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第3話 SSRの美少女

 『ピンポーン』


 世界がサ終しかけているというのに、うちのインターホンは平常運転だった。

 間の抜けた電子音が、終末の空気の中で場違いに鳴り響く。


 まず、現在の状況を整理しよう。

 神奈川がぶっ飛んでから数時間。窓の外はもう、めちゃくちゃだ。そりゃもう、はい。


 さっき窓から外を覗いたら、向かいのコンビニの前で中年サラリーマンが全裸で踊り狂っていた。隣ではおばあちゃんがショッピングカートで機動隊のバリケードに突っ込んでいた。


 悲鳴、怒号、サイレン、ガラスの割れる音、犬の遠吠え、そして理由の分からない爆発。安アパートの壁は防音性能が紙なので、文明崩壊の効果音がフルボリュームで耳に届く。家賃二万五千円の対価がこれだ。


 俺はすでにリュックを背負い、バールを手に、スニーカーの紐まで結び終えている。

 あとはドアを開けて出発するだけだった。

 そのタイミングで、突然の来客。


 不意打ちイベントにも程がある。

 常日頃ぼっち道を極めている俺を訪ねてくる人物に、当然思い当たりなんてなかった。


 「......誰だよ」


 暴徒か。ゾンビ化した隣人か。

 あるいは、N◯Kの集金か。

 ――最後のが一番怖いな。文明崩壊しても来そうだし。


 息を殺し、バールを構えてモニターを覗き込む。

 左目の【構造解析アナライズ】を起動。敵なら先制する。


 だが。


 モニターに映っていたのは、バグとしか思えない存在だった。


 超絶美少女だった。


 俺と同じくらいの年齢か?

 薄暗く、埃っぽく、全裸のおっさんが踊り狂う終末の世界にあって、彼女だけが別のレイヤーから貼り付けられたみたいに浮いていた。

 

 解像度が違う。テクスチャの質が、周囲の背景とあからさまに釣り合っていない。

 艶のある飴色の髪。整いすぎた顔立ち。白磁みたいな肌。


 ......こ、こほん。


 いいか、俺は合理主義者だ。容姿という主観的な評価軸で人間を判定するような愚は犯さない。

 見た目に惑わされない。データで判断する。それが俺の信条だ。

 よし、冷静にアナライズを――


 【対象:白川しらかわ つむぎ

 【種族:人間(特殊個体ユニーク)】

 【重要度:測定不能(処理限界超過)】


 ......処理限界超過?


 レベル1の俺のスキルでは、この少女のデータをまともに読み取ることすらできないらしい。

 辛うじて分かるのは紬という名前と人間であることだけ。しかも「特殊個体ユニーク」というやけに不穏なタグが引っかかる。


 ......こいつ、何者だ。


 制服を着ている。どこの学校かは分からないが、着慣れていない感じがした。リボンが微妙に曲がっていて、スカート丈もどこか不自然だ。コスプレイヤーが資料だけ見て再現した制服、みたいな。


 「こりゃ間違いなくSSRどころの話じゃないぞ......」


 ゲーマーとしての直感が危機を鳴らす警鐘と抑えられない好奇心を同時にビンビン刺激してくる。


 『あっ! いた!!』


 スピーカー越しの声が、明るかった。

 終末の真っ最中とは思えない弾んだ声。


 『よかったー! ちゃんとお家にいてくれた! 探すの大変だったんですよー?』


 「.........は?」


 「探す」? 俺を?

 こいつ、俺のことを探してここに来たのか?


