまだれ』でした!」
「だからセキュリティの方向性がおかしいよ」
毎度のことながら、お花畑のようなやり取りをしていた時、鳥居の足元に、淡く光る幾何学模様が浮かび上がった。
六芒星をベースにした、明らかに西洋系の魔法陣。
苔むした神社の石畳の上に、ネオンみたいな魔法陣が煌々と光っている。
「……なあ」
「はい?」
「神社に魔法陣。これ、さっきから自分でおかしいと思わないか」
「え? おかしいですか?」
「おかしいだろ。鳥居と六芒星が共存してるんだぞ。和洋折衷にも程がある。初詣でクリスマスツリー飾るようなもんだ」
「あはは! 言われてみれば確かに! でもこれ、結界を張ってる人の趣味なんです!」
「趣味で世界観ぶっ壊すな」
「あ、転送始まりますよ! びっくりするかもですけど大丈夫ですよ!」
「大丈夫じゃなかったケースしか思い出せないんだが――」
小言の一つでも言ってやろうと思ったが、その前に、視界が白く弾けた。
◇◆◇
目を開けると、そこは「白」だった。
天井は見えないほど高く、どこかのオフィスビルの内部をずっと引き延ばしたような場所だ。
無機質で、整然としていて、温度も湿度も感じない。
まるで開発中のゲームマップに、テクスチャを貼り忘れた空間。
「......俺はバッ◯ルームにでも迷い込んじまったのか」
リミナルマシマシなスペースに乾いた笑いが漏れる。
不気味だ。方向感覚が完全に狂っている。いまいち上下左右の区別がつかない。
反射的にアナライズを回す。
【エリア:結界による亜空間】
【脱出難易度:解析不能】
【特記事項:許可なき者は永遠に彷徨う】
結界。
この空間そのものが、誰かの能力で「造られている」のか。
「ここはですね、許可のない人が入ると、永遠にぐるぐるしちゃうんです。怖いですよねー」
「お前が言うな」
「大丈夫です! 私がいるから迷いませんよ!」
つまり、はぐれたら即永久迷子。
レベル1の俺にとって、この白い空間は紛れもない「死の迷宮」だ。
紬の手を離したら終わる。物理的にも比喩的にも。
白い廊下を進む。
どこまでもどこまでも同じような景色。距離の感覚がおかしくなる。
と、突然。
何もなかった空間に――唐突に扉が出現した。
重厚な鋼鉄の扉。圧倒的な質量感と威圧。
俺の知っている全てのゲームのボス部屋の扉を煮詰めたような存在感。
「着きました! 今から零士さんには、私たちの『定例幹部会議』に参加してもらいます!」
「......は? 定例、幹部会議?」
いきなり幹部会議? 俺、さっきまでカップ麺啜ってたレベル1なんだが。
新入社員が初日に取締役会議に放り込まれるようなもんだぞ。
「先生ー! 連れてきましたー!」
紬が元気よく扉を叩く。
ちょっと展開早くないですかね。
――うーん、嫌な予感しかしない。
プシュウゥゥ......ッ!
圧縮空気が抜ける音と共に、扉が開いた。
◇◆◇
最初に感じたのは、視線だ。
扉を開けた瞬間、複数の「眼」が俺に突き刺さった。
歓迎の空気じゃないよね。完全に品定めされてる感じするんだけど。
広い円卓。六つの席。
反射的にアナライズを起動して――後悔した。
ほとんど読めない。紬の時と同じだ。レベル1じゃ断片的なノイズしか返ってこない。
辛うじて分かるのは、全員のレベルが俺と桁違いに高いということだけ。
「遅ぇぞ、小娘」
部屋の空気ごと揺らすような低音。
スキンヘッドの巨漢。腕が俺の胴回りくらいある。首が行方不明。
こちらを一瞥して、鼻で笑った。
「こんなモヤシが例の切り札だ? 冗談だろ」
モヤシ。初対面の第一声がモヤシですか。反論できないのが一番腹立つ。はい、モヤシが通りますよ。
