第9話 次なる無理ゲーの予告
夢を見た。
ひどく悪趣味で、脈絡のない夢だった。
真っ暗な海の底から、見たことのない文字がびっしり刻まれた巨大な黒い門がせり上がってくる。
そして、空から星が落ちてくる。いや、落ちてくるんじゃない。星空という「天井」そのものが、ボロボロと剥がれ落ちてくるような――。
『――黒門降臨』
『――天蓋崩落』
誰かの無機質な声が、脳内に直接エラーコードのように羅列されていく。
なんだこれ。俺は、何を見せられてるんだ。
これは「終わった」世界なのか、それとも「これから終わる」世界なのか。
【エラー検出。更新を実行――】
「……っ、はあっ!!」
心臓を鷲掴みにされたような感覚で、俺はガバッと跳ね起きた。
全身が汗だくだ。息が荒い。喉がカラカラに渇いている。
「零士さんッ!?」
すぐ横で、椅子から弾かれたように立ち上がる影があった。
紬だった。目を真っ赤にして、俺の顔を覗き込んでいる。
「あ……紬。お前、なんでそんな顔……」
掠れた声で尋ねると、紬の顔がくしゃりと歪んだ。
「よかったです……っ、本当によかったぁ……っ!」
紬は両手で顔を覆い、ポロポロと涙をこぼし始めた。
網膜を刺すような鋭い照明に思わず目を細める。周囲には点滴のスタンドやモニター群がひしめいていた。どうやら、ハンドラの医務室に運び込まれたらしい。
「どれくらい、寝てた」
「丸二日です。ノクスさんが、脳の神経回路が焼き切れる寸前だったって……私、私が無理に連れて行ったせいで……」
震える声で謝る紬に、俺は乱暴に頭を掻いた。
「バカ言え。あの薬をまとめて飲んだのは俺の意志だ。お前は関係ない」
「でも……結衣ちゃん、助けられなかった。それなのに零士さんまで死んじゃいそうになって……」
「助けられなかった、じゃない。今回は『撤退した』だけだ」
俺はベッドから足を下ろし、紬をまっすぐ見た。
「初見殺しのボスに負けるのなんて、ゲーマーにとっちゃ日常茶飯事だ。一回全滅したくらいでクソゲー認定してたら、遊べるゲームなんて無くなっちまうんだよ」
「零士さん……」
「次は勝つ。あふざけたピエロ野郎をボコボコにして、お前の親友を引きずり出してやるよ。だから、そんな顔すんな」
強がり半分だったが、紬の顔から少しだけ絶望の色が薄れたのがわかった。彼女はゴシゴシと涙を拭い、小さく「はい」と頷いた。
◇◆◇
医務室を出て、会議室へと向かう。
扉を開けると、アドホック、ノクス、ルイス、ガルド、小春のマリアを除いた全員が揃っていた。俺の顔を見るなり、ガルドが鼻を鳴らす。
「フン、丸二日も寝腐りやがって。飯は食えるか、小僧」
「おう。カレーなら三杯はいける」
「起きて早々減らず口が叩けるなら、心配なさそうね」
小春が呆れたようにため息をつくが、その目元には微かな安堵が浮かんでいた。ルイスも肩をすくめて笑っている。
「さて、無事のお目覚めを喜んだところで、現状の分析といこうか」
アドホックが静かに口を開き、円卓の中央にホログラムを展開した。
「まずは永井くん。君が特異点で見せたあの『力』についてだ。ノクス」
「ああ」
ノクスがタブレットを操作すると、俺の脳波と生体データのログが空中に表示された。
「結論から言うと『分からない』。だが、起きた現象だけを説明するなら……君はあの特異点のルールを、完全に外側から上書きした。まるで、この世界そのものを動かしている『管理者』の権限を、一時的にハッキングして奪い取ったようにな」
「管理者を、ハッキング……?」