 彼女はカメラに向かって、パッと花が咲くみたいに笑った。

 おぉ、インターホンの低画質モニター越しでも分かる。ガチの美少女だこれ。

って違う。今そこは重要じゃない。データだ。データで判断しろ永井零士。


 『はじめまして! あ、でも私は零士さんのこと知ってるので、はじめましてじゃないかもです!』


 「いや、俺にとっては完全にはじめましてなんだが!?」


 思わずマイクのボタンを押して叫んでしまった。

 なんで初対面で俺の名前を当たり前のように呼んでるんだよ。


 『えっとですね、単刀直入に言いますね!』


 『――あなたの力が、必要なんです!』


 満面の笑顔で、とんでもないことを言い切った。


 ......おい、なんだその、三流ラノベの導入みたいなセリフは。

 いやツッコんでる場合じゃない。アナライズで嘘かどうか確認を――


 【対象の感情パターン:解析精度不足】

 【断片のみ検出:好意的/敵意なし】


 レベル1じゃ感情パターンの詳細まで読めないか。

 辛うじて「敵意はない」「好意的」という断片だけ。面識のない美少女から好意持たれるとか、どんなご都合展開だよ。


 「......悪いが、宗教の勧誘なら他を当たってくれ。ウチは空飛ぶスパゲッティ・モンスター教だ」


 こういう時こそ冷たく返す。鎌をかけて反応を見る。

 うん、鎌になってるかどうかはさておき。


 だが、紬は怯まないどころか、より一層目をキラキラさせた。


 『えっ、なんですかそれ! スパゲッティのモンスターですか!? 強いんですか!? パスタの神様みたいな感じですか!?』


 「......なんだと、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教を知らない、のか」


 『知らないです! でもすごく気になります! あとでぜひ教えてください! ――あ、やっぱり零士さんって面白い人ですね! 聞いてたとおりだ!』


 「やっぱりって何!? なんで初対面で俺の評価が確定してるんだよ!?」


 『えっ? だって零士さんは零士さんじゃないですか?』


 「そりゃそうだけど!! 論理が通ってるようで一ミリも通ってないからな!?」


 ツッコミが追いつかない。

 会話のドッジボールで豪速球だけ投げてくるタイプだ。このやり取りは俺にも問題があるような気もするが、うん、そこには目を塞いでおこう。


 そんな中、先ほどまでの笑顔がふっと――ほんの一瞬だけ曇ったように見えた。


 『......お願いです。入れてください。時間がないんです』


 声のトーンが一段落ちた。

 笑顔はそのまま。でも目の奥の温度が変わった。

 あぁ、この表情は、笑うことで自分を保っているタイプの笑顔だ。

 ......俺と、どこか似ていると感じてしまった。


 俺は脳内で損益計算を走らせる。


 選択肢A:無視してソロで出発。状況がヤバそうならいつでも引き返せばいい。


 選択肢B:この「測定不能」の少女と接触。リスク有り、リターンは未知数。


 普通ならAだ。計算できない投資には手を出さない。


 だが、相手は「測定不能」だ。

 これは攻略サイトに載っていない隠しイベント。

 ゲーマーの本能がそう囁く。

 ――こいつを逃したら、二度と出ない。


 「......チッ」


 盛大に溜息をついて、鍵を開けた。


 これは慈善事業じゃない。先行投資だ。

 ......何回目だこの言い訳。


 「......開けるぞ」


 ガチャリ。


 ドアを開けた瞬間。


 柑橘系の、甘くて爽やかな香りが鼻を突いた。

 シャンプーか。制汗剤か。


 そして、モニター越しよりさらに解像度が高い。

 近くで見ると、睫毛が異常に長い。肌が白い。目がでかい。背が小さい。俺の肩くらいしかない。

 見上げてくる角度がずるい。超かわ......