だが、紬が「ただいまです!」と笑った瞬間。
「......ケッ。遅えんだよ」
声のトーンが変わった。ほんの少しだけ。
おい。スキンヘッドの筋肉ダルマにツンデレ属性搭載されてんのか。需要どこだよ。
「おやおや、無事に帰ってきたか。よかったよかった」
その隣の席。細身の優男がトランプを弄びながら微笑んだ。
「やあ、はじめまして。長旅だっただろう、お疲れ様。――ああ紬ちゃん、こっちに水あるよ。彼にも一杯あげて」
水を差し出してきた。初対面の人間にスマートに水を出す。
......なんだろう、この感じ。嫌な奴じゃない。嫌な奴じゃないんだが。
「しかし紬ちゃんが自分で連れてくるくらいだ。よっぽどなんだろうねえ」
にこにこしている。全くの善意に見える。なのに、やっぱなんか落ち着かない。
「ま、期待しすぎない程度に期待してるよ」
......今の一言、褒めてるのか牽制してるのか、どっちなんだ。分からない。うん、こういうのが一番困る。
「ふーん」
気怠い声。
フリルのついた服を着た小柄な少女が、椅子に沈み込んで足を組んでいる。
「ねえ紬。これが例の?」
「うん! 零士さんだよ!」
少女は俺を三秒くらい眺めた。
「......雑魚そうじゃん」
視線を外す。
「もうちょっとヤバい奴が来るのかと思ってた。ただの一般人じゃん、あーあ、期待して損した」
「くっ、初対面でそこまで言われると地味にキツいぞ......」
「はぁ? 弱い奴が前に出たって足手まといにしかなんないし」
紬が「もう! 零士さんはすごいんだってば!」と抗議している。ありがたいが根拠を示してくれ。
「......ふーん、ま、紬がそう言うなら、見ててあげる。ただし」
少女がちらりとこっちを見た。
「役に立たなかったら、すぐ見捨てるから」
......なんで勝手に連れてこられて、こんなボロクソに言われてんだ俺。なんかすげぇ悔しい、ぐぬぬ、いつか見返してやるぞ! これがわからせというやつなのか。
「瞳孔反応、微細な振動、発汗......ふむ」
突然、目の前に男の顔。
「うおっ!?」
白衣の男が、いつの間にか目の前に立っていた。
タブレットに何かを打ち込みながら、俺の顔を覗き込んでいる。
「この左目の構造はやはり気になるな。解剖していいか?」
「駄目に決まってるだろ!!」
「そうか、冗談だ。......六割は」
「四割本気じゃねえか!!」
「おい博士、新入りが怯えてんじゃねえか。少しは加減しろ」
巨漢が呆れ声を出した。お前もさっきモヤシって言ったけどな。意外とそういうの根に持つタイプだからね?
「加減? 何の話だ。純粋な学術的関心を表明しただけだが」
「それが加減しろって言ってんだよ」
「まあまあ。初日からこれは流石にかわいそうだ」
優男が仲裁に入る。
うん、情報が多すぎる。全員クセが強すぎる。
誰が味方で誰が敵かも分からないまま、猛獣の檻に放り込まれた気分だ。
「......そろそろいいかな」
穏やかな声だった。
部屋が静まった。一瞬で。
巨漢が姿勢を正す。優男がトランプを置く。少女が足を下ろす。博士とやらがタブレットから顔を上げる。
さっきまでの雑然とした空気が、たった一声で消えた。
円卓の最奥。
一人の男が、ゆっくりと立ち上がる。
穏やかな目元。物腰が丁寧で、声も柔らかい。
威圧感はない。声を張っているわけでもない。なのに全員が黙った。
......なんだ、この掴みどころの無さは。
【対象:アドホック】
【能力:検出なし】
【レベル:解析不能】
能力が、検出されない。
この部屋にいる全員に何かしらの能力タグがあったのに、こいつだけ「なし」。
能力者じゃない? このメンツを束ねてる人間が?