「だが、代償はあまりに大きい。君の脳と肉体は、あの莫大な情報処理に耐えられない。次にあれをやれば、今度こそ自我が完全に崩壊するか、物理的に脳が破裂する」
さらっと恐ろしいことを言うな。要するに、あのチート能力は事実上の「封印」ってことだ。
「どのみち天音結衣を救うには、まともな手順で攻略するしかないってことか」
「そういうことだね」
アドホックが頷く。
「あの特異点――クラウンと名乗った存在も含め、現状の我々の戦力では正面突破は不可能に近い。結衣の救出は、戦力の大幅な拡充と情報の精査を待つしかない」
重い沈黙が落ちる。ガルドがギリッと奥歯を鳴らした。
だが、アドホックはそこで言葉を切らず、ホログラムの地球儀を回転させた。
「そして、悠長に準備を進めている時間も、どうやら残されていないらしい」
地球儀に、いくつもの赤い警告ピンが突き刺さる。
「第一の火種。中東で国土の三分の一をガラスに変えた『原初の火』と呼ばれる能力者。彼が動き出した」
「生きてりゃ動くわな。で、どこへ向かってやがる」
ガルドが腕を組んだまま鼻を鳴らす。
「進行ルートの予測だが……真っ直ぐ極東、つまりこの日本へ向かっている可能性が高い」
「あ? 日本だと?」
ガルドの顔色が変わった。
背筋に冷たい汗が伝った。あの国を滅ぼした化け物が、こっちに向かってきている?
「第二。太平洋上に現れた『黒門』周辺の空間歪曲が急激に拡大している。このままいけば、神奈川を凌ぐ規模の新たな特異点が発生するだろう。海から何が這い出してくるか、想像もつかない」
――夢で見たビジョンが脳裏にフラッシュバックする。
海の底からせり上がる、漆黒の門。
「最後に、これが一番厄介かもしれない」
ノクスが映像を切り替える。それは、宇宙空間を捉えた衛星カメラの映像だった。
地球に向かって飛来する、複数の巨大な影。
「大気圏外より、未知の質量体が複数、地球に接近中だ。既存の天文学や物理学では説明のつかない軌道と速度。隕石ではない。まるで意思を持って『降りてきている』」
宇宙からの来訪者。
もう、キャパオーバーだ。情報量が多すぎて笑えてくる。
世界崩壊のRTAどころじゃない。複数の魔王がいっぺんに攻め込んでくるような、完全な死にゲーの終盤イベントだ。
「……ふっ、あはははっ!」
気づけば、俺は笑っていた。
全員の視線が俺に集まる。
「……あんた、大丈夫? ついに脳みそまでバグったわけ? 気持ち悪いんだけど」
小春が心底嫌そうな顔でため息をついた。
「いや……あまりに理不尽すぎて、逆にテンション上がってきただけだ」
俺はホログラムの地球儀を睨みつけた。
「上等じゃねえか。原初の火だろうが、海の化け物だろうが、宇宙人だろうが、まとめて攻略してやるよ。俺たち『ハンドラ』でな」
「……はいっ! 一緒に攻略しましょう、零士さん!」
隣で、紬が花が咲いたようなとびきりの笑顔を見せた。目元はまだ少し赤いけれど、そこから絶望の影は完全に消え去っていた。
「やれやれ。頼もしいのは結構だけど、もうあんな無茶だけはしないでくれよ、ルーキー」
ルイスが肩をすくめながら、どこかホッとしたように口元を綻ばせた。ガルドも小春も、なんだかんだ言いながら呆れ笑いを浮かべている。
ふと、視界の端で赤黒いシステムウィンドウが無機質に点滅を始めた。
【メインクエスト:崩壊からの生還】
【追加ミッション発生:原初の火/黒門/未知の飛来物】
【現在のレベル:1】
……相変わらず、運営の性格が最悪なクソゲーだ。
だが、コントローラーを投げる気は毛頭ない。バグだらけのこの世界、俺のやり方で最後までしゃぶり尽くしてやる。