 ......。


 よし、冷静だ。俺は冷静だ。

 心拍数が上がっているのは、さっきの爆発音のせいだ。そうに決まっている。

 断じて、この距離で嗅ぐ甘い匂いとか、見上げてくる大きな目とか、そういうものとは一切関係がない。一切だ。


 紬は開口一番、俺の顔をじーっと見上げて、


「わ……本物だ」


 呟いた。小さな声だった。

 さっきまでの元気が嘘みたいに、ぽかんとした顔で俺を見ている。


「……本物も何も、偽物がいたら怖いんだが」


「あ、ごめんなさい! 写真でしか見たことなかったから、本当に動いてる! って思って!」


「おい、人を展示物みたいに言うな。あと写真ってどこから出回ってるんだよ」


「えへへ。あ、あのっ、思ったより背が高いんですね……」


 紬は俺の顎のあたりに視線を彷徨わせて、何故かちょっと赤くなった。


「……? 別に普通だろ」


「普通じゃないです! 私の周り大人ばっかりだったから、同い年くらいの男の人とこんな近くで話すの初めてで……」


 初めて。

 同い年と話すのが、初めて。

 ……こいつ、一体どんな環境で育ったんだ。


 ていうか、近い。距離が近い。パーソナルスペースの概念がないのか。

 いい匂いが至近距離から飛んでくる。これは嗅覚テロだ。

 心拍数が上がっているのは爆発音のせい。


 「わ、あとここがお家なんですね! 一人暮らしってこういう感じなんだ! これゲームですか? テレビに繋いで遊ぶやつ! 実物初めて見ました!」


 紬は靴を脱いで――「あ、ここで脱ぐんですよね? この段差のところ」と一応確認してから――部屋に上がり込み、キョロキョロと物珍しそうに見回し始めた。


 散らかった机。食べかけのカップ麺。積まれたゲームのパッケージ。脱ぎ散らかした靴下。

 ......見られている。人生史上最悪のタイミングで、人生史上最美少女の来客に、人生史上最低の部屋を見られている。


 ちなみに窓の外では、さっきの全裸おじさんがまだ踊っていた。


 「わー、これ全部零士さんが遊んだゲームですか? すごい、こんなにいっぱい!」


 「......ゲームしたことないのか」


 「はい! でも、零士さんがすっごく強いプレイヤーだってことは知ってますよ!」


 知ってますよ、じゃないんだよ。だから何で知ってるんだよ。


 「......いいから座れ。で、『力が必要』ってのは何の話だ。手短に頼む」


 俺は腕を組んで壁に寄りかかった。

 意図的に距離を取る。物理的にも。嗅覚的にも。

 いい匂いは思考を鈍らせる。これは科学的事実だ。断じて個人の感想ではない。


 紬はキョロキョロを止めて、まっすぐ俺を見た。

 さっきまでの観光客モードが消えて、空気が変わる。


 「神奈川の衝突......原因は、私の親友なんです」


 一瞬、脳の処理が止まった。


 親友。

 あの、都市を丸ごと消し飛ばした黄金の剣。

 俺がアナライズしようとして脳を焼かれかけた、桁外れのエネルギー体。

 あれが、目の前でゲーム機にはしゃいでいたこの子の、親友。


 「......マジで言ってんのか」


 「はい!」


 返事が元気すぎる。内容と声のトーンが全く噛み合ってない。


 「あの、都市一個ぶっ壊した黄金のバカでかい剣。あれが、お前の友達の仕業だと」


 「うん......。でもね、あの子は悪い子じゃないんです。ただ――」


 紬の声が一瞬だけ揺れた。名前を言いかけて、飲み込んだのが見えた。


 「――『預言者』に操られて、暴走してるだけなんです」


 「待て」


 預言者。

 あの放送ジャック犯の事か。ネット上で恐怖と信仰のカオスを生んでいる正体不明の存在。


 だが、紬の口調はネットの噂話を拾っている人間のそれじゃない。

 「知っている」側の語り方だ。


 「つまり何だ。お前はその暴走した親友を止めるために、俺をスカウトしに来た?」


 「止める、じゃないです」


 紬が首を横に振った。

 さっきまでの天真爛漫が消えて、真剣な目をしていた。


 「助けたいんです。止めるんじゃなくて、助けたい。あの子を元に戻したい」


 「......止めると助けるは何が違う」


 「全然違います」


 紬の目が、真っ直ぐ俺を射抜いた。


 「止めるのは、あの子を敵にすることです。私は絶対にそんなことしない。あの子は敵なんかじゃないもん。操られてるだけなんです。だから、助けるの。必ず」


 計算も打算もない声だった。

 分析スキルなんか使わなくても分かる。


 こいつは本気だ。

 都市一個ぶっ壊した怪物を「友達だから助ける」と言い切れる、正気じゃないほどの本気。


 ......参った。

 嘘つきなら見抜ける。計算高い奴なら読める。

 だが、嘘のない感情で真っ直ぐ突っ込んでくる相手には、俺の損益計算が通用しない。


