声の重さ
君が初めて何かを語ったとき、
その声は、よく晴れた日曜の朝のように澄んでいた。
空気の奥の奥まで染み込んでくるような、風のかたちをした言葉だった。
それを聞いたとき、僕はただ静かにうなずいた。
うなずくことしかできなかった。
君の言葉は、誰かに似ていなかった。
どこかの書き写しでも、借り物でもなかった。
言葉を話すために長い時間を費やした誰かの、まだ不器用で、とても正直な響きだった。
でも、誰かが言った。
「それはちょっと違うんじゃない?」
「そう言うと、誤解されるよ」
「もっと伝わりやすく、うまく言えたらいいのにね」
たぶん、悪気はなかった。
アドバイスのつもりだった。
でもそれは、君の声の輪郭をすこしだけ削っていった。
君は、すこしずつ言葉を選ぶようになった。
ためらいながら、迷いながら、
まるで誰かに許可をもらってからでなければ、口にしてはいけないように。
それでも、君は話すことをやめなかった。
慎重になって、静かになって、それでもなお、君は声を持ち続けた。
言葉の芯は、濁らずに残っていた。
あるとき君が言った。
「この言葉が、ちゃんと君に届いていたらいいのに」
そのとき僕は、どうしてうまく返事ができなかったのか、今でも思い出せる。
届いていた、なんて、軽々しく言える気がしなかったからだ。
それはもう、ただの「やさしさ」とか「感動」なんてものじゃなかった。
もっと違う、背筋が伸びるような確かさだった。
君の言葉を、僕は覚えている。
全部じゃない。
正確な文でもない。
でも、言葉の重さだけは確かに残っている。
君が何かを語るとき、それは「誰かを変えたい」からではなかったと思う。
ただ「君自身がそこにいる」ためだった。
黙っていたら、どこかに置き去りにされてしまいそうだったから。
だから君は、震える声でも、空をなぞるような指先でも、
君であるために、言葉を置いた。
それを、誰かが変えてはいけない。
言いやすく書き直すことも、意図を補足することも、
少なくとも僕には、できないと思った。
変えられない言葉には、強さがある。
やわらかいまま残る骨格のようなもの。
触れたら壊れそうだけど、壊れていない。
ずっとそこにある。
だから願っている。
君の言葉が誰にも歪められませんように。
そして──
その言葉が、君の知らないところで
誰かの朝を変えますように。
ほんの少しだけ、歩き方を変えますように。
世界を丸ごと変えるような派手さではなく、
ただ、その人が「今日も悪くなかったな」と思えるくらいに。
そういう風に、誰かの中で生きてくれますように。
君の声は、まだ響いている。
あの日、誰にも届かないかもしれないと震えながら口にしたその言葉が、
たしかに僕の中で揺れている。
今も、これからも。
そしてきっと、僕の知らない誰かのなかでも。