分からない。こいつだけ、データからも空気からも、何も読み取れない。
「ようこそ、永井零士くん。私の名はアドホック。ここの責任者だ」
「……突然のことで、戸惑っているだろうね。まずは謝罪をさせてほしい」
穏やかに言いながら、真っ直ぐに俺を見ている。
なんと言えばいいのか――すでに俺のことが分かっている、みたいな目をしている。
初対面のはずなのに、妙な安心感がある。
「紬」
アドホックが紬の方を向いた。
「よくやったね。無事でよかった」
「はい、先生!」
アドホックは小さく微笑んで、俺に向き直った。
先生ってのはこの男の事だったのか。
「単刀直入に言おうか。ここは対預言者組織――『ハンドラ』。人類を脅かす厄災に対抗するための、最後の砦だ」
「君には、ここで戦ってもらいたい。……もちろん、これは一方的なお願いだと分かっている」
「……随分と急だな。選択肢は、あるのか」
「もちろんだ」
半ば強制的に連れてこられた割には意外な答えだった。
「ここを出て、自分の力で生き延びる道もある。私たちは君を監禁するつもりはない。紬、帰り道は案内できるね?」
「え? あ、はい、できますけど……」
紬が困惑している。アドホックは穏やかに続けた。
「ただ、正直に言うと、外の状況は君も見ての通りだ。そして預言者の手先は、君を見つけている。一人で生き残れないとは言わない。でも、厳しいとは思う」
脅しじゃなかった。
事実を並べて、あとは俺に委ねている。
「選択肢はない」と突きつけるより、よっぽどタチが悪い。
「……ずるい聞き方するな、アンタ」
「よく言われるよ」
少しだけ笑った。悪びれない笑い方だった。
......くっ、全く反論できない。事実をこうも並べられると納得せざるを得ない。
だが。
この部屋に入ってから、ずっと気になっていたことがある。
円卓の最奥。アドホックの隣。
一人だけ、一言も発していない存在がいた。
喪服のような黒いドレス。顔を覆う黒いベール。
長い足を組んで、冷めきった紅茶のカップを静かに傾けている。
全員が俺に何かしらの反応を示した。
こいつだけが、何もしない。見もしない。
まるで俺が存在しないみたいに。
......怖い。理屈じゃなく、怖い。
反射的にアナライズを向けた。
瞬間、左目が灼けた。
【警告:解析を強制中断】
脳の奥に激痛が走る。視界が明滅。左目から涙が溢れた。
駄目だ。見れない。覗こうとすること自体を拒絶されている。
神奈川の剣の時とは感覚が違う。あれは「強すぎて処理できなかった」。
こいつはまるで、見ること自体が「許されていない」。
......何が何だか分からない。
分からないことだらけだ。この部屋に入ってからずっとそうだ。
「さて」
アドホックの声で、意識が引き戻される。
「改めて聞くよ、永井零士くん。君は――どうしたい」
全員の目がこっちを向いた。
いきなり人類を脅かす厄災に対抗するだの、人類最後の砦だの、色々ぶっ飛んだ挙句に俺はどうするべきか?
......正直に答えるなら「何もできない」だ。
レベル1。アナライズはポンコツ。戦闘能力ゼロ。
この場にいる全員に、実力で勝てる要素がない。
だが、一つだけ。
こいつらが気づいていないこと。
断片的とはいえ、俺はさっきからこの場のデータを拾い続けている。
精度はゴミだ。でもゼロじゃない。
ポーカーで勝つのは手札が強い奴じゃない。最後までブラフを通した奴だ。
「どうしたいか、ね」
口元が歪む。声が震えてないことだけ祈る。
「――俺を雇うメリットなら、すぐに証明してやるよ」
巨漢が鼻を鳴らした。少女がちらっとこっちを見た。優男が、少しだけ目を細めた。
アドホックは穏やかな顔のまま、小さく頷いた。
「……いい返事だ。ありがとう」
最後まで丁寧。丁寧なのに、全部こっちが自分で選んだような気にさせられるのが引っかかるが。
「歓迎するよ、永井零士くん。――これからよろしくね」
差し出された手を、一瞬だけ見つめた。
能力の検出されない、普通の手だ。
俺はそれを強く握り返した。
隣で紬が「やったー!」とぴょんと跳ねた。
「零士さん! よろしくお願いします! あ、部屋とかご飯とか、全部案内しますね! あとコンビニ行きたいです!」
「今その話する?」
フリルの少女がぼそっと呟いた。
「……ま、足手まといにならないなら、勝手にすれば」
巨漢が腕を組んだまま、そっぽを向いた。
「ケッ。モヤシに何ができるか見物だな」
優男がひらりと手を振った。
「ま、楽しくなりそうだ。よろしくね、ルーキー」
白衣の博士がタブレットに目を落としたまま言った。
「被検体が増えたな。歓迎する」
「被検体って言うな」
そして、黒い女だけが何も言わなかった。紅茶を啜っていた。
バケモノだらけのギルドに、レベル1のソロプレイヤーが加入。
フレンドリストはずっと空欄だった。パーティーなんか組んだことがない。
それが今、一気に七人だ。
控えめに言って急転直下の無理ゲーだ。
だが、無理ゲーの攻略にかけては、一応そこそこの実績がある。
――さて、ここからどう攻略してやろうか。