 「......で、なんで俺なんだよ。どう見てもただの高校生だ」


 「えー? 零士さん、自分のこと分かってないんですね」


 紬が不思議そうに首を傾げた。

 いい匂いがした。やめろ、思考が鈍る。


 「あなたは、『観測者オブザーバー』でしょう?」


 「――ッ!」


 心臓が殴られたみたいに跳ねた。


 なぜ知っている。

 このスキルは俺だけの秘密だ。誰にも見せていない。


 「......どうやって知った」


 「んー......移動しながらでいいですか? 長くなるので!」


 「質問に質問で返すな」


 「えへへ」


 笑ってごまかしやがった。


 「あ、あと」


 紬が人差し指を立てた。

 世紀の大災害の真っ最中に、「大事なこと思い出しました」みたいなカジュアルさで。


 「もし断られてたら、無理やり連れてくつもりでしたっ」


 「来ていきなり誘拐宣言すな」


 「でもでも、お願いして来てもらう方がいいなって! だからちゃんとピンポンしました!」


 「ピンポンしたからセーフみたいな理論やめろ」


 「それとですね!」


 紬の声が、また一段落ちた。

 笑顔はそのまま。だけど、声の芯が変わる。


 「ここにいたら、零士さんは死にます」


 「......ッ」


 声のギャップが怖いよ。

 こいつ、笑顔のまま致命的なことを言うタイプだ。一番タチが悪い。実は純度の高いサイコパスとかやめてね......。


 「『預言者』の手先が、あなたみたいなシステムの異物バグを潰しに来てます。もう、すぐ近くまで」


 その言葉が反響した瞬間。


 ドォォォォォン!!


 空気が、爆ぜた。


 壁が揺れる。窓ガラスが悲鳴を上げる。衝撃で机の上のカップ麺がひっくり返った。冷えた残り汁がキーボードに降り注ぐ。

 ――俺のパソコンゥゥゥゥ!!


 いや、今はそれどころじゃない。


 「来ちゃいましたね!」


 紬がパッと立ち上がった。

 声のトーンが戦闘モードに切り替わっている。

 さっきまでゲーム機にキャッキャしてた人間と同一人物とは思えない。


 二発目。さらに近い。天井から粉が降る。

 窓の外で、さっきまで踊り狂っていた全裸おじさんが一目散に逃げていく姿が見えた。

 全裸でも逃げるレベルの脅威だ。それだけでヤバさが分かる。


 「チッ! 本当に来やがった!」


 迷っている暇はない。

 俺は紬の手を掴んだ。


 小さい。

 そして、やわらかくて、温かい手だった。

 あと、いい匂いがさらに近くなった。


 動揺してない。俺は動揺してない。

 これは緊急避難行動であって、やましい気持ちは一切ない。

 一切だ。いいな、一切だからな。


 「行くぞ! 走れるか!」


 「あ、走らなくて大丈夫ですよ!」


 「はぁ!?」


 紬がにっこり笑った。

 終末のど真ん中で。爆発音をBGMに。


 「飛びますから!」


 「飛ぶ!? 何を!?」


 廊下を駆け抜け、突き当たりの壁。行き止まり。

 紬が右手を翳した瞬間、壁面に三次元の切り込みが入ったような裂け目が走り、向こう側に夜空が見えた。


 「ちょっ、待――」


 返事を待たず、紬は俺の手を握ったまま裂け目に飛び込んだ。


 一瞬の浮遊感。

 次の瞬間、重力が四方八方に暴れ出す。


 「うおおおおお!? 空!? 飛んでる!? 物理法則どこ行ったァァァァ!!」


 「わー! 空綺麗ですねー!」


 「感想言ってる場合かァァァ!!」


 高度数百メートル。夜の東京が足元に広がっている。

 

 所々が不自然に暗い。停電区画だ。あちこちで火の手が上がり、道路には車が詰まって全く動いていない。高速道路の上で焚き火をしてるグループが見える。もはや自由すぎる。


 背後のアパートから、さらに大きな爆発音が響いた。

 建物が半分崩れるのが、ここからでも見えた。

 ......あそこに残ってたら、死んでたな。


 恐怖で吐きそうだ。三半規管が即座に業務を放棄した。


 だが、左目は勝手に仕事をしている。


 紬にフォーカス。


 【対象:白川紬】

 【能力分類:概念系】

 【レベル:32】

 【※概念系能力のため、同レベルの物理系と単純比較不可】


 「レベル......32?」


 風にかき消されそうな声で呟いた。


 世界がアップデートされてまだ数時間だぞ。俺はレベル1だ。いちだ。


 しかも注釈がついている。「概念系のため物理系と単純比較不可」。

 つまりこの32は、見た目の数字以上に重い。


 「零士さん、今また解析てます?」


 「っ......感じるのかよ」


 「なんかくすぐったいんですよね! あ、ちなみに私の能力は『座標指定ポイント・プロット』っていいます! 空間の好きな場所に自分とか物とかを移動させたり固定したりできるんです!」


 「自己申告!? 聞いてないのに!?」


 「だって隠してもどうせ解析ちゃうでしょう? だったら私が教えた方が早いかなって!」


 こいつ......情報をオープンにすることで、逆に信頼を取りに来ている?

 天然か、それとも天然に見せかけた策士か。判断がつかない。


「なあ、お前の能力……俺のスキルだと『概念系』って分類が出てるんだが、それに心当たりあるか」


「あ、零士さんにはそういうふうに見えてるんですね! 面白いなあ……うん、たぶん合ってると思います! 私の力って、物理的にどうこうじゃなくて、空間のルールそのものをいじる感じなので」


「無茶苦茶だな!?ルールそのものに触る、か……。どうりで飛行なんて芸当ができるわけだ......」


「あ、あと私、他の人たちより力が伸びにくいんです。同じだけ頑張っても、なかなか強くならなくて」


「……俺のスキルだとお前のレベルは32って出てる。概念系でその数字は、物理系に換算するともっと上ってことか」


「レベル……へえ、数字で出るんだ、零士さんのは。32かあ……」


 紬は少し遠い目をした。


「まあ、ここまで来るのに結構かかりました!」


 結構かかった。

 アップデートからまだ数時間なのに。

 つまり紬は、アップデートより前から力を持っていた?


 聞きたいことが山ほどある。

 だが今は風速と高度が会話を許さない。あと胃が限界だ。


 「つかまっててくださいね! あとちょっとで着きますから!」


 「どこに向かってんだよ!」


 「安全な場所です! 先輩たちのところ!」


 「先輩って誰だ!」


 「着いたら紹介します! あ、零士さん零士さん! あの光ってるの見えます? あれコンビニですかね? コンビニって入ったことなくて、今度連れてってください!」


 「今その話する!? 優先順位おかしくない!?」


 レベル32の概念系能力者が、コンビニを知らない。

 敵の追撃を完璧にかわしながら、コンビニに憧れている。


 なんなんだこいつ。


 こいつは一体、どういう環境で育ったんだ。

 学校に行ったことがあるのか。普通の生活をしたことがあるのか。

 制服を着ているのに「一人暮らしの家に来るの初めて」と言っていた。ゲームを知らない。コンビニを知らない。でも戦闘は場数を踏んでいる。


 ......ちぐはぐだ。パズルのピースが、まだ全然揃っていない。


 紬がくるっと宙で身を翻す。

 重力を知らない軌道。髪がふわりと弧を描いて、またあの柑橘の匂いが――


 ――うっ、集中しろ。匂いに気を取られるな。俺は合理主義者だ。いい匂いで思考力が低下するのは非合理的だ。つまりこれは攻撃だ。嗅覚を利用したデバフだ。

 ......すみません自分で何言ってるか分かりません。


 振り回されている。完全に。

 人生で初めて、自分以外の人間のペースに巻き込まれている。


 分からないことだらけだ。

 隣を飛ぶ少女は、俺の知らない情報を山ほど持っていて、俺の名前を知っていて、コンビニを知らなくて、親友を助けるために空を飛んでいる。

 

 ステータスは読めない。感情パターンも解析できない。

 俺の唯一の武器である情報優位アドバンテージが、こいつの前では全く機能しない。

 

 ――なのに。

 握られた手が温かいことだけは、レベル1のポンコツスキルなんか使わなくても分かった。

 

 ああ、くそ。

 なんだこれ。こんなの計算外だ。

 ソロプレイヤーのビルドに「パーティーメンバー」なんて変数は組み込んでなかったんだよ。

 

 ――だが、まあ。

 クソゲーの攻略において、予想外の出来事が最強の味方になることもある。

 

 ……俺の長かったソロプレイの時間は、こうして呆気なく終わったみたいだ。

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